大久保彦左衛門は、大老、老中の家臣で腕に覚えのある若衆侍を本陣に集めて、日光への御名代の使者選びに掛かった。

彦左衛門「本日、集まって貰ったのは他でもない。『御台様急病、ご危篤に付き、上様ご参詣中止の使者』と言われて集められたと思うが、

実は之、真っ赤な偽りである。確かなる筋よりの訴えで、宇都宮城主、本多上野介正純に謀反の儀、之あり。

ついては、緊急の大老、老中を集めての幕閣による評議の結果、上様には宇都宮城への宿泊、並びに日光ご参詣を取り止めて頂き、

このまま日光御社参の行列は、江戸表へと引き返す事と相成った。

そこで、この中から日光東照宮と、問題の宇都宮の本多家への御名代の使者を選びたいと思う。

先にも話した通り、本多家には謀反の企て之在りて、なんと!『釣天井』にて、上様の寝込みを襲い亡き者とするモノ也。

さすれば、上様、既に引き返されたる事を知れば、『九牛の一毛』、御名代に一矢報いんと、釣天井で殺される恐れ之在り。

よって、この御名代、命懸けの大変危険な任務である事を肝に銘じて於くように。

さて、此処に集まった諸君の中から、御名代を選びたいのだが、どなたか?我こそはと、名乗り出る者は御座らんかぁ?!」

そう、大久保彦左衛門に言われたが、流石に、殺戮必至の『釣天井』と聞かされて、自ら名乗り出る者はありません。

殆ど全員が、彦左衛門とは目を合わせないように、やや下俯いてじっとしております。

そんな中に、一人だけ顔を上げてピッタッと目を見開いて前を向き、口を真一文字に致しておる若武者が御座います。

彦左衛門「おぉ、そなたは板倉内膳正ではないかぁ!その方、上様の御名代を務めて呉れるのか?!」

内膳「ハイ、使者を務めよと、言われれば、身に余る光栄に御座いまする。」

彦左衛門「上様、板倉内膳正が、御名代を引き受けると申します。お言葉を頂戴しとう御座います。」

家光「おーぉ、板倉!その方が名代の使者を引き受けて呉れるかぁ? 予は嬉しいぞ。」

内膳「ハハッ、有り難き幸せに御座います。立派に使者の勤め、果たして参ります。」

彦左衛門「ヨシ、では内膳正、早速、御名代として宇都宮城へ出向き、『御台様急病、ご危篤』に付き、上様、帰城の由、お伝え申せ!」

内膳「畏まりまして御座いまする。」

そう言うと、御名代の使者として選ばれた板倉内膳は、馬に乗って宇都宮城へと向かいます。

更に、引き返すとは言え、この日の内に、将軍家の陣屋がある岩槻より西へ辿り着く事は不可能なので、この日はどうしても、小山泊と成ってしまいます。

先にも申した通り、ここ小山は本多上野介正純の領内です。必ず、巻き返しの刺客が放たれると読んでいる大久保彦左衛門は、

三代将軍家光公の影武者を立てる事を画策致します。年恰好、体格、風体の似ている、松平越中守を捕まえて、上様の身代わりにと命じるのでした。

彦左衛門「そう言う訳で、越中殿、直ぐに数寄屋坊主を呼びます由え、まずは、髷を将軍家と同じく致し、

そして着衣、履物なども上様と入れ替え致して、越中殿が上様の御駕籠へ乗って頂きたい。」

越中守「承知しました。しかし、本当に、本多上野介正純の刺客が襲って来るのか?彦左衛門殿。」

彦左衛門「ハイ、十中、八、九。由えに上様には、其処元の駕籠で帰城して頂く事に致します。」

越中守「大久保殿がそこまで用心なさるならば、拙者、その影武者の役目、引き受け申し上げる。」

彦左衛門「誠に、忝く存じまする。」

このようにして、三代将軍家光公と、松平越中守の駕籠の中身を差替えて、将軍家光公の方の松平越中守の駕籠は兎に角先を急ぎ、

宿泊予定の小山を飛ばして、大宮の陣屋まで進ませまして、越中守が乗った上様用の駕籠は、ゆっくりゆっくりと進み暮六ツまでに小山の本陣に入る様に致します。

この影武者の上様の駕籠には、大老、井伊掃部頭と伊達中納言政宗卿の行列が付き添いまして、実に優雅な歩みで小山を目指します。


一方、釣天井で待ち構えている本多上野介正純は、上様の行列を今か?今か?と待っておりますが、

、定刻を過ぎても先頭の伊達中納言、その跡に続く井伊掃部頭、この両行列は既に雀ノ宮の本陣に着ているのに、

肝心の上様の行列が宇都宮城へと入って来ない事に、イライラして御座います。

