長吉の母が帰った後、二十九人は興奮と血湧き滾る(わきたぎる)勇気に、眠れぬ夜を過ごし朝を迎えます。

翌朝起きると、雪屋の主人の計らいで『朝湯』が用意されていた。

一同は、是を使って身体を清めてから、朝食の膳に向かいます。

仁吉「オーイ、食い終わったかぁ!?ソロソロ出掛けようぜぇ。

今日はもう五日だぁ。御會式博打開催まで、あと三日だぁ。

今から掛け合いを始めて、丁度いい塩梅だと考えている。サッ、支度に掛かろう!!」

大政「仁吉の言う通りだぁ、そろそろ支度に係るぞぉ。」

そんな噺をして、出発の支度に掛かっていると、雪屋の主人が慌てて、離れの大広間に飛び込んで参ります。

すると、気の早い連中は『さては、安濃徳の殴り込みかぁ?!』と、勇みまして脇差を抜く奴まで現れます。

主人「済いません!勘違いさせた様であい済いません!私です雪屋で御座います。」

仁吉「何んだぁ、ご主人かぁ。オイ、皆んな刀は鞘に戻せ!!」

主人「皆様が無事に、荒神山の掛け合いが済みます様に、又、お怪我など無く済みます様にと、

心より願って止まないのですが、甚だお騒がせして、誠に申し訳ありません。

さて、ご仲人を引き受けるお積もりなんだと思いますが、今、玄関に『稲木ノ文蔵親分』がお一人で見えております。」

仁吉「左様で御座いますかぁ。なぁ、長吉ドン!稲木の貸元は、大病して寝込んで居るんじゃないのかぁ?!」

長吉「あぁ、俺が仲人を頼みに行った先月二十二日、文蔵親分の家を訪ねた際に、

取次の若衆からは、親分大病し寝ている、枕が離れないと言われたぜぇ。

確かに医者も来て居たし。。。辛そうな様子だったが、今日が四月五日、半月ほど経ったから治ったのかぁ?!」

仁吉「ご主人、稲木の貸元は、どんな様子なんだい?」

主人「ハイ、病み上がりと仰いましたが、正にその通りで、月代は伸び、髭はボーボー、頬はコケて顔色も土色、良くは有りません。」

仁吉「そうかい、其れじゃ稲木の父(トッつぁん)は、病気を押して駆け付けて呉れたに違いない。

俺と長吉ドン、そして清水一家の代表で大政の兄貴の三人で、稲木ノ文蔵親分を出迎えに行く。

膳部は直ぐに片付けして、床を一つ用意して呉れ。お茶と煙草盆も合わせて頼む。」


稲木ノ文蔵といえば、街道では名高い大親分だから、恐らく事前に仲裁の下地を均してから、

此処、雪屋に現れたに違いないと、三人は勇んで出迎えに参ります。

ただぁ、なぜ一人なんだぁ?子分はそれなりの数居るだろうに。。。その答えだけは見当が付きません。

仁吉「之は之は、稲木の貸元!わざわざ足を運んで下さり、有難う存じます。お加減は大丈夫ですか?」

文蔵「イヤぁ〜、よく清水の若衆が逢って下さった。早速、昇がらして貰うぜぇ。」

大政「聞けば、貸元はご病気だってんで、まだ、お見舞いにも参らず失礼さんに御座んす。

それを長吉ドンの為に、病を推してのお越し、痛み入ります。大丈夫なんですか?」

文蔵「なぁ〜に、もう峠は越えた。身体を動かした方が早く治るッて医者も言うから。。。

死ぬ気遣いはないから、安心しろっ!まぁ、こんな所で立ち話も何んだぁ、昇がろう!」

仁吉「じゃぁ、貸元、此処に腰掛けて下さい。女中さん!文蔵親分の足を濯いで呉れ。」

文蔵「有難う、姐さん。」

仁吉「オイ、長吉!稲木ノ文蔵親分がお前の為に、病を推して来て下さったんだぁ。草鞋ぐらい取って差し上げねぇ〜。」

言われた長吉は、やや複雑な表情で、決まりが悪いし、何んで今頃。。。との疑念も湧いて来ます。

