唐丸籠に乗せられた長助は、長谷川藤広、大坂城代の護衛五十人に引かれて江戸城の田安門から場内へと運ばれた。
通常大名が登城する際は、桔梗門が用いられるが、上州方面からの御用商人が通る田坂門からこの唐丸籠は通されて、
予め呼ばれていた評定所の役人、数名に籠ごと身柄が引き渡された。
そして、長助の身柄は、城内の庫を一つ空けて、是を臨時の牢の代わりに当てられた。
また、蘭奢待の香を遊廓で焚て、長崎奉行に捕縛された『上様狙撃未遂犯』が、遥々長崎より、
ここ千代田のお城へと運ばれて来たとの報告を受けた幕閣は、直ぐに御前会議を開く事になります。
そして、家光公のお声掛けで呼び集められた面々はと見てやれば、まず、大老、井伊掃部頭直孝、
更に老中、土井大炊頭利勝、酒井讃岐守忠勝、青山大蔵太夫幸成、そして松平伊豆守信綱。
更に、この五名に加えて、天下のご意見番、大久保彦左衛門が助言者(オブザーバー)として加わった。
家光公「では、掃部!まずは、捕らえし曲者の素性について、長崎奉行よりの言上を有り体に申せ。」
掃部頭「ははッ、長崎よりの使者の報告によりますと、賊八名が遊廓内の茶屋にて、
問題の蘭奢待を焚いて、匂いを楽しみつつ、歌会に興じておったよしに御座います。
そして、捕らえた八人を長崎奉行所が詳しく吟味した結果、三人は長崎地元の郷士で素性も確か、
厳しい吟味と裏取の探索を致しましたが、この三名に謀反の意思はなく、背後に反幕の黒幕など居る虞れも御座いません。
また、同じく残る五人の内、四人はいずれも商人で、所謂、長崎の豪商で御座います。
そして彼等は、先の三人の郷士の贔屓筋に当たります。
よってこの七人は短歌、俳句、香道など、あくまでも遊興の上の朋友の集まりで御座いまして、
上様暗殺などを企む、倒幕集団ではないと長崎奉行所は結論付けております。
一方、最後の一人、長助と名乗る輩で御座いますが、之が問題の蘭奢待を茶屋へと持ち込んだ怪しい人物で御座いまして、
何んでも長崎奉行所よりの調べによりますと、乞食同然の風体にて、長崎市中の濱町という所に住み於きまして、
地域住民、主に商人からの相談事を聴いて算段しては、謝礼金を得て暮らすような輩に御座います。」
大炊頭「何と!丸で、落語に出て参る『算段の平兵衛』の如き輩に御座いますなぁ?!」
掃部頭「誠に、土井様の仰る通りで、町人達は『物知り長助』などと呼んで、一目置いてはおりますが、本に怪しげな人物に御座います。
由えに、この長助なる人物の一存で、上様のお命を狙ったとは到底思われず、恐らくは背後に黒幕の存在が在ると推察致します。
そこで、問題なのが、この長助から、どのようにして、その黒幕の正体を白状させるか?で、御座る。
既に、お聴き及びとは思うが、長崎奉行所が命を奪う寸前まで、責めに責めても吐かぬ輩に御座います。
そんな長助を、どうやって白状させるか?各々方の宜き知恵を頂戴したい!!事に、伊豆殿、宜しくご意見賜りたい。」
家光公「掃部頭の説明で一同相判ったであろう、忌憚なく意見を述べよ!天下、許す。」
と、家光公からのお言葉を賜りましたが、一同、下を向いて考えこむばかりで、意見が出て参りません。
そりゃぁ~そうでしょう。彼等は長崎より移送されて来た長助の痣と傷、腫れ火傷の凄まじさを目の当たりにしています。
あれだけ責めて白状しない奴の口から、どうやって黒幕を聴き出すか?これは至難の業です。
