神田松鯉先生と、弟子の松之丞さんの親子会形式の勉強会です。
隔月でやっているみたいですね、松之丞さんが二つ目に成ってから。
前回も行きたかったのですが、落語会「にゅ」と重なったので、
昼夜連続だったらOKでしたが、席を取る関係で断念したのでした。

今回は、朝5時前に関内ホールでの、志の輔師匠の独演会チケット売出に並んでから、
やや仮眠を取って、この会に夕方4時45分くらいに並びました。
既に熱心な方が3名並んでいらして、私は四番目でした。
会場のセッティングは、オール椅子席で60名で満席仕様。
10列椅子を交互に並べて、なかなか聴き易いセッティングでした。
そして、勿論、満員のお客様で、こんな内容でした。

  
  
  
・三方ヶ原の戦い … みのり

・武蔵伝「闇討ち」… 松之丞

・憎付きの面   … 松鯉

お仲入り

・赤穂義士伝/赤垣源左衛門「徳利の別れ」 … 松之丞

・赤穂義士伝/義士衆参「蕎麦屋の二階」  … 松鯉

 

1.三方ヶ原の戦い/みのり
先月の講談協会定席に続いて聴いた“みのり”さんの『三方ヶ原の戦い』
たった1ヶ月ですが、息の続きが長くなり、調子も良くなっていました。
こうやって、どんどん成長するのでしょう。15分続けて修羅場ダケ読み続けます。
確かに、落語の前座の『たらちね』のように退屈なのですが、
上達の様子が見えるのは、講談ファンとしては楽しいものであります。
みのりさん! 上に五万と姉さん達が居ますが、負けないで頑張ってください。


2.武蔵伝「闇討ち」/松之丞
まず、長いマクラから入りました。この夜は首都圏だけで講談の会が15公演あるらしいです。
そんな中で、かくも大勢集まって頂きまして、御礼申し上げますと言う松之丞。
そして、すぐに妹弟子・みのりさんの三方ヶ原を袖で聴いていて、
自分にも、あんな時代があり、講談協会の初席、本牧亭の開口一番で三方ヶ原をやって、
10分くらい修羅場を読んだところで、家康の一騎打で頭が真っ白になり、15秒の沈黙!!
桂文楽・黒門町のように、「勉強し直して参ります」と、頭を下げて高座を降りたそうです。
それが、5年前。デビューから6年経って、二つ目になるとそんな背筋が凍るような思いでも、
半分忘れかけていたが、本日のみのりさんの緊張しつつ語る『三方ヶ原』を聴いて思い出したそうです。

そんなマクラから、昨日の上野広小路亭での講談協会の定席での様子を語りました。
毎度の事ですが、この定席は、講談聴いてウン10年みたいな常連様の集う会です。
空気が重い。まず、拍手や笑いが少ない。それどころか、露骨に寝ている客が…
そんな協会の定席、いつもに輪を掛けて客が重かったそうです。
前座二人が済んだあたりで、ようやく満席、しかも永谷のタダ券を使い捲る客ですよ。
三番手のアップルさんが上がっても、8割は寝ている状態。これはイカン!!と思う松之丞。

ものすごい舟漕いでるの、面舵一杯!! みたいな感じで。(松之丞らしい!!)

で、本来掛ける予定のサラッていたネタは、大岡政談『畔倉重四郎』を掛ける予定だったが、
こんな陰惨で重い噺を掛けると、客が益々眠りに入ると、懸念をして、武蔵伝の中でも陽気な、
「狼退治」をやったそうです。でも返ってそれが裏目に出て、グイグイ系の松之丞ですから、
眠る客は少なかったけど、またか?みたいな感じで、無反応だったそうです。

ちなみに、『畔倉重四郎』;浪人・畔倉重四郎が、武州幸手宿、穀物問屋、
穀屋平兵衛のところに出入りするようになったところ、
その家の娘お浪に横恋慕して、付け文までしてしまう。
それを杉戸屋富右衛門にとがめられたのを怨んで、
穀屋を殺し、その罪を杉戸屋富右衛門になすりつけた。
富右衛門は厳しい取り調べに耐えかね自白するのだが、
この自白調書を読んだ大岡越前が、
「これはおかしい?」と毎度ながらの推理を働かせ、
杉戸屋の替え玉を仕立てて、これを処刑、
畔倉重四郎を安心させておいて、泳がせるのです。
その上で同心・与力にこれをマークさせる。
そして仕入れた新証拠・新証言を集めるだけ集めて、
お決まりのお白州へと、畔倉重四郎を引っ張り出して、
重四郎の矛盾を突きながら懲らしめる!!
ついに、追い込まれた畔倉重四郎は、自らの悪事を全部白状し、
三尺高い獄門台へと上がって行くのです。アッパレ大岡。

