春陽先生がまた、『徳川天一坊』全二十話を読むと言うので、一話から楽しみに聴く事に致します。
また、天一坊といえば、三年前にこのブログで紹介しましたが、二代目神田山陽一門のお家芸と言っても過言ではなく、
春陽先生も、真打披露の興業用に、この全二十話を覚えておられて、私は半分くらいまでを、飛び飛びですが、今は無き朝練講談会で聴いております。
そしてこの日は、こんな感じの公演になりました。
1.白子屋政談「鰹の強請り」
マクラでは、楽しい噺をされて、実に大爆笑だったのですが、此処には書けない噺で、
之れは書いても宜いかな?コロナ禍なのに青森では弘前の桜祭が開催されて、春陽先生の青森のご友人曰く
青森の人々はクレージーでだから。。。
何故ならば、青森の歌舞伎町に在るキャバクラにてクラスターが発生。そのキャバクラの店長もコロナに感染して二週間ほど入院した。
そして、退院すると、店の仲間が快気祝いだ!ってんで、パーティーを開いて呉れて、ドンチャン騒ぎをしたら、再度、クラスター!!
「馬鹿だろう!?」って言っていたそうです。
さて、『白子屋政談』。これも『徳川天一坊』同様に大岡越前によるお裁きの噺で、所謂、大岡政談で御座います。
大岡越前が登場する政談噺なんてもんは、落語にも講釈にも数多あるのですが、実際に、本当に大岡越前守忠相自ら裁いた噺は、二つしかないと言われていて、
その一つが、後席の『徳川天一坊』。そして、もう一つは、この一席目の『白子屋政談』なのです。
『白子屋政談』
そう呼ぶより、落語でも芝居でもお馴染みの「髪結新三/梅雨小袖昔八丈」のお噺だと言った方が分かり易いかと存じます。
あらすじを申しますと、紀伊国屋の番頭の庄三郎は傾きかけてきた店に見切りをつけ、
主人の紀伊國屋文左衛門から千両の金をもらって、新材木町に白子屋という材木商を始める。
主人家のお得意先を根こそぎ奪う、阿漕な商売をしますから、これが三年も経たないう ちに新築をして土蔵を建てるという、大した繁盛ぶりだ。
一方の文左衛門は落ちぶれて深川に妻女と二人で住んでいたが亡くなってしまう。
思案に余った妻女が白子屋へ相談に来るが、女房のお常は、「主は病で臥せっておりますので」と、包んで出したのがたったの三分。
これを見て文左衛門の女房は涙を流し、受け取らずにそのまま帰ってしまった。
因果応報
そのうちに庄三郎の”病”が本当になり、おまけに泥棒が入って五百両を盗まれて、白子屋の身代も傾いて行く。
庄三郎には姉のお熊と弟の道楽息子で勘当寸前の庄之助の二人の子供がいる。
大伝馬町の桑名屋の番頭で、もう四十を越えている又四郎が長年貯めた五百両の持参金を持ってお熊の婿養子に入る。
夫婦と言うのは名ばかりで、お熊は店の忠七と良い仲になっていて、醜男の又四郎を毛虫のように嫌って寄せ付けない。
ちょうど五月の四日、店にやって来たのが廻り髪結いの新三と言う小悪党。
以前からお熊の器量の良さ、色っぽさに惚れ惚れしてぞっこんだ。
今日もお熊の襟を剃りながら、新三は何とかしてこの女を手に入れる工夫ないものかと悪知恵をめぐらしていると、
お熊の袂に手紙が入っているのに気づく。それを抜いて表へ出て開いてみると、これが忠七へ出す、
「お前に会えなくてつまらない毎日を暮らしている」と言う愚痴の手紙。
こいつは良い物が手に入ったと、店に一人でいる忠七に、
新三 「今夜、日が暮れてからお嬢様と二人で和国橋までお出でなさい。お嬢さんが婿がいやでしょうがないと言っている。
お嬢さんに、”二人で逃げて当分あっしのところにいたらいいいでしょう”と話しをしたところ、お嬢さんは大変乗り気です。このとおりお嬢さんから手紙を預かって来ました」
すっかり新三を信用した忠七は裏からお熊を誘い出し、新三と待ち合わせの和国橋へ急いだ。新三はお熊を駕籠に乗せて先へやる。
雨が降り出し、新三は照降町で大黒傘を買って忠七と相合傘で稲荷(とうかん)堀を抜け、
新堀から永代橋にさしかかるあたりまで来ると新三は豹変し、
お前を騙してお熊をたぶらかす魂胆だとばらして傘で忠七を突き倒して足蹴にし、その場に置き去りして行ってしまう。
翌五日の端午の節句はからりと晴れていい天気。
お熊が新三に連れ去られたと分かったお常は、白子屋の抱え車力の善八に十両の金を持たせて、富吉町の新三の所へお熊を連れ戻しにやる。
富吉町の汚い新三の家に行くと、お熊は押し入れに閉じ込められているようだ。善八が十両を差し出すと、
新三は、「ふざけるんじゃねえ、こんな目腐れ金!」と、金を投げつけ取り付く島がなく、すごすごと家に帰って来た。どうしたものかと女房に相談すると、
女房 「それじゃ、葺屋町の弥太五郎源七親分に頼むしかないね・・・悪い奴には悪い奴をって言うじゃないか・・・」、
なるほどと善八が頼みに行くと、源七親分はやっと重い腰を上げて善八と新三の家に掛け合いに行く。
源七親分が来たので、始めは下手に出ていた新三だが、源七が持ってきた十両の金ではお熊を返す気は一向にない。しまいには、
新三 「そっちが弥太五郎源七なら、こっちは上総無宿の入れ墨新三だ!」と啖呵を切る。
