お稲は、雨戸を叩く音が『與三さんであって呉れ!!』と、高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、庭へと素足で降りて、飛び石を伝って裏木戸をゆっくりと開いた。

お稲「モシ、與三さんじゃないかぁ?」

與三郎「お稲さん!」

お稲「與三さん!宜く来てくれた。。。どんなに心配していたかぁ!」

與三郎「お稲さん、兎に角、こんな所で立ち噺もなんだ。。。誰か出て来るとまずい!早く中へ入れてお呉れ。」

言われたお稲は木戸を開け輿三郎を招き入れる。そして来た路を自分の部屋へと戻ります。

その跡を、與三郎が金魚のフン付いて座敷へ上がり、火鉢を挟んで二人は座る。

お稲「與三さん、なぜあの夜!来て呉れなかったの?」

與三郎「そいつは。。。色々と事情が有って。。。」

お稲「私は五ヶ月のセリ出すお腹を抱えて。。。不安で、不安で。 それにお母様が『最近、太ったんじゃないかい?』と、私の身体の異変に気付いた様子で。」

與三郎「それで、お母さんにバレたのか?!」

お稲「いいえ、その場は適当に誤魔化しました。でも、お腹はどんどんセリ出すばかりだから、何時までも隠し通せる訳じゃありません。」

與三郎「判っている。今度のお城の普請が終われば、十両!十両って纏まった銭も手に入るし、棟梁に仲人を頼んで、必ず、六兵衛さんに噺を通して貰って、お前さんを必ず嫁にする。」

