侠客が、喧嘩支度を致しますと、其々に拘りと申しますかぁ、個性と申しますかぁ、秘儀に近いものが有ったり致します。
相撲ノ常は、毎度、喧嘩に使う武器は竹槍で御座います。普通の渡世人(ヤクザ)が喧嘩に使う槍にしては、竹が太くて短い物を好みます。
大政「常ッ!お前、槍の先に何を細工してやがるんだぁ?!」
常「予め、黒い色になるまで竹槍の先を焼いております。」
大政「なぜ、焼くんだい?!」
常「何ぁ〜に、迷信だって言う奴も居ますが、アッシは槍先に毒を塗るんで、竹が毒を吸って効果が薄れ無い様に、槍先は必ず予め焼くんでぇ、ヘイ。」
大政「ほぉ〜。なるほど。知恵だなぁ。」
常「大政の兄貴は、宝蔵院流槍術の達人で、本物の槍だから、こんな邪道な真似はしませんよねぇ。」
大政「確かに、吹き矢には毒を用いると聞くが、槍では初耳だなぁ。」
常「まぁ、此の毒も、二人目ぐらい迄ですから効くのは。今回の喧嘩じゃぁ、呪いみたいなモンですよ、兄貴。」
そう言いながら、相撲ノ常は、二本の竹槍を拵えて、是を抱えて山を登ります。
また、殆どの面々は、牛皮の厚みの在る手甲脚絆を付けて、腹には鉄糸が縫い込みされた江戸原を腹に掛けて、身体を防御致します。
その上から、下には薄い股引、上には晒しをきつく巻いて、白羽二重肉襦袢を来て、麻織の半被管は、『矢倉に長』の清水一家の丸印入りです。
すると、小政が一人、井戸端へと向かい桶に水を張り、半紙を三、四枚重ねて此れを水に湿らせて、
其の十分に濡らした半紙を肩に当てた上から白羽二重の襦袢を着ております。
綱五郎「小政の兄貴!其れは何んの呪いですかぁ?!」
小政「之は呪いなんかじゃねぇ〜。ちゃんとした兵法さぁ。昔、柳生十兵衛光巌が、日向國の乗鞍岳で山に籠って編み出した秘技なんだ。
柳生新陰流の奥義、『早兜早鎧』と言う技なんだぁぜぇ。
こんな風に、濡らした紙を肩に当てて固めると、一寸やそっと刀を受けても、刃が身体には通らないんだぁ。」
綱五郎「そいつは、凄いなぁ!!」
初五郎「上手い事、考えるなぁ〜、流石柳生十兵衛!是非、アッシも真似させて、貰います。」
綱五郎「俺も!やらせて貰います。」
是を見ていた全員が、半紙を取り出し、此の小政の柳生新陰流の奥義を真似していると、
其処に大瀬ノ半五郎が現れて、更に面白い防御の技を、皆んなに披露致します。
半五郎「之は新陰流とは関係ないが、額と眉間を刀から守る技を知っているから、それをお前たちに教えてやろう。」
そう言うと半五郎、懐中から小判をニ、三枚取り出して、是を手拭いで巻きます。
更に巻き終えると是に水を掛けて濡らし、小判の部分ざ額と眉間に当たる様にして、鉢巻に致します。
そして、眉間の位置の小判を、手で曲げて鼻を覆う様に細工すると、小判のお面の完成です。
半五郎「こうして、急所の額と眉間を保護して於けば、簡単に殺(や)られる心配は無ぇ〜。」
是も、皆んなが真似をしますが、然し、豚松と鬼吉だけが何故か?やりません。
半五郎「どうした?鬼吉、豚松、お前たちは、やらぬのかぁ?!」
豚松「やなるのではねぇ、よぉ、半五郎兄ぃ、恥ずかしながら、小判が無ぇ〜だけさぁ。」
鬼吉「オウ心配するなぁ、俺がお前の分も、拵えてやる。手拭いをよこしなぁ!!」
そう言うと、鬼吉は天保銭を二枚取り出すと、自分と豚松の手拭いに、厚い天保銭を入れて同じモンを拵えます。
鬼吉「なぁ、鼻の低い俺とお前は、生じ小判で上品に拵えても、曲げる必要が無いから、
最初(ハナ)から一枚でも厚くて頑丈な天保銭が一番さぁ。
おい!法印、お前さんも小判より天保銭向きの顔だぞ。その小判三枚と、俺の此の天保銭を変えてやろうかぁ?!」
法印「馬鹿やろう!どんな両替屋だぁ、俺は此の小判で沢山だぁ、アッチへ行け!貧乏人がぁ。」
一同、此の様にして刀除けの工夫も整いまして、三度笠を被り、襷十字に綾なしまして鉢巻を致します。
そして最後に長脇差を落とし差しにして、仕上に廻し合羽を付けると喧嘩支度の完成です。
こうして、一同が喧嘩支度も万端に、油屋の玄関に整列しますと、女将が火打を合わせて、カチ!カチ!と、火花を散らし申します。
女将「どうかぁ、お帰りざけのお立ち寄りをお待ち申し上げております。」
旅籠全員「エぇ、勇しくお帰りなさいませぇ!!」
この言葉に送られて、二十九人がいよいよ荒神山を指して登り始めます。
二十九人は、足並みを揃えるようにゆっくりと山道を山頂目指して、三、四部登りました所で、
上の方からバラバラ、バラとけたたましい音を立てて、一人の男が降って参りまして、
オーイ、オーイ!待った。清水一家の皆さん!待った!!