四人の老中は唸るばかりで、浪曲師のような状態で居ると、流石にこの様子を見かねて、大久保彦左衛門が助け舟を出します。
彦左衛門「さて、各々方(大河内傳次郎風)、長助なる曲者、忍びの者か?余程の鍛錬を受けた者と見えて、
手足の爪を全て剥がされ、真っ赤に成った焼鏝にて、アレ程身体中を焼かれても白状せん者を、
これ以上鞭(拷問)を用いた所で時間の無駄と推察仕る。と云う事は、『飴』による懐柔しか他に手立ては無いと存じます。
幸いにもと言うと語弊があるやもしれぬが、長助なる曲者、詩歌、香道に通じておる由にて、
恐らくは、能や茶の湯にも精通しておるに違いない。
そこで、四人には、それぞれ得意の趣向を選んで頂き、それを『飴』として長助の琴線に触れて頂きたい。
そうして、長助の心を開いた上で、上様を暗殺せんとした黒幕を聴きだすので御座る。ご一同、如何で御座るかな?!」
掃部頭「おぉ、流石、三河以来の重鎮、大久保老。それは名案で御座る。」
家光公「ヨシ、ならば彦左の申す『飴』作戦で、この曲者の黒幕が知れるのだなぁ?」
掃部頭「やり方次第では、恐らく。」
伊豆守「理屈ではそうですが。。。早々容易い事ではないのだけは、上様、ご承知於き下さい。」
彦左衛門「知恵伊豆殿、押してダメなのですから、ここは一番、引いてみるしか有りません。」
伊豆守「確かにそうですが、ご老人。やる方の身になって下さい。」
彦左衛門「そんな!最初(ハナ)から、悲観的になっていては、成せる物も成り申さん。
ヨシ、然らば、お主達四人で、万一、埒が明かない場合は、この彦左衛門が最後にお引き受け致そう。」
伊豆守「判りました。最後は大久保様が全て責任を取って、尻拭いなさると言うのなら、お引き受け致しましょう。」
こうして、まずは老中四人が長助の懐柔に当たる事になり、四つの趣向をそれぞれ、この様に分担致します。
まず、先鋒の土井大炊頭が『能』にて長助の胸襟を開きに掛かり、次に次鋒、酒井讃岐守が『茶の湯』にて懐柔を試みます。
更に、この二人の老中がダメな場合には、中堅、青山大蔵太夫の『香道』、殿には真打登場、松平伊豆守の『詩歌』です。
そして、この四人の老中で埒が明かない場合には、ラスボス!とも言うべき大久保彦左衛門が控えます。
このようにして評議が終わり、やや緊張した面持ちで土井大炊頭利勝が、家来配下の重臣に、
江戸城三ノ丸の庭園に能舞台を誂えて、あの伝説の名人、九世観世黒雪を招く事を指示します。
この黒雪は幼少より浜松で徳川家康に仕え、後に京都に進出して豊臣政権下で四座棟梁の一人として認められるものの、
金春流を愛好した豊臣秀吉からは重用されなかった。
慶長八年、江戸幕府開府とともに四座棟梁の筆頭として家康から重んじられて、第一人者として活躍するのだが、
数年後、芸に行き詰まり、駿府を出奔して高野山で出家するという事件を引き起こします。
この黒雪を、許すように働き掛けたのが、誰あろう、この土井大炊頭利勝なのである。
そして、復活の後には、暫くして十世左近重成に大夫職を譲り、今は事実上の蟄居の状態が続いている。
然しそんな黒雪を、敢えて起用した利勝。この難局を乗り切るには、お前しかないと、黒雪に事の次第を語ります。
利勝「かくかくしかじか、という訳じゃ、黒雪、儂の頼みを聴いて呉れるか?何んとしても賊の胸襟を開かせたい。」
