次郎長たちが、船から浜を見やりますと、白浜に毛氈を敷いて、その上で黒紋付に袴を履いた三人の漢が、この船の到着を待っております。
次郎長「俺たちは、事を構えるばかりを好みはしない。だから、安濃徳が仲人を立てて来るなら、その真意を聴かずばなるまい。
だが、お前達皆んなが知っての通り吉良ノ仁吉は先般、犬死をしてしまった。
余りの無念な死に方に、仕返しぜずには居られない気持ちから、この桑名へと出張って来た。
そうではあっても、仕返ししたからと言って、仁吉が蘇る訳じゃない。
悪い言い方をすれば、その仕返しは、もしかすると、俺達の勝手な自己満足なのかもしれない。
そんな気持ちも有ったりするから、お二人の願いとは、反目に俺が出る場合も在るぜぇ!
寺津のぉ!そして、西尾のぉ!其れでも、二人は文句を言わず、俺が決めた事を、全部呑み込んで呉れるかい?!」
間之助「今更、念押しには及ばねぇ〜ぜぇ、清水のぉ。」
治助「好きにして呉れ、俺も次郎長、お前さんと同じ思いだぁ。」
次郎長「有難う!兄弟。」
まずは、次郎長と間之助、治助の三人だけで浜に向かって小舟を漕いで、白浜へと上がった。
次郎長「之は之は、ご苦労さんに御座います。稲木の貸元、ご無沙汰致しております。」
文蔵「清水の、其れに、寺津に西尾!ささっ、毛氈が敷いてあるから、この上に胡座をかいて呉れ。
俺が、安濃徳に頼まれたんだが、清水の兄弟筋の二人が一緒なんで、武蔵屋の貸元に一肌脱いで貰って、
そしてコイツは俺の事実上の跡目だぁ、この鹽濱ノ吉五郎を、紹介がでら連れて来たって訳だぁ。
あと、この場には、流石に十手持ちだから来ちゃぁ〜居ないが、福田屋ノ勘之助と、梅屋ノ栄蔵って親分二人も後見だぁ。
もし、手打ちが決まり、宴席が設けられるなら、是非、声を掛けて呉れと言われている。」
次郎長「何から何まで、ご苦労さんに御座んす。本来ならば、神戸ノ傳左衛門さんの倅、神戸ノ長吉が、此の場を仕切る役目のハズで御座いますが、
ちょいとばかり、渡世の掟に叛く、見るに見かねる間違いが御座いまして、先月足を洗わせました関係で、この山本長五郎、清水次郎長が代わりを務めさせて頂きます。」
文蔵「そうかい、その辺りの事情は、漏れ聞こえては来ているが、お前達三人が決めなさった事に、俺達がとやかく言えた義理じゃねぇ〜から、こっちの噺を前に進めよう。」
次郎長「コッチも、仇を討ったからって、仁吉が蘇っては来ないんで、喧嘩が目的で来た訳じゃ御座んせん。
其れに、今、チラッと申した通り、長吉をアッシ等三人が絶縁にしたモンで、荒神山を取り戻す、一番の理由を失っております。
ですから、仲人が御三方ならば、喧嘩は、噺を聴いてからに致したく、まず、安濃徳はどう申して居るのですか?先ずは、其れをお話し下さい。」
文蔵「其の事よ。徳次郎の奴も、最初(ハナ)はお前さん達から左封を貰って、喧嘩やる気でいたんだが、
仁吉の女房だった妹、禧久チャンが、髪を根元から切って、『喧嘩は止めて呉れろ。』と、
そう言って尼寺へ入り、一生仁吉を葬うと決めたと告げられたのが、一番応えた様だぁ。
其れに、あとで当人から聞いたら宜しいが、伊勢の親分衆は元より、徳次郎が目を掛けて育てた客分まで、
全国の旅人の助っ人から、『清水次郎長と喧嘩するなんて馬鹿は止めろ!』と、言われたそうだ。
しかしなぁ、清水のぉ、黒駒ノ勝蔵。あの野郎だけは、最後まで『次郎長を殺(や)れ!』と言って利かなかったそうだぁ。
そんな訳で、勝蔵との縁も切った徳次郎を、許して貰えないか?奴自身、自分が悪かったと反省している。
この喧嘩で、亡くなった全ての侠客の葬い、鎮魂、謝罪に務める覚悟を決めている。
貴様達にも、両手を着いて謝ると明言しているし、どんな条件でも呑むと言っている。どうだ?次郎長、徳次郎を許して呉れ。