そもそも、長吉が一人で行った時には、会いもしなかったのに、仁吉が加勢し、清水次郎長親分が肩入れしたら、

掌を返した様に現れて、仲人を引き受けた!と、言い出すのである。打算的な老ぼれがぁ〜。

とは、思いますしたが、グッと飲み込んで、造り笑いを浮かべて、文蔵の草鞋を外します。


長吉「稲木の父(とっつあん)、気が利かなくて申し訳ねぇ、足を出して下さい、草鞋の紐を解かせて貰いますから。」

文蔵「有難う、長吉。だが、草鞋には手を掛けないで呉れ。草鞋の紐も自分で解けねぇ〜ようなポンコツとは思われたくない。

後生だから草鞋くらいは手前ぇ〜で解けるから、放って於いて呉れ!」

長吉「では、差し控えます。」

文蔵は、どっかと入口に腰を下ろして草鞋の紐を解き、足を突き出すと、雪屋の女中が濯ぎます。

漸く、仁吉に手を取られて板の間に上がり、離れまでの長い廊下を、長吉の肩を借りてゆっくり、ゆっくり歩いて参ります。

大広間の入口には、二十六人がお出迎えで、

文蔵「之は之は、合羽姿で済まないねぇ。」

全員「稲木の貸元、わざわざ、ご苦労さんに御座んす。」

文蔵「ハイ、ハイ、皆さん御免なさいよぉ。」

そう言って、大広間の中央に用意された床の前へと進み、

文蔵「寝る布団に行儀が悪いが、爺なもんで、失礼しますよぉ。」

と、床の上に、ドッかと座り、脇差を抜くと『引き付け刀』に置きます。

そして脇の煙草盆を見付けて、一服点けて落ち着いた表情を見せる文蔵です。

文蔵「引き付け刀で失礼するよぉ。」

仁吉「どうぞ。」

文蔵「さぁ、ご一同。。。」

仁吉「オッと、稲木の貸元のお言葉を聞く前に、皆の衆!敷物は取って正座してくんねぇ〜」

こう言う無職渡世の任侠道に生きるモンは、何かと場面、場面でさ、物堅とう御座います。

一瞬、ピリッとした空気が張り詰めて、稲木ノ文蔵が再び口を開きます。

文蔵「仁吉!お前さんって奴は、豪気な漢だぁ!実に立派な渡世人だぁ!

安濃徳の妹の内儀(にょうぼう)を離縁してまで、義兄弟の口約束に義理を立てる。

そして、一千五百からの子分を抱える安濃徳を敵に廻して、命を懸けて対峙するんだから、

この稲木ノ文蔵、恐れ入った!感心したよ、仁吉ドン。

又、そんな仁吉の義侠に惚れて、清水の貸元は、選りすぐりの精鋭をこうして送り出して下さるんだから、大したお方だぁ。

しかしだ、仁吉!、この次郎長親分のご好意に甘えて、お前と長吉が荒神山へ掛け合いに行ったなら、

荒神山には、血の雨が降るのは必定だぁ。そうなると、伊勢には一人も真の長脇差は居ない事に成ってしまう。

其れじゃぁ〜余りに淋しいんで、年寄りの冷や水と言われるのを覚悟で、

この稲木ノ文蔵が、人肌脱ごうと、立ち上がったんだぁ。どうかこの老ぼれに、仲人の役を務めさせて呉れ!!」


文蔵の噺には至極筋の通っている。荒神山へ出向く前に、清水次郎長からも言われていた。

もしかすると、仲人が現れて、間に入る労を務めたいと言い出すかも知れない。

その時は、宜く言い分を聞いて、仲人に任せて見るのも、任侠に生きる渡世人ならば、当然の選択であると。

仁吉「この二十九人の総代として、仁吉、申し上げます。仲人は、時の氏神と申しますし、

親分の次郎長からも、仲人が現れたなら、吟味の上、兎に角、一度は全部お任せしろと、仰せつかって御座います。

さて、吟味では御座いませんが、形式まで、稲木の貸元は、どんな具合に落とし所を探って頂けますか?

