雀ノ宮本陣に居て、仮病の中納言政宗卿、まぁ、する事が御座ませんから、夕刻、七ツ半にもなりますと、連日の様に酒宴で御座います。
家来A「殿、本日は、美味そうな鰻を利根川より、モジリにて捕まえて御座いますれば、白焼、蒲焼、肝吸と用意致しましたのでごゆるりと、ご堪能下さいませ。」
政宗「左様かぁ、いやはや、海の無い宇都宮へ来て今日で六日。鯉だ!鮎だ!鮒だ!と、川魚ばかりだと、流石に、上野介だけに『鮒侍』に成るわい!」
家来A「上手い事いいますね、殿。」
そんな会話を致しつつ、利根川の脂ノリノリの鰻を、政宗卿が堪能していると、血相を変えて家来がもう一人飛び込ん参ります。
家来B「殿!只今、宇都宮城中より、栗原堂春と名乗る医師が、殿へ『お見舞い』と称して、参り居りました。如何致しましょうや?」
政宗卿、まだまだ呑み始めたばかり、家来を相手に大盃で、酒宴は静かに幕を開けようとしている所に水を差された形です。
政宗「何ぃ?!医者だと?、さては上野、心配致して診察をしようと言う心底とみえる。面白い、之へ通せ!」
家来B「恐れながら申し上げます。ご病気届けを遊ばして、ご本陣にて御巫山戯けに相成っていて、此方へ医師を呼ぶのですか?其れはしたり?!
此の場は、是非是非、病間を拵えます由え、其方に移られてから、白衣をお召しの上、頭には鉢巻などなされ、病人らしく床へ横になられて、面会なさるべきかと存じまする。」
政宗卿「イヤ其れには及ばん。構わぬ!その医師を之に通せ。万事、予が上手くやる。係る狼藉を見せるも一興ぞ。
どうせ、仮病なれば、繕ってみたとて、医師に見破られてしまうに相違ない。此処は予が上手くやる、さっ医師を通せ!!」
家来B「畏まりまして御座います。」
やがてこの宴席に通された宇都宮藩お抱え医師、栗原堂春。この場で平伏しまして、言上致します。
堂春「愚老は、城主お抱えの医師にて、栗原堂春と申しまする。本日は主君、本多上野介正純の命に由りまして、診察にまかり越しまして御座います。」
政宗「そうかぁ、堂春と申されるかぁ、ささぁ、近こう!近こう!」
堂春「ハハッ。」
政宗「イヤイヤ、わざわざ、この程度の病で、拙者が城下に届け出などした為、その方に手間を取らせ、相済まぬ事よのぉ〜。」
堂春「ハハッ。」
と、言うと堂春、政宗卿の顔を医師の目線にて、じっと見詰めます。
政宗「然し、堂春。拙者、若い頃より千軍万馬、戦場を駆け巡り、矢に射られ刀で斬られて傷を負うて来たが、膏薬の類を用いず。
幼き時に疱瘡にて目を失うも、成人してからは病と言うものを知らず。家来には医者も勿論在りとて、未だ、脈を取らせた事すら無い。
我が臣下にさせぬのに、貴殿に脈を取られては、政宗、チト都合が悪い由え、診察には及ばぬぞ、堂春。」
堂春「えぇ、恐れながら申し上げます。ご勇気ご道理、誠にごもっともなれど、中納言様の其のご勇気を支える助けこそが、薬と言う物に御座います。
自らのご勇気にて、十日掛かり治るご病気も、薬の助け有らば、五日にてお治り申します。更に又、この堂春ならば、更に早く全快へと導けまする。
由えに、我が主君、上野介公は大納言様に、私を遣わしになりました。是非是非、お脈を取らせて頂きたく存じまする。」
政宗「そうかぁ、しからば政宗、初めて脈を取らせるに寄って、近こう!近こう!」
堂春「へぇ!」
政宗「病と政宗とは、少し(チト)別々の様に存ずる。」
堂春「ハハッ!」
政宗「さぁ、存分に脈を取り、診察なされよ!!」
ズイ!と、政宗卿が押し出された二の腕は、金の三筋立ての小手を肩へ払って、松の古木に蔦が絡んだような腕に御座います。
出された腕を丁寧に触りつつ、慎重に慎重に診察をする栗原堂春、脈拍は正常、熱は無く『之は仮病に相違なし!』と、確信致します。
政宗「堂春!どうだぁ? 何病か判ったかぁ? どうも、耳元で蝉が鳴くが如く耳鳴りがいたしよる。」
『嘘をつけ!』と、思いますが、顔色一つ変えずに堂春、「其れは其れは、恐らく逆上(のぼせ)の類と存じます。」と調子を合わせて於くと、
政宗「ウーン、更には胸が。。。錐で揉まれて、キリキリと痛みおる。」
堂春「其れは、御溜飲でしょう。」
政宗「ホー、更には下腹が張って張って。。。足が釣る!足が釣る!」
堂春「疝気の虫が暴れて御座いまする、蕎麦カキなど召し上がると、退散致します。」
政宗「蕎麦は、無理じゃぁ。時折り、嘔吐致す。」
堂春「其れは困りました。どう、致すべきか?!」
政宗「堂春!之は、どの様な病で、投薬にて治る病なのか? 暫く重病にて此の本陣に泊まり居るベキや?仙台へ帰城できるものやら?
