奥の離れに在る座敷の様子を見に行ったお比呂が、二階の三五郎が居る部屋へと戻って参ります。

お比呂「お前さん!奥の離れの客は、まだ、旅に立つ気配は無いワぁ。」

三五郎「ところで、其の離れの客は、どんな野郎なんだぁ?!」

お比呂「多分、お前さんとお仲間。同業者だよぉ。廻し合羽に三度笠。

それに十一人連れで、全員が道中の脇差を落としているから。商人なら三、四人だよ刀を差すのは、用心棒だけさぁ。」

三五郎「何んだぁ、賭博打(ばくちうち)なのかぁ。其れじゃぁ、清水か、和田島の身内なのか?」

お比呂「違うと思うわぁ。喋っている言葉が三州濱松の訛りの人と、ミャァ〜ミャァ〜した尾張訛りの人だから。

其れに、アタイの見覚えが在る顔が一人も居ないから、他所の一家だと思うワぁ。」

三五郎「誰だろう?次郎長親分の兄弟やオジキ筋だと、挨拶をして於ないと、失礼だよなぁ〜。

でぇ、その十一人は、どんな噺をしているんだ?特徴は、無いのか?お比呂。」

お比呂「そうだねぇ、親分らしい人を『旦那!旦那!』と呼んでいたワぁ。」

三五郎「ベラ棒めぇ!賭博打(ばくちうち)で、親分で有りながら旦那と呼ばれると言えば、『相ノ川政五郎』

信州一の貸元、権藤宿でデカい女郎屋・上妻屋を営む二足の草鞋、十手持ちだぁ。又の名を『上妻屋源七』

そして、三つ目の名前が、元祖高瀬船の持ち船の貸元、『高瀬仙右衛門』だ。

だが、この三つの名前を持つ相ノ川政五郎は、もう亡くなって佛様だぁ。

一方、もう一人の『旦那』と呼ばれる親分は、上総銚子の弓張、銚子観音前、房州の雄・木村屋五郎蔵!通り名は『銚子ノ五郎蔵』だぁ。

しかし、この貸元も既に故人で、あの飯岡ノ助五郎の代になっている。因みに助五郎ドンは、『旦那』は呼ばれてはいねぇ〜。」

お比呂「何んだかぁ判らないけど、商売か?屋号の名前に『鳥』が付いていたよ、お前さん。」

三五郎「何んだぁ?『鳥』?、今、飼うのが流行っているメジロかぁ?」

お比呂「いいえ。」

三五郎「ウグイスかぁ?」

お比呂「いいえ。」

三五郎「鴛鴦(オシドリ)、文鳥、カナリヤ?!、何んだぁ?!」

お比呂「そうだぁワぁ、みやこドリ!!」

三五郎「何にぃ〜、都鳥!!」

お比呂「河豚食ったブラブラ病の処へ、お見舞いに行くとか?、行かないとか?」

三五郎「なんだと?其れは本当かぁ? 時に、奴らは互いに、何んて名前で呼び合っている?!」

お比呂「旦那の親分吉兵衛?番頭さんが伊賀蔵。そして、アッ!と驚く名前の人が居た。」

三五郎「其れは、為五郎かぁ?!」

お比呂「そう、為五郎。」

三五郎「お比呂!この部屋で待って居て呉れ。直ぐ戻る。」


三五郎は血相を変えて、ハシゴを降り出した。まさか!あの都鳥が清水に夜討ちを掛けに、本当に来ているのか?!

