松本在岡田村の十手持ち民蔵は、無残な姿に変わって仕舞った倅、民五郎の亡骸を、戸板に乗せて、台八俥を引きながら、
菩提寺である諏訪の法華寺へと連れて行き、懇ろに葬るのであるが、側で内儀の小福が狂った様に泣き叫ぶ姿が不憫で仕方無かった。
民蔵「小福、俺は泣くなとは言わねぇ〜、民五郎の無念を思う其の気持ちは、俺には有り難いぜぇ。
お前さんは、民五郎の嫁と言うより、もう俺の娘だ。之から何が有っても、お前を実の娘の様に大切にするぜぇ。」
そう民蔵から言われても、小福は相変わらず狂った様に泣くばかりで、泪が枯れ果てても泣き続けておりました。
一方、民五郎を八人掛かりで斬り殺した黒駒ノ勝蔵一家の連中はと見てやれば。
長次「親分!よくよく考えて見ると、何も殺(や)ッちまう程の罪じゃありませんでしたね?」
勝蔵「アッハハッハァ〜、確かに殺す程の事も無かった。飛んでもない事をした。
だがぁなぁ、神澤山以来、二足の草鞋、十手持ちには煮湯を飲まされ通しだぁ!!
『二足の草鞋』と聴いて、ついカッと成って見境が付かなく成った。とは言え、今更後悔しても始まらねぇ〜。
済んだ事だぁ。民五郎の野郎だって、賭博打(ばくちうち)の渡世で生きているからには、覚悟有っての無職渡世だぁ。
野郎自身も運が無かったと諦めて、自業自得と心得ているに違いない。」
長次「其れより、小福を逃してしまいました。どうします?親分。」
勝蔵「知れた事よ。ひとまず逃げるしか在るめぇ〜。」
長次「合点でぇ、そう致しましょう。」
そう言うと八人は、何処かへ消えてしまいます。
さて、民蔵。兎に角、民五郎を荼毘に伏すと、直ぐ様倅の仇である勝蔵たちを追い掛けます。
長年十手捕縄を預かる二足の草鞋ですから、蛇の道はヘビ!その経験から、奴らが直ぐに遠くまで逃げようと、
飯田から天竜川を伝って舟で中泉へと上ってた事を突き止めるのです。
すぐに民蔵も舟を使って天竜川を上ります。見附、中泉、三方ヶ原界隈を聴いて廻ります。
この見附宿には、あの大和田ノ友蔵、又の名を見附ノ友蔵という親分が御座います。
友蔵と言う人は、家が二軒御座いまして、子分や食客を住まわせている大和田の家と、
内儀(にょうぼう)のお峰を囲う見附の中通りの家。今日はその中通りの家で、内儀相手に馬鹿ッ噺をしていると、
大和田の家から、血相を変えて、子分の弥七が飛び込んで参ります。
弥七「親分、大変だぁ?!」
友蔵「どうした?」
弥七「大和田の家へ、代官所の役人が来て、之を置いて行きました。」
友蔵「何んだぁ?見してみろ。」
友蔵が、弥七が差し出した書状を見て驚いた!!