すると、そこへ早馬が到着。上様御名代と申す使者が、『御台様急病、ご危篤に付き、上様は江戸表へご帰城』との知らせを言上致します。

更に続けて、『御社参の儀は、改めて今秋か来年春に延期と致す。』と、申すのでした。

上野介は、折角の『釣天井』が!と、落胆の色を隠せませんが、之を傍らで聴いていた河村靭負末武は、

『さては、釣天井暗殺の件が露見したに違いない!?』と、早くも幕閣が本多家の上様暗殺に気付き、大返しで江戸へ戻る算段!?と勘付ます。

靭負「殿、お人払いを!」

上野介「皆の者、御名代を接見の間へご案内致せ、予は靭負と噺がある。 さて、靭負、人払い致した、如何致した?」

靭負「殿、残念ながら『釣天井』の一件、幕閣に露見した由に御座います。」

上野介「馬鹿な。。。何を根拠にその様な冗談を。」

靭負「冗談では御座いません。露見したからには、腹いせに御名代を普請の寝所へ入れて釣天井で殺してしまいましょう。」

上野介「何を言い出す靭負! 気は確かか?! 釣天井が露見したと決まった訳ではあるまい、

もし、御台様急病、ご危篤が本当だったらどうする?使者を殺したりしたら取り返しのつかない事になるぞ!」

靭負「殿、冷静になられて下さい。先頭の行列が雀ノ宮まで来ていて、あんな若造の名代をよこしますか?

しかも、あの名代、出された茶の湯呑をあんなに震えて持つとは、怪し過ぎまする。」

上野介「しかし、誠、御台様ご危篤が本当であれば、今秋か?来春には釣天井が威力を発揮するのだぞ!靭負。」

靭負「百戦錬磨のこの靭負をお信じ下さい、殿。釣天井の目論見は既に露見しております。

よって、直ぐに追手を掛けて、上様が千代田のお城に戻られる前に、お命頂戴するしか御座いません。」

上野介「誠に、釣天井は。。。見破られて仕舞おたのか? なぜ、露見致した?信じられん、信じられん、信じられん。」

靭負「ご落胆、お察ししますが、次の手を打たねば、本当に只の敗北です。殿、此の靭負に、追撃の下知を!!」

上野介「相判った。その方に任せる。拙者は、使者の相手を致し、動向を探る事に致す。」


まだ信じられない様子の本多上野介正純を、家老の河村靭負末武は慰めつつ、手勢三百を騎馬隊を主力に連れて、

雀ノ宮から小山へと用心深く観察をしながら、今夜は小山に宿を取ると聞く、三代将軍家光公の行列を中心に観察する河村靭負。

御台様急病の知らせを聴いているにしては、誠に、悠然とゆっくり列を小山へと進める行列。しかし、その中に在って、

なぜか、先頭を行く旗本勢百五十の列だけが、足取りが早く小山を通り過ぎて、幸手、栗橋とどんどん進んで参ります。

『どうも動きが怪しい(おかしい)?』 そう思った靭負は考えます。どうやら本来の上様の駕籠は『囮』 影武者なのでは?!

そう、疑い始めます。そして、どうやら旗本行列の中央に位置する『松平越中守の駕籠』 是こそが本当の上様が乗る駕籠に違いない。

流石、百戦錬磨の老将、河村靭負です。大久保彦左衛門の影武者作戦を読み切って、三百の追跡の兵を二手に分けます。

自らの百五十の手勢で、先頭を行く旗本行列を襲い、万一に備えて残る百五十は、本多監物に任せて囮の方を追跡させるのでした。

漸く馬にて旗本行列の松平越中守の駕籠に追い付いた河村靭負の精鋭部隊は、その警護の面々を見て、この駕籠に上様が在ると確信致します。

さて、その警護の面々はと見てやれば、弓槍の名手・松平紋太郎、かの幡随院長兵衛との抗争で名高い水野十郎左衛門、馬術の名手・矢坂重兵衛、

小野派一刀流の免許皆伝・小野次郎左衛門、居合抜刀気刃斬りの達人・近藤登之助、三連発の短筒を操る男・兼松又四郎、そして、豪傑にして怪力無双・石川八右衛門。

是らの猛者が『急げ!急げ!』と檄を飛ばしながら、宙を飛ぶが如く、駕籠を江戸へと引き返しておりますから、靭負、この駕籠に間違いないと確信致します。

一旦、靭負、自ら馬を飛ばして脇に回り込み、迂回の脇道を通り、彼らに気取られない様に、栗橋の先辺りの草むらにて埋伏し、越中守の駕籠が通るのを待ちます。

そうして於いて、河村家に代々伝わる家宝、戦場の七つ道具の一つ、散弾仕掛けの必殺の兵器、『風華霰』を取り出して、駕籠へと狙いを付けて撃ち放ちます。


ズドーン!!


