相も変わらず今朝も早起きのお登勢によって、叩き起こされる長庵です。眠い目を擦りながら、ハシゴを下りて見ると朝食の用意が出来ております。

お登勢「兄さん!今日は、丸の内へ行ってみようと思うんだけど。」

長庵「丸の内へ行って、何をするつもりだ?」

お登勢「長門守様の御屋敷を見張って、お梅が出て来るのを待つのさぁ。」

長庵「ストーカーかぁ?! 丸の内は広いんだぞ?松平長門守様の御屋敷たって、上屋敷、下屋敷、中屋敷、お化け屋敷と色々在るんだ。。。」

お登勢「その何処に居るんだい?お梅は。」

長庵「知るかぁ?! 俺は奉公する日に、連れて行っただけで、勤務先まで俺には判らねぇ~よぉ。それより、芝居でも見に行かないか?」

お登勢「芝居なんて、見ている気分じゃないよ。それより、二人の娘に逢わせてお呉れよ!兄さん。」

長庵「判ったているって、お梅の方は、手紙だけでもとは思うけど、お抱え医の順庵様に、『手紙の催促をして下さい。』とはなかなか頼めねぇ~しなぁ。」

お登勢「だったら、お小夜に逢わせて呉れと、アタイは言っているじゃないかぁ?!」

長庵「だ・か・ら、お小夜の方だって、小夜衣大夫なんだから。。。そうそう簡単に逢える身分じゃないんだぁ。

そして、何度も言っているように、お前みたいな貧乏らしい(みすぼらしい)百姓女が、

『小夜衣の母で御座います。』と、出て行くと、お小夜の方が迷惑するから、辛抱して呉れ。」

お登勢「そしたら、お小夜には、年が明けるまで、逢えやしないじゃないか?」

長庵「だからそれは、何度も言っているだろう、松葉屋の番頭さんに頼んで、こっそり逢わせてやるって。」

お登勢「何時なんだい!兄さん、何時、こっそり逢わせて呉れるんだい?!」

長庵「そのうち必ず逢わせてやるから、お登勢、もう少し辛抱しろ!」

もう、お登勢が駿府を出て、江戸の長庵の家へ来て、半月が過ぎようとしています。

毎日毎日、口を開けば、『娘に逢いたい!』しか云わないお登勢に、ほとほと手を焼いて、

長庵は、お登勢を殺してしまおうと、決意はしているものの、安易に自ら手を下して捕まるのは御免です。

ですから、色々と殺害方法を検討してみたものの、安上がりな完全犯罪など在ろうはずもなく、


毒を盛っては? 事故に見せ掛けて殺すか? 自殺を装うか?


