一筆書き残して候こと。さてとや私両親様のお目を偲び輿三郎様と不義いたし、普通ならぬ身となり、申し訳なさに何になりとも身を隠し候らわんと存じ候処、
輿三郎殿、せんもじより音沙汰なく候故、心変りにやと怨み居り候に、十五日前に、夜忍び来たり。
私へ申し候なは、この度将軍様日光御社参に付き、道すがら宇都宮城内へお泊まり遊ばされ候とて新御殿、御普請急ぎ由え、皆城内にお泊まり置き候らわば、
外出は禁じられ便りもままならず、棟梁小頭の援助を受け、抜穴より忍び出来たり候程なれど、やがて御殿出来上がり候へば、
棟梁は五百石の名字帯刀を許されて城務め、下職にも、十両、二十五両、五十両の祝儀を下さる筈の由、誠に誠に思いもよらぬ儀に候らへば、
色々と根問いたし候処、この度のお普請は、並々ならず公方様のお寝間を釣天井にいたし、お命を取り候と、お殿様ご家老様おん企みの由、
承り入りは驚き候。然らば普請出来の上は必ず殺され候は目の当たりならば、此のまま私を連れて逃げてと懇願致すも、棟梁やお仲間に義理立て、輿三さんは袖振り切り帰りけり。
然して、昨晩は約束の普請出来て、輿三郎殿、又々我が前に現れ候処、無惨な血まみれの姿にて門口に佇み候故、家の中へ引き入れむといたし候も、之れは夢也。
ただ不思議なるは我が枕元に、此の釣天井の絵図面が一枚落ちて候。其の淋しさ言わん方なく、神佛様に逆夢ならむと念じ居り候。
本日、城出入りの小間物屋の噂によると、城内に棟梁と其の手下の家族が総出で呼びだされ、棟梁、小頭、そして輿三郎殿の三人にて、お城の金蔵を破り候とて捕らえられ、
他の二十人も、お調中は留置との事、之れ全くご普請出来候故、棟梁以下皆殺しと相成ったに相違なし。
之無く余りの悲しみと絶望に、親より先に死ぬるは、不幸の上の不孝とは存じ候らえども、自害いたし候先立ち致し候。
どうか何卒何卒お許し下され。将軍様のお命お助かり遊ばせます様、お訴え下さいませ。輿三郎、私は相果て申し候。
何どぞ、仇であるご領主様に、天罰の下らぬ事を念じつつ、まだまだ、語りたき事多かれど、此の辺りで筆を置かせて頂き候、かしこ。
いね
お父上様
お母上様
と、涙の跡の滲み書き。後半の文字の乱れが、一層、六兵衛の悲しみを誘います。
読み終えて、六兵衛。何も死なずとも宜いものを。。。然し此れ程の事を、只捨て置く訳にも行かない。
何しろ、この治まる世の中に、将軍様を殺そうというご領主様の悪巧み。。。此れは、やはり娘の意思を継いでお救いする為に、公儀(おかみ)へ訴えて出なければなるまい。
こうして、植木屋六兵衛は、本多上野介正純の将軍暗殺計画を、公儀へ訴えて出る決心をするのですが、
娘の死骸をこのままにして、行く訳にも行かず。。。色々と思案の末に、六兵衛なりの妙案を思い付きます。
先ずは、訴え出る為に旅支度を致しまして、次に、娘、お稲の死骸から、手に持っている自害に使った短刀を持ち去り、
自らの道中差しを抜いて、その鋒に娘の流れる血汐を擦り付けて行きます。そうして於いて大声で叫びます。
六兵衛「ヤァー!皆んな来て呉れ。早く、皆んな来て呉れ!! お稲は親不孝故に、私がこの手で成敗致した。オーイ、皆んな来て呉れ!」
大声を耳にして、住込の奉公人と、近所近隣の皆さんが、「何事だ?!」と集まりまして、この光景を一目見て、
庄屋が、令嬢(おじょうさん)を殺した!!
