みすじの店を飛び出した熊五郎、蛤を四十八日も喰い続けて通風の気が出るくらいに、お琴に貢ぎ、思いを募らせたのに。。。
実は他所に本命・間夫が居たと知らされて、腑煮えくり返る思いで御座います。
何処かで、燃しも加納屋利三郎の奴に出会ったならば、因縁付けてゴロを撒いてやろうと手ぐすね引いて待って居りますが、
蛤断ちして一月以上経ったのに、なかなか加納屋利三郎と出会いません。
そんなこんなで月日は流れて、慶応三年三月二十一日で御座います。
今日も今日とて熊五郎。桑名城下をブラブラ歩いておりますと、すると突然、声を掛けられます。
男「おやぁ、熊さんじゃありませんかぁ?お久しぶりで御座んす。」
熊五郎「何んだぁ〜、多吉ん所の藤松じゃねぇ〜かぁ!久しぶりだなぁ。何処へ行くんだぁ?!」
藤松「漁師町の親分のお使いで、部屋の晩飯の仕出しの注文と、酒屋に掛けの払いに行って来たんです。」
熊五郎「部屋に帰る途中か?部屋は、賑わっているのか?」
藤松「へえ、お陰さんでぇ。今日は素人の旦那衆は居なくて、客は皆さん渡世人ばかりで、
又、古参の煩方の親分衆じゃなく、売出し中の代貸や若衆でも上のホウの方ばっかりだから、
銭が動くし、出入りが激しくて、なかやか活気のある盆茣蓙に成っています。」
熊五郎「今は、誰が芽が出てるんだぁ?」
藤松「そうですね、今調子が宜いのは神戸ノ長吉親分の跡目だと噂の利三郎さんです。
歳は二十六だそうですが、胴を取っても堂々として度胸満点ですし、何んせ男前です。
元は質屋の若旦那らしいのですが、和か(にこやか)で優しい言葉使いで品が在ります。
其れに金の払いも綺麗だし、笑顔が似合う粋な二枚ですから、アレじゃぁ〜世間の女が放って於きませんよね。」
熊五郎、この藤松の嬉しそうで自慢げな喋りを聞いて、ムッとして、『利三郎の奴!世間の評判まで宜いのかぁ!畜生。』と心で呟きます。
熊五郎「チェッ、賭博打(ばくちうち)が女に惚れられて、何んかぁ宜い事があるのか? ヤイ!藤松、お前は利三郎の幇間(たいこもち)かぁ!どうなんだ?言ってみろ。」
藤松「どうしたんです?熊さん。そんなに怒る事、無いじゃないですかぁ。
人の悪口を言っているならまだしも、人を褒めているんですからぁ。
其れとも、加納屋利三郎に何んかぁ恨みでも在るんですかぁ?女から惚れられて、常にちやほやされているのは事実なんですから、
其れこそ、博打に関係ない事、もっと言うと、長脇差、無職渡世の渡世人には、関わりのない褒め言葉なんだから、そんなに怒らないで下さいよぉ〜。」
熊五郎「別に、もういい。あぁ、藤松!漁師町の親分ッて、今日は誰の代番なんだぁ?」
藤松「胴は城下の亀梨の親分と、宇元のオジキです。」
熊五郎「で、今日の勝負は?」
藤松「何時もの『五貫束』で、今は丁半やっています。」
熊五郎「『五貫束』かぁ?!ヨシ、運試しだ。俺を連れて帰れ、部屋で勝負だぁ!」
五貫束
一両二分の一束の単位で賭ける博打である。
また、此処で言う五貫束は天保銭に藁を通して造られた駒札代わりの物で、実際に其れ自身に五貫文目の価値は無い。
両替の単位は、必ずこの五貫束五個、七両二分、大判一枚単位で胴元が両替し、之を賭けて勝負を行う。
つまり、一回の勝負は最低でも一両二分を賭けての勝負となるのだぁ。
そして、勝負の精算も、五貫束五個が単位で行われ、両替時は7両二分が、精算時には7両丁度となり、二分が胴元の寺銭と成るのである。
尚、五で割った余りの五貫束は、一両一分の精算となるので、五個纏めての精算時の寺銭は6.7%だが、
端数、例えば五貫束四個の場合、本来なら六両の価値なのに清算時には五両となり、寺銭を16.7%も取られてしまうのである。
其れでも、全体の寺銭は7%を超えないので、日本の公営ギャンブルの25%という寺銭が高いのかが宜く分かります。
さて、藤松が松五郎を連れて部屋に戻ると、十五、六人の客と、其れを世話する胴元の子分三、四人、
そして入口近くの両替帳場には、胴元亀梨ノ甚吉が居て、オジキ!オジキと呼ばれている玄龍ノ宇元が賽子を振っておりました。
藤松「途中、熊五郎の兄貴に会いまして、話しているうちに、ひと勝負やりてぇ〜ッてんで、お連れしました。」
熊五郎「城下のぉ、当日はご苦労様に御座んす。一つ遊ばせて貰いやす。」
甚吉「宜く来た!熊。その松坂の若衆と丹波屋の若親分の間に座れ。 おい、皆んな!熊の野郎が遊びに来た。入れてやって呉れ。」
おう、入りやがれ!
