麹町の自身番にしょっ引かれた藤掛唐十郎。北町同心、橘主水丞と加藤新八郎、二人の厳しい詰問を受ける事に成ります。
加藤「藤掛唐十郎、貴様、年齢は幾つになる?」
藤掛「今年、三十二に相成ります。」
加藤「三十二かぁ、でぇ、何藩に抱えられておった?」
藤掛「吉良上野介様の家臣でございましたが、ご存知の通り、主君の不幸に巻き込まれ、浪人と相成りまして御座います。」
橘「何ぃ~、吉良の浪人だと。」
この時代、赤穂事件からは既に、十年ちょっと過ぎておりますが、未だに忠臣蔵は風化せず、江戸の人々は吉良の浪人には、まだまだ冷たい仕打ちを致しました。
この藤枝唐十郎、運が悪かったとしか言いようがありません。確かな証拠の蛇目傘が在り、内儀以外在宅を証明する証人も在りません。
厳しい拷問を受けた訳では御座いませんが、藤掛。牢屋へ入れられて二月、三月、寒さが訪れると流石に身体が耐え切れず、
生まれて来たばかりの我が子の顔も見る事もなく、享保三年十一月十五日、伝馬町牢の中で亡くなってしまいます。
この知らせを聴いた村井長庵、『死人に口なし』、もうバレる心配は無い!と、ほくそ笑むのでした。
さて、六十両を手に入れた長庵。暫くは派手に使うと怪しまれるので大人しくしていたのですが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
年末に『掛け』の借金を払い終えると、又、足繫く賭博場(ばくちば)と𠮷原へ通うようになり生活が派手になります。
もうこうなると、『お足』と言うぐらいで、悪銭身に付かず。六十両なんて銭は、正月を迎えて松が取れる頃には全く無くなります。
長庵、「さて、どうしましょう?」と、思案致しますと、まぁ、ろくでもない事しか思い付きません。
そうだ! お小夜には確か!お梅と言う妹が居た。
お小夜があれだけの色白で別嬪なのだから、妹も同じように美人に相違ない。早速、妹を𠮷原に売り飛ばす算段を始めます。
そして、旅支度を始め、江戸へ出て初めて故郷の駿州江尻は大代村を訪ねて、お小夜の妹の方を売り飛ばす狂言を実行に移すのです。
享保四年一月の終わりに粉雪が舞う江戸を出まして、もう梅が綻び始めた大代村へと入りますと、重兵衛の噺に在ったように嵐で崩れた家が見えて参ります。
長庵「こいつは酷い。確かに土間と納屋しか残ってねぇ~やぁ。」
そう言って壊れた家を脇に見て、お土産を下げて庄屋の卯兵衛の処まで来て、声を掛けるのです。
長庵「名主様、おいでになりますか? 以前この村に居た長兵衛で御座います。」
卯兵衛「長兵衛! 元気にしていたか?! この度は、重兵衛さんが大変な事になって。。。」
長庵「ハイ、名主さんには、色々とご迷惑をお掛けしていると思います。本にお世話になります、之は詰まらない物ですが。。。」
卯兵衛「そったら事せんでも、其れで、お登勢の処へは? エッまだ行ってないのか?さぁ、早く顔を見せてやれ。」
長庵「それが、今後の妹の身の振り方で、名主様にも聴いて貰いたくて。。。済みませんが、私に同道して妹の処へ来て下さい。」
名主への挨拶が済んだ跡で長庵は、その名主を連れて、実の妹、お登勢の家を訪ねます。
長庵「御免なさい、お登勢、元気にしているか?!」
と、長庵が声を掛けると、壊れ掛けた家ん中から、飛び出して来たお登勢は、長庵を見るなり「兄さん!」と言って泣き崩れてしまいます。
長庵「本当に、重兵衛ドンは気の毒な事だった。気が済むまで泣け、お登勢。」
自分で殺して於きながら、実に太い野郎です。善意のフリ!妹を慰めるように胸を貸してやりますが、心の底では舌を出して御座います。
長庵「手紙にも書いたが、お前の事が心配で。。。この先の事を相談ブツべぇと思って。
兄(アン)ちゃんとしては、お前が一人で田舎で百姓を続けるよりは、ここを清算して江戸表に出て来ないか?と思って。」
お登勢「そう言っても、借金はどうするんだい、兄さん!」