お稲「お城の普請? それは何時終わるの?」

與三郎「そうだなぁ、十五日くらい先だぁ。吉兵衛棟梁は、その普請の功で、五百石取りの苗字帯刀が許されて、作事方の侍として城勤めなさるんだ。」

お稲「與三さん、貴方が嘘を言うような人じゃないのは分かるけど、普請をしただけで五百石取りの侍に成れるだなんて噺は聴いた事がないワ。

ねぇ、與三さん、棟梁の吉兵衛さんの口から詳しく聴きたいワ。吉兵衛さんに私を会わせて!お願いします。」

吉兵衛に会わせて呉れと云われて、與三郎は困りました。兎に角、十五日待って呉れの一点張りで押し切ろうとしますが、

お稲は賢い庄屋の娘、世間知らずのお姫様ではありません。「どんな普請なの?」「棟梁になぜ、会わせて呉れないの?」「どうして、十五日の間逢えないの?」と、

矢継ぎ早に、なぜ?なぜ?なぜ?の質問を浴びせられますから、與三郎の方は、どうしたものか?と、困り果ててしまいます。

與三郎「兎に角、普請奉行の一ノ宮数馬様たちに見張られて、城の外へは出る事を禁じられているんだ。

今日は、棟梁と小頭が上手く算段して呉れて、一晩だけ外に逃げ出して来れたけど、もう普請が終わるまで外へは出られないんだよ。」

お稲「それで、どんな普請をしているの?與三さん!」

與三郎「それが、他言無用で口止めされているから、それは親兄弟、親戚にも喋ってはならぬと、堅く口止めされているんだ!離す訳には行かない。」

お稲「どうして?私は、貴方の女房になる女よ、それでも喋って呉れないの?」

與三郎「当然だろう。親兄弟にも話せないんだ。女に話せる道理が在るもんか?!判って呉れ、お稲さん。」

お稲「そんなぁ、私のお腹には貴方の子供が居るのよ!與三さん。それなのに、どうして私を信じては貰えないの?」

そう云ってお稲にさめざめと泣かれた與三郎、これにはほとほと困り果ててしまいます。

そして、お稲が生き死にの噺を始めますから、もう話さない訳には行かぬと腹を括って喋り始めます。


與三郎「お稲さん、今から噺事は、誰にも話してはいけませんよ。貴方独りの胸に仕舞って置いて下さい。宜いですね?」

お稲「勿論です。誰にも一切喋りません。」

與三郎「実は、今度の普請は、公方様が日光へお詣りになる途中で、宇都宮のお城にお泊りになる。その寝所を拵える為の普請なんだ。」

お稲「ハイ、将軍様の日光ご参詣の噺は私も存じ上げております。それがなぜ、秘密なのですか?」

與三郎「実は、之が飛んでもない『からくり付』の普請で、恐ろしい計画を孕んでいるんだぁ。」

お稲「恐ろしい計画?」

與三郎「そうなんだぁ、作るのは只の寝所じゃない。畳の下には墓石のような御影石が敷かれていて、天井は厚二寸の分厚い鉄板で出来た釣天井なんだよ。

お稲「釣天井?」

與三郎「俺も詳しい仕掛けまでは知らないが、その寝所は、からくり仕掛けで、毛綱留の天井が一瞬にして落ちてしまう釣天井になっていて、

公方様がスヤスヤお休みに成った後、毛綱を何本か切り落とすと、天井が勢いよく落下して、アッと言う間に公方様の煎餅が出来るという寸法だぁ。」

お稲「何んだって?!将軍様の煎餅。」

聞かされたお稲は、余りの驚きで顔色が、真っ蒼になり身体が小刻みに震え始めます。

お稲「将軍様を殺すだなんて。。。およしなさいなぁ、與三さん。もう、こうなったら、折角、城を抜け出して来たんだから、このまま私を連れて江戸表へ逃げて下さいなぁ。

私は最初(ハナ)からお前さんと駆け落ちする積りだったから、金子と着替は用意してあるんで、このまま二人で逃げましょう、江戸へ。

貴方は、優しい人だから、釣天井の普請が終わったら自由方面になるつもりかもしれないけど、ご家老様達は、果たしてそんな風に思うかしら?」

與三郎「お稲さん、何を云うんだ!俺たちは全員血判を押して誓いを立てたんだ。ほら、之を見ろ。血判した跡なんだぞ!」

お稲「血判なんて何んの保証にもならないと思うワ。『千丈の堤は蟻の一穴から崩れる』、お城の方々は、そんな風に思っているはずよ、

それに『下郎は口の善悪の無きものという』と、職人なんて口さがないとも思っているから、このまま戻ったりしたら、與三さん!貴方、殺されてしまうワ。」

與三郎「譬え、戻ったら殺されようとも、このまま逃げるなんて!それは駄目だぁ。

お稲さん!!棟梁も小頭も、そして兄貴たちも、必ず戻って来ると一晩限りの約束で逃がして呉れたんだ。

それに俺一人の力で、此処まで逃げて来られた訳じゃねぇ~んだ。皆んなに助けて貰って、逃げて来られたんだ。

之で戻らなかったら、俺は恩を仇で返す料簡違いの大馬鹿野郎だぁ。俺が急に居なくなれば、棟梁達は何をされるか?!

お稲「でも、戻ったら、殺されるかもしれないのよ、いや絶対に殺されるワ。そんな所へ、私は貴方を戻す事はできません。與三さん!貴方、このお腹の子供を父(テテ)無し子にするつもり?!」

