落語について考えるシリーズを、久しぶりに書くことにします。
というのも、つい最近、ある友人と諸先輩の型を愚直に伝承する咄家が減ったことに付いて議論したのですが、
色んな事情で、名人芸の踏襲では、なかなか落語家として生き残れない現実がある!と、私は思ったのでした。
まず、八代目文楽、五代目志ん生、六代目圓生のようにできるのか?と言うと、どうでしょうね、
声色でできるのではないですからね、芸の伝承という意味で同等にできるか?と言うと、
どの程度でしょうか?それでも、5人くらいは居るかもしれませんね。でもあえてそれはしません、皆さん。

それならばこそ、俺はあえて、昭和の名人の芸を伝承する!!と、いう変わり者、天邪鬼が現れないのか?

ここは、結構ポイントだと思います。コピーするのではなくあくまで「芸の伝承」です。
それなりに創作しなければいけないのに加えて、江戸弁、型、伝統という縛りが乗って来るのです。
それを踏まえて、既に音源として生きている名人を凌駕して新たな名人になるとまでは言いませんが、
その条件下で、自身を輝かせて見せる咄家が出て来るか? この時代に結構難しいと思いますよね。
まず、もっと楽して沢山稼ぐ道があるからね、そして一部のコアな落語ファンや評論家に褒められてもねぇ、
その人たちが食わせてくれる訳ではありませんからねぇ、大衆に靡いて当然なのです。

山藤先生が上手く言ってますよね、日本人は上手く下手になっていると。
素人っぽいのが良かったり、斬新な演出というなのタブー破りも容認されている。
そして何より、昔はメディアどころか、寄席にだって、上手しか出られなかった。
つまり、プロフェッショナルというものの必要条件に、芸が上手いというのが有ったのです。
ところが今はどうでしょう?歌手の世界が一番顕著なようですが、必ずしも上手い必要はないのです。

首都圏の落語会に通っていると、面白いのが、まず100人の壁というのがあります。
そうですね、お江戸日本橋亭、中野小劇場、ここを常に満員にできるか?という壁です。
東京に500人落語家がいるそうですが、この壁を越えられるのは、何人くらいでしょうね。
おそらくですよ、30人いるか?というレベルだと思います。
真打になる前後は、談春だって喬太郎だって、この100人の壁と戦っておりました。
そして、この壁を越えると、意外と簡単に200人は超えて行くんですよね。
内幸町ホール、社会教育会館が、この200人くらいのキャパに相当します。
そして、300人を常に満員にできるのか?ここで勝負の分かれ目です。
年に二回ならば、かなりの咄家は満員にしますが、隔月以上の会でこれを満員にできると看板真打です。
国立演芸場がちょうどこのキャパ300人に相当しますね。

そして、次に訪れる壁、これが400人の壁なのです。
本多劇場、紀伊国屋ホール、イイノホール、そして横浜にぎわい座がそれに相当します。
これを、常に満員にするのは、どうだろう?10人居ませんよね。
皆さん、この400人の壁を越える芸人になろうとするからねぇ。
そすと、最初に言ったような「昭和の名人の芸の継承」ではなくなるのです。
継承できるまで、30年とか40年掛かるよね。その間、おまんまをどうやって食べるの?
って、感じになります、よっぽと理解のある奥さんか?金持ちの道楽息子(娘?)
ただ、それなりにお金で苦労しないと、芸人は大勢しないから難しいですよね。