常に、『お登勢殺し』の事が頭を離れないで居ると、そこへ、悪い野郎が飛び込んで参ります。

三次「長庵さん、居るかい?」

長庵「何んだぁ、人形屋かぁ。」

三次「何んだとはご挨拶だなぁ、上がらせて貰うぜぇ!」

と、入って来たのは、長庵の賭博仲間で、お梅を松葉屋へ身売りする際には『受人』を引き受けた人形屋三次郎で御座います。

この男、人形屋とは呼ばれておりますが、実際に泥人形を拵える訳ではありません。

鼠小僧の次郎吉が、表向きは『魚屋』と言っているのと同じで御座いまして、

人別帳には『商業 人形屋』としてはありますが、実態は無職渡世のヤクザ者と何んら変わらない。

そんな、三次が長庵の処へ、借金の相談にやって来たのでした。

三次「先生、明日から稲荷堀(とうかんぼり)の細川の仲間(ちゅうげん)部屋で賭場が立つそうだぜぇ?!行ってみねぇ~かぁ?」

長庵「久しぶりだなぁ~、行ってもいいが、お前さん、軍資金は在るのかい?」

三次「そこですよ、先生。勿論、種銭が無ぇ~から先生処へ来たんじゃありませんかぁ、五両で結構ですから廻しちゃ貰えませんかぁ?!」

そう云われて、村井長庵、『之だぁ!』と、閃きまして悪事の筋書きが出来上がります。

長庵「そうかい、では其の五両、用立ててやってもいいが、俺の頼みを一つ聴いて呉れるか?!」

三次「五両貸すのに、条件を付けようってぇのかい?」

長庵「条件を付けるなんて吝な事は云わないよ、三次。五両手間賃に呉れてやる。その代わりに頼みたい事があるのさぁ。」

三次「判った、やってやろうじゃないかぁ、何をすればいい?脅し、強請の類か? 借金の取立?踏み倒し?」

長庵「そうじゃない、もっと簡単な事さぁ。女を一人殺して貰いたい。」

三次「殺しだと?! たった五両でか? ダメだ!ダメだ!殺しはダメだ!」

長庵「お前らしくないなぁ、恐いのか?」

三次「俺は、散々色んな悪事を働いて来たが、まだ、人を殺した事ダケは無い。」

長庵「何んだぁ、そうかぁ。出来ねぇ~と云うなら、他を探すまでだ。段取りも出来ていて、簡単なのに残念だぁなぁ。」


そう、冷たく云われて、人形屋三次郎の方が『簡単なのか?』『段取りが出来ている?』と、思い始めます。

三次「判ったよ、長庵先生、俺とお前さんの仲だぁ、噺だけでも聴いてみようじゃないかぁ?」

長庵「馬鹿な事を云うなぁ。殺しの相談だぞ。噺だけなんて在る訳ないだろう、引き受けるってんなら話すが、やらないなら帰れ!!」

三次「判った!判ったよ、やるよ。誰を殺(や)るんだ?」

長庵「以前、お前に受人をして貰っただろう、姪のお梅。」

三次「あぁ、十四の娘だったなぁ。まさか、中へ行ってアレを殺すのか?!」

長庵「そうじゃねぇ~、そのお梅の母親だぁ。俺の実の妹に当たるんだが。」

三次「お前さんの実の妹を、俺に殺せと云うのか?」

長庵「そうだ。今、江戸に来ていて、この家の二階に住んでいる、俺の妹、お登勢を殺して欲しいんだぁ。」

三次「何んで、また?!」

長庵「お前にも手伝って貰った、あのお梅の件で、お梅に逢わせろ!逢わせろ!と、毎日毎日五月蠅いんだ。」

三次「五月蠅いって。。。それだけで、実の妹を殺すのかい?!」

『実は、重兵衛殺しの事もあるから!』と、云いそうになりましたが、其れは呑み込んで、長庵、上手く三次を言いくるめます。

長庵「厭やぉ~、大分気を病んで来ていて、妙な事をしょっちゅう口走るようになっているし、

藤掛唐十郎って吉良の浪人に、亭主を殺されてその亭主の幽霊が出るとか云い出すんだぁ。」

三次「まぁ、宜い判ったよ。深くは詮索しねぇ。俺は五両貰えりゃぁ構わねぇ~。それでどんな段取りで殺(や)るんだ?」

長庵「妹のお登勢は、『娘のお小夜に逢わせろ!』と、五月蠅いくらいに背っ付いて来るから、

お前さんには、『松葉屋の番頭さん』に成って貰って、それで𠮷原の裏田圃辺りに連れ込んで殺して貰いたい。」

三次「なるべく商人風の地味な衣装(ナリ)を拵えては来るが、俺が廓の番頭に見えるのか?!」

長庵「そいつは心配ない。江戸へ出て来てまだ、一月にも成らない田舎者だぁ。

廓の仕来りや作法も全く知らないから、𠮷原が大門からしか出入り出来ない事すら知ちゃいないんで大丈夫だぁ。」

三次「判った。それで、何時殺(や)るんだ?」

長庵「そだなぁ、善は急げ、今夜にでもと言いたいが、夜に逢うのは流石に、松の位の太夫職って事に成っているからまずいんで、

明日、九ツ半くらいに迎えに来て呉れ。俺がお登勢には、松葉屋の番頭さんがお小夜に逢わせて呉ると云い含めて於く、

迎えに来る時は、駕籠を用意して観音様の辺りまでは、お登勢を駕籠に乗せて連れ廻して呉れ。」

三次「段取りは判った。出来れば五両の半金は先に今直ぐ貰いたい。せめて二両は今日出して呉れ。」

長庵「馬鹿を云うなぁ。銭は全て終わってからだ。」

