大工の棟梁・吉兵衛以下二十三人の大工達は、初日の作業に取り掛かっていた。
長兵衛「親方、五本の柱に使う材木ですが、こちらの五本で宜しいでしょうか?間違いはないと思いますが、念の為、棟梁に確認をお願げぇ~します。」
吉兵衛「どれ、そうだなぁ、この太さと年輪が有れば、四千三百貫目を越える天井でも支えられるだろう。ヨシ!この五本にするから松吉に仕上げをやらせろ!」
長兵衛「ヘイ、畏まりました。 おい松公!これが大黒柱になる材木だぁ、できるだけ削りを少なく仕上げて呉れ。」
松吉「小頭、合点です。それで、与太郎と伴次の野郎をオイラの手下に使って宜しいですか?」
長兵衛「おう、構わねぇ、二人を使って三日以内に必ず仕上げて呉れ、その後の細工は俺と留公でやる。」
松吉「与太!、伴次!大黒柱の仕上げだ、手伝って呉れ。」
与太郎、伴次「へーい。」
テキパキと小頭・長兵衛の指図で、初日の作業が進められて行く中、吉兵衛が全体の作業の進み具合を見ていると、
普請奉行の一ノ宮数馬が、五、六人の部下の侍を従えて現場に現れ、そして、部下の侍は大きな竹矢来を持って参ります。
吉兵衛「お奉行、一体なんですか?その矢来は?!」
数馬「之は、普請が終わるまで、お前たちの作業が見えない様にする為だぁ。少し邪魔になるかも知れぬが我慢して呉れ。」
吉兵衛「少し邪魔って。。。丸で、川上哲治の『鉄のカーテン』だぁ。」
数馬「我慢をして呉れ。明日には鉄板の搬入も在る。普請の様子は誰にも見られたくない由え、この様にして隠す事と致す。」
吉兵衛「へい、それはそれは。。。仕方ありませんねぇ。」
っと、云って渋々ですが、吉兵衛が了承し、大工達の作業場の周囲は、高い竹の矢来で囲われて、中は見えないように隠された。
八五郎「小頭!矢来に囲まれて、何んとも作業がやり難いのは我慢しますが、お役人の数が、異常に多くありませんか?
アッシら職人二十三人に、お役人が十二人も張り付くなんて、お城勤めが暇だからって、こんなに張り付かれると。。。流石にやり難い!!」
長兵衛「八ッ、我慢して呉れ。二十五両の為だ。」
八五郎「へい、それを言われると。。。文句は言えなくなる。」
さて、初日の作業は、いきなり竹の矢来に囲われて、見張りの役人が十二人も付いて監視される中で行われ息が詰まり、心身共に疲れを感じた職人たちだったが、
七ツ半の合図で仕事が終わると、大きな檜の風呂が用意されていて、一辺に十二、三人が入浴でき、これには全員大喜びの様子である。
そしてさっぱりして寮に戻ると大層な酒肴が用意されていて、日頃職人達が口にするような粗末な物ではく上等なので、ガッ着くように一同これを貪る。
やがて、腹の皮が張ると、目の皮が弛んで来るのは人間の身体の常で、一気に眠気が襲って来て一同布団に入る事にする。
すると、全ての職人用の寮の木戸に外から鍵が掛けられて、二十三人は、これより翌朝まで、外へは一歩も出られなく成ります。
留吉「オーイお役人様、之は一体!何んの真似ですか? 之じゃぁまるで罪人だぁ。」
数馬「すまん。お前たちを信用せぬ訳ではない。気を悪くせんで呉れ。これも役目の都合じゃ、我慢して呉れ。」
そう言われた職人一同、まるで牢屋のようだとは思いますが、こも全ては報酬の為。一同我慢してこの錠前の掛かった家で眠る事に致します。