と、丹波屋善兵衛の実子、善太郎が手を挙げて熊五郎を招き入れて呉れます。
まぁ、知らぬ顔のない、お馴染みにの面々で御座いますが、途中から入った熊五郎は、仁義に沿って丁寧に挨拶を致します。
松坂の若衆さん!、丹波屋の若親分!、新茶屋の代貸さん!、鳥羽の若衆さん!と言って、
トイ面に居る加納屋利三郎の所だけ飛ばして、次に居る稲木の若衆さん!と、一人ずつ次々に挨拶を行います。
さぁ〜、利三郎はカチンと来ます。『巫山戯けやがって、俺だけ鹿十かよ!厭な野郎だぁ〜』とは思いますが、この場は呑み込みます。
熊五郎「さぁ〜勝負を始めましょう」
と、三十両を両替した五貫束を、懐中から取り出すと、目の前に居る利三郎が張り終わるのを見て、大きな声で必ず反目を同額張ります。
そして、間違いが起きる時は、えてしてそんなもんでぇ、面白い様に熊五郎が張る方の目ばかりが出て、
利三郎の五貫束が、アッと言う間に全部、熊五郎の前に集まり、山になるのでした。
利三郎「おい、熊さん。」
熊五郎「何んだぁ!二枚目」
利三郎「悪いがぁ、五貫束を二十ばかり、一寸廻しておくんねぇ。」
熊五郎「ヤイ!二枚目。一寸廻してくんねぇ〜たぁ〜どう言う料簡だぁ。
しかも、この馬鹿野郎!顎を尺って指図しやがる。生意気な野郎たぁ、勘弁ならねぇ〜。
貴様如き青二才に、そんな真似されて、五貫束を廻して堪るモンかぁ!
上州無宿の熊五郎は、朦朧しちゃいねぇ〜ぞ、このすっとこどっこい!
貴様の親分、神戸ノ長吉が頼みに来て、両手を着いて土下座しても貸す積もりはねぇ〜!!
汝(てめぇ〜)は何んだぁ!?吹けば飛ぶ様な小者、それ以下のカス中カスじゃぁないかぁ!!
コッチは、博打の本場、上州生まれだぁ。上州無宿の熊五郎様は日本中を股に掛けた本格派だぞ。
汝みたいに、生まれて此の方、伊勢から一歩も出た事がない、井の中の蛙とは、お兄ぃサンの出来が違うんだ!此のひよっこメ!
そんなに廻して欲しければ、胴元の亀の旦那にお頼み申し上げやがれ!
この熊五郎様は、汝から顎で尺って指図されて、五貫束を二十束も貸すような柔な男じゃねぇやぁ!
汝の親分、神戸ノ長吉はアレでも貸元かぁ?!子分が三、四十のチンケな乞食博打の意気地無しじゃねぇかぁ!!」
熊五郎が、之までの自分への悋気を爆発させながら、頭ん中で思い付く限りの啖呵を聴いていた利三郎は、
最初(ハナ)はクスクス笑いながら黙って、是を聴いていたが、とうとう口を開きます。
利三郎「オウ!其れからどうした?」
熊五郎「何ぃ?続きなんかぁ在るかぁ〜!巫山戯やがって。」
利三郎「早とちりの大馬鹿野郎!誰が貴様なんぞから、五貫束を借りると言った?!
五貫束が無いと続けられねぇ〜から、汝から買うと言ってんだぁ!ベラ棒めぇ。」
熊五郎「まだ、銭を持っているのかぁ?!」
利三郎「何を言いやがる、此方とら、上州の乞食博打とは出来が違うんだぁ!
手駒が全部無くなったからって、手銭が無いと思うなぁ、見やがれ!馬鹿野郎。」
そう言って胴巻をズルズルと取り出して、口を開いて逆さにすると、切り餅が四、五つ下に落ちます。
その内一つを拾って、五両加えた三十両の塊にして、残りの切り餅は胴巻に再び仕舞うのでした。
利三郎「見やがれ、三十両(さんじゅ〜りょうぉ〜)」
と、利三郎が忠臣蔵五段目、山﨑街道の斧定九郎を真似て、見栄を切り、小判を盆茣蓙に撒いて見せますと、
「ヨッ!栄屋」「お役者、御趣向!」「日本一!」と、周囲から声が掛かります。
利三郎「偽金じゃねぇ〜ぞ!正真正銘、山吹色のお宝だぁ!
上州の博打がどうしたとぉ?上州の代表みたいな顔で、貴様如きが口上垂れると、上州の皆様な呆れ返って恥かくぞ、このタコ!