と、大騒ぎになると、六兵衛はわざと刀を振り回し、集まった野次馬を威嚇して、裏庭の藪へと駆け出して行きます。
其れ!庄屋の気が触れた!暴れて大事にならぬ内に取り押さえろ!!
そう言って、六兵衛の跡を、皆んなが追い駆けて来る。其れより早く六兵衛は、藪の中の井戸の近くに行き、大きな石をその井戸へ放り込みます。
井戸に庄屋が飛び込んだぞ!!
そう言って、井戸の周りに追っ手が群がるのを見て、六兵衛は一人随徳寺、畠の中を抜けて、訴えの旅へと出て行きます。
さて一方、此方は江戸は大久保邸。彦左衛門が眼鏡を付けたり、外したりして、机に広げた『日光御社参供揃』と書かれた、
三代将軍家光公の日光東照宮参詣へ、お伴に従う面々が書かれた、言わばメンバー表を見ながら、用人の笹尾喜内をお呼びになります。
彦左衛門「喜内!喜内は居るか?!」
喜内「ハイ、お呼びでしょうか?」
彦左衛門「オー、喜内。最近、眼鏡の調子が悪うていかん。此れなる供揃えに、我が名は有るか?ちょっと見て呉れ。」
笹尾喜内が、そのメンバー表を見て答えます。
喜内「残念ながら、殿のお名前は御座いません。留守番で御座いまする。」
彦左衛門「やっぱりそうかぁ。又役人共が、拙者を煙たがりおって!省きおったなぁ?一寸と馬の用意をして呉れ。」
喜内「ハッ!、それで急に何処へ行かれます?」
彦左衛門「登城して、公方様に日光御社参のお伴を願い出て参る。」
喜内「行ってらっしゃいませ!」
大久保彦左衛門は、普通一般の旗本とは違い『天下御免』『三河以来の家康公の家臣』由えに、勝手気侭に登城が許されて御座います。
彦左衛門の屋敷は、神田駿河台の一丁目辺りで御座いますから、神保町と御茶ノ水の間に御座います。
ですから、馬を飛ばすと直ぐに千代田のお城に到着し、登城すると公方様と面会致します。
彦左衛門「上様、ご機嫌麗しゅう。さて、この程出された『日光御社参お伴書』を拝見致しましたが、拙者の名前が御座いません。
之は如何の儀なるや!此の件に付いて、上様のお考えを、彦左衛門、お聴きしとう御座いまする。」
家光「イヤイヤ、其の方の身体を気遣った迄の事、ソチは老年由え、此の度の東照宮への参詣の供揃から外したまでだ、由えに留守居役を命じる。」
まさか、大老、老中はじめ多くの大名旗本から彦左衛門が煙たがられているから、お前は来るな!とは言えないので、こう家光公は答えました。然し!
