家光公の上洛の行列が、『賽の河原』の逆さ富士に見とれているその時、湖畔の中州で生い茂る葦の草むらに潜む刺客が一人御座います。

『喬木林中に秀でて、妬風是を折る』という諺が御座いますが、正に、此の譬えの通りでありまして、高位貴人となりて、

人の上に立つ身分とは怖いものがありまして、三代家光公を撃ち奉らんと狙う輩が是あり、葦の茂みに一人、曲者が潜んで御座いました。

その曲者、刺客が用いる道具が、また、珍品中珍品にて、黄金造りの三角玉。しかも、南蛮渡来の音無し鉄砲に御座います。

これを用いて家光公の命を狙っておりまして、実に危ない訳でして、三代様の御命は正に風前の灯火に御座います。

音無し鉄砲とは如何なる絡繰りであるのか? 空気銃を想像するお方もあるかと思いますが、左にあらず。

ちゃんと火薬を用いて玉を発射致す代物ですが、魔訶不識、音が出ないと申しますか?殆ど聞こえない。

つまり、現代で申しますところの、消音装置:サイレンサー付の短筒で御座います。(そんな物が十七世紀初頭に本当に在ったのか?)

また、玉は『三角玉』と申しますが、円錐という訳ではなく、椎の実のような形で御座いまして、球状ではない事を示すようです。


さて、そんな湖尻の中州に出来た葦の茂みから、息を殺した刺客が音無し鉄砲を発射致します。

如何に音無しと云えども、無音にて表現するのは講釈には向きません。ですからお客様にはサービスで音入りでお届けしたいと存じます。


パン!(張り扇を叩く)


刺客が放った三角玉、狙うは三代家光公の心の臓、然し、玉は左へ左へと逸れまして、家光公の袖を掠めて斜め後ろに立っていた、

伊藤吉兵衛と申す若衆の脇腹へズドーン!と、突き刺さります。お見舞いされた吉兵衛、『うわぁぁぁ!! 何じゃこりゃあ~?!』と、

叫ぶように声を上げて、その場で倒れますから、多くの伴揃達が、「曲者!曲者!」と、騒ぎ立てます。

そして、玉の弾道から推理した知恵伊豆、松平伊豆守が、「見よ!あの中州の葦から煙が上がっておるぞ!」と、刺客の位置を言い当てると、

手柄を上げんと、一斉にお側衆の公達が、河原から水へ飛び込み泳ぎ出します。しかし、如何水練に長けた者でも、

道中の裃付けた、袴姿のまんま水へ飛び込んでも、中々水を切って進む事ができません。特に、袖が邪魔で仕方ない。

その隙に、曲者は次の玉を込め様とし始めます。と、そこに現れたのが、石川彌右衛門。

この人物は、『石川日記』で有名御人すが、この時既に西本願寺十三世宗主、良如大僧正と呼ばれる人で、天海にも負けぬ地位に御座います。

この石川彌右衛門が、素早く衣を脱ぎ捨てて、水へ飛び込みスイスイと泳いで中州の葦を目指します。

先に水へ飛び込んだ公達を軽く追い抜いて、葦の原へと上がるのですが、曲者は二発目を正に撃つ態勢で構えております。


パン!(張り扇を叩く)


