柿田川の賭場で見た、女壺振り。この女が通し合図で、若い男と組んでイカサマ博打をしているのを見付けた次郎長と法印大五郎。
イカサマの片割れの若い男の跡を付けて、やって参りましたのが、三島本町の茶屋旅籠の『徳松屋』。
そして、夜の四ツ過ぎに壺振りをしていた女の方も此方へと参りして、何やら噺を始めます。
男「姐さん!なぜ、途中で通しを止めちまった?!お陰で十二、三両しか儲かってないぜぇ。三島くんだりまで出稼ぎに来て、之じゃぁ、洒落にならないぜぇ、ッたく。」
女「生を言うんじゃないよ!喜之助、半人前の癖。お前には判らないだろうけど、アタイの真ん前に居た、
五十がらみの親分風の貫禄と、頭を五分に伸ばした坊主の旦那の二人組。あの親分風の方が間違いなく、アタイのイカサマを見抜いて居たんだ!!」
喜之助「まさか!?お喜美姐さんの『隼回し』を見破るなんて!そんな野郎が居るハズがないぜぇ!」
お喜美「アタイも、最初(ハナ)に二十両、纏めて来た時には、おや?!っと思ったけど、
次からは、わざと張りを少なくして、目立たなく張り始めたけど、五回続けて当てやがったんだよ、あの野郎。」
喜之助「本当(マジ)か?!」
本当(マジ)ですよ!
次郎長「お前さん達は、隼ノ喜三郎のお身内かい?!」
喜之助「誰だ!貴様は?!」
と、喜之助が脇差の柄に手を掛けるが、法印にジロっと睨まれて、刀からは手を離します。
法印「此方のお方は、清水次郎長親分だ!!」
お喜美・喜之助「清水の貸元!!」
次郎長「そうだ、俺が清水次郎長だぁ!お前さん達は、隼ノ喜三郎ドンとは、どう言う間柄だい?」
お喜美「喜三郎は、私たちの父親です。」
次郎長「俺は、三十二、三年前、一家を立ち上げて間もない頃に、親父さんとは江戸深川で逢っている。
そこで、親父さんの『隼回し』を俺は見ていたから、お前さんのイカサマに気付いたんだ。
親父さんは、三津五郎って浪人者と組んで、商売をしていたが、今、親父さんは?!」
お喜美「そうでしたかぁ、通りで簡単に見破られた訳だ。では、全部、お噺致します。
その跡、父は三津五郎さんと私が生まれる少し前までは、壺振りのイカサマで食べていましたが、
しかし、三津五郎さんが労咳を患って寝込むと、イカサマから足を洗います。
そして、三津五郎さんが死ぬ間際に、まだ、十六だった妹、私と此の喜之助の母を頼むと言い残して、この世を去ります。
其れから、隼ノ喜三郎と言う二つ名前を父は捨てて、母を連れて深川を出て、川越に移り、船の荷の上げ下ろしの人足として働きますが、
私が五つで、この喜之助が生まれたばかりの時に、嵐の最中に現場に入って、海に落ちて亡くなります。
其れから、母も私が十一、喜之助が六つの歳に労咳で亡くなり、アタイは芸者置屋、喜之助は穀物問屋へ奉公に出たんですが、
私は赤坂、金春で芸者として、それなりに二十歳までは、一本でやれたんですが、なかなか宜い旦那が付きません。
結局、二十二からは箱根、熱海に出る所謂、温泉芸者をしておりました。ただ、赤坂、金春で芸を張った身ですから、
枕営業してまでお座敷に出なくなりますと、芸者一本では食えなくなりまして、困っていたら、
其処へ喜之助が訪ねて参りましたのが、つい、二年半前です。十五までは、穀屋で辛抱しておりましたが、
父親が隼ノ喜三郎ですから、博打の道に入りまして、親分子分の盃は、誰とも交わしておりませんが、半端者の賭博打(ばくちうち)に成って御座した。
そんな姉弟が再会して、最初(ハナ)は、食う為に美人局のような事をしておりましたが、
何んせ、此の喜之助が腕っ節がからっきし弱くて、『間男見付けた!!』と、踏み込みましても、逆にボゴボコにされて、銭を取られる始末。
それで、考え出したのが、『隼回し』を使った通し合図のイカサマ博打で御座います。
父の喜三郎が、幼い私をあやすのに、よくサイコロを振って見せて呉れていて、あの隼回しの技も、五つの私は出来る様に成っておりました。
そして、父の形見のサイコロを、芸者に成っても、淋しい時は慰みに、之を隼回しに振ると何か癒されるような気がして。。。
そんな訳で、アタイが壺振り、喜之助は客に紛れて、通し合図のイカサマを稼業に致しております。」
次郎長「そうかい。そう言う理由(ワケ)が有ったのかい。だけどなぁ、今回見破ったのが、俺だから、
お前さん達二人は何んの科も受けずに無事に、茶屋酒呑んでいられるが、万一、柿田川の貸元に知れてみろ!