彦左衛門「上様、確かに拙者、老年なれど江戸から日光までの行列に加わる事など、大儀とは感じおりません。」
家光「そうかぁ、、、其れならば、お伴を許す!同道致せ。」
彦左衛門「有り難く存じ奉りまする。」
こうして、公方様から日光行きのお伴の承認を取り付けた大久保彦左衛門は、したり顔で帰宅致します。
喜内「お帰りなさいませ。それで、如何でしたか?!」
彦左衛門「上様より、日光行きのお伴を仰せつかったぞ!喜内、此れより日光行きの支度に掛かるぞ。」
喜内「支度???」
大久保彦左衛門、用人笹尾喜内にそう言うと、一旦、着替えて街場に出かけると、一刻程で家に帰り、笹尾喜内に妙な注文を致します。
彦左衛門「喜内!之より『徒士餅(かちもち)』を拵える。関ヶ原の合戦で用いた、湯釜と井形のセイロを出して置きなさい。」
喜内「ハイ、私、徒士餅を噂では存じておりますが、拵えた事が御座いません。細かいお指図を宜しくお願い致します。」
彦左衛門「徒士餅は、儂が合戦の度に戦場にて拵えた、大変美味なる戦場食にして、家康公にも気に入られ、お褒めの言葉を頂戴した、大久保家の秘伝の食材である。」
喜内「では、拵えるのは?!」
彦左衛門「関ヶ原の合戦以来である。」
喜内「畏まりまして御座います。先ずは、釜に湯を沸かせば宜しいのですか?!」
彦左衛門「左様、左様。」
と、言われた笹尾喜内が、庭にて湯を沸かしていると、米屋が飛び込んで来て、
米屋「粳米(うるちまい)を二俵お持ちしました。」
喜内「粳米?誰が頼んだ、此処は大久保彦左衛門様のお宅なるぞ!」
米屋「でも、先程、殿様自ら見えられて、注文して行かれました。」
彦左衛門「よいよい、喜内!確かに拙者が求めた。粳米を全部研いで井形のセイロに詰めよ。」
グラグラ煮え沸る釜の上に、粳米の詰まったセイロを、笹尾喜内が塔の様に堆く積み上げます。
そして、天井のセイロから、湯気を上げながら粳米が蒸し上がって行き、釜に近い段のモノから順に、庭に敷かれた筵の上に広げられます。
するとそこへ酒屋が飛び込んで来て、
酒屋「酒屋に御座います。注文の鹽を一貫目お持ちしました。」
喜内「鹽?誰が頼んだ、此処は大久保彦左衛門様のお宅なるぞ!」
米屋「でも、先程、殿様自ら見えられて、直々に注文して行かれました。」
彦左衛門「よいよい、喜内!確かに拙者が求めた。鹽を軽く一つ摘みセイロから出した粳米に振り掛けよ。」
喜内「ハハッ!畏まりまして御座います。」
更に更に、其処へ追い討ちを掛ける様に、搗き米屋が飛び込んで参りまして、
搗き米屋「餅搗きに参りました。」
喜内「おーおー、待っていた!待っていた!其のセイロの餅米を搗いて呉れろ。」
彦左衛門「馬鹿者!貴様が搗くのだ。搗き米屋は、臼と杵を持参して、返し作業をするだけだ。餅を搗くのは貴様の仕事だ!!」
言われた笹尾喜内、がっかりしておりますと、其処に、更には穀屋が参りまして、きな粉を一俵置いて帰ります。
笹尾喜内、二十臼もの餅を搗き終えると、きな粉をマブシながら、搗き立ての餅を、彦左衛門が丸目方の指南を致しまして、『徒士餅』が完成して行きます。
すると、今度は荒物屋が参りまして、台八俥に山積みの竹籠と、笹皮包を持って参ります。
荒物屋「竹籠と笹皮を三百ずつお持ちしました。」
喜内「それにしても、色んな商売屋が参る日であるが、そんな物、誰が頼んだ!弁当屋じゃないぞ、ウチは。此処は大久保彦左衛門様のお宅なるぞ!」
米屋「でも、先程、殿様自ら見えられて、注文して行かれました。」
彦左衛門「よいよい、喜内!確かに拙者が求めた。我らが食べる三十個ばかりを残して、残りは其の竹籠と竹皮に詰めよ。」
喜内「こんなものに詰めて、どうするのですか?!」