烏、カァ~で夜が明けて、二日目の作業となりまして、またこの日も七ツ半に仕事は終了。湯に入ってさっぱりすると、酒肴が出されます。
そして、二日、三日と経つうちに、二十三人の職人達は、矢来囲いの作事場と錠前付きの寮での生活に慣れて参りまして、酒に酔って歌を歌ったり、都々逸の廻しっこなどを始めます。
勿論、夜中も二十三人の職人が寮を脱走しないか?役人が交代で、一晩中、見張りを欠かさないし、二刻に一度は、一ノ宮数馬か河村靭負が廻って参ります。
遂に、四日目、職人達の一人が賽を出して参りますと、車座になって「ちょぼいち」を始めます。
そこへ、河村靭負が見廻りに来ましたから、吉兵衛は慌てて辞めさせようとしましたが、靭負は「よいよい。」と、ニッコリ笑って𠮟るような事は致しません。
これで、職人達は、お墨付きを頂戴したような気持になりまして、仕事が終わると、湯に入り、酒肴を楽しんで歌を歌い、最後は博打に興じる。
住めば都!このルーティンが完全に確立されて、矢来ん中で窮屈な作業をさせられて、夜は牢屋ん中で眠る、そんな毎日の繰り返しすが、其れが気にならなくなります。
しかし、そんな中一人だけ、酒は全く口にせず、博打にも興じる事がない。風呂から上がるとさっさと食事して、隅っこに座って壁の方を向いて、何かブツブツ言いながら溜息ばかり付いている。
其れは今年二十二になる與三郎という職人で、誰が見ても一目瞭然、悪い顔色で蒼白く、何か深い悩みがあるのがアリアリで御座います。
熊藏「オイ、どうした、與三。
いい若い者が、飯を半分残して。。。お前が博打をしないのは知っているが、痩せの大喰いで、酒も大好きだろう?どうした?具合でも悪いのかい?」
與三郎「へい、熊の兄貴。。。どうも、調子が良くなくて、頭がビンビン痛くて、痛くて。。。頭痛のようで御座んす。」
熊藏「馬鹿野郎、頭痛なんて。。。しょうがないなぁ、頭痛なんてモンは、此処の特上の酒を飲んでみろ、たちどころに治るから、ホレ、丼茶碗でグーっと空けろ!」
そう言うと、熊藏が無理やりにも、與三郎を抑え付けて、茶碗酒を飲ませようと致しますから、是を見ていた吉兵衛が止めに入ります。
吉兵衛「寄なさねぇ~かぁ、熊公。與三はお前と違って神経質(ナイーブ)なんだ。そっとして置いてやれ。打っちゃって置けばいいんだ。余計なお節介は止めろ!!」
熊藏「だって、棟梁。宜い若モンが、蒼白い顔して、のべつ溜息を漏らしてやがるのは、見ていて癪に障るじゃありませんかぁ?
アッシなんか、年老いたお袋と、女房子を家に置いて、後ろ髪引かれる思いで此処へ来て頑張っているんだぁ、それなのに、
與三の野郎は、天涯孤独の独身(チョンガー)ですよ。そんな野郎がお通夜みたいに時化た面を野別見せてやがるから。。。頭に来て。」
吉兵衛「熊ッ、人はそれぞれ他人には分からない事情ってもんが在るんだ。察してやれ!
ところで、與三、無理にとは言わないが、お前も一人で悩んでいないで、俺達に噺てみる気にならないか?」
そう言われて、與三郎は少し考え込みました。そして、まだ迷っている様子で口を開きます。
與三郎「俺の悩みの種は、命に係わる事で。。。本当に話しても宜い事なのか?悩ましくて。。。」
吉兵衛「俺も、長兵衛も、大して力になってやればいかも知らねぇ~が、まだ、あと十五日以上ここに居続けだ。
今からそんな調子で、独り悩んでいるよりは、仲間じゃねぇ~かぁ、それに俺はお前の親代わりの積りだぞ!
