廻し合羽に菅笠姿、黒の手甲脚絆に草鞋履きで神戸ノ長吉が我が家へと、明け六ツ半の眩しい朝日ん中、帰って参ります。

長吉「オッカさん!只今帰りました。 おや?酷い荒れようだぁなぁ?、昨夜、地震でも御座いましたかぁ?!」

お松「長吉かい?!地震じゃないよ、此の馬鹿野郎は、意気地無しの芋引きだよぉ。

死んだお父ちゃんが聴いたら。。。さぞかし、嘆く事だろうよぉ!

どうせ、其処ら辺りの友達ん家にむずくり込んで、決まりが悪いから旅に行ってた衣装(ナリ)なんかぁ拵えやがって!」

長吉「オッカぁ!何を言うんだぁ、俺は松坂の米太郎が相談が有るからと言うんで、松坂に出張っていたんだぁ。

米太郎が、泊まって行けと言うのを、悪い胸騒ぎがするから、早目に帰って来たら、この有様だぁ!何が有ったんですか?!」

どれぇ!と、言って母親のお松が、長吉の衣装(ナリ)をと、よくよく見てやれば、確かに脚絆は泥が所々跳ねた跡が有り、

草鞋を見ると、底が擦れていて、松坂を往復して来た痕跡が伺えます。

お松「アラアラ、こいつは臆病風に吹かれたかと勘違いしたよ。母さんの早とちりだった。ところで、長坊。。。」

長吉「お袋、その『長坊』は止めてお呉れ、子分たちがクスクス笑っているぜぇ。」

お松「済まなかった倅、実は昨夜、黒田屋の若衆が三十人以上で殴り込みに来て、家を壊して行ったんだよぉ。

ただ此の喧嘩には、アタイは怒りもしないし、愚痴も溢さない。なんせ相手は子分を千人、いやいや千五百人の安濃徳だから。

之がうちと同じ位の三、四十人の一家だったなら、つまり団栗の背比べだったなら、

アタイが出張ってって、御免なさい此の婆の顔に免じて許して頂戴と頭を下げて、

相手に十分花を持たせてやって、事の次第を全て丸く収めてやったんだけど、

聴いたら奴等!桑名の安濃徳の子分と舎弟だってんじゃないかぁ?!こりゃぁ面白くねぇ〜やぁ。

だって、向こうは千人、いやいや二千人からの子分を抱える大貸元。

そんな奴等を相手の喧嘩なら、相手にとって不足はないし、喧嘩を断る理由が見当たらないさぁ。

長吉!しっかり安濃徳の舎弟の角井門之助には、ゴロを撒いてやったから、しっかり喧嘩して、負かしてやんなぁ!!