美人局をしくじってボゴボコにされるのとは、桁違いの折檻を受けて、喜之助は簀巻きにされて、其れこそ柿田川に捨てられて、
お喜美、お前さんは間違いなく沼津の女郎屋に終身で叩き売られて、一生苦界に沈められる。
之をキッカケに、通し合図のイカサマからは足を洗え!足を洗うなら、俺が働き先を紹介してやる。」
お喜美・喜之助「本当ですか?!」
次郎長「あぁ、任せておけ!!」
こうして、柿田川の花会に出向いた清水次郎長は、ひょんな事から、お喜美と喜之助と言う姉弟を拾って清水へと連れて帰ります。
次郎長「まず、喜之助!貴様は賭博打を続けるつもりなのかい?!」
喜之助「いいえ、度胸も腕っ節も有りません。成れるなら、堅気に戻りたいです。一応、読み書き、算盤は出来ます。」
次郎長「ヨシ、其れなら長脇差の一家でも、小さな一家だと、読み書き算盤を一手に引き受ける番頭さん、金庫番は探している所が多いから、
ウチの子分か兄弟分で、番頭、金庫番を探している一家を見付けてやる。今更、堅気の商人の店に行って手代奉公からやり直すのは大変だぜ。
長脇差の親分にも、書状、礼状などを出す仕事や、花会、みかじめ、人足の世話など、算盤の出番も多い。
だから、何処かお前さんにピッタリの一家を紹介するから、安心しろ!喜之助。」
喜之助「本当に、有難う御座います。」
次郎長「其れから、お喜美さん。あんたは、ここ清水で、稽古屋をやりませんか?三味線や長唄、小唄を教える稽古屋。
そして、読み書きを教える寺子屋を、アッシがやっているんですが、教える先生が足らなくて、特に女の先生は大歓迎ですから、
稽古屋と寺子屋の先生をして貰えたら、アッシの方も大助かりなんで、是非、お願いします。」
お喜美「ハイ!親分、喜んで。」
次郎長「ヨシ、そうと決まったら、早速、お喜美さんの稽古屋の店と、喜之助の務め先を探すんで、忙しくなるぞ!こいつは。」
お喜美・喜之助「親分!誠に、お世話様です。」
次郎長は、まず、お喜美の稽古として、予め目を付けていた、芸者置屋を引退した元女将の橘屋に声を掛けて、
踊りや三味線のおさらい会が出来るような、舞台付きの稽古場を見付けて、ここにお喜美の『お稽古事指南所』を開店する。
次に、喜之助は、ちょうど子分に成った滑栗ノ初五郎を紹介して、まだ、十二、三人の一家だが、
ここの番頭、金庫番として喜之助を紹介すると、初五郎も二つ返事で是を了承して呉れて、喜之助は直ぐに信州へ出向いて、新天地で腕を振るう事になる。
こうして、姉のお喜美は清水で、そして弟の喜之助は信州松本で新しい人生をスタートさせるのです。
やがて、お喜美は、次郎長の寺子屋の事業を軌道に乗せて、清水だけでなく、広く駿府の国中に、寺子屋を増やし、教える先生を育成する仕組みを確立させます。
もう、次郎長の表の家業では、次郎長の右腕として働くお喜美を、子分たちも自然に姐さん!姐さん!と呼ぶ存在となり、
そして、二年の歳月が流れると、裏の家業は大政で、表の家業はお喜美が仕切る様に成っていた。
明けて慶應三年正月。年始の挨拶の事です。
次郎長「明けまして、おめでとう。本年も、宜い年に成る様に、皆んな!宜しくたのむ。
大政、今年も直ぐ春になると、港まつりと、相撲興行がある。江戸と上方、そして尾張からも宜い力士を集めて盛大に頼むぞ!