更に、これには続きがあるのですが、「狼退治」をやってダダ滑りで楽屋に戻ると、
そこに出番にはまだまだ早い師匠の松鯉先生が居て、「お前、何ぃやったんだ?」と訊かれたそうです。
だから、「狼退治、やりました、ダダ滑りでした」と答えると、「お前の普段を見てもらおうと、
お前には言わなかったけど、今日はNHKの伝統芸能関連のプロデューサーが来てるんだよ」と言うんだそうです。
エッ!よりによって、今日かよ!!と、落ち込んでいると、姉弟子の亜久里姉さんが、
「別に、NHKの芸能大会の講談の二つ目の枠が貰えなくてもいいじゃないか?
 また、何回もチャンスはあるよお前なら」と慰めてくれたそうです。
そして、亜久里の出番、懇親の『稲葉小僧』を、
何度も手繰った十八番の気合の入り捲った『稲葉小僧』を、
そのNHKプロデューサーにアピールするかのようにやったんだそうです。
大人の事情は複雑、これも試練だ! 人間不信になるー!と、思った松之丞でした。

更に話題は、赤穂義士・堀部安兵衛武庸の故郷、新潟県の新発田に仕事で行った話へと変わります。
堀部安兵衛の地元ファン倶楽部「武庸会」に呼ばれて、「武庸会」発足百周年の記念イベントで、
その催し物の一番最後・大トリで、「安兵衛駆け付け!!」の講談をやる仕事に行ったそうです。
これが、今年1番の珍道中だったと言う松之丞、芸協の二つ目・夢吉くんの祖父が「武庸会」役員。
この夢吉くんのお爺さんというのが、曲者でね、松之丞と言う名前を覚えてくれないそうです。
夢之丞、夢之丞と呼び、周囲に注意されると、竹之丞に成ったそうです。
更に、赤穂義士研究の第一人者・早川先生という方も、この会で講演する事が決まっていて、
この先生が、田原総一郎みたいな感じで、強いオーラを出した生意気な存在。
しかし、「武庸会」には、この早川先生、大人気らしい。
会場に行く間中、夢吉くんのお爺さんは、この早川先生に新発田の安兵衛縁の場所を、
車窓から紹介するけど、全然、早川先生は反応しなかったのに、唯一、車を止めて立ち寄った、
桃中軒雲衛門が、新発田での安兵衛人気の物凄さに感動して寄贈したという、
四十七士の人形が飾られている展示場、ここに立ち寄った時だけ、
「これは、何度みても素晴らしい!」と、言ったらしいです。

 
そして入場すると、この早川先生が、松之丞の1つ前の出番、“膝”だと知るんですね、松之丞。
それまでは、地元の名士や政治家が、安兵衛と自分の仕事を無理やり結びつけてスピーチするんだそうです。
どれもこれも、かなり強引な結びつけで、1000人以上集まった客も平行気味。
そんな空気を、早川先生が登壇しただけで吹き飛ばして、ご当地と安兵衛について語り出す。
よし!いい雰囲気かな?と思ったら、後半、早川先生は安兵衛の人物論を史実で私は語ります!!
と、宣言して、リアル安兵衛を、マイナス評価も平気で加えて語るのです。徐々に重くなる会場の雰囲気。
そしてそして、空気がピークに重くしておいて、「では、次は物語・エンターテーメントとしての安兵衛を、
松之丞さんが、タップリと楽しく語りますので、ご期待ください!」と、ハードルを上げて降りたんだそうです。

ここから松之丞、「安兵衛駆け付け!!」に入ったそうですが、この噺、冒頭では安兵衛駆をくさすんですよね。
ダメ安、酔っ払い安、だらしない安!とさんざいんコケにしておいて、最後の5分で持ち上げるのですが、
どうも早川効果があったのか?客が低いテンションに落ち着いて、最後の駆け付ける修羅場部分に入ってからも、
全然、声は掛からないし、終わってからの拍手も短くパラリだったそうです。
やっぱり、膝は、お笑いさんに頼むべきで、学者の講演は止めた方が幸せだと言っておりました。
この長いマクラから、更に長い『闇討ち』をやり降りました。


3.憎付きの面/松鯉
有名な能面師と、能の仕手・観世流の家元の話でした。
マクラも早々に始めて、20分そこそこで終わりました。
 
 

4.赤穂義士伝/赤垣源左衛門「徳利の別れ」/松之丞
マクラ無しで、即本編でした。聞かせるいい話です。
落語では、先の円楽師匠がやってました。兄弟の別れのお話です。
赤穂義士である弟が、一般人の兄に討ち入り前に一目会いに行く噺です。
涙が出ました、良かったです、松之丞。荒削りですがグイグイ引き込まれます。
感情の移入のやり方や人物の描き方には天性のものがあります。
そうだなぁー分野は違いますが、若い日の立川談春に似ています。
暫く、追いかけてみようかと思っております。
  
 
5.赤穂義士伝/義士衆参「蕎麦屋の二階」/松鯉
堀部安兵衛の計らいで、広い蕎麦屋の二階に、赤穂浪士47人が集まります。
討入する前夜、それぞれが思い思いの決意を胸に集まる浪士。
それと、蕎麦屋の主人とのやりとりを通して、緊張の高まりを描きます。
講談としては、結構難しい噺だと思いますが、松鯉先生のユーモアもあり良かったです。

次回は、二月一日・土曜日開催予定、また必ず行きたいと思います。
松之丞の慶安太平記が聴けるみたいです。