そう叫んで先頭を行く、仁吉と長吉の前に立ちはだかって両腕を広げて通せんぼ致します。
男「お前たち二十九人で、荒神山を登ろうってぇ〜のかぁ?!」
仁吉「そうだ!何んだぁ、てめぇ〜はぁ?!」
男「アッシは、藤枝は長楽寺ノ清兵衛ん所の若いモンで、唐子ノ宇多輔ってんだぁ。」
仁吉「長楽寺の若衆?!其れが俺たちに何んの用だぁ?」
宇多輔「お前たちの親分、清水次郎長と!ウチの親分、長楽寺ノ清兵衛!は兄弟分じゃねぇ〜かぁ?!」
仁吉「確かに兄弟分だぁ。だが、其れがどうしたぁ?!」
宇多輔「本来なら、俺はお前たちに腕を貸すのが道理何んだろうが、渡世の世界は、そう単純な噺ばかりじゃぁ、無ぇ〜。
時として渡世人何んてモンは、旅人となり五日、十日全く赤の他人の一家に草鞋を脱いで、一宿一飯の恩義を受ける、何んて事も在る。
つまり、今の俺がその旅人で、もうかれこれ四日程、安濃徳さんから、その恩義を受けている。
だから、俺は親同士は兄弟でも、一宿一飯の義理を果たす為に、泣く泣くお前たちとは反目に成り、刀や竹槍を取って闘う定何んだ!、分かるかぁ?!」
仁吉「其れは分かる、お前の言う通りだぁ。」
宇多輔「俺は、安濃徳さんから厄介に成って居て、お前さんたちが山に来ると聞かされたが、
長楽寺と清水の深い関係だぁ、お前さんたちと刃を交えるのは、実に忍びない。
つまり、旅人として受けた安濃徳さんからの恩義と、長楽寺と清水の兄弟盃の間で板挟みになり、苦しい思いをしているんだぁ。
聞く所によるとお前たちは、たった二十九人、安濃徳さんの方は四百三十人だぁ。其れに山には猟師が呼ばれて十丁からの飛び道具まで用意されている。
お前たちが、万一知らずに飛び込むと、飛んで火に入る夏の虫になり、お前らは哀れな猪突武者だ。
何も知らずに山を登って居るとは思うが、頭を冷やして冷静になれ!確かに喧嘩は、数じゃないとは言うが、
真昼間に、二十九人で四百三十人の陣に斬り込んで何んになる?!
