寛永十三年四月十三日、将軍家光公の日光御社参の行列は、江戸表を朝七ツに出発、お伴方は、伊達中納言政宗、大老・井伊掃部頭直孝、近親衆・松平讃岐守、松平越中守、老中・土井大炊頭、酒井讃岐守、青山大蔵太夫、松平伊豆守、

若年寄・本多伯耆守、永井信濃守、譜代大名衆・内藤備中守、内藤紀之介、阿部備中守、阿部左馬之助、

側用人・鹽谷因幡守、堀田加賀守、荒川土左守、山岡越後守、柳生飛騨守、旗本衆松平紋太郎、長谷川八右衛門、

水野十郎左衛門、兼松又四郎、権藤登之助、坂部三十郎、長坂血槍九郎と言う、錚々たる面々が随行する長い長い行列で御座います。


さて、日光までの道中はと見てやれば、千代田のお城を出て、先ず千住、次いで赤羽、浦和を経て大宮へ、更に大宮から岩槻へと参ります。

道中、行列を止める事は致しませんで、昼飯もお駕籠のまんま、将軍様も食べる事になります由えに、あの徒士餅が重宝致します。

どの行列にも、駕籠で移動する殿様の脇に、この徒士餅の折が御座いますから、腹が空くと是に手が伸びる。

流石に、殿様一人で二十一個は食べ切れませんから、側近のお伴にも配られて、「美味い!」と評判になり、大久保彦左衛門の株が又上がります。


このように致しまして、二日目の九ツ過ぎにもなると、行列の先頭、伊達中納言政宗卿の列は雀ノ宮へと差し掛かっておりました。

竹に雀の金紋先箱、黒鳥毛二本道具、台傘、立傘、妻折傘、網代の乗物に伴は三百五十人。此れ奥羽両国の旗頭、

仙台の太守、中納言政宗卿は、乗り物の左右に、護衛の闘将・浅山一角、合貝靭負をはじめとして八十二名、

跡乗りは伊達将監、茂庭周防、片倉小十郎等に御座います。

其れより一丁程離れて、滑し皮の一本道具人数百五十人。此れぞ、江州犬上郡、金山彦根の城主、井伊掃部頭直孝也!!

道中、滞なく隊列は進み、雀ノ宮の松並木に差し掛かると、その松の根方に、麻裃の老人が一人、ひれ伏して行列の方に首を垂れて御座います。

是を見た警護の面々、地元の町役が出迎えて、礼をしているのもと思いますから、別段、気にも留める事無く、行列は進み、丁度葵御紋の御駕籠が差し掛かった時、

この老人が、すっくと立ち上がり、『恐れてながら、御訴え申し上げます。』と、大声で叫びながら、御駕籠目掛けて走って参ります。

是を見ましたご近親の若侍、三浦新太郎が、老人に対して「何を致す狼藉者。順に直って、言上仕れ!無礼である。」と、老人の胸を突いて退けます。

突き飛ばされた老人は、直ぐに起き上がり、「上様の御命に係わる一大事にて、言上仕りたい件之あり。どうか、お聞き入れ頂きたい!」と、老人、有らん限りの声を振り絞ります。

其れでも三浦新太郎は、この老人を鬱陶しげに襟を掴んで、松の方へ退けてしまおうと致しますが、前を行く掃部頭の駕籠の蓋が開き、『三浦氏、狼藉はご遠慮下さい!』と声が掛かった。