そして、此の喧嘩の落とし前を、全て、此の仲人である儂に、任せては呉れまいかぁ?!」
次郎長「そうですかい、アッシらは、相手が許して呉れと謝るのなら、何が何んでも喧嘩せずには居られないと言う程、判らんチンではありません。
よーガス、全てをオヤジさんにお任せ致します。仲人、宜しくお願い申します。」
文蔵「其れはどうも、上手く纏まって有り難てぇ。やっと之で俺たちの顔も立つ、どうも有難う。」
こうして、仲人の三人を次郎長、間之助、治助の三親分が認めて、一任された稲木ノ文蔵、武蔵屋周太郎、
そして鹽濱ノ吉五郎の三人は笑顔で引き上げて行き、手打ちの準備を進める事になった。
一旦、千石船二艘に待たせている二十九人を前にして次郎長は、浜での仲人一任の和解に付いて語るのだった。
次郎長「お前達には、こうして船に乗って吉良から遥々、桑名へ来て貰ったが、今から俺が申し上げる通りで、
三親分が仲人に立って下さって、安濃徳が謝ると言うので、俺達三人は仲人に全てお任せする事にした。
お前達の中には、不満に思う奴も居るとは思うけど、悪く思わず堪えて呉れ、宜しく頼む。」
大政「そりゃぁ、親分!何より宜しゅう御座んした。おめでとう御座んす。文句を言う野郎何んて、居ないよなぁ!野郎ども。」
小政「意義なし!一月前の喧嘩で、まだ、腹一杯だし、ここで揉めて斬り合うと、又、長い旅になるんだろう?
だったら、正直、手打ちは願ったり叶ったりです、親分。」
子分一同も、小政が喧嘩はもう沢山と言い出すくらいですから、この手打ちを全員が受け入れて、
一行は船を上社下に回して、そこから旅籠の油屋へと向かいまして、節句を荒神山の麓で迎えます。
烏カァ〜で明けて翌日。油屋を仲人の三親分が訪ねて来た。稲木ノ文蔵は駕籠に乗り、武蔵屋周太郎と鹽濱ノ吉五郎は馬である。
花会や、手打ちなど、寄合となると渡世人は自分の馬を引いて出向くのが、この渡世の流儀である。
出迎える側は、清水次郎長、武蔵屋周太郎、鹽濱ノ吉五郎の三親分と、其れに荒神山の喧嘩で吉良ノ仁吉と一緒に闘った二十八人と、弓の名手・奇妙院大五郎の三十二人です。
文蔵「皆さんお揃いで、今日は、このお二人も手打ちの後見役として、同道頂きました。」
と言って、この日は、稲木ノ文蔵たちの後見役として、福田屋勘之助と梅屋ノ栄蔵が付いて来ていた。
大政「親分!此方は、福田屋と梅屋の両親分でして、稲木の御人の跡を受けて、土壇場で仲人を努めて頂いた、
そして、仁吉が畳の上で死ねる様に、全て手配り段取りして頂いたのが、このお二人です。」
次郎長「其れは、誠に態々有難う御座んす。お初にお目に掛かります。清水次郎長で御座います。以後、お見知り於き願います。」
福田屋「いやぁ〜次郎長ドン、俺と梅屋は、上役人だから、仲人ッて訳にはいかないが、
今日の手打ち、後見人だが同席という訳には行かないが、心は仲人の三人と一緒だから。
本当に、三人に任せると言って呉れて、有難うよぉ。俺と梅屋も嬉しい限りだぜぇ。」
梅屋「お初だぁ、俺が梅屋ノ栄蔵だぁ。身内からは聞いているだろうがぁ、俺と福田屋の親分は、
他国から来たお前さんの子分、吉良ノ仁吉に理があると思って、四月八日は、仁吉の仲人に成って安濃徳に掛け合ってはみたが、
俺達の力及ばず、あんな事に成って、本当に済まない事をした。
だが、今回は、其れを呑み込んで、俺達に下駄を預けて呉れて、本当に恩に着るぜぇ、清水の人。」
次郎長「之は之は、ご丁寧に!福田屋のぉ、そして梅屋のぉ、両親分には、その節はウチの子分達が本当に世話になりました。
ウチの若い者が、お二人への感謝を、荒神山から帰ると口々に言っておりました。
いずれ折を見て御礼に伺うつもりでしたから、今回の件は、勿論、皆さんに全てお任せ致します。」
梅屋「いやいや、改めてそんな風に言われると、あの時に、アッシと福田屋で、安濃徳を止めていたら、