今日の四ツだぁ。三本杉の小峰ヶ茶屋に、子分を連れて来いと、唾を吐きやがった門之助が。

其れにしても、なぜ、あの安濃徳と喧嘩したんだ?理由(ワケ)を教えてお呉れ、長吉。」

長吉「さぁ、オッカさん、我家を壊される程の遺恨を受ける覚えは御座んせん。

徳さんとは、城下でバッタリ会うと、徳さん!長吉ドンと呼び合う仲だし、

折角袖擦り合って、挨拶だけじゃ淋しかろうと、必ず茶屋へ行って飯を食い酒を酌み交わす。

そんな徳さんが、俺の家を子分や舎弟に襲わせる何んて、考えらレねぇ〜ぜぇ、オッカぁ。」

婆「お前は、そう言うが、家の此の有様を見たら分かる様に、何か理由(きっかけ)が無けりゃぁ、こんな事にはならないよ、長吉。」

長吉「確かに、此処までの恨みをどこで買ってしまったのやら?」

お松「そるな呑気な事を言っている場合じゃない!四ツに三本杉で喧嘩だと、相手は意切ってんだから。」


そんな噺を神戸ノ長吉と母のお松が話しておりますと、脇から加納屋利三郎が、二人の会話に割って入ります。

利三郎「親分、先程より脇で噺は伺っておりました。この黒田屋(安濃徳)の殴り込みは、親分が原因ではなく、アッシのせいだと思います。」

長吉「エッ?!利三郎、お前、何が有ったんだぁ!?」

利三郎「ハイ、実は昨日。。。」

と、加納屋利三郎が、親分である神戸ノ長吉に、実はカクカクしかじかと、上州無宿の熊五郎と起きた、

漁師町の賭博での諍いに付いて、その発端がみすじの蛤屋だった事など、詳しく説明致します。

そして、利三郎自身の家も、親分宅が襲撃される前に襲われて、利三郎も偶々留守で助かり、

四人の子分は逃げて無事だったが、食客の二人が、命に別状はないが、手足を斬り落とされたと、説明致します。

長吉「成る程、其れが原因だったのかぁ〜。ヨシ、野郎ども!今から喧嘩の支度だぁ。

三本杉で、黒田屋の連中との出入りだぁ。皆んな!この喧嘩にゃぁ、神戸一家の威信が掛かっている。

昨日、やられた憂さ晴らし。褌を締め直して黒田屋の連中を叩き斬るぞ、子分全員に集合を掛けろ!」

全員「おう!!」

と、長吉が子分達を集めて喧嘩支度を始めようと致しますと、お松が突然、笑いながら意見を致します。

お松「長吉やぁ、この腰抜けを連れて三本杉に行ったら、お前さんが恥をかくどころか、命が幾つ有っても足らないよ。

何んせ、昨夜、角井門之助と上州無宿の熊五郎が三十人ばかりで殴り込んで来た時に、

この多助、源次、彦十の三人は、アタイを放っぽり出して、我先に地下に逃げた連中だからねぇ。

残りの子分達だってこの三人と五十歩百歩。此処は一つ、利三郎と長吉!お前達二人で行くのが宜しかろう。

アタイが昨夜見たところ、相手は三十三人。だから、長吉!お前が十七人、そして、利三郎が十六人叩き斬る積もりで、行って来なぁ!」

多助「お袋さん!そいつは勘弁だぁ。」

源次「そうですよ。俺たち、昨夜は不意に襲われたから、不覚を取っただけだ。」

彦十「之でも渡世人(ヤクザ)の端くれ!この戦で、命を掛けて闘う覚悟さぁ!」

お松「本当かい?今更、堅気には戻れない、その覚悟で、命懸けで殺(や)る覚悟、殺られる覚悟なんだねぇ?!」

三人「ハイ、勿論です。」

お松「ヨシ、そんなら頼んだよ!お前達。」

三人「ハイ、合点です。」


お松の一言で、子分達も気を引き締めて、安濃徳との喧嘩支度を始めます。

そして、続々と子分が集まり、此方神戸ノ長吉一家も同じ三十三人が集結し、是で一対一で闘える事になり、俄然子分達の士気は上がります。

そして、三十三人を三人一組の十一隊に分けて、其々が此の組単位で、必ず行動し、戦線離脱する裏切り者が出ない様に引き締めます。

この確認を十分致しまして、襷十字に鉢巻を付けて、約束の四ツの半刻前に出発し、三本杉を目指します。


三十三人が朝日を浴びて、峠路を進んでおりますと、『お待ち下さい!若旦那。』と、叫びながら、竹槍片手に走って来る若者が居ります。

呼ばれて利三郎が振り向いて見ますと、其れは、実家の質屋『加納屋』に奉公していた松蔵と言う小僧でした。

髪前立ちに鉢巻を締め、松坂木綿に博多の帯、襷十字に綾なして、七三に尻ッ端折りで裸足に草鞋履き、まだ十四の若人で御座います。


利三郎「オイ!貴様、松蔵じゃぁないかぁ?なぜ、貴様が此処に?!」

松蔵「ハァハァハァ、あぁ草臥れた。若旦那!若旦那が、喧嘩に行くとオッカが聴いて来て、

加納屋の若旦那が、喧嘩をなさるってからには、余程の理由(ワケ)がお有りのはずだ。

松蔵!お前はよもや若旦那からの恩義を忘れやしまい!ここでご恩返しをしないでどうする?!