堪えかねた源七が脇差を抜こうとするのを、善八が止めに入って源七は腸が煮えくり返る思いで路地を出ようとする。
そこへ出て来たのが長屋の家主の長兵衛で、「・・・ああいう馬鹿な男のところへは誰が行っても無駄でございますから、
私が口を利いてみようかと思います。・・・相手が白子屋さんだけに、三十両ならばと思うのでございますが」 、
善八が店へ帰り、お常に話をして三十両用意し、お熊の乗る駕籠を用意して長兵衛の家まで行く。長兵衛は新三の家へ行き、
長兵衛 「おい、いるかい?・・・新三!宜い節句だなぁ〜、おや、初鰹かい。安くなかったろ」
新三 「三分ニ朱で」
長兵衛 「豪儀なもんだな。・・・時にその娘てのはどうしてる?物事は長引くとこじれていけねえ、早くけじめをつけた方がいい。金に転べ」
新三 「金に転べったって、十両ぐれえのはした金でこの上総無宿の入れ墨新三、ウンと言えるもんか」
長兵衛 「俺は向うに三十両と言ってやった。三十両で手を打て。なんだ上総無宿の入れ墨新三だと。
この馬鹿野郎、俺の前で聞いたような口をきくな。そういう事を言うんなら、溜まっている店賃を払って、今日限り店を開けろ、
てめえみてえな入れ墨無宿に店を貸す家主が他にいるなら、そこへ行って店を借りろ!」、
まことにごもっともで、ここを追い出されたら居る所が無く、さすがの新三もグウの音も出ない。
長兵衛 「決まりがついたら、鰹を片身、俺にくれるか?後で取りに来るから」、
長兵衛は善八から三十両受け取って、再び新三の家へ行き、お熊を駕籠に乗せると駕籠はそのまま白子屋へと向かった
長兵衛 「これで片が付いた、約束の金だ」と言って長兵衛が差し出したのは十五両だけで、約束が違うと言う新三に、
長兵衛 「三十両だよ、鰹は片身もらう約束になっていただろ」
新三 「えっ?片身ってのは鰹だけじゃねえんですかい?」
長兵衛 「骨を折って口をきいてやったんだ、片身もらうのは当たり前だ」
新三 「冗談じゃねえや、、十五両くれえなら源七に十両で花を持たせて返してやったんだ」
長兵衛 「愚痴っぽい野郎だ。いけねえのか、いけねえなら、いますぐ店空けろ!かどわかしの罪でも訴えてやるぞ、・・・
どうだ、いいのか、十五両で? ・・・じゃあ、この十五両の内から五両は溜まっている店賃にもらっておくからな」 、
新三もかなわない強欲さだ。
新三 「それじゃ、十両しかありゃしねぇや」
長兵衛 「鰹は片身もらって行くよ」
新三 「形無しだね、こりゃ」
「狼の人に食わるる寒さかな」、髪結新三の一席。
そして噺はこの跡、新三に仲裁役の面目を丸つぶれにされた源七親分は、
ある雨の晩、博打帰りの新三を深川閻魔堂橋で待ち伏せて、
斬り合いに末に新三を殺した。之が「閻魔堂の殺し」と言う噺に続きます。
さて、春陽先生の噺には、紀伊國屋の下りはなく、傾いた白子屋から噺がいきなり始まります。
まぁ、一話だけ何んで、新三と弥太五郎源七、そして其の後の新三と大家の長兵衛のやり取りに特化していますから、仕方ありません。
また、春陽先生らしく、コミカルな演出で、雲助師匠や小満ん師匠の様な、カッコいい演出では有りませんが、笑いが多めの珍しい「髪結新三」でした。
2.『徳川天一坊』第一話「天一坊の生い立ち」
天一坊の誕生秘話からスタートします。時は八代将軍吉宗の時代。まだ、吉宗が源六郎と名乗って居た頃。
女中の澤乃に源六郎のお手が付き懐妊しますが、お墨付と短刀を証拠の品として持たせて宿下りとなります。
そして澤乃もそのお子も、出産後間もなく死んでしまいます。
そして、澤乃の母、おさんが気が狂ってしまいます。
結局、おさんは庄屋の甚右衛門に保護されて正気は取り戻しますが、まさか、娘澤乃の噺は他人に語れず十二年間心に仕舞い続けます。
一方、このおさんが居る平野村に、源氏坊戒行と言う若い坊主が居ます。
武士の夫婦の行き倒れの子供で、観音院という修験者に育てられて居ます。
そして、戒行の十二歳の誕生日に、偶々、おさんが居合わせて、酒の勢いで、澤乃のご落胤が同年同月同日生まれであると、
ポロっと口を滑らせてしまいまして、是を戒行が知り、此の場でおさん婆さんを殺せば、自分がご落胤に成れると、野心を抱きます。
是が原因で、戒行は、おさんを殺して、更には育ての親である観音院を毒キノコで毒殺して、単身、修行の旅へと出発します。
戒行が、二人を殺したのが十二歳、旅へと修行に出るのが十五歳なのです。
旅に出た戒行、犬血を衣に付けて、紀州の浜で盗賊に襲われた様に偽装して西へ飛び、肥後熊本で、廻船問屋に勤めて吉兵衛と名乗ります。
更に、ここから、七年。二十二歳になるまで、真っ黒に働き、三百両という金子を貯めた戒行こと吉兵衛は、満を持して江戸へ、ご落胤だと名乗って出る為に船に乗ります。
しかし、この船が難破して、四国の伊予の海岸に流れ着く迄が一話で御座います。
春陽先生、ほかの神田派の先生に比べて、肥後熊本の場面が丁寧で、船が難破する場面も、リアルに語りました。
次回以降が、また、楽しみです。さて、次回は七月十日です。