長庵「畑と家を売って清算しては? 亭主があんな事になったばかりだ、世間は鬼ばかりじゃねぇから、話せば幾らかは負けて下さる方もあるだろう?」
お登勢「でもぉ、畑と家を売ったら。。。オラ達、何も残らないんだよ。」
長庵「そうは言うが、お前が再婚して百姓を続けるか? 此の妹娘が婿を取って百姓をしないと、女手二人じゃ百姓は無理だぞ。
お梅は、今年幾つだ?十四か? 流石に跡三年、四年は婿など取れまい? それなら、名主様にもお頼みして、値宜く畑と家の処分を考えたどうだ?」
卯兵衛「どうだい、兄さんの云う通りにしてみては? 儂も借金の棒引の交渉は手伝ってやるし、畑や家の買い手も探そうじゃないかぁ。」
そう云われて、お登勢は決心を致します。
長庵「それと、お梅の事なんだが、どうせ江戸表で暮らすんなら、大名屋敷へ奉公に出してはどうだぁ?」
お登勢「大名屋敷?」
卯兵衛「長兵衛、大名屋敷にツテが在るのかい?」
長庵「ハイ、知り合いに松平長門守様のお抱え医師がおりまして、その者に、お梅の噺をすると是非、行儀見習いにと殿様に推挙すると言って呉れて。」
卯兵衛「其れは、是非、勤めた方が良い。もし、お殿様のお手が着いたら。。。玉の輿だ!!」
お登勢「そんな!お梅はまだ十四ですよぉ、止めて下さい、玉の輿だなんて!?」
大人たちがそんな、自分の噺を始めるもんで、お梅は、まんざらでもない様子で顔を赤らめます。
長庵「そんな噺も江戸には在るし、万一、お殿様のお手は着かなくても、長門守様は五万石の大名だぁ。
お宿下がりとなった跡でも、縁談は引く手数多。。。良い縁談に恵まれる。
そんな訳だから、儂とお梅は先に江戸へ戻り、この奉公の噺を纏めて於く。
一方でお登勢、お前の方は、名主様の助けを借りて、財産の処分をお願いする。」
お登勢「分かりました、兄さん。其れでは、お梅の事を宜しくお頼み致します。」
こうして長庵の描いた絵図通り、駿州江尻から江戸へと、お梅をまんまと連れ帰る事に成功致します。
そして、江戸表へ戻ると、二日、三日は、お梅を連れて江戸現物などに参りますが、遂に三日目の夜、長庵が本性を表します。
お梅「実は、之はお前の母のお登勢も承知の事なのだが、お前も小夜と同じ様に𠮷原に勤めに出て貰いたい。」
お梅「突然、何を言い出すのです、伯父上様。庄屋様の前では、大名屋敷に奉公へ行くという噺でした。」
長庵「其れでは、金子の工面がままならないのだ。あんな猫の額程の畑と、殆ど倒壊寸前のあばら家を売っても、きっと借金は返せない。
そうなると、駿府から江戸表へ、お前の母さんが出て来る路銀も無いし、何より殺された重兵衛ドンが迷って化て出ない為、
成仏して貰う為に、高野山への巡礼、寄進の旅に出るというお前の母の願いも叶えられぬ。」
お梅「高野山へ巡礼?!」
長庵「そうだ。お前のお父さんは、藤掛唐十郎という恐ろしい、夜叉鬼、鬼畜のような輩に殺されて無念の残ったまんま他界した。
だから、このまま放置すると、その無念から周囲を祟り、家族にとんな禍を齎すやも知れん。そこで、お前のお母さんは高野山へ巡礼に行く事を決意した。
その為には、路銀も必要だし、寺への寄進の金子も必要になる。だから、その金子の工面をお前がするんだ。孝行者の姉と同じように。」
お梅「でも、そんな噺は。。。一言も私の前では、お母さんはしていません!嘘です。」
長庵「嘘なもんかぁ! 江尻の家で、この噺をしないのは当然だぁ。上の娘を𠮷原に沈めて、半年も経たないのに下の娘も売ったとなると世間体が悪い。
だから、敢えて、『大名屋敷に奉公に行く』と言って江戸表へ送り出したんだぁ。判るだろう?それくらい。」
お梅「本当ですか?」
そう言ってじっと、長庵の目を睨むお梅。しかし、長庵は悪魔の様な悪党ですから、全く顔色一つ変えず返します。
長庵「勿論、本当だぁ。それに、同じ江戸に居れば、母親とは又逢える。嘘だと思うなら、そん時に直接聴いたら宜いではないか?!」
十四ですが賢いお梅は、思いました。この伯父は嘘をついていると。しかし、自分にはどうにも拒否する道は無いのだとも悟ります。