そう言って縋る様に纏わり付くお稲を、與三郎は、「許して呉れ!お稲。」と言って、振り切って庭へ出ようとするとする。

涙を流して、絞り出すような声で「與三さん!!」と云って、尚も袖を掴み必死で留に掛かるお稲。

それでも、義理を欠いては漢が廃る。涙を堪えて、お稲を最後は足蹴にして振り切る與三郎。跡を振り返らずに一目散にお城を目指します。

まだ肌寒い夜空に、お稲の咽び泣く声が、どこまでもどこまでも聴こえて参ります。


一方、城内の寮では、就寝前の点呼が行われていて、二人の若侍と、この日は家老の河村靭負が直々に立会って御座いました。

若侍「棟梁、吉兵衛!」

吉兵衛「ハイ。」

若侍「小頭、長兵衛!」

長兵衛「へぇ。」

若侍「組頭、留吉!」

留吉「へい。」

若侍「同じく組頭、八五郎!」

八五郎「ウス。」

若侍「同じく組頭、熊藏!」

熊藏「ハイ。」

若侍「世話役 甚兵衛!」

甚兵衛「ハイ。」

若侍「職人、与太郎!」

与太郎「。。。」

若侍「職人、与太郎!」

与太郎「。。。」

若侍「与太郎!与太郎は居らぬのか?」

吉兵衛「与太、返事をしろ!」

与太郎「ハーーーイ」

若侍「与太郎!なぜ、直ぐに返事、致さぬ?」

与太郎「オイラは、与太! そして与太郎の時は、『与太郎さん』。」

若侍「貴様!拙者を愚弄するのかぁ?!」

吉兵衛「秋月様、この者は至って愚しい者で御座いまして、どうか、お許し下さい。コラ!与太、お前も頭を下げろ!」

靭負「よいよい、秋月、点呼を続けなさい。」

若侍「ハッ、では次、職人、繫蔵!」

繫蔵「へい。」

若侍「職人、助五郎!」

助五郎「へい。」

若侍「職人、與三郎!」

当然、まだ戻っておりませんので、代返の指示が出ていましが、与太郎の一件で代返役が忘れております。

若侍「職人、與三郎!與三、與三郎さん!」

吉兵衛「オイ、與三郎、 与太郎の真似しないで、早く返事をしろ!」

清兵衛(代返)「へい。」

八十助(代返)「へい。」

与太郎「へーーーーい」

吉兵衛「与太、いい加減にしろ!!」

思わず、代返が被りドッキとした吉兵衛でしたが、与太郎が更に混ぜっ返して呉れたお陰で、点呼は無事に終わります。


しかし、是を脇で見ていたのが、家老・河村靭負だけは、今の返事の怪しさを見逃すはずがない。

直ぐに番屋に行って、多十に火事見廻りに際に着る黒装束と拍子木を借りて、『火の用心、さっしゃりましょう!』と声を上げて、城内を見廻ります。

まずは、職人達が眠る寮を、さりげなく覗き込んで、頭数が確かに一人足りない事を確認すると、若侍が門限破りをする『軽石の城壁』を見張ります。

そして、そこから與三郎が九ツ半過ぎに現れて、御用門に礫を三個連続で投げて中へ入るを見届けてから役宅へと帰りますが、

後日、特に吉兵衛達を咎めるような事は致しません。不気味な静寂が流れて、いよいよあと二日、三日で普請も終わると云う頃合い。


八五郎「オーイ、どうした。與三、又、昨日、今日と元気が無く、溜息ばかりじゃねぇ~かぁ?!普請が終わったら、植木町の娘に逢えるんだろう?なのに、なぜ、元気が無いんだ!」