其れは、見附宿の代官・山上藤一郎様からの所謂、『差紙』。つまり代官所への出頭命令です。
明日、正午五半刻に、代官所へ友蔵に出頭命令な下ったので御座います。
弥七「人の噂ですがぁ、佐渡の金山で大きな鉄砲水が起きて、湧水を搔き出す、水かい人足が大変不足しているとか。
その人足の補充の為に、江戸表では既に半年前から無宿人狩りが、公儀(おかみ)の意向で始まったとか?!」
友蔵「その噂は俺も聞いたぜぇ。何んでも、あの斬られ與三郎が、玄冶店でお縄になり、佐渡送りに成ったと評判だぁ。」
弥七「他人事じゃありませんぜぇ、親分!遂に、東海道から関八州でも、公儀が渡世人狩りを始めるんじゃありませんか?」
内儀「そうだよ!お前さん、みすみす、代官所に捕まりに行く事はないよ!何処かへ、熱りが覚めるまで、草鞋履いて逃げてお呉れ!」
弥七「そうですよ、親分。佐渡へ送られて『水かき』にされたら、三年と命は持たないそうですから?!」
内儀「そうだよ、命有っての物種と言うじゃないかぁ?!直ぐに支度して、仲の宜い兄弟ん処に逃げてお呉れ。」
友蔵「おい!お峰、お前は其れでも長脇差の内儀かぁ?!情けねぇ〜。
賭博打(ばくちうち)ね内儀(にょうぼう)なら、代官所の差紙位でガタガタするねぇ〜
こんな事を、子分の前で話すのは、惚気に聴こえて恥ずかしいがぁ。
お峰!貴様、『オレッチは何時死ぬか分からねぇ〜無職渡世の賭博打だぁ、だから内儀じゃなく、色のまんまでいいじゃないか?』
そう言った時、貴様、俺に何んて言った。『アタイは、百も承知で渡世人(ヤクザ)の女房になります。アンタと死ぬまで苦労をします。』
そう言ったのは、アレは嘘だったのか?!ベラ棒めぇ。そんな青い顔して、オロオロするなぁ。
其れから、弥七!お前もだぞ。代官所の差紙位で、そんなに慌てるんじゃねぇ〜
お前も渡世人の端くれなら、牢屋にブチ込まれたり、島へ送られるぐらいで、いちいち慌てるなぁ!!」
弥七「へぇ、面目無ぇ〜」
友蔵「そんなに、恐いと言うなら渡世人(ヤクザ)何んかぁ辞めちまぇ!
堅気に成って、百姓や商人して真っ当に暮らして居れば、佐渡の水かい人足に狩り出される心配は無ぇ〜さぁ。
年中宜い着物着て、宜い女を抱いて、美味い物食って美味い酒呑んで、
堅気衆が汗水流して稼いだ銭を、賭場やみかじめでカスり取りながら暮らして居るんだ俺たちは。
だから、『御用!』と言われてお縄に成る事もある。そして牢に入れられて、島流しや磔になるんだぁ。
之が堅気のみせしめになり、堅気衆は、更に固くなり、真っ当に働くんだぁ。
それだから、渡世人、賭博打なんて割の悪い商売になるもんじゃねぇ〜
人は、出来る事なら堅気が一番なんだ。それでも俺は其れを承知で賭博打に成ったからには、
逃げたりしないで、代官所に呼ばれたんなら、ニッコリ笑って行って来るぜぇ。」
「へい、親分!ごもっともでぇ。」と答えはのは、大和田ノ友蔵、一の子分、代貸を務めている新井ノ新太でした。
次の間から声がして、ゆっくりと唐紙を開いて中へと入って参ります。
さて、此の新井ノ新太、紛らわし名前です。黒駒ノ勝蔵の子分にも『新太』が居て、しかも、荒川ノ新太。
勘違いしないように、先にご注意申し上げて、噺を先に進めます。
友蔵「おう!新太かぁ。」
新太「今、次の間からアッシも聴かせて貰っておりましたが、正に親分の仰る通り。
誰に聴かれても、立派なモンだぁ。明日、代官所へ行ってご覧なさい。きっと宜い事が御座いますから。
間違いない!宜い事が有って当たり前。間違っても悪い事が起こる気遣いは御座いません。