そして、之が何んの病であるか?よくよく、診察致し、速やかに返答を願いたい。」
堂春「ハハッ!」
政宗「政宗己の身体ながら、自ら病であるや?無しや?病の軽重が判らぬ由え、堂春!その方だけが頼りだ。」
堂春「ハハッ」
政宗卿の目や舌も診て、暫く考えた様子をし、栗原堂春、ゆっくりと口を開き、診断結果を中納言政宗卿にと伝えます。
堂春「さて中納言様、私、堂春の見立てによりますれば、之は、かなりの重病に御座います。取り敢えず、本日はお薬を三日分お出し致します。
よって、仙台、青葉山へのご帰城は暫く延期願って、雀ノ宮の此処本陣にて、当分の間は、静養なさるよう、進言申します。」
政宗「左様であるか、栗原堂春!実にご苦労、大儀で有った。先ずは、笹を取らせる、大盃を之へ!!」
と、何故かご満悦の伊達中納言政宗卿、栗原堂春の方は、一刻ほど政宗卿よりの酒肴のもてなしと、褒美の金二十五両を手に、
恵比寿顔で宇都宮城下の我が家へと一旦戻り、直ぐに、本多上野介正純に事の次第の報告へと登城する事になるのですが、
此処は、重大な思案の仕所であると、栗原堂春、主人家本多家への報告について、思いを巡らしながら、考えの整理して居ります。
大納言政宗卿が、『仮病』なのは疑いない事実であるが、其れを正直に本多上野介正純に伝えると、
『釣天井』露見を確信なされて、直ぐ様、籠城の準備となり、城下の家臣は全員城に集められて、外堀に水が張られ籠城が本格化するだろう。
しかし、そうなれば、小田原北条の二の舞。全国から徳川譜代の大名・旗本を中心に本多討伐軍が組織され、一ヶ月もすれば必ず滅ぼされ。。。玉砕覚悟の戦いとなる。
何物にも変え難い大事な命と、妻子を巻き込み失うのは必至で、武士の家臣は、其れでも誉たらん最後なんだろうが、医師の自分には到底納得など致しかねる。
其れならば、『政宗卿ご重病』と偽りの報告を主人、本多上野介正純にして、『釣天井』は未だに露見していないと、油断させて。。。
之を、伊達中納言政宗卿に密かにお知らせして、籠城する前に、上野介公をお召し捕りと成れば、政宗卿に大きな貸しを作れるし、
そう成れば、仙台青葉山で政宗卿のお抱え医師として働けるに違いなく、『政宗卿ご重病』と報告した時に、十二分に上野介公は褒美もお呉れになるに違いない。
このご褒美を退職金に、青葉山へ行こう!と、このお抱え医師、栗原堂春の裏切りなどが御座まして、『宇都宮釣天井』の事件は、思わぬ展開を迎えます。
さてこの様な邪な料簡になりました栗原堂春、早速、宇都宮城へ登城致しまして、主君、本多上野介正純へ言上致します。
堂春「伊達中納言様、往診を致して参りました。私の診立てでは、重病間違いなく、古傷が膿みまして熱が御座いまする。
あの容体では、仙台青葉山へのご帰城は難しいと思われます。」
是を聴いた上野介、ホラ見た事かと言わんばかりに、シタリ顔で意見致します。
上野介「左様であるかぁ、堂春、大儀であった。さて、之でも、靱負!何か意見があるか?籠城せよと、まだ申すつもりか?!」
靱負「いえ、意見など飛んでもない、堂春殿が診て来られての診断、武士の拙者に意見など御座いません。」
上野介「では、此の件は一件落着。家臣同士の遺恨に致すなぁ。さて、堂春、褒美を取らせる。」
堂春「在り難き幸せ!!」
こうして、宇都宮藩お抱え医師、栗原堂春の思惑通り、籠城は回避されて、堂春は本多上野介からの褒美の二十五両を手に、『相場かなぁ?!』と、呟き屋敷へ帰り青葉山行きの支度を始めます。
一方の気になるポンコツ使者の安藤対馬守の長兄、その総領にして大久保彦左衛門が送り込んだ使者、
安藤右京之進は、是で、伊達中納言の本陣へは三回目の訪問。あの沖忠右衛門を連れて、中納言にとっては、又、あの馬鹿息子が参ったか?!