そして、お喜美、この春に英語学校が開校する。まずは、通訳の養成に尽力して呉れ。公儀(おかみ)から二千両の出資を受けた事業だから、必ず、成功させて呉れ、頼む!
また、富士の樹海を開墾する事業の方も、大政より、お喜美!お前さん向きだぁ、アレも大政から引き継いで宜しく頼む。
以上、今年も新しい商が目白押しだ!堅気の幸せに繋がる事業ばかりだから、本業の賭博打としての商売も大切だが、
寺子屋と開墾も清水一家の俥の両輪だから、皆んな、宜しく頼む!」
全員「ヘイ、合点です。」
次郎長の新年の訓示、口上が終わりまして、お節料理を前に、新年の宴が始まります。
すると、畏まった面持ちで、吉良ノ仁吉が、次郎長とお喜美の前に座ります。
仁吉「親分!姐さん、明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い致します。」
次郎長「おう!おめでとう。」
お喜美「おめでとう、仁吉さん。」
仁吉「それでね、親分!新年早々、おめでた次いで何んですが、アッシ吉良ノ仁吉はこの度、女房を貰う運びとなりました。」
次郎長「オッ!そいつはめでてぇ〜!」
お喜美「だっ誰とだい?何時なんだい?!何処で式は上げるんだい!?仲人は?誰なんだい!!」
仁吉「姐さん、そんなにいっぺんに言われたら、答えられません。
相手は安濃徳次郎親分の妹で、お禧久さんと言います。正月二十一日大安吉日に、伊勢神宮で式を上げます。媒酌人は、丹波屋の親分さんです。」
次郎長「そいつは、誠にめでたい。俺も是非、呼んで呉れ。」
仁吉「其れで、大政の兄貴、大瀬ノ半五郎の兄ぃとも相談したんですが、アッシの婚礼には、姐さんも是非、お呼びしたい。
其れに付いちゃぁ、親分と姐さんの祝言が先だろうって、事になりまして、富士山本宮浅間大社で、
一月十五日の大安吉日に、親分と姐さんの祝言を先に行いまして、夫婦として、アッシの婚礼には来て頂きたいです。
既に、媒酌人は藤枝の長楽寺の親分が了承済みで、関東と東海道の親分衆には、新年早々招待状が送って御座います。」
次郎長、之れを聞いてびっくり仰天!真っ赤に成って、「俺は、まだ、宜いと言ってない!!」と、恥ずかしがります。
大政「親分、其れと、此れは清水一家の既に総意ですが、お喜美さんは、親分の女房になるんで、
此処は、二代お蝶を拝命して頂き、お蝶の姐さんとして、清水一家を切り盛りして頂きたいので、
一月十五日には、婚礼と同時に襲名披露と相成ります。」
小政「襲名披露となると、口上に並ぶお客様を呼ばないといけませんよね、親分。
番町の貞奴でしょう、本稲元楼の三嶋太夫、アッ!小料理屋『紫炎』の女将も外せない、オイ!他に親分の女は誰が居た?!」
次郎長「小政!いい加減にしろ!貴様は、破門だぁ。」
お喜美「大丈夫ですよ、お前さん。皆んな知り合いですから、式には来て頂きましょう。」
こうして、清水次郎長は、奇妙な赤い糸で結ばれた、壺振りお喜美を後添えに迎えて、之を二代お蝶と呼んで、清水一家の切り盛りを供に行って参ります。
つづく