三本杉で喧嘩だそうだぁ、今すぐ行って若旦那の役に立って来なさい!と、そう母親が送り出して呉れたんでぇ、

こうして、おっとり刀ならぬ、竹槍持ってやって参りました。どうかぁ、皆さんの末席に加えて下さい!お願いします。」

利三郎「松ッ、その若旦那ってぇ〜のは、止めて呉れ。俺はもう加納屋の両親からは勘当された身だぁ。

ただの賭博打(ばくちうち)なんだから、お前さんに忠義だなんだと、言われる筋合いは無い。

其れに、松ッ、お前さんも、遠の昔に加納屋からは暇を貰って関係ない身だろう?!」

松蔵「いいえ、若旦那、いや!利三郎親分。貴方が加納屋から勘当されようと、私が加納屋を辞めてしまった今でも、

親分!貴方から受けた恩義は、一生忘れる事は有りませんし、その恩に報いる事は、人として当然です。

私がまだ加納屋に奉公している時、父親が患って寝込んで仕舞い、母親一人で難渋していた時、

『オイ!松蔵。たった一人の父親だ。しかも、お前は一人息子なんだから、悔いの無い様に看病してやれ!』と、

私に五十両と言う大金をポンと下さり、私は加納屋から暇を頂戴して、医者を雇い薬を買って父親を看病する事が出来ました。

父は全快とは行きませんでしたが、床から起きられる様になり、幸せな余生を親子三人で過ごし、一昨年亡くなりました。

その間、アッシは看病の毎日で蓄えも無く、葬式を出すのが関の山。塔婆の一つも墓に立ててやれないと思って居たら、

『松ッ、墓を建ててやれ』と、今度は十両出して頂いて、父を立派な石造の墓へ葬る事が出来ました。

そして、アッシが母と二人暮らしになった後も、毎月毎月気に掛けて下さり、

やれ四十九日だ、百日だ、一周忌だと、お金を恵んで下さる親分の情けで、私たち親子が人並みに生きて来れました。

そんな親分の一大事なんです!此処で、私が恩返ししなかったら、仁龍寺の立派なお墓で眠る父親に申し訳が立ちません。

ですから、是非、私も皆さんの末席に加えて下さい。宜しくお頼み申します。」

と、涙を滝の様に流し、土下座をして懇願する松蔵。長吉の子分たちも、是には闘う前に貰い泣きです。


利三郎「分かった。お前の気持ちは、よーく判った。加えてやりたいのは山々だが、

お前はまだ、十四だぁ。そんな髪前立ちの小僧を連れて行ったら、


『神戸の所は、髪前立ちのガキまで狩出して喧嘩しやがる。』


と、うちの親分が揶揄される。俺はお前が来て呉れたのは本当に嬉しいが、親に恥はかかせらんねぇ〜、

済まねぇ〜が、気持ちだけは頂戴するから、今日のところは引いて呉れ!頼む。」

と、加納屋利三郎は、松蔵を喧嘩に巻き込むのは避けて、家に帰そうと致します。

そして、「ハイ、分かりました。」と、肩を落として来た道をトボトボと、帰り掛けた松蔵に、今度は神戸ノ長吉が声を掛けます。

長吉「オイ、待ちなぁ、松蔵さんとやら。鉢巻を取りな、そしたら俺が月代を剃って漢にしてやる、此の場でお前さんの元服だ。」

利三郎「何を言うんです親分。こいつは、まだ、十四です。」

長吉「十四がどうした!赤穂浪士の大石主税も十四だし、矢頭右衛門七だって同じくらいの歳格好だ。

忠義の為に役に立ちたいと願う熱い気持ち、この松蔵の気持ち、俺には痛い程、宜く宜く判るぜぇ、利三郎。」

利三郎「でも、松蔵は親一人子一人です。俺みたいに、勘当されて、兄も弟、そして妹まで居るんなら、考えますが、松蔵に、其処までの義理を受ける訳には行かねぇ〜ぜぇ、親分。」

長吉「馬鹿野郎!そんな親一人子一人のオッカさんが、この倅を送り出した気持ちを考えろ!

もし、此処で此の松蔵を返しちまったら、母親は、そりゃぁ〜悔しいし無念だぜぇ。

あぁ、お役に立て無かったかと、死ぬまで後悔を噛み締めて暮らす事になる。

だから、此の松蔵を母親に、生きて、生かして帰してやるのは、お前の責任だ!宜いなぁ!利三郎。」

利三郎「ヘイ、判りました!親分。」


また一つ、この喧嘩に勝って帰らないといけない理由(ワケ)を貰った神戸ノ長吉一家は、松蔵を加えた三十四人で、三本杉の小峰ヶ茶屋を目指します。

そして、三本杉の二丁ほど手前までやって参りますと、藪の中から歓声を上げて、スッと角井門之助率いる黒田屋の殺しの軍団が現れます。

長吉「出たなぁ!黒田屋のぉ、ヤイ、野郎ども、昨日の家を壊された仕返しだ、

構うこたねぇ〜、一人残らず叩き斬ってあの世へ送ってやれ!いいなぁ。」

神戸一家全員「おー!」

門之助「何を小癪なぁ!返り討ちだぁ。」

この号令で、六十六人と一人が入り乱れての喧嘩が始まります。

すると、安濃徳側の中から上州無宿の熊五郎が飛び出しまして、他の連中には目も呉れず、加納屋利三郎目指して斬り掛かります。

熊五郎「ヤイ、加納屋、居やがったなぁ、此のスケこまし、勝負!!」

利三郎「望む所だ!!」


チャリンチャリン!