誠に若輩者の癖に、大変失礼なお尋ねかもしれませんが、事前に、親分の腹の内をお聞かせ願います。」

文蔵「どうも、念の入ったお言葉だが、悪いが明日の昼九ツ、午刻まで待っては呉れないかぁ?!」

仁吉「ヘイ、明日の午刻、畏まりました。」

文蔵「待って呉れるかぁ、有難てぇ〜。取り敢えず、之だけは言って於く。

先方には一言も文句は言わさずに、元の通り荒神山の盆の名義を長吉に直して、

安濃徳の棒杭は、一本残らず抜いて仕舞う積もりだが、其れで構わないだろう?!」

仁吉「宜しゅう御座います。その決着ならば、闘わずして勝ちに御座います。

荒神山を長吉ドンの火場所に戻してさえ頂ければ、アッシらが出張った甲斐が御座います。」

文蔵「そうかぁ、早速のご承知!有難うさんに御座んす。

長吉は、加納屋利三郎の件など、言いたい事は山ほど有ろうがぁ、全部、飲み込んで呉れるかぁ?」

長吉「ヘイ、荒神山の盆割りさえ返して下さるなら、文句は言いません。全て、稲木の貸元にお任せします。」

文蔵「仁吉もいいかぁ?お禧久さんは、離縁したまんまで、構わないのかい?!」

仁吉「遠の昔に、離縁した女房に未練は御座んせん。カギが出来る前で宜かったと思っておりやす。」

文蔵「そうかい!長吉、仁吉は手打ちで宜いと言って居りますが、清水の御一頭さんは、如何でしょうか?!」

全員「結構で御座んす。否やは御座いません。」

文蔵「ヨシ!一同の総意と言う事で、荒神山へ出張って来るぜぇ、痛たたぁ、腰がメリメリいいやがる!」

仁吉「お身体の悪い所、ご無理を掛けます。」

文蔵「なぁ〜に、今、腰がメリメリいったのは疝気だぁ、寝込んでいた病とは関係ねぇ〜、心配しなさんなぁ。」

仁吉「長吉ドン、お前さんが背負って、玄関までお送りしろい!」

気の利かない長吉が、済まなそうに、まだ、少し腑に落ちない様子で、文蔵を背負って、玄関まで連れて行く。

文蔵「それじゃぁ、仁吉、長吉、そして、大政さん、吉報を待っていて呉れ。

じゃぁ〜、駕籠屋さん!長らく待たせたねぇ、荒神山まで、頼みますよぉ。」

三人「宜しくお頼み申します!」

と、仁吉、長吉、大政の三人に見送られて、稲木ノ文蔵を乗せた、三人の駕籠カキが、入れ替わり担ぐ早駕籠に乗って、雪屋から荒神山へと出発した。


仁吉と長吉は、雪屋ん中に戻って行くがぁ、大政は小首を傾げて、柏手を叩く。パン!パン!

すると、奥に隠れて居た訳じゃないが、大瀬ノ半五郎が出て参ります。

半五郎「付けてみますか?」

大政「二人だけで行こう。」

半五郎「あの街道でも名代の大親分が、子分も連れずには不思議だよね、兄貴。」

大政「あぁ、いくら病み上がりで駕籠に乗って来たからって、一人で現れるなかぁ?!」


そう言うと二人は急いで、文蔵の駕籠を追いまして、七、八丁行った所で、文蔵の駕籠に追い付きます。

エイホー!エイホー!文蔵の揺られた駕籠は、更に二丁ほど行った辻堂前でピタリと止まり、

その辻堂からは、見るからに人相の宜しくない賭博打と直ぐに分かる連中が七、八人飛び出して参ります。

そうです、いずれも稲木ノ文蔵の子分達で御座います。

賭博打「親分!ご苦労さんに御座んす。お疲れでは?! 何んなら此の先はアッシらだけでも。。。十分で御座んすがぁ?!」

文蔵「馬鹿言うなぁ、長吉が可愛いからやっている仲人じゃねぇ〜、死んだ傳左衛門ドンと内儀のお藤さんへの最後の恩返しだから。」

賭博打「姐さん、親分の女房は泣かせてますぜぇ、他所の内儀にそこまで義理立てしないと、いけませんかぁ?!

命を削る程の恩を、神戸の先代はして下さいましたか?!」

文蔵「あぁ、して呉れたぁ。俺の実の息子、今の女房とのガキじゃねぇ〜が、それが十七ん時に喧嘩で、

安濃徳の親に当たる黒田屋勇蔵ん所の若衆を殺(や)っちまった。

その倅の命を助けて呉れたのが、神戸ノ傳左衛門と内儀のお藤さんだぁ。

傳左衛門さんは、自分の小指(エンコ)を飛ばして二百両の銭で勇蔵に詫びて呉れた。

倅の文左衛門が堅気になる事を条件に、水に流して呉れたぁんだぁ。

お前たちも知っての通り、野郎、文左衛門は今では近江の商人だぁ。

近江の奉公先の世話、女房を離縁して、倅に付いて行かせたのは、お藤さんなんだぁ。

俺が年に一度、孫と倅に会えるのは、みんな、お藤さんと傳左衛門親分のお陰だぁ。

その俺が、死ぬ間際に、あの夫婦に恩を返さないで、任侠と言えるかぁ?!」

賭博打「分かりました。では、アッシらも荒神山にお伴して、死花を咲かせるお手伝いを致します。」

そう言って、文蔵を乗せた駕籠を先頭に、稲木ノ文蔵一家は、荒神山へと消えて行きました。

大政「何んと、漢が此処にも居たなぁ〜、半五郎。」

半五郎「そうですね、跡を付けて正解でした。いい親分に仲人を頼めて何よりです。」

大政「其れにしても、神戸ノ傳左衛門って親分は、どんだけ凄い親分だったんだぁ!

ウチの親分、寺津の貸元、西尾のオジキが惚れて、そして、稲木の爺さんまでもが、死花は荒神山だと言い出す。」

半五郎「何となく、あの長吉のお袋さん、お藤さん、あの女(ひと)を見ていると、分かる気もしますけどね。」

大政「確かに、あのお袋さんが惚れた漢だぁ、之くらい贔屓が現れても不思議じゃぁ、ねぇ〜。」

半五郎「家宝は寝て待て!そんな宜い塩梅の吉報が待たれますね、兄貴!」

大政「だと宜いかぁ。。。」



つづく