掃部頭「麻裃を付けた町人だ。苗字帯刀を許された町役人と見える。怪しい者ではない。本陣で噺を聴くので此方へ引き渡しなさい。」

三浦「しかし、万一という事も御座います。日光への道中、先を急ぎます由え、このような輩には係わりにならぬ方が。。。」

掃部頭「黙れ!黙れ! 老人の懐中には、訴状のような物が見える。それを読んでから判断致す。あの訴状、之へ持てい!!」

三浦「ハハッ、畏まりまして御座いまする。」

そんなやり取りが有って、老人が懐中に持っていた訴状を読んだ、井伊掃部頭の顔色が俄かに変わります。

掃部頭「三浦氏、この老人、拙者が雀ノ宮の本陣にて直々に取り調べる。由えに、本陣へ老人を同道願います。」

三浦「ハッ、畏まりまして御座いまする。」


こうして、雀ノ宮の本陣前で上様の行列を待ち構えて、自訴した老人、そうです、あの植木屋六兵衛で御座います。

六兵衛、井伊掃部頭直孝に取り入る事に成功し、掃部頭の陣屋へと連れて来られて、訴状を前に吟味が始まります。

掃部頭「その方、植木屋六兵衛と申すのか?拙者は、井伊掃部頭である。」

六兵衛「ハイ、掃部頭様、六兵衛に御座います。鹽谷村町役を務めておりまして、先代領主奥平様より苗字帯刀が許されました。」

掃部頭「改めて、この訴状にある中身について、この場で吟味を致す。六兵衛、拙者の質問に有り体に答えて呉れ。」

六兵衛「失礼ですが。。。その前に、御人払いをお願い致します。」

掃部頭「六兵衛、安心致せ、近衆は予の腹心ばかりだ。」

六兵衛「さりとて。。。将軍様の御命に係わる噺で御座いますから、掃部頭様と一対一(サシ)でお話ししとう御座います。」

家来「何を申す、下郎!! 町役風情と、殿が一対一などあり得ん。無礼にも程があるぞ!!」

掃部頭「よせ、三太夫!」

そう言って、家臣を窘めた掃部頭は、六兵衛の前ににじり寄り、その目を確かめる様にじっとみつめます。

そして、六兵衛が正気であり、心から訴えを聴いて欲しいという事が、その目の色から伝わりますので、

掃部頭「判った六兵衛。 オイ、皆の者、次の間へ下がり、予が声を掛けるまで退室致せ!」

そう言って、人払いをして、六兵衛と一対一で、この書状についての吟味を始めます。

掃部頭「さぁ、これで話せるであろう。如何にして、上様暗殺の件をお前は知った!六兵衛、有り体に申してみよ。」

六兵衛「ハイ、身内の恥になる噺では御座いますが、正直にお噺致しますと、私には『稲』と申す娘がありました。

その娘が、城の普請を預かる大工の棟梁、吉兵衛と申す者の弟子で、與三郎という男と恋仲になります。

ある日、娘と與三郎が婚礼について重要な噺があると、密会の約束を致しますが、その密会の場に與三郎が現れません。

娘は大層心配し、心を痛めたのですが、約束の五日後の深夜、突然、この與三郎が娘を訪ねて現れます。

そして、與三郎が申すには、棟梁・吉兵衛以下二十三人の大工、左官の職人が城に呼ばれて、その寮に閉じ込められて働かされていると。

その寮から抜け出した與三郎が申しには、城で将軍様の寝所の普請をしているのだが、天井に飛んでもないカラクリが拵えられていて、

それは『釣天井』で、就寝中の将軍様を煎餅にして殺す、恐ろしいカラクリであると、言い出します。

娘も最初は俄かに信じられなかったようですが、詳しく噺を聴くうちに、これは本当だと確信致しまして。。。

それで娘は、逃げて来た與三郎には、その場で駆け落ちを提案したのそうなのですが、與三郎が恩ある棟梁を裏切れないと言って、

結局、與三郎は普請の現場に戻り、恐らくその『釣天井』を完成させて、その後、口封じで二十三人共々殺されてしまったと思われます。

ですから、将軍様が宇都宮のお城にお泊まりになり、その寝所へ入られますと、間違いなく『釣天井』で殺されてしまいます。

由えに、私六兵衛は、この事を、娘の命を懸けた願いでもあり、言上仕った次第に御座います。」

掃部頭「娘の命に懸けた訴えとは、どの様な訳である?六兵衛。」

六兵衛「実は、娘の稲は、城出入りの小間物屋より、普請は完成したのに、與三郎達が城から出して貰えないという噂を知り、

これは、もう與三郎達は殺されたに違いないと覚り、自害致しまして、私もその遺書を読みまして一部始終を知った次第で御座います。」

掃部頭「誠か? して、その遺書なる物を、その方は今此の場に持っておるのか?」

六兵衛「ハイ、肌身離さず。」

掃部頭「差し支えなければ、予に其れを見せて呉れるか?」

六兵衛「血が滲み、見苦しい物ですが、掃部頭様さえ宜しければ、勿論お見せ致します。」

掃部頭「苦しゅうない!見せぇ~。」

言われた六兵衛、例の血染めのお稲の遺書を懐中から出して、掃部頭にお見せ致します。

そして、之を見た掃部頭の顔色がみるみるうちに蒼ざめて、是は天下の一大事!と、立ち上がります。

掃部頭「六兵衛、宜くその方、訴え出て呉れた。上様に代わりこの直孝、礼を申す。」

立って深々と頭を下げる掃部頭に、恐縮する六兵衛に、掃部頭が言います。

掃部頭「六兵衛、この様な訴えをして、公儀(おかみ)に投獄、処刑されるとは思わなかったのか?」

六兵衛「娘の無念を晴らす為ならば、この命は要りません。どうか、将軍様の御命を守って下さい、憎っくき上野介とご家老、河村靱負の醜き野望を打ち砕いて下さい!掃部頭様。」