彦左衛門「なぁ〜に、次の小間物屋が来たら分かる。」
そう言って、彦左衛門は、笹尾喜内に徒士餅を詰めさせていると、其処に小間物屋がやって参ります。
小間物屋「小間物屋で御座います。ご注文の熨斗と水引をお持ち致しました。其々百ずつで、丁度一両で御座います。」
彦左衛門「喜内!小間物屋に代金を払って進ぜよ。そして、その熨斗には拙者が名前を書く由え、筆と硯、墨を持て!」
徒士餅 大久保彦左衛門
と、熨斗にサラサラと、百枚名書を致しまして、竹籠五個束を二十、竹籠十個束を二十、そして竹皮包五個束を六十に、熨斗を張って水引を掛けなさい。
こうして、百組の『徒士餅』進物が出来上がります。
さて、度事ある毎に、大久保彦左衛門は、真君家康公と共に戦場にて戦い、この『徒士餅』を糧に戦をして来たと言い続けて御座いますから、
大名、旗本で、『徒士餅』の噺を知らない者は有りませんが、然し、本当に食べた事がある者も又有りません。
そんな『徒士餅』を、大久保彦左衛門は、三代様、日光東照宮参詣の祝いの品と称して、日光御社参の供揃えに加わった大名旗本に配るのでした。
そして、一旦、下郎中元に届けさせた後、主人在宅の日時を測って、自ら裃を付けてご挨拶廻りをして、こう言上致します。
先ずは、大老・井伊掃部頭のお屋敷から、訪れます。
取次「御来客、大久保彦左衛門様ッ」
彦左衛門「本日は取り急ぎます由え、玄関にて言上仕り失礼致します。」
取次「えぇッ!」
彦左衛門「この度は、三代様日光御社参の御手配ご苦労様に存ずる。つきましては、日光権現様の好物の『徒士餅』を拵えました由、僅かでは御座いますが奉る。
存分にご賞味下されて、是非一つ折はこの度の御社参の節に、御駕籠に御付け置きに相成るように。。。
彦左衛門は、ご存知の通り貧乏で御座いますが、貧乏な彦左衛門から贈答品を受けたからとて、返礼には及びません。
ご前にお伝え下さい。返礼の品物など、くれぐれ遣さぬ様に。品物はお断り申すとお伝え願います。では、急ぎますので、御前に宜しく御免!!」
取次「へぇ!」
そう言って、彦左衛門は、帰ってしまいます。
取次が、奥に下がりまして、掃部頭にこの事を伝えますと、妙な具合に相成ります。
掃部頭「どなたが見えた?」
取次「大久保様に御座います。お急ぎのご様子で、先程届けられた『徒士餅』の講釈を言われて帰られました。」
掃部頭「徒士餅となぁ?家康公の好物と、ご老人から散々聞かされた。持って参れ!!」
取次「之れに御座います。是非、一つ折を、この程の日光御社参の折、お駕籠に置かれて非常食にと仰せでした。
アッ!其れから、彦左衛門は貧乏であるから、返礼の品物は迷惑との事でした。」
掃部頭「何んと申された?品物は受け取らない?生が良いと申されたのか?そうでは無い!?謎掛けかぁ。。。」
こうして、徒士餅を受け取った側の勝手な邪推が、彦左衛門の作戦通り始まります。
さてこの調子で伊達中納言政宗、大老・井伊掃部頭直孝、近親衆・松平讃岐守、松平越中守、老中・土井大炊頭、酒井讃岐守、青山大蔵太夫、松平伊豆守、
若年寄・本多伯耆守、永井信濃守、譜代大名衆・内藤備中守、内藤紀之介、阿部備中守、阿部左馬之助、
側用人・鹽谷因幡守、堀田加賀守、荒川土左守、山岡越後守、柳生飛騨守、旗本衆松平紋太郎、長谷川八右衛門、
水野十郎左衛門、兼松又四郎、権藤登之助、坂部三十郎、長坂血槍九郎と用意した百の『徒士餅』を配った先へ謎を掛けて廻り、帰宅致します。
侍「頼もう!」
「ドーレ!」と笹尾喜内が玄関へ出ると、
侍「手前、松平伊豆守の使いに御座る。先刻は何よりの品を賜り、千万忝ない。
付きましては、甚だ失礼を顧みず目録を持って返礼の印ばかり、宜しゅうお披露に預かりとう御座る。」