所で親分!明日は何刻に代官所へは行かれるのですか?」
友蔵「ご飯刻としてあるから、昼食の時刻、午の刻、九ツの鐘を聞く頃合いに代官所へ入るつもりだぁ。」
新太「親分、其れはちょっと変ですぜぇ!代官所が、わざわざ差紙して呼び出し掛けているのに、
昼飯刻を選ぶなんて、まず、ありえぬ事。。。アッ!まさか? 差紙を見せて下さい。
やっぱり、親分、確かに『五半』と在りますが、之はご飯ではなく、五半・五ツ半です。」
友蔵「本当かぁ?」
新太「間違いありません。」
友蔵「俺が百姓あがりだからって、騙しゃしねぇ〜なぁ?!」
新太「親分、アッシはこう見えて武家の出だから、そのくらいは分かります。でも、親分を馬鹿にするだなんて。。。
そんなぁ、曲がった料簡じゃ、御座いません。」
友蔵「成る程、五半と書いて五ツ半かぁ。よくお前さん知ってたなぁ、流石、武家の出。頼りになるなぁ〜。
でぇ、オヤジさんは、どんな侍だったんだぁ?!」
新太「父は、船番所の役人でした。」
友蔵「偉かったのかい?!」
新太「いいえ、十石二人扶です。」
友蔵「そうかい。でも、作法や礼儀は武士道に限る。頼りにしてるぜぇ、新太!」
新太「ヘイ。」
さて、烏カァ〜で夜が明けて、新たの助言に従って、大和田ノ友蔵は、黒門付に仙台平の袴を付けて、
五ツ半になりますと、代官、山上藤一郎の代官所と隣接する屋敷へ通されます。
そして、庭の青玉砂利の上に座ろうと致しますと、側に居りました同心が、
同心「之々、友蔵!お代官が、是を使う様にとお廻し下さった。有り難く尻に当てよ。」
と、同心が差し出したのは、浪人台と役所では読んでいる床几(しょうぎ)でした。
友蔵「之はお代官様、勿体ない心遣い、お気持ちだけ頂戴仕りまする。」
山上「何を遠慮を申す。苦しゅうない、浪人台に腰を下ろせ!!」
友蔵「ハハァ!誠に忝のう御座います。」
遠慮して断った友蔵でしたが、代官の気遣いを無駄にも出来ず、浪人台の上に腰を下ろした。
山上「友蔵とはその方かぁ?立たずとも宜い。ご苦労である、大儀。
では、早速用件を話すと致す。その方、同業の黒駒ノ勝蔵なる無頼を知っておるか?!」
友蔵「勿論、存じて御座います。」
山上「では、勝蔵とは、どの様な付き合いである?兄弟分かぁ?盆暮の付け届けをやり取りする仲か?」
友蔵「二十年以上昔は、兄弟分で御座いましたから、それなりに親しい付き合いも御座ましたが、今は極々疎遠に御座います。」
山上「本当か?!なぜ、疎遠に成った?有り体に申してみよ。」
友蔵「ハイ、実は。。。」
と、友蔵。二十数年前に、秋葉の火祭と、身延の御会式博打で、武井ノ安五郎、黒駒ノ勝蔵と、津向ノ文吉が揉めた際に、
どちらの時も、清水次郎長と共に津向ノ文吉に加勢した事から、黒駒ノ勝蔵とは反目に成っていと説明致します。
山上「左様かぁ?!誠であろうなぁ?」
友蔵「誠に御座います。友蔵、嘘と坊主は言いません。」
山上「其れならば、之を、友蔵!お前に差し遣わす。」
と、言って代官、山上藤一郎が差し出した物は『十手捕縄』であった。
友蔵「之は?!私に、二足の草鞋に成れと、お代官は仰るので御座いますか?!」
山上「そうだぁ。そして、黒駒ノ勝蔵を召し捕って呉れ。」
友蔵「何故、勝蔵を?」
山上「実は、かくかくしかじか、松本の在、岡田村の民蔵なる十手持ち、その倅でお前さん同様の二足の草鞋、民五郎が、
突然、黒駒ノ勝蔵と子分七人から、ナマス斬りにされて無残な最期を遂げた。
そして、松本から逃げた勝蔵たちが、この見附界隈にまだ潜伏しているのでは?と、