仁吉は死なずに済んでいたハズだし、仁吉は本当に宜い漢だったのに、惜しい事をしたぜぇ、次郎長ドン。」
次郎長「いいえ、有難う存じます。昨日、浜で三人の親分からは、手打ちの条件は伺っておりますんで、
此方の顔さえ立てて頂ければ、何の不服も御座いません。万事、宜しくお頼み申します。」
福田屋「其れを聞いて安心をした。次郎長ドン、有難うよぉ。俺達は役目がら、仲人に名前を連ねる訳には行かないから、
一寸見廻りに出ると、口実を設けて様子を見に来ただけだぁ。お前さんと挨拶が出来て、本当に宜かった!宜かった!」
梅屋「また、次郎長ドン、後からゆっくり逢って噺をしよう。今日は之で、失礼するが、稲木のぉ、武蔵屋のぉ、そして鹽濱のぉ!宜しく頼む。」
次郎長「御両人、わざわざご苦労様でした。」
福田屋・梅屋「いやいや、めでたい!めでたい!」
そう言って、福田屋と梅屋の両親分は、油屋を去って行った。
さて準備万端整いました油屋の大広間、上座には、稲木ノ文蔵、武蔵屋周太郎、鹽濱ノ吉五郎の三人の仲人が座っておりまして、
その目の前に、部屋を東西に仕切る、大きな無地の屏風が十五枚立てられて有ります。
その東側に清水次郎長、寺津ノ間之助、西尾ノ治助と二十九人の次郎長一家の面々が、誘導されて座ります。
そして一拍置いた西側へ、安濃徳次郎、山部ノ三蔵、鳥山ノ七五郎と言う安濃徳一家の面々でも直参の三十人余りが着座致します。
文蔵「えぇ皆さん、一同本日はお日柄も宜く、ここ石薬師の油屋『鳳凰の間』に集まって頂きまして、誠にご苦労様に御座んす。
此処に於きまして、荒神山の釈迦祭、御會式博打の盆割の権利を廻り起こりました、
『荒神山の喧嘩』
この手打ちの儀を、私稲木ノ文蔵と、武蔵屋周太郎、及び、鹽濱ノ吉五郎の三人が仲人として仕切らせて貰います。
当方、甲斐武田の手打ちの儀につきまして、作法不慣れな為、司会進行は、此の滑栗ノ初五郎が執り行います。」
初五郎「仲人様よりご指名の滑栗ノ初五郎で御座んす。若輩者では御座いますが、この手打ち式の、司会進行を最後まで努めさせて、頂きます。
では、先づは、東西双方を仕切ります、この屏風を取り除かさせて貰います。」
そう初五郎が申しますと、油屋の奉公人が手際宜く屏風を畳んで、双方の幕を開け、次郎長と安濃徳が対峙して、半軒ほどの隔たりで座って御座います。
初五郎「さて、この喧嘩の左封の差し出し人である清水次郎長より、先ずは口上申し上げます。」
次郎長「えぇ、この度は、神戸ノ長吉がアッシの子分である吉良ノ仁吉の所へ、荒神山を取り返したいと、助っ人の要請があり、
その荒神山が、大変アッシもお世話に成りました、神戸ノ傳左衛門親分の縄張りだと知って居りますから、長吉方へ助っ人を出しました。
そして、掛け合いの全権は吉良ノ仁吉に任せる形を取り、アッシは一切口出しせなんだのですが、
稲木の貸元、福田屋、梅屋の親分方が、仲人を申し出て下さり、ギリギリまで喧嘩を避けるべく、ご尽力頂きましたが、此れが決裂。
結局、可愛い子分の仁吉を死なせる結果となり、肝心の喧嘩の種を持ち込んだ神戸ノ長吉は、
由え有って絶縁と致し、傳左衛門親分の神戸一家は既に解散しましたもんで、
此方、清水次郎長一家と致しましては、吉良ノ仁吉の遺恨だけが残ります。
ですから、この仁吉の無念に見合う謝罪を頂き、我々、その喧嘩状を連名で書いた三人の顔の立つケジメを頂ければ、
私どもは、手打ちの裁定の全権を、仲人のご三人にお任せ致す所存です。」
初五郎「アイ、分かりました。さて、清水の貸元側は、左様申しておられますが、安濃徳次郎殿、そちらの意見も、どうぞ申して下さい。」
安濃徳「えぇ、お集まりのご一統さん。この度の荒神山の一件は、全て私の不徳の致すところで御座います。
最早、弁明の余地は無く、どうか私一人の罪として、この命を投げ出しますので、子分、親戚一統の責めだけは勘弁して頂きたい。