喜内「誠に、ご丁寧に有り難く存じます。主人が帰りましたら、お伝え致します。大変、ご苦労様に存じます。」
と、使者は目録を置いて帰ります。
彦左衛門「さて、喜内!目録、如何程なるか?!」
喜内「二十五両に御座いまする。」
彦左衛門「相変わらず、知恵伊豆は吝よのぉ〜」
喜内「幾つ折、進呈なさいましたか?」
彦左衛門「五つ」
喜内「一つ折、五両ですぞ?吝ですか?」
彦左衛門「まだまだ、届くぞ、喜内。」
すると、又直ぐに次の使者が参ります。
使者「頼もう!」
「ドーレ!」と笹尾喜内が玄関へ出ると、
使者「手前、井伊掃部頭の使いに御座る。先刻は何よりの品を賜り、千万忝ない。
付きましては、甚だ失礼を顧みず目録を持って返礼の印ばかり、宜しゅうお披露に預かりとう御座る。」
喜内「誠に、ご丁寧に有り難く存じます。主人が帰りましたら、お伝え致します。大変、ご苦労様に存じます。」
と、使者はまた目録を置いて帰ります。
彦左衛門「どーれ、掃部頭は幾らだ?!」
喜内「ハッ、百両に御座います。」
彦左衛門「なぁ、之が相場だ。伊豆守は吝であろう。」
喜内「其れにしても、大層な権現様のご利益ですなぁ、このまま、一層餅屋を始めましょうか?御前。」
彦左衛門「馬鹿を申すな、毎日、餅が此の値で売れたら、儂は紀伊國屋になる。」
そう言って、次から次に届く目録の山を見て、あぁ、これで借金を返しても、お釣りが来ると喜ぶ笹尾喜内で御座いました。
いよいよ、日光御社参の行列、ご出発の前日、大久保彦左衛門は、徒士餅の竹籠の折を十と、竹皮包を五つ持参して登城致しました。
そして、家光公に其れを献上しての謁見に御座います。
家光「之が、祖父家康公がこよなく愛し好物だったと伝え聴く、『徒士餅』であるか?彦左衛門。」
彦左衛門「左様に御座います。三方ヶ原の戦いでは、家康様、美味い!美味い!と、二十一個の徒士餅を、一気に平らげられました。
由えに、一つの折に二十一個を詰めて御座います。上様、必ず、明日の日光御社参の際には、お駕籠に一つ折、置き奉る様に、何卒!お願い仕ります。」
家光「相分かった。必ず、一つ折、駕籠に置いてイザと言う場合に備えて常備して於く。さて、折角、彦左衛門が持参した徒士餅である。此の場の皆に振る舞おう、皆の者、召し上がるが宜い。」
そう将軍様が言われて、徒士餅の折が一つ開けられて、側用人、小姓、茶坊主と勿論、家光公と彦左衛門にも一つずつ配られます。
彦左衛門「家康公は、高味!と、仰せになり申したが、餅米に鹽を少々強めに利かせて、きな粉で香りを付けただけの素朴な餅に御座います。
決して、平和(へいじ)に食べて美味い!高味!と、舌鼓を鳴らす程の菓子では無く、砂糖の類い甘味は一切入って御座りません。
しかし、此の味よりも、重要な事は、この徒士餅を食べ、戦火を駆け巡り散って行った者達の命の上に、今日の泰平は在るのであり、
其れこそが、徳川家(とくせんけ)の礎と成っておる事を忘れてはならず、由えに徒士餅を食べる時は、常にすべからく高味!と言って頂きたい。」
そう、大久保彦左衛門に言われて仕舞いましたので、家光公はじめ一同、皆口々に、『高味!』『美味い!』と、残さず食べて仕舞いになりました。
この噂が、城中に広まり、大老、老中、諸大名、旗本、全ての徒士餅が贈られた日光御社参に伴として参加する一同は、
出発の朝、大久保彦左衛門の列に主人自ら挨拶に現れて、金に替え難き有り難い物を、誠に有難う御座いましたと、礼に現れたと申します。
さて、こんな徒士餅の一件がありつつも、恙なく、準備万端整いまして、将軍家光公が日光東照宮へと参詣に向かう供揃えの行列は、正に出発せんと致しておりました。
つづく