掃部頭「相判った。その方の思い、武士の拙者から見ても痛く宜く判る。そしてソチには、今後、我々と共に行動して貰う事になる。宜いな?!」

六兵衛「元より承知で御座います。」

其の返事を聴いて、掃部頭、次の間へ控えさせている家臣を呼び、六兵衛を客人として扱う様に指示を致します。

掃部頭「皆の者、もう宜い入って参れ!そして、この六兵衛殿を陣屋の客間に案内し、丁重に扱うように。

六兵衛殿、道中、江戸表まで拙者の行列で同道願う事になり申す。輿を用意致す由え、窮屈ではあるが、宜しくお願い申す。」

六兵衛「いえいえ、掃部頭様、過分なご配慮、痛み入り奉ります。」


植木屋六兵衛より、宇都宮城主、本多上野介正純が上様暗殺を計画していると知らされた大老、井伊掃部頭でしたが、

流石というのか、全く動揺する様子もなく、直ちに行動を起こします。

まず、家臣に命じて、先頭で雀ノ宮の本陣に入っている伊達中納言政宗卿に、『御台様急病にてご危篤!』と、

早馬にて知らせを入れて、幕閣にて対応を協議致す由え、そのまま暫くお待ち下さい、と、伊達の先頭行列を留置きます。

こうしておいて、将軍家光公、土井大炊頭、酒井讃岐守、青山大蔵太夫、松平伊豆守、そして大久保彦左衛門の六人を、

表向きは『御台様急病にてご危篤!』という事で、井伊掃部頭の本陣へ集めて、今後についての善後策を協議する事になるます。

掃部頭「上様、並びに各々方。実はこの度、由々しき事態が起こり、この様にお集り頂いた次第で御座います。」

家光「して掃部頭、母上様の容態はどの様な具合なのじゃぁ?!」

掃部頭「実は、上様。誠に、申し上げ難いのですが、御台様のご病気と申すのは風説流布、狂言に御座います。

して何故、この様な流布を致したかと申しますと、密かに、幕閣ご重臣に集まって頂きたかった訳でして、

誠に上様、申し訳御座いません。掃部頭、平に平にご容赦願います。

さて、その上で、申し上げますれば、実に由々しき事態とは、宇都宮城主、本多上野介正純による謀反に御座いまする。」

彦左衛門「何にぃ!上野介の謀反?!」

掃部頭「彦左ご老人、御意に御座います。その謀反と申しますのが、飛んでもない計画で御座いまして

と、井伊掃部頭は、六兵衛が訴えた一部始終を、この場に居た面々に言って聴かせてます。

彦左衛門「いやいや流石、掃部頭様。大老職は伊達じゃない。まぁ、勿論、伊達家ではなく井伊家で御座るが、御台様のご病気という、上様が江戸へ引き返す口実も見事であるし、

速やかに幕閣を集める手腕といい、お見事!としか言いようが御座らん、アッパレに御座る。彦左衛門、実に感服仕った。」

掃部頭「という次第で、宇都宮は釣天井で上様のお命を狙っております由え、ここは一先ず、上様には千代田のお城へ、

母君、御台様の急病ご危篤を理由に、一刻も早く引き返して頂き、日光東照宮への使者のみを、宇都宮経由で送る事に致しましょう。」

家光「何を申すか!?掃部頭、血染めの遺書のような確たる証拠もある。この上は予が上野介を手打ちにし成敗致す。このまま宇都宮へ参るぞ!!」

彦左衛門「このまま戻っても、『御台様ご危篤』は、此方の口実と上野介に勘付かれて、刺客が放たれるに相違ありません。

本多上野介正純には、関ヶ原以前からの忠臣、河村靭負という切れ者の家老が付いて御座います。

この河村靭負は、この彦左衛門も共に戦火を潜り、共に戦った武将由え、宜く存じておりますが、

なかなかの知恵者で御座います。この伊豆守にも負けぬ知恵者なれば、上様が宇都宮の城に入られたら、

どのような損害を被っても、上様のお命を逃すような靭負では御座いません。その事は、この彦左が保証致します。」

家光「左様かぁ、彦左衛門がそこまで言うなら、江戸に戻ると致そう。」

彦左衛門「そこで上様、一つ彦左衛門よりお願いが御座います。この度の『釣天井の騒動』、この儀、私めに一任頂けないでしょうか?

相手が、本多家の家老、河村靭負となりますと、若い伊豆守殿ではまだまだ経験に些かの不安が御座いましょう。

その点、三河以来の古参の私めなれば、河村靭負の戦術、戦略を熟知致しており、よもや不覚を取る心配は御座いません。

亡き家康公の憂いであったとも傳え聴く、本多上野介正純の事です。この一件、全権を我にお任せ下さいませ!」

そう言って、深く頭を下げた大久保彦左衛門を見て、正直、井伊掃部頭を始め老中方は安堵していた。

家光「掃部頭、そして伊豆!意見が有れば、申してみよ。」

掃部頭「拙者は、彦左殿が全て引き受けなさるなら、何一つ申し上げる事は御座いません。」

伊豆守「御意に存じまする。拙者のような青二才が、口を挟む余地も御座いません。」

家光「そうであるかぁ、では、彦左衛門、天下許す。」

彦左衛門「ハハッ、有り難き幸せに御座います。」


さて、このようにして宇都宮藩の『釣天井』による三代家光公暗殺の計画は、未遂に終わる事が決する。

しかし、まだ家光公のお命が安泰という訳ではなく、まず、日光東照宮と本多家に『御台様急病、危篤に付き御社参は取り止め』との使者を送る必要と、

既に宇都宮とは目と鼻の先の『雀ノ宮』から、本多領である小山を通り、この長い行列を江戸へと返す必要があります。

河村靭負が差配をする宇都宮藩も、黙って見ているはずもなく、行列を襲って来る事が予想される中、

これより大久保彦左衛門と河村靭負の知恵比べが始まろうとしております。



つづく