この身、一身に、迷惑を受けた皆さんからの成敗はお受けしますので、黒田屋の看板だけは、残させて下さい。清水の人!!お願い申し上げます。」
流石、千五百人からの子分と親戚を抱える安濃徳です。身内一家の延命を条件に、自らの命を差し出します。
次郎長「徳さん!アンタは、地元にこの手打ちを受けて下さる、宜い年寄を仲間に持っていなさる。
アッシは、その仲人に全てを任せてある。だから、お前さんへの始末は、三人が決める事だぁ、俺じゃぁ〜無ぇ。」
文蔵「では、次郎長ドン。早速だが、お前さんは喧嘩を止めても宜いと言って、俺達に下駄を預けなすった。
俺は、安濃徳が、此の場で腹を斬る覚悟を見て言うんだが、黒田屋の一家は、続けても構わないかい?」
次郎長「構うも構わないも、仲人が続けて宜いと言うのなら、アッシは其れに従います。
昨日も、浜で申しましたが、何が何んでも、荒神山の喧嘩の続きがしたい訳じゃない。
今、徳さんに頭を下げて謝って貰ったから、あと、ついでに詫び状を一本頂ければ、徳さんの命までも欲しいとは言いません。」
文蔵「ヨシ、其れならば、此の場で詫び状を書け!安濃徳。」
安濃徳「ヘイ、直ぐに。」
その場に紙と硯が用意され、安濃徳がサラサラと筆を走らせて、この手打ちの場で、詫び状を認めます。
安濃徳「どうでしょう、次郎長ドン。具合の悪い所が在れば、此の場で直しましょう。」
次郎長「すいません。拝見させて頂きます。」
次郎長が見ると、墨着きの法、文字の配置、実に達筆で見て惚れ惚れする詫び状です。
次郎長「いえ、直すには及びません。之て結構です。」
安濃徳次郎、是を聴いて、最後に『安濃 徳次郎』と書いて、印形を押して、乾きを確認して次郎長に渡します。
安濃徳「次郎長親分、誠に、今回の喧嘩、アッシが悪かった。魔が刺した、勘弁して呉れ。」
次郎長「もう、頭を上げて!手打ちが済んだら、妹さんを連れて、仁吉の旦那寺に、線香を上げに来て下さい。」
安濃徳「有難う御座んす。清水の人ぉ〜」
今日は泣くまと思った、安濃徳次郎の目から泪が溢れて、畳を濡らした。
そして、今受け取った『詫び状』の真ん中辺りを割いてから、是を仲人である稲木ノ文蔵に渡した。
次郎長「そいつは、仲人の方で預かって下さい。宜しくお願い致します。
詫書なんてもんは、片方が何時迄も何時迄も持っていますと、双方が仲良くできない、蟠りの元になります。
だから、捨てたつもりでお預け致します。最初(ハナ)は、破り捨てるか?とも思いましたが、
其れでは、折角書いて呉れた徳さんの気持ちを思うと複雑で、破るのは止めて、お預けします。」
安濃徳「清水のぉ!アンタって人は。。。俺は本当に馬鹿だった。お前さんみたいな人を敵に回して喧嘩して。。。」
次郎長「済んだ事さぁ、止まない雨が無いように、お前さんとアッシは、また仲良くすれば宜い。雨が降るから地びたは固まるんだぁ。」
安濃徳は、次郎長の大きな心に心酔した。何んて漢なんだと、漢が漢に惚れた。
初五郎「さて、之で手打ちの条件が整いました。最後に盃を交わし、これまでの遺恨を水に流して頂きます。
清水次郎長殿、そして、安濃徳次郎殿、二人共、目の前に置かれた盃に、之より御神酒が注がれます。」
そう言うと、初五郎の目の前の三方に置かれた二匹の鯛が、背中合わせから腹合わせに方向転換されて、
その手前にある大きな徳利、神社の結婚式で用いられる様なドデカい、白い徳利を小脇に抱えて徳次郎が、
人差し指と中指を時々、徳利の濯ぎ口にかざしながら盃に御神酒を濯いで、表面張力で御神酒が盃で盛り上がる程にします。
初五郎「さて、お二人さんその盃を飲み干して下さい。」
そう言われた次郎長と、安濃徳が、その盃を一気に飲み干しますと、その場に居た、全員が一斉に拍手をして、次郎長と安濃徳の手打ちが成立します。
つづく