黒雪「殿、頭をお上げ下さい。私が家康公に手討ちにされかけた所をお救い頂いたのは殿お陰です。
その殿のお役に立てると言うなら、太鼓方、囃子方も選りすぐりを集めて『風姿花伝』を舞いましょう。」
そう言って、観世黒雪が用意した演目は、『江野島』『梅』そして『老松』の三つで御座いました。
さて一方、庫に十日あまり留め置かれていた長助、縄付にされる事も無く能舞台の前に引き出されて、
初めて老中・土井大炊頭利勝に対面致しますが、全く臆する様子もなく、不敵な笑みを浮かべております。
これを見た大炊頭の家臣が「殿の御前である!頭が高い、控えおろう。」と、平伏するように促そうとしますが、
これを大炊頭自身が制して、笑みを浮かべて長助に声を掛けます。
利勝「庫へ押し込められて、さぞ退屈しておられよう。本日は、ご趣向。黒雪太夫を招いての『舞』をお楽しみあれ。
また、できるだけ気楽になさって、酒肴など召し上がりながら、ごゆるりとご趣向を楽しんで下され。無礼講で宜しく。」
そう土井大炊頭利勝が長助に対して挨拶をすると、長助には上座の客賓扱いの席が用意される。
そして、直ぐに酒、肴が運ばれて、暫くすると、日はとっぷりと暮れて、焚火が篝られて、九世観世黒雪をシテに能の舞が始まります。
食い入るように舞台を見つめる長助に、大炊頭は、しめしめと思いまして、頃合いを見て話し掛けます。
利勝「如何ですか?今日の舞台は、気に入って頂けましたかな?」
長助「流石、家康公もお気に入りの黒雪翁。そして、この太夫を呼べるのも、家康公の隠し子との噂に高い土井様ならでは。。。」
利勝「何を申すされる、誰が隠し子だ!」
長助「隠し子だから、隠しと申したまで。。。何か不都合でも御座るのか?」
利勝「黙れ!下郎、手討ちに致す。そこへ直れ!!」
と、家康公の隠し子と言われた土井大炊頭利勝が、後ろに預けた刀を取って斬り掛かろうとするのを、
一番後ろで見ていた大久保彦左衛門が、「大炊頭殿、引きなされ!!」と、諫めて何んとか事なきを得ます。
彦左衛門「舞台は中止じゃぁ、この罪人を庫へ戻せ!」
この様に大久保彦左衛門から下知が飛び、この場はお開きとなりますが、事の次第は酒井讃岐守へと伝えられます。
いざ二番手の酒井讃岐守、三番手で青山大蔵太夫、そして最後に松平伊豆守と、同じように『飴』を見せますが、
この長助只者ではなく、讃岐守には男色の趣向がある事を揶揄い、青山大蔵太夫には大奥文春の局との不倫を暴き、
知恵伊豆こと松平伊豆守には、ちょっと根多がセコくなるが、十二歳になるまで寝ションベンが治らなかった噺を致します。
『飴作戦』が失敗に終わり、いよいよ天下のご意見番、大久保彦左衛門の出番、吟味と相成ります。
彦左衛門、高手小手に縛られて連れて来られた長助の縄を解いて、諭すように語り掛けます。
彦左衛門「どうやら、我々はお主を誤解していた様であるなぁ。上様のお命を南蛮渡来の短筒で狙ったは、
誰か黒幕があり、その命を受けての仕業と思っていたが。。。其方は、土井大炊頭の出生の秘密や、
酒井讃岐守の男色の趣味を知り、青山大蔵太夫の醜聞までも知っていた。
まぁ、松平伊豆守が寝ションベンだった事は、余りにも有名であるから捨て置くが、
この事情通ぶりは、お主が、単なる金で雇われた刺客ではないと言う事を物語っている。
つまり、貴殿はそれなりの地位のある身分だった事があり、自身が徳川家(とくせんけ)に怨みが在るのではないか?