與三郎「八五郎の兄貴、『千丈の堤は蟻の一穴から崩れる』って、知っていますか?」

八五郎「野郎!俺を馬鹿にしてやがるなぁ?俺が帯の一件で、質屋の噺を始めたもんだから、でも、知ってるよ!その位。」

與三郎「じゃぁどういう訳ですか? 『千丈の堤は蟻の一穴から崩れる』 

八五郎「おう、簡単だぁ、センジョウのツツミって位だから、船上、つまり、船の上を包む風呂敷の事なんだなぁ。

昔、その風呂敷使いの名人に、『有野一穴』って人が居たんだ。」

與三郎「何んですか?その風呂敷使いって。それに本当に、『有野一穴』は人の名前なんですか?」

八五郎「知らないのか?風呂敷使い。何でも風呂敷で包む野郎よぉ、だから、その有野一穴って風呂敷使いが船を包みに掛かった。」

與三郎「ちょっと待って下さい。風呂敷で船を包んで、どうするんですか?ぶら下げて持っては行けませんよ?」

八五郎「其れが、素人の浅墓ッてもんよ。風呂敷で船をなぜ、包むか?其れは嵐から船を守る為ぇ〜」

與三郎「そんな、チコちゃんみたいに言っても誤魔化されません。風呂敷で包んで嵐から守るって、どういう事ですか?」

八五郎「だから、船を丸ごと包むくらいのデカい風呂敷で、船を丸々包んで、それを湊に繋ぎ止めるって塩梅よぉ。」

與三郎「じゃぁ、最後はなぜ壊れるんですか?嵐から船を守ったはずなのに、なぜ、崩れるんですか?」

八五郎「だから、お前は素人なんだ。崩れるんじゃなく、屑売れるんだぁ。」

與三郎「エッ!屑、売れる???」

八五郎「つまりだなぁ、之は、一石二鳥と同意語の格言なんだ。即ち、有野さんに頼んで風呂敷で船を包むと、嵐から守れる、万一壊れたとしても、その屑はちゃんと売れる。」

與三郎「すると、『船上包み、有野一穴、屑売れる』って事?!何んかまるで落語ですね。」

八五郎「そりゃぁ仕方ないさぁ、『風呂敷』なだけに、落語っぽくなるのは。お後が宜しいようで、チャカ、チャンリンチャンリン」


是を見ておりました、吉兵衛が煙草休憩で、全員が一服点け始めた所で、集合を掛けて噺始めます。

吉兵衛「與三、『千丈の堤は蟻の一穴から崩れる』って、誰に教えられた?!」

與三郎「教えられた?」

吉兵衛「『千丈の堤は蟻の一穴から崩れる』って、誰かに云われてたんだろう?気になるのか?

それに、『下郎は口の善悪の無きものという』とも云われたようだなぁ、一昨日辺りから、この二つをお題目のように唱えてやがる。

俺が意味を教えてやる。俺達職人は口が軽いから、何んかの拍子にポロっと白状してしまう。

だから、この普請が終わったら、用心の為に口封じで全員殺して仕舞われるわよと、お前、植木の庄屋の娘、お稲に云われたんじゃねぇ~かぁ?」

與三郎「なぜ、それを。。。棟梁が!?」

吉兵衛「流石、三大町役の娘、勘が働くし頭も切れる。それにしても、貴様は他言無用と知りながら、女にペラペラ喋るような料簡なのに、なぜ、のこのこ戻って来やがった?」

與三郎「それは、お稲さんが、あんまりにも質濃く、普請や城内の事を聴いて来るから、遂。。。其れに、戻ると殺されるから、一緒に逃げようって言い出すんで。。。これでも断って必死で戻って来たんです。」

吉兵衛「だから馬鹿だって云うんだ。そのまま、女の願いを聴いて、江戸でも上方でも逃げて仕舞えば宜かったのに。

俺も、長兵衛もその積りでお前を逃がしてやったんだぞ。お前一人だけでも生かして逃がしてやろうと思ったんだが。。。妙に律儀でいけねぇ、お前は。」

與三郎「そんなぁ、お稲を足蹴にしてまで戻って来たのに、馬鹿と云われては。。。面目ない。」

吉兵衛「戻って来たもんは仕方ない。」

與三郎「でも、棟梁!あと二日。釣天井を立派に仕上げたら、俺達は、家に帰れるんでしょう?だって、血判までしているんですから。」

吉兵衛「あのご家老が、俺達を生かして城中から出すはずがない。全て普請が終わったら、即刻、首を跳ねに来るさぁ。」

與三郎「エッ!なのに、なぜ、棟梁は逃げないんですか? もう、今夜逃げましょう。皆んなで逃げましょう、城壁の逃げ穴が在るんです。大丈夫、逃げましょう!!」

吉兵衛「慌てるねぇ~、逃げるくらいなら、最初(ハナ)から断っているさぁ。法度破りなんだから、命なんざ惜しくも無い。

それに、釣天井のからくりには、『楔』を判らないように入れて細工してあるから、譬え、毛網を切られても天井は下まで落ちない仕様に出来ている。

だから、将軍様が煎餅にされる心配は、今のところ無いんだ。安心しろ!俺達が殺されても、将軍様の御命は守れる。」

此処までの吉兵衛と與三郎の会話を、脇でタバコをプカプカやりながら聴いていた連中が驚いて、煙管を落とした。

普請が終わったら、皆殺しにされると、平気な顔の棟梁・吉兵衛が言ってのけるからだ。


「オイオイ!棟梁、死ぬのは厭だよぉ!」


そんな連中に、役人が居るから静かにしろ!っと、平然と命じる棟梁・吉兵衛。さて、普請の完成間近。

『オヤオヤ、遂に首がフラついて来た!』と、ニッコリ笑う吉兵衛、さて、この難局をどんな算段で切り抜けるつもりなのか?

『宇都宮釣天井』、いよいよ、普請が完成して、二十三人の命の行方が気になる所ですが、この続きは次回のお楽しみ!!



つづく