物凄い爆裂音が致しまして、上様が乗る越中守の駕籠の上半分が吹き飛びます。が、然し!! この三代将軍家光という人は、本当に運の宜いお人で御座います。

普通に駕籠に座り、天井中央の紐を握り締めていたら、間違いなく頭がザクロの様に割れて木端微塵であったに違いない。

然し、護衛の旗本達が、早掛けか?鷹狩りの如く、駕籠を急がせた為に、正座して駕籠に乗って居られない将軍家光公は、駕籠の底に張り付いて御座いました。

是が功を奏し、屋根が突然吹き飛んだものだから、大層驚き狼狽なさりはしましたが、命に別条無しで御座います。


出会え!出会え!曲者だ!出会え!出会え!


と、護衛の若侍達は色めき立ち、鉄砲が撃たれた茂みの方に居る老人の方へ、恐る恐る近づいて行きます。

そして、この老人を囲うようにして、互いの輪を狭めて行きますが、その時、彦左衛門の指図が在ります。

彦左衛門「方々、その老人を殺してはならんぞ!必ず、生け捕りに致せ。」

その声が、聞えたか?茂みに在る老人、放ち終えた鉄砲を捨てて、茂みの中から、槍を取り出して是を低い位置で構えます。

そして、いよいよ旗本の若侍と、囲まれた老人の刃と刃が交錯する距離に縮まった時、騎馬に乗った若武者が現れて、

若武者「ご家老様、ここは拙者が。」

靭負「おぉ、左馬之助か?!忝い。では、拙者は城へ戻る。」

そんな会話が有って、老人、河村靭負は、背後の畑ん中の道を通り、姿が見えないようになります。

是を見届けた左馬之助と呼ばれる若武者は、大きく槍を振り回し、ブンブンと音を立てますと、埋伏していた仲間が在ったようで、この草むらに火が放たれます。

ドス黒い煙が、どんどん草むらに四方八方広がり、初夏の枯野に火の海に成って行きます。

ですから、流石、徳川自慢の旗本の精鋭では御座いますが、本多の曲者と刃を交える前に、この火の海から退散するのが先になります。


一方、駕籠が散弾で吹き飛んだ駕籠に残された家光公を、石川八郎右衛門がただ一人残って誘導し、別の大名が乗る駕籠へと誘導いたします。

八郎右衛門「上様、この駕籠へお移り下さい。この先は、拙者、石川八郎右衛門がお伴仕りまする。」

家光「おぉ、八郎右衛門!その方一人で、この輿を担ぐと申すのか?」

八郎右衛門「御意に御座います。」

と、八郎右衛門が家光に答えると、後ろの方から声が致します。 そうです、大久保彦左衛門で御座います。

彦左衛門「待てぇ~!待て、待て、待てぇ~! その片棒、拙者に任せてぇ~!!」

家光「おぉ、其方は彦左衛門!! お主が、この輿の片棒を担ぐと申すのか?」

彦左衛門「御意に御座います。」

八郎右衛門「大丈夫で御座るか?!ご老人。」

彦左衛門「えい!石川氏。 この彦左衛門を年寄り呼ばわりは止めて貰いたい。拙者、十六歳の初陣より、一番槍で、一番に戦場入りして参った漢に御座る。

三河以来、神君家康公に仕えて、徳川一筋、六十五年。本卦還りを過ぎては御座いますが、まだまだ、若い者には引けを取りません。

石川氏、ささぁ、お主が先棒を担ぐというのなら、この彦左衛門は立派に後棒を務めまする。イザ!担ごうぞ!担ごう!」

えらい勢いで、気合を入れた大久保彦左衛門御大、手に唾を吹き掛けて、後棒を握り肩を入れます。

八郎右衛門「では、御大、一(ひ)の二(ふ)の三(み)で、持つ上げましょうぞ、さぁ、一の、二の、三!!」

と、言って石川八郎右衛門が肩を入れて立ち上がりますが、彦左衛門の方は肩を入れても腰が入らず輿は上がりません。

乗っていた家光公、駕籠が斜めになり、ズルズルと低い彦左衛門の側に滑ってしまい、彦左衛門、思わず尻餅を着いてしまいます。

八郎右衛門「御大、大丈夫ですか?お怪我は?」

彦左衛門「黙らっしゃい! 拙者の事より、上様を心配するが宜ろしかろう? 上様、大丈夫に御座いますか?」

家光「彦左衛門、予は大事無い。 然し、それにしても、彦左にはチト、荷が重いのではないか? 丸で『粗忽の釘』ぞぉ?!」

彦左衛門「何を仰っしゃる、八郎右衛門の腰を入れるのが、余りにも早いもんで、拙者立ち遅れただけに御座る。次は抜かり無く。」

八郎右衛門「では、御大、今度は御大の方で、合図を。一の、二の、三。で、お願い致します。」

彦左衛門「任せなさい! では、イザ、参るぞ、八郎右衛門。 一の、二の、三!一の、二のぉ~、三! 三、三、みー! ミー! スノーク! スナフキン!ミー!

