稲木ノ文蔵を見送って戻った大政と大瀬ノ半五郎の口から、その様子を聞いた面々は、口々に改めて文蔵の漢気に感銘した様子で御座います。

そこへ旅籠屋の主人『雪屋』が来て話します。

雪屋「先ほど帰られる際に、文蔵親分から私どもにも過分に茶代を頂戴して、奉公人全員で分けるようにと仰せでした。」

仁吉「左様ですかい。行き届いた事をして行きなさる。文蔵さんらしいやぁ。」

雪屋「それから、離れの仁吉さん達からは一銭も宿代は取るなと仰って。。。これを!」

そう言って雪屋の主人が見せた銭が『切り餅 二個』 五十両である。

雪屋「文蔵親分の方から、全部頂戴しておりますので、ご報告まで。」

仁吉「そうですかい、承知致しました。大政の兄ぃ!お前さんから、今の噺を清水に手紙にして下さいますか?宜しくお頼み申しやす。」

大政「へい、承知した。」

さてそれから、いきなり昼に出て来る料理が、それまでとはガラっと変わって豪華になります。

そして、頼まないのに、上等の酒は着くし、二の膳まで有りますから、一同、文蔵の方には足を向けて眠れない。

一同、それに舌鼓を打ちながら、『稲木ノ文蔵って親分は、やっぱり街道では名代の親分だ!』と噂しながら、その帰りを待ちます。


九ツの鐘が聞えて、初夏の強い日差しが離れの大広間にも差し込んで来る時分になって、稲木ノ文蔵が帰って参ります。

もう全員が文蔵贔屓になっておりますから、我先にと玄関へ、二十九人が出迎えに行きます。そして『親分!ご苦労さんです。』の声ん中、

文蔵「ハイハイ、御免なさいよぉ、通しておくんねぇ~」

そう言いながら、大広間のド真ん中にどっかと胡坐をかいて座り、ゆっくりと口を開きます。

文蔵「さて!ご一統、荒神山へ行って参りました。えぇ、気の毒ながら、纏まらなかったよ。

俺にも仲人としての意地もあるから、時に上から強く、時に優しく包むように、あの手!此の手で説得したんだが、

俺の力不足で済まないねぇ~、安濃徳の野郎、どう宥め透かしても首を縦には振りやがらねぇ~、皆んな!済まない。

結局、荒神山を長吉の火場所に取り戻せなかったが、山でのやり取りの一部始終を之から語るんで、其れを聴いてやってくんねぇ。」

そう言って、目の前の茶を一気に飲むと、やや落ち着いた表情を取り戻して、静かに語り始めた。



文蔵「この口利きは、一方の安濃徳は一千五百人からの大所帯の一家で、片や長吉の方は四十足らずの吹けば飛ぶ様なチンケな一家だぁ。

それでも、俺は両者に中立な仲人として振る舞うつもりだと宣言して、交渉を始めたんだが。。。初手から頑として安濃徳は聴き入れない。

『若い仁吉と長吉に花を持たせて呉れ!』 『この年寄の、最期の死花に!』と、持ち掛けるんだが、取り付く島も無い有様だぁ。

安濃徳の野郎、『荒神山を返すつもりは無ぇ〜』の一点張りで、全く聴く耳を持ってやがらねぇ~ 仕方ないので、最後の手段だぁ。

『この年寄の冥土の土産に。。。どうか、荒神山から手を引いて呉れ!!』と、

地びたに手を着いて、頭をその場に擦り付けて、お願いしてみたが、野郎の心には全く響かねぇ〜、万策尽きた。

誠に恥ずかしい噺だが、ただただ、生き恥を晒して終わってしまった。年寄なのに、無駄に歳喰っていて実に面目無ぇ~。

こうなっちまったら仕方ねぇ~、俺も世間からは『稲木の貸元』とか『稲木の親分』とか呼ばれている渡世人だぁ。

最後に、安濃徳に厭味の一つも言いたくなるじゃねぇ~かぁ。勿論、言ってやったさぁ!

闘う相手はたった二十九人だぞ?!其れを知りつつ集めた身内に助っ人が、実に四百三十人だそうじゃないか?