三次「判ったよ。その代わり、駕籠代だけは支度金として先に呉れ、一分だ。」

長庵「判った!判った!駕籠代は出す。ホレ、一分だぁ。」

三次「それと、先生、包丁(アジ切り)を貸して呉れ。殺(や)るのに道具がないと始まら無ぇ~ ヨシ出来た!、明日九ツ半に迎えに来らぁ~」」

そう言って、人形屋三次郎は長庵が差し出した包丁を、手拭いに巻いて懐中に入れ去って行きます。


長庵、その日は昼過ぎに出掛けまして、暮れ六ツ頃に戻り、珍しく鰻の折などを下げて帰ります。

長庵「只今帰りました。お登勢、喜んで呉れ!明日、お小夜に逢わせてやるぞ!」

帰るなりに、珍しく長庵がそんな事を申しますので、お登勢は、ハシゴから落ちそうな位慌てた様子で二階から降りて来ます。

お登勢「本当ですか?!兄さん。」

長庵「妹を騙してどうする。明日は、番頭が昼過ぎに麹町に来ると言うから、駕籠が呼んである。

今夜は早く湯屋へ行き、この鰻など食べて、お小夜、いやいや!小夜衣太夫と、親子水入らずで、積もる噺をして来なさい。」

お登勢「本当なんですね?!でも、この衣装じゃ逢えないと、言ったのは兄さんだよ?!」

「だから。。。」と、長庵が言って居りますと、古着屋が参りまして、長庵の家に、女物の着物と帯が届きます。

長庵「本当だぁ、昼九ツ過ぎに所用で麹町に来ると聴いたから、お前を連れて小夜衣に逢せて呉れと、頼んで来たところだ。だから、之を来て明日は、胸を張ってお小夜に逢って来なぁ!!」

お登勢「本に、兄さん!有難う御座います。」

騙されているとは、微塵も感じませんから、お登勢は泣いて喜びますが、村井長庵はしめしめと、面には出さず北叟笑みます。


そして明けて翌日、兄長庵が言う通り、昼過ぎに駕籠を連れて、町人風の目付きの宜しくない三十凸凹の男が長庵を訪ねて参ります。

三次「先生!お久しぶりです。太夫か、母君に逢える!っと、すこぶる喜んでおられます。駕籠で、お迎えに上がりましたから、宜しくお願い申します。」

長庵「ご苦労様に存じます!三次郎殿。之が、小夜衣太夫の母、お登勢で御座る。宜しく。」

言われてお登勢、声を絞り出す様に、「宜しくお願い申します。」と、頭を下げるが背ぇ一杯で、済まなそうに駕籠へと乗り込みます。

お登勢を乗せた駕籠は麹町平河町を出て、千代田の城の半蔵門から馬車道を一番町、三番町へと進みまして、

千鳥ヶ淵の雑木林をお堀に沿って進みますと、今は靖国神社が御座いますが、享保のこの時代にはその姿は無く、雑木林が九段坂下まで続く寂しい所で御座いました。

また、この九段下・九段坂下と言う呼び名も、路面電車が走り出してからで御座いますから、三次はお登勢を駕籠に乗せて、千代田のお堀沿を神保町から神田へと参ります。

此処で、暫く駕籠を止めて、須田町で蕎麦でも手繰りませんか?!と、お登勢も誘いますが、お登勢は兎に角、お小夜に逢いたい!しか申しませんで、

三次と駕籠カキ二人の三人で半刻ほどの繋ぎを、蕎麦屋で致します。やっと腰を上げて、秋葉ヶ原を通りまして、

御徒町、上野広小路から、不忍池の方まで出て参りますと、又休憩すると、三次が申しますから、心ん中はお小夜に早く逢いたい!と、思いますが、

三次に嫌われて臍を曲げられても困りますから、我慢して駕籠ん中で待っております。


一方、三次はと見てやれば、五両欲しさに人殺しを引き受けたはみたものの、殺すのは初めてですから踏ん切りがなかなか着きません。

今度は居酒屋へ一人で入り、酔わない酒、いやいや酔えない酒を、茶碗で煽って一杯、二杯。其れでも度胸は付きません。

暮れ六ツの鐘が聴こえて漸く店を出た三次、稲荷町、田原町、浅草寺を左に見ながら花川戸の川辺りを、このままあと二丁、三丁も土手を進むと吉原に成るんで駕籠からお登勢を下ろします。


すると途端に雨が!大粒の雨が地面を叩き始めます。


「お二人さん、ご苦労だったね、取ってくんなぁ!」と、三次が駕籠カキに一分を渡します。

お登勢「此処が、吉原ですか?番頭さん。」

三次「もう、ちょいと歩きます。ご新造、アッシに付いて来て下さい。」

そう言って騙し、傘を借りて今度は相合傘で北へ、入谷の方へとお登勢を連れて行き、遠くに吉原の灯が見えるのを指さして、

三次「有れが、あの不夜城の様な灯りがともる所が吉原でゲスよぉ、ご新造。」

お登勢「あそこに、お小夜は居るんですねぇ~」

と、入谷田圃の畦道で、遠くぼんやり見える光にお登勢が見惚れていると、まだ、蓮華の花が咲く前の、雨に泥濘む泥を掘り返した田圃に、是を思いっ切り付き飛ばします。


アレッ!何をなさいます番頭さん。


お登勢は、柔らかい田圃の土に肩から落ちて、泥沼に嵌った様な状態で身動きが取れなくなります。

そこへ三次。懐中から包丁(アジ切り)を取り出し、荒っぽく手拭いを外すと、お登勢の胸辺りを付き刺します。


ギャッ!人殺し、人殺し!