三村姐さん!!」

家光「エーイ、止め!止め! 正に年寄りの冷や水、譬え、ムーミン、いや、パパ、ママ、にょろにょろまで行っても、彦左!その方では無理だ。」


結局、前棒、後棒の二人係かりは無理と分かり、最初(ハナ)、八郎右衛門がやろうとした一人担ぎに戻ります。

八郎右衛門、辺りから二十二、三貫はあろうと言う石を見付けて来て、是を縄で結わいて、前棒の先にブラ下げます。

家光「八郎右衛門、その方、何を致しておる。その石は何んじゃぁ?」

八郎右衛門「ハイ、この重石で、後ろの駕籠と釣り合いを取りまして、天秤のように致しながら持ち上げまする。」

家光「ほー、面白い。理屈であるなぁ。」


さて、家光公が駕籠の中へと入りますと、石を前にブラ下げて、顔を真っ赤にして石川八郎右衛門、この駕籠を見事に一人で持ち上げます。

更に、持ち上がると、ゆっくりゆっくり、一歩、又、一歩と歩み出し、次第にその足取りが小走りへと変わります。

八郎右衛門「さて、御大。燃し、拙者の走りに、着いて来て頂けるなら、同道願いたいのですが、如何でしょや?!」

彦左衛門「馬鹿を申すなぁ、燃しとは何んだ!燃しとは。楽に着いて参る。拙者が露払いをしてやる。大船に乗ったつもりで、行くぞ、小童(こわっぱ)!!」

そう言ったものの、どんどん加速する駕籠を一人担ぎしているとは思えない八郎右衛門の走りに、少しずつ遅れる彦左衛門。

それでも、最初(ハナ)は、八郎右衛門も加減して、彦左衛門に追い付かせていましたが、大宮、赤羽と深夜の快走ともなると、

提灯を持って先導する役回りのはずが、完全に置いて行かれて。。。夜が白じらと明ける千住大橋。

この大橋の上から、石川八郎右衛門が遠くを見渡しておりますが、大久保彦左衛門の姿は影も形も御座いません。


将軍家光公、橋の上で朝日を浴びて目を覚まされて、駕籠の小窓を開けて声を掛けられます。

家光「八郎右衛門、此処は何処であるや?」

八郎右衛門「ハッ!千住の大橋に御座います。」

家光「左様であるか、予は喉が渇いた。水を飲みたいぞ!八郎右衛門、水を持てぇ~。」

言われた八郎右衛門、駕籠を橋の袂に御留して、隅田川へ降りて水を汲んで参ります。

八郎右衛門「上様、お水に御座います。」

家光「甘露!甘露! そうだ、八郎右衛門、良い物がある、一緒に食べるぞ! 徒士餅である。」

そう言って、日光で権現様に供える為の徒士餅の折りを開けて、この上なく空きっ腹の中へ、徒士餅を頬張ります主従二人。

家光「どうだ?八郎右衛門、我が祖父、家康公の大好物、徒士餅の味は?」

八郎右衛門「大変、大変、美味しゅう御座います。」

そう言うと、石川八郎右衛門は泪を流して、この徒士餅を十六個も頂いた。

やがて、一刻ほどで江戸城は、桔梗門へと到着した石川八郎右衛門、門を叩いて門番に『開門!』と叫びます。

しかし、当時、江戸城は厳しい門限が在りますから、容易に開門などしては呉れません。

それでも、将軍家光公を駕籠に入れて、同道しているんだから、身分を云えばお留守居役も聞き届けなさると軽く見ていた石川八郎右衛門。

まず、門番に掛け合うが、『門限で御座る。五ツ半にならねば、お通し出来ませんの一点張り。』

お前では分からぬと、ほぼ、同階級の旗本の家来で、八郎右衛門を見知っている役人が出て来てくれたが、

それでも、門を法度破りをして開けた、それこそ切腹ものだと言って、開門を拒否されてしまうのである。

八郎右衛門「この駕籠に、上様、家光公がお乗りなのだ、それを留置くと言う方が、門限破りなどよりもよっぽど切腹もんだぞ!」

そう言って脅して、漸く、この日のお留守居役、池田備中守が、直々に奥から出て来て、桔梗門の番小屋で面会となりました。

さて、果たして石川八郎右衛門は、池田備中守と対面し、桔梗門を開けて通して貰えるのか?

この続きは、また、次回のお楽しみで御座います。



つづく