独りで抱え込んでいないで、思い切って話してみちゃどうだ?與三、全部吐き出しちまぇよぉ。ちょっとは楽になるぜ。」
そう吉兵衛に諭されて、與三郎、思い切った様子で、ポツリポツリと喋り始めます。
與三郎「あれは、去年の夏の終わり、植木町の庄屋さんん家で、離れと茶室の普請が在り、棟梁以下皆さんで出掛けた事がありましたよね?」
熊藏「在った!在った!ひと月ばかり、植木町の庄屋、六兵衛さんの家に通った。」
與三郎「そん時、離れも茶室も建屋の普請は完成して、兄貴や小頭、棟梁は現場を引き上げる事に成りましたが、
棚を吊るだの、部屋の模様替えをするだのの雑用係で、アッシだけが残る事に成ったのですが、
そん時に、六兵衛さんの娘のお稲さんと理無い(わりない)仲になって、しまって。。。普請が終わっても外で逢うようになり、
いけない事とは知りながらも、逢瀬を重ねるうちに、女は受け身で御座います。気が付くと、五ヶ月で。。。
もう、帯が要る身体になっちまって。。。それで、二人で逢って噺をする事になっていたんですが。。。
まさかアッシが、急にこの普請に駆り出されて、逢いに行けないとはお稲は知らないから。。。帯の事が。。。」
八五郎「何んだぁ、そんな事ぐらいで、大袈裟だぞ、與三郎。たかが帯を質で流したくらいで、命に係わるなんて、大袈裟な事を言いやがって、
しかし、その質屋は酷いボリ方をするなぁ、五ヶ月で流すなんて。。。普通は半年だぞ。大通りの丸安なんぞは八ヶ月は待って呉れる。
次からは、帯を質に入れるんなら、丸安にしろ!五ヶ月で流れるような質屋は金輪際使うんじゃねぇ~。」
熊藏「何を言ってるんだ、トンマの八公。誰が質屋の噺なんかしている。」
八五郎「だった、與三郎がそう言ったじゃねぇ~かぁ、女の帯を借りて、質に入れたら、因業な質屋で、五ヶ月で流れそうだって。だから、心配だ!心配だって。。。なぁ?輿三。」
熊藏「違うよ!なぁ、與三。 この間抜けトンチキの馬鹿野郎に、ちゃんと判るように教えてやって呉れ。」
與三郎「八五郎の兄貴、そうじゃありません。帯は帯でも岩田帯でして、お稲さんがアッシのガキを孕んで。。。戌の日に着けるまでに腹がせり出してまして。。。」
八五郎「何ぃ~ガキが出来たのかぁ、與三の分際で!!植木小町のお稲と好き同士になるだけで羨ましいのに。。。この野郎!で、祝言は何時なんだ?」
與三郎「祝言もなにも、アッシは天涯孤独の職人で、相手は植木町の町役ですから身分が違い過ぎます。だから、ガキが出来たと聞いた時には、
二人で、江戸へでも駆け落ちしようか?何んて事を相談していたくらいで、其れが急に俺が姿を晦ましたんで。。。お稲さんはどんなに心配しているか?
いや、心配して待っていて呉れるんなら、宜いんですが。。。妙な料簡を起こして、川に身投げなどしないか、心配で心配で。。。それで毎日落ち込んで居りました。」
さて、是を腕組みをして聴いていた棟梁の吉兵衛が、やおらキセルを取り出して、一服点けて考え込んだ。
そして、煙を丸めるように莨を吸うと、カン!と雁首で煙草盆を叩いて、こう切り出すのでした。
吉兵衛「ヨシ、俺が何んとかして、そのお稲ちゃんに逢わせてやる。明日、作事場から上がる時、役人の目を盗んで、一番デカい鑿(ノミ)を一本持ち出せるか?」
輿三郎「ハイ!お稲さんに逢わせて頂けるんなら、必ず持ち出します。」
吉兵衛「いいかぁ、輿三郎。必ず、出してやると俺は言ったが、役人の監視が半端じゃなく、厳し事を忘れるなぁ。
鑿一つ持ち出すのは、命懸けだ!其れをしても、植木小町のお稲に逢いたいと言う、貴様の気持ちに惚れたから、俺は言っているんだ。」
輿三郎「ヘイ、棟梁!有難う御座います。」
この日は、此れで終わりましたが、翌日、風呂に入る前に、デッカい鑿を作事場から持ち出した輿三郎は、是を湯殿の天井裏に隠します。
そして、其れを闇に紛れて取りに戻ると、錠前が掛かる前に、寮に持ち帰ると吉兵衛に渡します。
吉兵衛「おい!野郎ども、今日は博打は無しにして、兎に角、宴会だぁ!!歌って騒いで、ドンチャン!ドンチャン!チャンチキおけさで宜しく頼む。
俺と長兵衛で、床板を剥がして、トンカンやる音を外の見張の役人に聴こえない位に派手に騒いで呉れ。
必ず、五ツ半から四ツに掛けて、河村靱負の旦那が今日は見廻に来る日だから、気取られない様に、派手に頼むぞ!皆んな。」