鉄砲で蜂の巣にされて、二倍の六十人かぁ?上手く行ったとして百人斬った所で殺されるのが落ちだぁ。
其れなら、此処は一旦、神戸に引くか?清水に戻るかして、人数を立て直してから喧嘩に来ても遅くない。
俺は、そう思ったから安濃徳さんの陣をこっそり抜けて、山を降りてお前たちに忠告しに来たんだ!悪い事は言わねぇ〜、今日の所は引いて呉れ。」
またまた、仲裁で御座います。今度は変な野郎が一匹現れます。長楽寺ノ清兵衛の子分と名乗る『唐子ノ宇多輔』って野郎。
一同、面倒な奴が出て来やがって。。。と、訝しく思いますが、長楽寺ノ清兵衛親分の身内じゃ、無闇に喧嘩する訳にも行かない。
困っていると、小政が『長楽寺の身内?俺は半年以上藤枝の長楽寺に草鞋を脱いで居たが、こんな野郎、見た事がない!!』
と、この宇多輔に懐疑的になりまして、そっと二十九人の中を抜け出し、此の宇多輔の背後へと回り込みます。
宇多輔「なぁ、犬死するだけだ!皆んな、山を降りてくんねぇ〜」
と、言う長楽寺の身内だと言う、唐子ノ宇多輔を二十八人がじっと見詰めていると、短気な小政は、『何を邪魔しに来やがって!!』
と、怒りが爆発。半ば、この宇多輔は長楽寺の身内何んかでは無いと決めて掛かっていますから、
野郎、安濃徳の差金に違いない!思って、いきなり拳骨を固め宇多輔に襲い掛かります。
一方、薮ん中から飛び出して来た、異常に長目の居合用の長脇差を落とした小さな奴が、目を地走らせて拳を振り上げ、
近付いたかと思ったら、いきなりポカポカ、ポカポカと四、五発殴り掛かって来ますから宇多輔は溜まったモンじゃありません。
宇多輔「痛ッ!痛い、何しゃがる?!止めろ、止めろ。」
そう言って小政から逃げようとしますが、背後から襲い掛かった小政は、襟首を掴み引き摺り回して、更に側頭部を五、六発殴ります。
小政「ヤイ、何んだとぉ!?敵が四百三十人居るから引けだとぉ?馬鹿も休み休み言えよ、タコ。
コッチはなぁ〜、敵が千、いや千五百だと聞かされて山に来ているんだ!三分の一以下に減って山を降りる訳、無いだろう!!
喩え伊勢中の渡世人が敵に廻るとしても、命を捨てる覚悟で山には登ってるんだぁ!
今更、人数や飛び道具だと聞いてビビる様な心配は無ぇ〜!」
宇多輔「止め!何んて野郎だぁ、誰だお前は?いきやり、暴力を振るいやがって、話せば判る!?」
小政「馬鹿野郎!何んて野郎だぁは、コッチの科白だぁ。お前、長楽寺の若衆なら、俺の顔を見忘れるハズがない。
俺が誰かも知らないで、藤枝の長楽寺ノ清兵衛の子分だなんぞと抜かしなさんなぁ。
大方、銭に目が眩んで荒神山を長吉ドンから奪った安濃徳が、このまま、大喧嘩で山の盆茣蓙が開けずに終わると、
千両、二千両とも言われる御會式博打の寺銭が水の泡と消えるのが惜しくて、貴様の様な芝居上手を差し向け、俺たちを山から降ろす算段だなぁ?!
ヤイ!お役者かぶれの嘘八百野郎!安濃徳に幾ら銭を掴まされて、俺たちに近付いた?!白状しろ、コン畜生!!」
更に、怒りに任せて、小政は宇多輔を拳を振り回してボコボコに殴ります。
仁吉「オイ、宇多輔さんと言いなさるかい?早く白状した方が宜い、その人は、清水湊じゃぁ〜、鬼より恐いと言われているお人だぁ。
白状しねぇ〜と、間違いなく、殺すまでその拳は止まらないよ。荒神山、第一号の犠牲者に成りたいなら構わないがぁ。」
宇多輔「判りました!言います、白状します。安濃徳に十両貰って、一芝居打ちました。堪忍して下さい!御免なさい。」
小政「そうだろう!そうだろう。藤枝の長楽寺には、俺は半年以上居たんだぁ。
お前みたいな面は、俺らぁ〜見た事がないし、お前も俺が清水ノ小政と判らない。
どうせぇ、伊勢の兵六玉の馬の骨に違いない!命は助けてやる。
其の代わり、山を上がったら安濃徳に伝えろ!清水湊の活の宜いのが二十九人!命を頂戴しに直ぐ行くから、首を洗って待っていろと。
早く俺の前から消えて、山を登って行かないと、今度は拳骨じゃなくて、この長ドスで叩き斬るぞ!早くしろい。」
そう言うと、小政、宇多輔の腰の辺りを足蹴にして、勢いよく山道へと放り出します。
小政に脅されて唐子ノ宇多輔、這う這うの態で、山を登り消えて行く消えて行く。
小政「様ぁ〜見やがれ、河童の屁!安濃徳に必ず伝えろよ、首を洗って待って居ろと。」
仁吉「小政!珍しく今日は冴えているなぁ、宜く見破った、天晴れだぁ。」
小政「なぁ〜に、今日だけじゃねぇ〜、何時も冴えているさぁ。あんな猿芝居を見抜くぐらいは、朝飯前よ!」
仁吉「よし、宜い、安濃徳への宣戦布告になった。野郎ども!気合い入れて、残りを登るぞ。」
全員「オウ!!」
こうして、安濃徳の罠を見破った二十九人は、残り半分の道のりを、荒神山の頂上目指して登って行くのでした。
つづく