在らん限りの声を張り上げますから、今度は、口を手で塞ぎ、慌てて、包丁から剥がした其の手拭いでお登勢の首を絞めに掛かります。

降り仕切る雨、ピチャピチャと厭な雨音が、初の人殺し!三次の頬を伝いながら流れて落ちて参ります。


三次「ご新造、俺を恨んだり祟ったりしなさんなぁ、全部、お前の兄貴の村井長庵に五両で頼まれてしている事だ!怨むなら長庵先生にして呉れ。

お前の下の娘のお梅を騙して松葉屋へ売り飛ばしたのも、兄貴なんだからなぁ!怨む先を間違えるなぁ、怨むなら必ず兄貴を怨め!」

そう言って、お登勢の首を力任せに締め上げると、お登勢は鬼の様に三次を睨み虚空を掴んで琴切れるのですが、断末魔、お登勢の口から蒼白く光る玉の様な物が、

天空高く舞い上がり、麹町平河町の方へと飛んで行きます。この様にお登勢を絶命させて、この泥沼の様な田圃に、その死骸が見えない様に埋めてから、三次は逃げ帰ります。


ドンドン、ドン!


一方、長庵の方はと見てやれば、『待つ身はツラい俎板の鯉』と、酒をちびりちびりやりながら、まだ、日が高い七ツ過ぎから酒を呑みながら、相変わらずスルメの足を舐めて居た。

すると、六ツを伝える遠寺の鐘。 ゴーン! 其れでも酔わない自分と、もうお登勢を殺して三次が戻るか?と、期待して待つ自分のハザマで、妹との死を待ち侘びる、そんな料簡に何時から成ったのか?!

と、自問自答しているうちに、辺りは暗く行灯に、長庵が火を入れようかぁと思ったその時でした。

その行灯に向かって、あの蒼白い火の玉が飛び込んで、ホッと明るい光を点けるのです。


三次の野郎!バラしたなぁ。


もう一度、『ドンドン、ドン!』。三次は、長庵の家へ飛び込んで来るなり、長庵が呑んで居た酒を、茶碗で煽ります。

三次「先生!妹さん、殺して来ました。」

長庵「そいつは有難いんだが、お前さん、妹のお登勢に、言わなくて宜い事を、ペラペラ!ペラペラ、話したねぇ?!」

三次「なぜ、其れを?!」

長庵「今、この行灯の火は、お前が殺した妹・お登勢の火の玉が飛んで来て点けた火だからねぇ。」

三次「た、た、た確かに、秘密を教えたけど。。。なぜ、お前さんに知れたんだい?!」

長庵「三次、約束が違うぞ!誰にも喋らない約束を、事もあろうに、お登勢に教えて、化け物にするとは。。。五両は反故だ!」

三次「エッ!五両と言うから、貴様の妹を殺(や)ったんだ。一文も払わない積もりか?長庵?!」

流石に、一文も払わないのか?!と、言う三次の顔色を見て、村井長庵は、『二分に負けろ!!』と、飛んでもない提案をしますが、

人形屋三次郎の方も、是以上ごねると、窮鼠猫を噛む、こんな故事を知っておりますから、二分の銭を握り締めて、馬道の自宅へと帰るのでした。



つづく





p.s. 

◇貞水『雨夜の裏田圃』

一龍斎貞水 【講談 雨夜の裏田圃】一龍斎貞水 【講談 雨夜の裏田圃】一龍斎貞水 【講談 雨夜の裏田圃】一龍斎貞水 【講談 雨夜の裏田圃】一龍斎貞水 【講談 雨夜の裏田圃】リンクyoutu.be


◆伯山『雨夜の裏田圃』

神田松之丞「村井長庵 雨夜の裏田圃」娘を売った血の出る金今年の初雷の鳴った後をザーッと落して来た夕立の雨、袖を濡らして帰って来たのは村井長庵と義弟十兵衛、十兵衛の眼は泣き濡れている。年貢の未進も納めねばならず、不義理の借金も嵩んでいる、背に腹は代えられぬ。小綺麗に生れたのが娘の因果、その娘のお種を連れ、駿州江尻在大平村から、義兄の長庵を手頼りにして...リンクyoutu.be

◇朗読

◆伯龍の触り



抜いて読むのと、連続なのの違いを感じて頂けると、幸いです。