しかも、最初(ハナ)は九百人以上が来る!と返事のはずが、『清水次郎長が神戸の味方だ!』と聴いて、

蓋を開けると、半分は仮病や急用で来なくなるとは、賭博打の恥さらしの集まりだなぁ!!って、言ってやったさぁ。」

そう言い放つと、稲木ノ文蔵は、煙草盆を手繰り寄せて、一服点けて噺を続けます。


文蔵「まぁその上で、安濃徳がどんだけ汚ねぇ~真似して、仁吉の言う通り火事場泥棒かって事を、滾々と周りに居る奴等に喋ってやると、

中には響く野郎も居たぜぇ、仁吉!お前、信州伊奈の時次郎って渡世人を知っていなさるかい?」

仁吉「へい、存じておりやす。ここに居る初五郎と、その時次郎は兄弟分で御座んす。」

文蔵「そうかぁ、滑栗の兄弟だったかい。ありゃぁ大した野郎だぁ。一人で呼ばれて安濃徳の助に来ていて、

俺が地びたに額を押し付ける様を見て、安濃徳に意見をしやがった。『年寄を無闇に虐めちゃぁ~返って漢が立たねぇ~』って言って呉れた。

それに、安濃徳からは、自分に大儀がある!と、言われて助に来たが、どうやら噺があべこべだ!とも言い出して、

俺が出した手打ちの条件を飲め!と迫って、助て言って呉れたんだぁ。

まぁ、でも、安濃徳はそんなの相手にせず、聴く耳なんか持たねぇけどなぁ。

すると、今度は時次郎、『俺は山を下りて帰る!』と言い出して、その場でケツを捲って帰っちまった。

仁吉と長吉には義理が無いから、今回は寝返る様な真似はしねぇ~がぁ、

四月八日過ぎても、喧嘩が続くようなら、俺は神戸の味方に成る!!と言って、

安濃徳が出した三両の支度金に一両足して叩き付けて帰りやがった。

それを見て、山に集まっていた四百三十人は水を打ったように静まり返ったさぁ。

俺は胸がスッとしたぁ〜。世の捨てたモンじゃないし、若い野郎にも、時次郎みたいな義侠が居る。


そして、去り際に時次郎って渡世人が俺に言った。

『この荒神山の場面では加勢できないが、次は必ず呼んで呉れ!』と、そう仁吉!お前さんに伝えて欲しいとよぉ。」

仁吉「そうですかい、時次郎の奴がそんな事を。そいつはご迷惑をお掛けしやした。」

この二人の会話を聴いていた、周囲の者が顔を見合わせた。そして、再度茶を啜った文蔵が、更に話を続ける。

文蔵「最後に別れ際、俺の耳元で時次郎が教えて呉れた。武井の残党と黒駒ノ勝蔵の子分が、この助っ人ん中に結構紛れていると。

それで、俺も気になったんで、誰が居やがるか?確かめてみた。そると、乙女ノ大八、玉手箱ノ長吉、青島ノ久五郎、荒川ノ新太、

身延ノ源蔵、源次郎兄弟、鰍沢ノ庄八、そして韮山ノ金太なんて奴らが顔を揃えていやがった。気を付けねぇ~腕の立つ野郎ばかりだぁ。」

仁吉「ヘイ」

文蔵「もう、こうなったからには、山で見て来た事は全部喋るから、よーく聴いて於いて呉れ。

まず、さっきも話した通り、安濃徳側の総勢は四百三十人。七割、八割は長脇差で、普段匕首を使う連中は皆んな竹槍を持ってやがった。

それから、笑ったと言っちゃぁ、不謹慎だが、奴ら、漁師を十人ばかり雇っていて、鉄砲の手入れしている連中が居た。

二十九人を相手の喧嘩に、四百三十人集めて居るのに、その上鉄砲まで用意するなんて!どんだけ安濃徳の野郎、ビビッているか?

之は、俺の想像だが、野郎、よっぽど清水次郎長が恐いと見える。渡世人同士の喧嘩に鉄砲とはお笑いぐさよぉ。」

仁吉「そいつは宜い事を聴きました。鉄砲には気を付けて当たらせて頂きます。」


文蔵「それから、山に行くと激しい闘いになるのは火を見るよりも明らかだぁ。決して命を無駄にしちゃいけねぇぞぉ。

安濃徳の首を取るまで、喧嘩を止められないってお前さん達の強い意志は宜く判る。けどなぁ、生きて帰る勇気ってのも有るんだぁぜぇ!

いいかぁ、犬死だけはするなぁ、仁吉!長吉!そして、清水の皆さん、いいねぇ。

もし万一、生きて山を下りて来たなら、一目散に俺の家に駆け込んで呉れ。何としても、此の俺がお前さん達二十九人を守ってやる。

安濃徳の野郎が、何んか言って来ても、全部、俺様が跳ね除けてやる。これが俺の死花だと思って全力でやるから任せて於きなさい。」

仁吉「文蔵親分!大変有り難いお言葉ですが、アッシら、遠の昔に命は捨て御座います。

明日の荒神山では玉砕覚悟で闘う所存です。」

小政「恐らく、歩いて山を降りる奴は、一人も居ませんぜぇ。」

鬼吉「親分、俺たちは化けてからでないと、山は降りない事になっているんです。そうだよなぁ、皆んなぁ?!」

全員「おう!」

文蔵「そうかい、そこまで腹を括っているのなら、老い耄れはもう口出ししまい。きっと、安濃徳の野郎の首を斬り落として来いよぉ!」

仁吉「重ね重ね、有難う御座んす。ご苦労、ご心配ばかり掛けて。。。さぁ、親分のお帰りだ!表までお送りしよう。」

こうして、稲木ノ文蔵を駕籠に乗せて、一同は姿が見えなくなるまで、手を振って見送りしました。


鬼吉「スラッとして、滑りの宜い名前の様で、あの親分は骨太の貫禄の親分だなぁ、小政!」

小政「何んだ?そのスラッとした滑りの宜い名前ッて?! 時々、変な事を言うなぁ~お前ぇは。」

鬼吉「だから、鰻ノ文蔵ってんだろう?あの人。」

小政「鰻じゃねぇ~よぉ。漫才の『銀シャリ』じゃあるめぇ~し、鰻なんて名前があるかぁ!!稲木だぁ稲木!!」

鬼吉「稲木かぁ、何んだぁ、おかしいと思ったんだ、鰻何んてぇ。」

小政「そそっかしいにも程があるぞ!」

鬼吉「悪りぃ~兄弟。闘う前から力を抜いて。」

小政「全くだぁ。」

もう還暦は遠に過ぎているだろう稲木ノ文蔵ですが、その漢として器量には、本当に皆んなが一目も二目も於く存在です。

さて、明日四月七日は、いよいよ、二十九人で荒神山へと登り、安濃徳一家とその助っ人、四百三十人相手の喧嘩で御座います。



つづく