二発目の黄金の三角玉、撃たれる直前に彌右衛門は、体を右に飛ばして是を上手く除けます。

しかし、玉が外れたと知った曲者、直ぐに持っている音無し鉄砲の台尻で、彌右衛門を殴りに掛かります。

しかししかし、百戦錬磨の石川彌右衛門です、これは軽く体を交わしてやり過ごし、手刀で手首に一撃喰らわせると、

曲者は鉄砲を落として、湖尻の中へと飛び込み、潜水して姿をくらまして仕舞ます。

ここまでの闘いぶりを見て、家光公が下知を飛ばします。 「馬だ! 誰か馬を引け、予が曲者を捕まえてやる。」

征夷大将軍の任官を受ける上洛の途中で、鷹狩りにでも出るくらいの軽い調子で、「馬を引け!」と下知を飛ばす三代様に、

ご学友で、側近中側近、懐中刀の知恵伊豆、松平伊豆守が驚いて、大久保彦左衛門に助けを求めます。

伊豆守「彦左衛門殿、直ぐに殿をお止め下さい。お願い申す。」

彦左衛門「委細承知!任せなさい。」

そう言うと、大久保彦左衛門、何を思ったのか馬を引いて家光公の前に差し出して、「では、爺ぃがお伴仕りまする。」と言って、

家光公を馬に乗せると、自らも馬に跨り、ニ騎で湖尻の中へと『乗っ切り』しようと致します。


伊豆守「何んて事をして呉れるんだ、あの糞爺ぃは。。。まだ、奴の頭ん中では、応仁の乱が終わっていない!!」

ご通過は、もうお気付きだと思いますが、この後、二代秀忠公の一周忌の跡には、あの有名な愛宕山の石段事件を起こす家光公。

この場に、もしも曲垣平九郎が居たら。。。と思いはしますが、居ないものは仕方ない。

さて、知恵伊豆、青さめた様子を一気に真っ赤に変えて、諸侯に下知を飛ばします。

伊豆守「家光公をお守りしろ! そして、曲者を馬で捉えるのだ! 行け!行け!行け!」

この伊豆守の命令で、諸侯は中州の葦の原から、その先を四方八方探索しましたが、鉄砲を撃った曲者を捕まえるには至りません。

そして、日もかなり西に傾いたので、ひとまず、沼津を目指して、行列を進める事に致します。


一方、石川彌右衛門の方はと見てやれば、賊が落とした鉄砲を拾い見ますが、織田や雑賀衆の鉄砲とは全く形が異なります。

彌右衛門「彦左衛門殿、拙者はこの様な鉄砲を見た事が御座らん。お主であれば分かりますか?!」

彦左衛門「ほう、珍しい形に御座る。拙者も現物を見るのは、初めてであるが、恐らく南蛮より渡来の品、

かつて、信長公へバテレンの商人(あきんど)が、之によく似た鉄砲の絵を見せていたのを覚えておる。」

そう言うと、何やらこの短筒の臭いを嗅ぎ始めます。

彦左衛門「この香は?。。。火薬に混じって『蘭奢待(らんじゃたい)』の香が微かに匂いませんか?良如殿。」

彌右衛門「確かに、この香は蘭奢待!! 流石、ご老体、千軍万馬なされたは伊達じゃない!」


この蘭奢待は、ジンチョウゲ科ジンコウジュ属の樹木の樹液油の宜く沁んだ物を、特に香道に精通する技官が、

その樹木の内、香の邪魔をする『木』の部分は削り取られる。現存する蘭奢待で有名な物は、正倉院に保管されているもので、

流石に、是を削り香を焚く訳には行かないので、実際の匂いを知る者は現存しない。

ただ、宝物殿の御開帳の折に、この正倉院の蘭奢待は、中を空洞に削り込まれている事が確認されております。

この頃、武士や僧侶の嗜みだった、『お香』が茶の湯と共に、豪商たちの遊びに取り入れられ始めた時代です。

かつては、大坂城落城の折に、兜に香を焚いて、その首実検の際に徳川家康が泪したという伝説のイケメン武士、木村長門守重成。

大久保彦左衛門も、石川彌右衛門も、この香を嗅いで、一番最初に思い浮かんだ武将は、この重成ではなっかたのか?

そして、彦左衛門はニヤりと笑い、知恵伊豆に向かって申します。

彦左衛門「蘭奢待を使う者はそうざらに居る者ではない。之を辿らば必ず刺客の正体が知れる。ぬかるなよ!伊豆守。」

伊豆守「任せて下さい。江戸へ戻りましたなら、きっと見付け出して見せまする。」

彦左衛門は、その南蛮渡来の短筒を、知恵伊豆に渡し、この襲撃の刺客探しを命じます。


そして、行列は無事上洛を果たし、秀忠公亡き後、公方として政の一切を掌握して、旗本を中心とする徳川家(とくせんけ)の盤石な政治を開始する。

この上洛の際は、徳川家から朝廷に一万両、宮中の公家衆へも一万両、更に洛内の人々へも一万両、合わせて三万両を拠出している。

結局、家光一行は、京の都では知恩院内に本陣を設けて住まい、ここにも二万両を寄進がなされたと記録されている。

こうして、一行は十四日の間、京に滞在し朝廷との好(よしみ)を深くする事は勿論、警戒すべき外様の動きも探るのであった。

漸く、二月になると一行は、江戸へと戻り、『逆さ富士の賊』の探索に本腰を入れる事になる。

さて、南蛮渡来の短筒を操り、蘭奢待の香る賊の正体は?! この続きは、次回のお楽しみ。



つづく