そこで、一つだけ条件を付けるのです。それは、𠮷原に売られる代わりに、売り先は姉の居る『松葉屋』に限ると。
お梅「譬え、私の様なものでも、姉さんと一緒ならば我慢できるし、何より姉さんの助けに成りとう御座います。」
長庵、是を聴いて些か困ります。遅かれ早かれ、この姉妹の母親、お登勢が江戸へ出て参ります。
そうなった時に、お梅だけでなく、お小夜にまでも逢わせる事が出来ななくなるからです。
それに思ったよりも、この十四のお梅が賢いのに、長庵、危険を感じ始めます。
このまんま娑婆に長く泳がせて置いたりすると、色々耳年増に成りやがって、このお梅が最初に俺の悪事に気付くかも知れない。
そう思って不安になり始めると、もうこの女子(あまっこ)を一日も早く遊廓に売ってしまおう。
長庵「えい!悩んでみても始まらねぇ~。お梅は松葉屋以外には首を縦に振らない。そして脅して訊く様なタマじゃない。
毒を食らわば皿までだぁ、ここは一つ腹を括って、松葉屋へ売り飛ばす事にしよう!!」
そんな事を呟いた長庵、お梅を松葉屋半左衛門へ、是又売り飛ばす算段を始めます。
既に一度下地が御座いまして、女衒の代わりの交渉は慣れたモンですが、今度は重兵衛もお登勢も居ないので、
『受人』をでっち上げる必要が御座います。そこで、五両を払うと約束をして馬道七丁目に住んでいる、
人形屋三次郎という賭博打(ばくちうち)の悪い野郎を引き込んで、お梅を松葉屋半左衛門の処へ、四十両で売り飛ばしてしまいます。
姪っ子のお梅を松葉屋へ沈めて得た三十五両。是又、三月も持たずにオケラに成りまして、夜逃げ寸前の一年前に逆戻りの長庵。
誰か旨い噺を持って来ないものか?と、相変わらず他力本願な料簡で、朝からスルメの足何んぞをしゃぶって安酒を飲んでおりますと、
女の声で、「御免下さい。」と、声が致しますので、『誰だ?!』 『患者かぁ?』 『まさか!』と、思いつつ玄関へと出てみると、
其処には、旅姿をした妹のお登勢が立って居りました。
長庵「お登勢?!どうしたんだぁ?」
お登勢「どうしたじゃないよ、畑と家が売れたから、江戸へ来たんじゃないか?!」
長庵「こんなに早く、買い手が付いたのか?!」
お登勢「それがさぁ、兄さん!庄屋の卯兵衛さんが宜くして呉れて。。。家は大工に直して貰ってから売ったから思いの外高く売れたし、
大代町を出る時は、皆さん、沢山餞別を呉れたんで、ホレ!まだ路銀が四両三分も残っているんだよ!!」
長庵「そうかい。。それは宜かったよかった。。兎に角、昇がれ。。しかし、宜く此処が判ったなぁ。」
お登勢「それがさぁ、品川の問屋場で、道を聴いたら、『あの麻布永坂の六十両の殺しか?』って、
皆さん、亭主の重兵衛が殺された事件を宜く知ってて、それで自身番から自身番へと、
数珠繋ぎにここまで連れて来て呉れたんだよ。江戸の人は、思ったより優しいんだねぇ~。」
長庵「そうだったのかぁ、そいつは宜かった。」
お登勢「きっと重兵衛が、連れて来て呉れたんだよ。」
長庵「そうだなぁ、重兵衛がお前を導いて呉れたのかもしれねぇ~なぁ。」
そう答えて、妹のお登勢を家の中へ入れはしましたが、『なぜ、こんなにも早く来ちまうんだぁ?!』と思います。
そして、「江戸は生き馬の目を抜く処だから!!」と、言って、お登勢の持っている五両足らずの銭を巻き上げて、
取り敢えず、昼間っから酒に在りついて、ろくに仕事はしないでゴロゴロしております。
一方、田舎育ちのお登勢はと見てやれば、百姓の生活が身に着いておりますから、
朝七ツの遠寺の鐘が鳴ると、飛び起きて、家中の窓と云わず戸を開けて、掃除を始めて空気を入れ替えます。
そして、誰も来ていない井戸端で、洗い物を致しまして、水を汲んだら家ん中の吹き掃除です。
長庵「おい、お登勢!お前は根っからの百姓だから、仕方ないとは思うけど、それにしても早いぞ!あと一刻半はゆっくり起きられねぇ~かぁ?