全員「ヘイ!合点です。」
二十人の職人が端唄や都々逸を唄いながら、今までにも増して、騒ぎ、踊り、箸で茶碗や皿を鳴らします。
更に、民謡が始まると派手な手拍子と、合いの手が入りますから、床板を剥がして、床下へ大人一人が抜けられる穴を、吉兵衛と長兵衛の二人は一刻程で空けてしまいます。
吉兵衛「ヨシ、早く此の穴から床下を伝って、見張の少ない裏の御用門から抜けるんだ。
御用門の夜の門番は、お前に親切な多十だから上手く言い訳すりゃぁ、通して呉れるはずだ。
間違っても通用門へは行くなぁ!アッちは、昼間、この普請場を見廻りしている一ノ宮様の御配下ばかりだ。
其れから、お前も、この普請が外部には他言無用である事は知っているよなぁ?お前が、お稲をどう説得するかは自由だが、
出来るだけ、此処の細かい様子は、お稲には聴かせるなぁ。何んせ、二十日もせぬうちに、お前は自由の身になり、大金が手に入るんだ。
間違っても、不義理をしてお稲と江戸表に、逃げて仕舞おうなんで、妙な料簡は起こすなぁ。必ず、此処へ朝迄に戻って来い。
出来るだけ、早く帰って来て呉れ。お前が、無事に帰って来て呉れたら、俺が六兵衛さんには口を利いてやる。
きっと悪い様にはしないから、今夜の内に、なるべく早く帰って来いよ!!宜いなぁ?輿三郎。」
輿三郎「へえ、棟梁!必ず戻ります。皆んなを裏切る様な真似は致しません。」
そう言うと輿三郎は、床下を走り抜けて、御用門へと向かう。すると、役人が一人ともう一人多十が番屋には居た。
暫く様子を見ていると、役人が見廻りか?憚りか?番屋を離れ、多十が一人になった。
輿三郎「多十ドン!多十ドン!アッシでゲス。」
多十「誰だぁ?!」
輿三郎「輿三で、御座んす。」
多十「輿三ッて、あの輿三かぁ?! おう、どうした?北奥の普請場勤めじゃねぇ〜のか?!吉兵衛さんの一家だろう?貴様。」
輿三郎「ヘイ、其れがお袋が急病だって、今しがた一ノ宮の旦那が知らせに来て呉れて、明け方迄に帰る約束で、寮を出して貰いやした。」
多十「お袋さん?!お前。。。両親は居ないッて言ってなかったかぁ?!」
輿三郎「居ますよ、冗談言っちゃ困ります。お袋が居なけりゃオレッチ生まれてませんぜぇ!」
多十「そりゃそうだぁ。」
輿三郎「其れに、一番下ッ端だから、お袋見舞いのついでに、棟梁や小頭のお遣いも有りまして。。。すいません、御門をお通し下さい。」
多十「そうかぁ、お遣いかぁ。帰りも通るか?通る、何刻頃だ?八ツ半から七ツ。分かった、帰りは石を続けて三個、投げて来い、直ぐに開けてやる。」
輿三郎「多十ドン、恩に着ます。」
そう言って、二分ほどの銭を紙に包んで、多十の袂に入れてから、輿三郎は城内から走り去ります。
門からニ丁ばかり行くとお堀が御座います。しかし、所々には石が沈めて在り、その石の上を飛んで行けば堀を渡り切れます。
しかし、まだ、先には高い城壁が有って簡単に外へは出られないんですが、蛇の道は蛇!この城壁には、簡単に外せる軽石が嵌められた箇所があり、
若侍が門限を破って、出入りする為の穴が設けて御座います。輿三郎、この穴の存在を、予め多十より聞いております由え、此処から下界へと漸く参ります。
そして、城下町へと入り中町、米屋町と抜けると其処が、植木町で御座いまして、北に一丁半も参りますと、庄屋の六兵衛の家で御座います。
この植木六兵衛と言う人は、宇都宮の三大町役の一人で、永井善右衛門、森田伊左衛門と三人が宇都宮の顔役で御座います。
輿三郎、辺りをキョロキョロ見渡して、追手が無いのを見定めると、裏口に回り、五月雨の様な音をさせ、トントン!トントン!と雨戸を叩きます。
さて、一方のお稲。輿三郎にお腹の子が五ヶ月であると打ち明けて、「ヨシ!分かった、待っていろ何んとかする。」と言われたものの、
二日、三日と待っているのに、輿三郎は逢いに来ない。其れどころか、心配して手紙をやったのに、家は留守で、返事が貰えぬどころか、出した手紙を受け取って呉れない。
もう、私が嫌いになったのか?まさか、他に好きな女(ひと)が出来たのかしら?と、悶々とした夜を過ごして、五日が経ちました。
そんな、眠れぬ夜を過ごしていると、明らかに、雨戸を軽く優しく叩く音が聴こえます。『燃しや?!輿三さん?』と、庭の戸を細く開けて見ますと、そこに、一人の男が立っております。
つづく