と、戦国からの武士(もののふ)にして、独眼竜の政宗卿は、この愚か者に、武士の料簡を教えてやらねばと。。。中納言、伊達政宗が十六歳の旗本を救います。
政宗「右京之進殿、出羽山形の城主で、鳥居伊賀守忠恒をご存知か?!」
右京之進「ハイ、最上家が改易となり、徳川譜代の鳥居、酒井、松平で山形、新庄、津軽を分けて統治されておるのは知って御座います。」
政宗「その山形を任された鳥居伊賀守だが、身体が弱く、城主と成って三年になるが、病気を理由に参勤交代で、江戸へは一度も出仕しておらず、幕閣が取り潰しを画策されているとか?!」
右京之進「其れで?!」
政宗「此の鳥居伊賀守への使者の任を、上意を持って、本多上野介に命じ、山形へと向かわせて、その道中を襲って召し捕りになれば、貴殿の手柄と成りまする。」
右京之進「成る程!其れは妙案。早速、上意を認めて、上野介を誘き出す事に致しまする。」
政宗「其れが宜しかろう。」
右京之進「中納言様、在り難きご助言痛み入りまする。」
こうして、安藤右京之進、伴を二人従えて、上意の密書を懐中に仕舞いまして、本多上野介正純を訪ねて、宇都宮城へ登城いたします。
右京之進「上意で御座る!」
と、本多上野介正純への面会を求め、三代家光公の密書を示して、直ぐ様面会となり、出羽山形の鳥居伊賀守の参勤交代の噺をしますと、
上野介、幕閣に貸しを作る宜い機会だとこの噺に飛び付くのだが、脇で成り行きを見ていた家老の河村靱負末武は、罠に違いないと思いますして、当然、諫言するのですが、
「もう、貴様の申す事は、聴き入れぬ!!」
と、上野介は末武の諫言を全く聴き入れません。
こうして、翌日、少ない五人ばかりの手勢を従えて、出羽山形へと出発致します。既に下城橋まで来た所へ、バタバタと駆け付け来た靱負末武。
靱負「御前?!」
上野介「汝は靱負。又候意見立てか?もう、貴様の意見など用いん、下がれ!下がれ!」
靱負「最早、聴く耳の無き殿に、意見をしようとは思いません。之が今生の別れと成り、ご尊顔の見納めに参りまして御座いまする。」
上野介「何を不吉な!無礼者。」
と、本多上野介、持っていた鞭で、靱負の面体を叩きますと、靱負の額が切れて出血致します。
『やり過ぎた!』と上野介、少し後悔を致しますが、口には出さずに、馬を進めて、その場を立ち去ります。
そして、城を出た本多上野介正純、雀ノ宮の明神の手前に差し掛かると、大きな森が御座います。其処を通り抜け様とした上野介、プーンと火縄の臭いが鼻に付きます。
上野介「何事や?!」
と、上野介が森の茂みを見ますと、鉄砲隊が二列を為して、上野介達五人を取り囲みます。
上野介「ヤー!ヤー!何者であるか?無礼千万!予は本多上野介正純なるぞ、其れを知っての狼藉であるか?!」
そう言って上意の密書を示して通ろうと致しますが、其の鉄砲隊の背後から現れたのが、使者を務めた安藤右京之進ですから、
罠に嵌められた!!
と、上野介全てを悟り、籠城を進言して来た河村靱負末武が正しかったと後悔しますが、もう、遅かりし由良助!!
右京之進が、青い駕籠へ乗り込めと促して、本多上野介正純は、大刀を奪われて、その駕籠へ押し込められて、江戸表へと移送されます。
此の時、安藤右京之進は、上野介の短刀を取り上げる事をわざと行わず、武士の情け、駕籠の中で自害する事を許します。
しかし、上野介は余りの落胆に、切腹して果てるなど、思いも依らず、江戸表へと移送され、酒井隠岐守預かりで評定所の牢に留置かれます。
そして此の『上野介捕縛』の知らせは、直ぐに靱負の元に届き、河村靱負末武は、直ぐに籠城に打って出ます。
そうなると、雀ノ宮本陣の伊達中納言政宗卿が黙っている訳がなく、直ぐに兵を回して、籠城した宇都宮城を包囲して、江戸の幕閣に宇都宮城攻撃の許可を得たいと申し出ますが。。。
つづく