もっと具体的に申すなら、関ヶ原か?大坂の陣で? 徳川に滅ぼされた一族の末裔であろう。」
彦左衛門は、どうやら最初から是が狙いで『飴』を撒く役を四人の老中にさせたのである。
そして、この飴接待を通して、この長助なる人物が、元は高貴な一族の末裔に違いないと確信した。
長助「ハッハハァ~、流石、大久保彦左衛門殿、そこまで言い当てられると気分が宜しい。
拙者があの『逆さ富士の湖』にて、公方様の御命を狙った刺客である事を、まずお認め致そう。
そして、その正体は。。。」
彦左衛門「その正体は?」
長助「正義と真実の使徒、多羅尾坂内!!(知恵蔵風)」
彦左衛門「ボケはご無用に願いたい。さぁ、名乗られよ!!」
長助「では、妾腹では御座るが、拙者、石田治部少輔三成が一子、『勝丸』と申す者也。
父の仇を討たんと欲して、家康の命を狙うも、長年苦しんだ末に之を果たせず、
代は二代秀忠の治世となりて、更に、この命も狙うが果たせず。
そして、遂にあの『逆さ富士の湖』にて、捲土重来、臥薪嘗胆の機会を得るも。。。
南蛮商人の『イカ物』に嵌り、この願い叶わず。遂には長崎奉行の手に落ちてこの様である。
もう、思い残す事は御座らん。斬首なり火炙りなり、お好きな様になさいませ。」
完全に諦めの境地に至った勝丸は、彦左衛門の前で堂々とした態度で死を受け入れる覚悟を示します。
彦左衛門「そうかぁ、お主は石田治部少輔の倅であったかぁ。」
勝丸「妾腹に御座る。」
彦左衛門「母君は、如何なる人物なるや?」
勝丸「話す必要は在るまいとも思うが、彦左衛門殿の飴に答えて噺を致そう。母は佐竹の家老、車丹波の娘に御座る。
治部少輔の側に奉公し、寵愛を受けるようになる。宿下がりして身籠った事に気付いたが。。。
父、石田治部少輔は、もう、この世になく、入違いに生まれたのがこの勝丸、拙者で御座る。
さぁ、もう話す事は御座らん。早く一思いに、斬り捨てて下され、彦左衛門殿。」
彦左衛門「そなたは、誠の武士(もののふ)。彦左衛門感心致した。正に治部少輔の化身。
家康公を狙い、二代将軍秀忠様をも亡き者にと考え、そして遂に三代家光公までも舶来の短筒を用いて仕留めんとするとは。
誠にアッパレ。彦左衛門は、そなたの其の料簡が宜く判るによって、その方の命を許そう。
勝丸とやら、この大久保彦左衛門が命を許すによって、今一度、公方様の命を狙ってみないか?!」
勝丸「もう、この続きはよしにしましょう。天がお決めに成った将軍様だし、既に三代続いている。
それを、敵の情けを受けて、たとえ、討ち取ったとて、冥土の父上が喜びましょうやぁ?!
さぁ、大久保殿、早くひと思いに厳刑に処して、父の元へお送り下され。」
彦左衛門「相判った。では、勝丸、最後に一つだけ、何でも貴様の願いを聴いて進ぜよう、何んなりと申してみよ。」
そう言われて、この勝丸、何かを思い出したのか?これまでの凛とした態度を崩し、突然、咽び泣き始めます。
彦左衛門「如何致した?勝丸。」
勝丸「恥を申しますが。。。拙者、浪々の折、三州の山奥で『サンカ』の部落の世話になりました。
そのサンカの親方、善右衛門の娘でタネという者とねんごろになり、タネは我が子を宿しておりました。
しかし、拙者はその子が生まれるのを見届ける前に、長崎へと旅立ち、タネの事は忘れておりました。
ですが、今、徳川への怨みが消えてしまいますと、タネと子どもの事が思い出されて。。。」
もう、ここまで言うと、勝丸は泣きじゃくるばかりで、言葉になりません。
これを見て、大久保彦左衛門が勝丸に言います。
彦左衛門「宜しい、拙者が貴殿のそのお子の見届け役を買って出よう。男でも女子でもそれ相応の面倒をみよう!」
勝丸「誠でございますか? 生涯忘れません。」
そう言って、石田治部少輔三成の子、勝丸は、穏やかな様子で、公儀介錯人、拝一刀の手によって斬首となります。
後日、大久保彦左衛門が門人をもって三州を調べさせますと、確かに善右衛門と娘タネ、そしてその子善七の存在が知れます。
しかし、サンカと武士の隔たりが御座います由え、彦左衛門の家来に善七を貰い受ける事は出来ません。
そこで、江戸の非人頭の元へ善七を預けて、処刑される罪人の首と死体を扱う仕事の元締にと手を廻します。
こうして、後にこの勝丸の子、善七は、車屋善七と二つ名で呼ばれる非人の頭目となり、
幕府の闇で暗躍する、汚れ仕事をするようになるので御座います。
つづく