江戸じゃぁ〜、早起きなんて流行らないし、世間が寝ている時に田舎者丸出してウロウロされると、俺が恥をかく。」
お登勢「何を云うんだい兄さん!馬鹿な事を云わないで呉れよぉ。早起きは三文の得って云うじゃないかい、
朝の清々しい風を一杯に吸って、お日様を沢山頂くから健康なんじゃないかぁ。だから私しゃ医者要らずだよ。」
長庵「悪かったなぁ、兄さんが医者で。。。其れに三文ばかり儲かっても詮方ない。それより、之は? 朝飯かぁ、納豆に豆腐の味噌汁。久しぶりだなぁ、こんな宜い朝は。」
そういいながら、久しぶりの兄妹水入らずで、朝飯なんぞを食べますが、まぁ、噺をすればお登勢は二人の娘に逢いたい!逢いたい!と申します。
長庵「だ・か・ら、お梅は丸の内の松平長門守様の御屋敷勤めだぁ。」
お登勢「それで、アタイはそのお梅に何時逢えるんだい?」
長庵「まぁ、ああいう所だから、初めてのお宿下り!! 三年はお宿下がりはないだろうなぁ。」
お登勢「三年?!ああいう所って。。。アタイは、そんな噺は聴いてないよ!?」
長庵「聴いているも、聴いていないも、大名のお屋敷奉公なんてモンは、だいたいそういうモンだぁ。
商家の丁稚奉公や子守っ子の奉公とは訳が違うんだ!藪入りだからって、簡単にお暇は出ないさぁ。」
お登勢「じゃなぁ、どうすりゃ、アタイはお梅に逢えるんだい?」
長庵「そうだなぁ、お梅に若様か?お殿様のお手が着いて、御世取を産んだら流石に宿下がり出来るかもしれないが。。。
御世取産んで、『お梅の方様』とか呼ばれる様になれば、そん時は晴れて宿下がりが許されるだろう。そういうモンだぁ。」
お登勢「そんな雲を掴むような噺なのかい?! こうしちゃ居られない!私、之から丸の内へ行ってみるよ!!」
長庵「馬鹿、五万石の大名屋敷だぞ?!女のお前が、そんな百姓丸出しの衣装(ナリ)して行って、逢えるはずがねぇ~だろう?門番に棒縛りに合うのが関の山だぁ。」
お登勢「そんなぁ!どうすりゃいいんだい? お梅とは逢えないのかい?!」
長庵「まぁ、三年は逢えないから、我慢しなぁ。一人前の女中に成ったら宿下がりさせて貰えるから、それまでは我慢しろ。」
お登勢「逢えないんなら、手紙を書くよ。手紙を。あの子は仮名が読めるから、兄さんに代筆して貰って、お抱えのお医者様に頼んで、手紙を!?」
長庵「判った、今度、酒を呑んでいない時に書いてやる。どんな手紙を書くか?よーく考えておきなぁ。」
お登勢「それじゃぁ、兄さん、お梅の方は手紙で我慢するけど、お小夜には逢えるだろう?早くお小夜に逢わせて頂戴!」
是には、流石に長庵も困ります。そして、兎に角、その場を繕うような嘘に嘘を固めて行くのですが。。。
「『小夜は、今や一年で、飛ぶ鳥を落とす勢い!松の位の太夫職、小夜衣(さよぎぬ)と呼ばれる立派な女郎になっている。』
だから、お前みたいな貧乏百姓のお母さんが行くと、返って小夜衣の方が迷惑する。だから、もう少し我慢しろ!もう少し我慢しろ!」
と、そう言って、長庵は頑としてお小夜にお登勢を近付けないように、言い訳を続けるのですが、
流石に、『なぜ、兄さんは娘に私を逢わせないんだ?!』と、余計な勘繰りをする様になりますし、
一日、二日なら、言い訳や強引な嘘で、その場を繕えたのですが、もう、お登勢が江戸へ来て早十日が過ぎようとして、
𠮷原の松葉屋半左衛門の処に居るはずの、お小夜にさえも、なぜ、兄は私を逢わせないのか? 絶対、何か隠している?!
そんな風に強い疑念を抱き始めますし、更に、手紙を書く!書く!と言って、お梅にもなかなか手紙を先延ばしにして、
漸く書いたのに、娘、お梅からの返事が未だに届かないのも、怪しいと思い始めております。
お梅に良からぬ知恵が着いて、父親、重兵衛を殺したのは伯父の長庵では?と、勘付く前に、
あまり後先を考えず、𠮷原へ売り飛ばした事を今更ながら後悔する長庵でしたが、
もう、ここに至っては、『毒を食らわば皿まで』と、お登勢を殺す決意を致します。
さて、いよいよ次回は前半のクライマックス。この村井長庵で一番有名で、抜き読みにもなります、『お登勢殺し/雨夜の裏田圃』です。
つづく