倅を殺された民蔵が言うておるのだぁ。よって、友蔵!お前に、その凶賊、黒駒ノ勝蔵を召し捕って欲しいのだぁ。どうだ?友蔵、やって呉れぬか?!」
友蔵「判りました。アッシは、その民蔵さんとやらとは、縁も所縁も御座いませんし、其れどころかぁ、面識すら御座いません。
しかし、勝蔵の野郎がそんな非道をして逃げ廻っているのなら、侠客としも許す訳には参りません。
ヨぉーガス!この一件は、この見附ノ友蔵に任せておくんなさい。もし、見附宿界隈に奴等が潜んでいるのなら、
必ず、お縄にして、代官所の牢屋にぶち込んで見せやす。任せて下さい!お代官。」
山上「頼もしいぞ!友蔵。下がって休憩場で茶でも飲んで行くがよい。」
友蔵「ハハァっ!有り難き幸せに、存じ奉りまする。」
そう言うと、友蔵は次の間へと下り、分厚い座布団を敷いて、大層なお茶を頂戴した。
そして、フラッカフラッカ、ゆっくりと歩いて六地蔵が並ぶ辻堂に差し掛かると、
新井ノ新太が、辻堂ん中から飛び出して来て、
新太「親分!ご無事で。。。アッシはあぁは申しましたが、内心、親分が心配で。。。心配で。」
友蔵「それで、貴様、こんや所で俺を待って居て呉れたのか?」
新太「ただ待ってたばかりじゃ御座んせん。親分のご無事を祈っておりました。でぇ、何んか宜い事、御座いましたか?!」
友蔵「有った!有ったよ、新太。お前さんが言うとおり、ホラ、之を貰ったぜぇ。」
新太「之は、十手と捕縄!!」
友蔵「そうなんだ、何かと思っていたら、黒駒ノ勝蔵との仲を色々と訊かれて、
その黒駒ノ勝蔵をお縄にするのを手伝って欲しいと代官から言われた。」
新太「勝蔵の野郎、神澤山に立て篭もった噺は聞いていますが、島破りした親分の吃安を匿った罪だとか?
甲州の罪人、其れをなぜ?見附の代官所が、追い掛けているんです?」
友蔵「勝蔵の野郎、逃げる途中、松本岡田村の十手持ち民蔵って親分の倅、岡田ノ民五郎を殺(や)っちまったらしい。
だから、息子の仇!と、ばかりに民蔵が勝蔵達を追い掛け、その足取りを調べた結果、勝蔵たちが見附宿の周辺に潜んでいると分かったそうなんだぁ。」
新太「成る程、其れで代官所が面子を保つ為に、勝蔵をどうしても捕まえたい。
そこで、勝蔵とは反目の親分に目を付けて、白羽の矢が立ったッて訳ですか?」
友蔵「まぁ、そんな所だぁ。」
新太「其れで早速、黒駒ノ勝蔵を召し捕りに動くんですか?親分。」
友蔵「馬鹿!俺は二足の草鞋に成っても、賭博打(ばくちうち)だぁ。
公儀から『十手捕縄』をと命じられて、断ると子分のお前さん達にも迷惑だろうし、
俺に差紙をした代官の山上藤一郎様の面子も有るから、承知はしたが、
俺はこの十手捕縄を持ったからって、十手風吹かせて、堅気を虐める様な料簡はない。
そして、確かに勝蔵とは今は、反目だぁ。秋葉の火祭で、俺と津向ノ文吉ドンが、清水次郎長に味方し、兄弟盃を上げたから、
俺は勝蔵との盃は反故にして、武井ノ安五郎・吃安とは、事在るごとに反発し合って来たが、
だからといって、俺は、代官所や公儀にゴマを擦る為に、勝蔵を召し捕る気はサラサラ無い。」
新太「確かに!其れが宜う御座んす。無駄に争いや喧嘩して、恨まれては損です。」
こうして、見附ノ友蔵は、代官より十手捕縄を頂戴したのですが、之を床の間に上げて、身に付けて歩く様な事は致しません。
ですから、黒駒ノ友蔵を召し捕るような探索、聴き込みも一切致しません。
そうこうして、平和な時間が半月程流れた或日、友蔵の元へ、こんな噺が舞い込みます。
つづく