火花が散る刃と刃の交錯。一進一退、激しい斬り合いになりまして、暫く続き、やがて両者肩で息を始めます。

利三郎「なかなか、やるなぁ、熊五郎。だが、命は貰った!」

熊五郎「猪口才なぁ、女も纏めて地獄送りにしてやるから、念仏唱えて覚悟しやがれ、ベラ棒めぇ!!」


チャリンチャリン!


再び、激しく斬り合う二人。その時、利三郎の足が濡れた赤土に乗り上げて、是を踏んだ瞬間、ツルりん!と滑り尻餅を突きます。


しまった!


利三郎がそう思った次の瞬間。熊五郎が脇差を逆手に持って、へたり込んで仕舞った利三郎の胸を突こうとにじり寄ります。


絶体絶命!


利三郎、南無三!之までと、諦めて目を閉じたその時でした、傍から竹槍を持った松蔵が、勢いよく熊五郎の脇腹を突き刺したのです。


何んじゃこりゃぁ〜!!


お前は松田優作気取りかぁ?!と、突っ込みたくなる熊五郎。右脇から入った竹槍が、やや斜め上左胸に突通り抜けて絶命します。

『熊五郎が!熊が殺(や)られた!』と、叫ぶ声がして、そっちの方へと黒田屋大将、角井門之助がやって参ります。


一方、竹槍で熊五郎を刺し殺した熊蔵はと見てやれば、生まれて初めて人を殺して、その感触が手にまだ残っているし、

殺した熊五郎は、夥しい量のドス黒い血を流し、鬼の形相で松蔵を睨み、最後は口から吐血し、目をヒン剥いたまんま生き絶えます。

もう、この竹槍を再度抜いて、闘う気力も起こらぬまま、ガタガタ震えておりますと、角井門之助が、『熊五郎の仇!』と言いながら近付いて参ります。


待て!待て、待て、俺が相手だぁ。


と、角井門之助の背後から声を掛けたのが、尻餅で不覚を取っていた加納屋利三郎。

門之助「お前が、熊五郎の恋仇!加納屋利三郎かぁ? 確かに熊五郎とは月とスッポン。

だが、ここで会ったが百年目、熊五郎の仇だぁ!覚悟しろよ、お役者野郎!!」

利三郎「お前が、大将の角井門之助だなぁ、相手に取って不足はない、望む所だ!覚悟。」


チャリンチャリン!


一際大きな音が木霊しますから、周りで闘っていた連中の手が止まり、足が止まる。

この二人の立ち合いを食い入る様に見入っております。


チャリンチャリン!


利三郎も天性の喧嘩上手で度胸満点!免許皆伝ですが、相手が悪い。

門之助の方は松本藩剣術指南番直伝の剣の達人です。逆立ちしても素人がかなう相手では御座いません。


チャリン!ポキッ


と、鍔に近い位置で刀をへし折られて、無念!加納屋利三郎、角井門之助に肩から袈裟懸けに斬られて、その場で絶命致します。


御用だ!御用だ!


角井門之助が、加納屋利三郎を斬り殺した直後、『御用!御用!』と叫びながら、捕り方と上役人の与力・同心が近付いて参ります。

是を見ました一同は、熊五郎と利三郎の死体を残して、蜘蛛の子を散らす様に!東西南北、四方八方に逃げてしまいます。

結局、この三本杉の決闘では、かつて恋の鞘当てをした加納屋利三郎と上州無宿の熊五郎の二人だけが死亡。

すると、翌日から安濃徳一家では、角井門之助の指図で、三十二人の決死隊を五、六人一組の隊に再編成して、

逃げて姿を眩ました神戸ノ長吉の行方探しが始まります。『長吉を見付け次第叩き斬れ!』との指令付き。


さて、神戸ノ長吉は何処へ隠れているのか?この続きは、次回のお楽しみに。



つづく