上州と言えば、お蚕さんと蒟蒻が有名でぇ〜、大前田英五郎や國定忠治が出たお國柄は百も承知!
だからと言って、お前さんと偉人たちは、上州生まれダケが共通点で、全く別人だからなぁ、ベラ棒めぇ!
其れからなぁ、上州無宿、上州無宿と、馬鹿の一つ覚えでお題目の様に唱えているが、
『無宿』ってのは、読んで字の如く、宿が無いッて事だからなぁ?!
つまり、宿無し、宿無しと、住む家を持たない乞食野郎で御座いますと、自慢しているダケだぞ!このすっとこどっこい。」
熊五郎「成る程!」
利三郎「何を感心してやがる。ははぁ〜、そうかぁ。蛤の一件を根に持って、悋気に任せて当たりに来たなぁ?!
蛤だったら、貝殻を半分、片身にして分けてやったが、お琴は人間だから分けられねぇ〜やぁ。
そう言えば、通風に掛かりながらも通い詰めていた汝が、パタっと来なく成ったと、みすじの女将が嘆いて居たぜぇ。
何んだ、何んだ!親分がなんだ、伊勢の井の中の蛙だの啖呵切りやがった癖に、結局トドのつまり、色と欲とのゲスの極み!!」
熊五郎「言いやがったなぁ!在る事無い事、好き勝手に言いやがってぇ。殺(や)るのかぁ、三品!!」
利三郎「沙羅臭い!望む所だ。」
先に、熊五郎が段平をギラッと抜きます。いきなり利三郎を突こうとしますが、
利三郎、体を交わして此方も脇差を抜こうとしたら、そこで周囲の客が止めに入ります。
十数人が間に入り、二人を羽交い締めにした所で、丹波屋善太郎が、口を開きます。
善太郎「加納屋さん!お前さん、この熊さんをアンタが斬ったらどうなるかぁ?分かっていなさるのかい?
安濃徳は千人、いや千五百人からの世帯だぁ。其れに対して、利三郎さん、お前さん所の神戸ノ長吉一家は四十足らず。
お前さんは、熊五郎を斬って溜飲が下がるかも知れないが、その仕返しで一家は皆殺しとまでは言わないにせよ、
お前さんと神戸の親分は、ただじゃぁ済まないぜぇ、少しは後先、損得を考えた方が宜い。」
利三郎「馬鹿を言うなぁ、丹波屋のぉ!損得を考えて渡世人(ヤクザ)が務まるもんかぁ!!
俺は義理と任侠の筋目を糺して(ただして)漢を売って来てるんでぇ。
ヤイ!熊五郎。部屋ん中じゃぁ亀梨の親分と宇元のオジキの迷惑になる、表に出やがれベラ棒めぇ。」
熊五郎「馬鹿言うなぁ。そんな事をしたら、仲裁に入られた丹波屋の若の顔に泥を塗る事になる。
今日の所は刀を鞘に収めてやる。しかしなぁ、次に伊勢城下で出会った時は容赦しないぞ、色男、覚悟しやがれ!!」
と、言って山のように成った四十束を、五十六両に換金し、端下の内から三両だけ藤松に祝儀を切り、その場を去って行こうとします。
すると、その後ろ姿から、利三郎が声を掛けます。
利三郎「ヤイ、熊。端下が六両あるのは此処に居る皆んなが知っているんだ、
お前さんを此の部屋に案内したのが、藤松なんだから、六両全部呉れてやりゃぁ宜いじゃないかぁ、シミッ垂れ!!
其れからなぁ、今度城下で会いそうに成った時。俺が四、五人連れで汝が一人の時は遠慮なく逃げて呉れ!構わない。
そして逆に俺が一人で汝が四、五人の時は遠慮なく掛かって来い!纏めて地獄送りにしてやる。
閻魔様の前で一人は淋しかろうぜ熊五郎、連れと一緒に三途の川を渡してやるから、安心しなぁ。」
そう言うと、加納屋利三郎が部屋を出て行こうとするから、賭場の若衆が『三十両、お忘れです。』と声を掛ける。すると去り際に利三郎、
利三郎「そいつは迷惑料だぁ。若衆皆んなで分けて呉れ!一度出した銭を懐中に仕舞う程、オイラ、野暮じゃねぇ〜よぉ。」
六両渡せば宜いところを、三両に値切る熊五郎と、三十両をポン!と迷惑料と言って祝儀を切る利三郎。
又、最後に貫目の違いを見せ付けて、賭場を跡に致します。
さて、この蛤小町への恋の鞘当てから、漁師町の賭場で神戸一家の利三郎と、安濃徳一家の熊五郎が揉めた事で、
あの有名な『荒神山の喧嘩』へと繋がって行くのですが、まだ、此の時は、誰もそんな大騒動が起きるとは、知る由も在りませんでした。
つづく