此れは流石に、自分の目で見るまでは信じられない。そんな思いで、一階の奥、離れの客間を覗いて見ます。


居ました!伊賀蔵と為五郎がぁ。


伊賀蔵とは、和田島の盆茣蓙で何度も逢っておりますし、為五郎の茶屋へも、過去に三、四回寄った事が在るのです。

そして直ぐに、二階のお比呂の居る部屋へ、飛んで戻る追分ノ三五郎です。

三五郎「お比呂、申し訳ねぇ〜。さっき渡した袱紗の銭を全部、そっくり俺に返して呉れ。」

お比呂「いいけど。。。いきなりどうしたんだい?」

と、お比呂の差し出した袱紗に包んだ銭を引っ手繰る様に奪った三五郎は、之を懐中に捻じ込みます。そして、

三五郎「お比呂!お前、蓄えは有るかい?五両でも十両でも宜い。博打に使う銭じゃないから安心しろ!有ったら出して呉れ。」

お比呂「何んだい?お前さん急に。。。二両とニ分なら有るけど。」

三五郎「ニ分は不要(いらねぇ)。二両だけ呉れ。お比呂、また、明日から長く草鞋を履く事になる。

いいかぁ、さっき俺に噺をした、都鳥や、伊賀蔵と為五郎の事は、誰にも言うなぁ!いいなぁ。」

お比呂「そりゃぁ、誰にも言わないけど。。。長い草鞋ッて?どうしたんだい?」

三五郎「直ぐに知れるから、今は聴かないで呉れ。俺は直ぐ出掛けるが、又、戻る。お比呂、いいなぁ、此処に居ろよぉ。頼んだぞ。」

お比呂「ハイよぉ、お前さん。」


三五郎は、又、ハシゴを勢いよく降りて、今度は帳場の青木屋の主人の所へ行き、暫く来られなくなるから、お比呂を頼みます!

と、言って三五郎、兎に角、家に帰って衣装(ナリ)を変えて、捻り鉢巻!襷掛け、その上で旅支度を致します。

そして、一目散に駆け出して、疾風の如く、タッタ、タッタ!タッタ、タッタ!と

早る気持ちを抑えつつ、親分次郎長の家へと着きまして、在らん限りに雨戸を叩きます。


ドンドン!ドンドン!


取次「誰だぁ?誰だぁ?こんな夜中に戸を叩く野郎は? ハイ、ハイ?」

三五郎「早く、戸を開けて呉れ?!」

取次「ベラ棒めぇ〜。清水次郎長の家だぁ、四ツを打つ前に締まりはしねぇ〜、お前!誰だ?」

三五郎「その声は、多十だなぁ?早く開けろ、三五郎だぁ?!」

多十「三五郎兄ぃでしたかぁ、今開けます。」

ガラガラ、ガラと、多十が戸を開けると、もう、待ち切れない気持ちの三五郎が飛び込みます。

すると、出会い頭に、ぶつかり多十は吹っ飛んで土間に転がります。そして、其れを見て三五郎が罵声を浴びせる。

三五郎「ドシ!間抜け!一昨日来やがれ。」

多十「貴方が突き飛ばすから。。。兄ぃ!三五郎兄ぃ!駄目ですよ、草鞋履いたまんま座敷に上がっちゃぁ!!」

慌てて静止する多十の言葉何んて聴いちゃいやい。

三五郎「構わねぇ〜」

多十「アッシが親分に叱られます。」

必死に縋り付く多十。仕方ないと思った三五郎、手拭いを多十からもブン取って、

二枚の手拭いで、草鞋を包み、泥が畳には、一応、落ちない様に細工して座敷へ上がります。

之を見て呆れ果てる多十ですが、今から何が始まるんだ?!ってんで、跡を追います。

すると、三五郎は、長火鉢に当たりながら、寝酒をチビチビやっている次郎長の前に、座り込んでこう叫びます。


親分!てぇ〜へんです。


次郎長「何を抜かしやがる!大変なのは、手前めぇ〜一人だぁ?

何を玄関口から、けたたましい音をさせてやがる。火事でも起きたか?地震?まさか、富士のお山が火を噴いたかぁ?!

其れとも、殴り込みかぁ?皆んな何んの騒ぎだ?と、起きて来てるじゃねぇ〜かぁ?!馬鹿野郎。」

三五郎「まぁ、親分駆け付け三杯と申します。取り敢えず、一杯呑ませて下さい。」

次郎長「おう!構わねぇ〜、グッと呑みねぇ。」

三五郎「では、お言葉に甘えて! ってアチッ!火傷しちまうよ、どんな酒呑んでいるんです、親分。」

次郎長「悪りぃ、燗が熱過ぎて、俺もチビチビやっていたんだ。ところで、三五郎!落ち着いたんなら、『大変の訳』を話して貰おうかぁ?」

三五郎「へい、実は、青木屋に、都鳥の奴らが戸愚呂を巻いてやがります。」

次郎長「何ぃ〜!都鳥の野郎がぁ?!」

三五郎「皆さんお揃い何んで、少し近付いて下さい。車座になって下さい、アッシが之から詳しく話しますから。」


と、言うと青木屋に、都鳥一家と尾張から集められた保下田の残党十一人が居る事を、三五郎が細かく説明致します。

次郎長「そうかい、馬鹿程始末のいけないモノはねぇ〜とは宜く言ったもんだぁ。

愛する子分、石松の仇とは言え、十人、十五人を叩き斬るのは、世間様やぁ、上役人の手前、宜しくなかろうと思うから、

都鳥が嶋内に帰っているのは知っていながら、誰か然るべき仲裁人、時の氏神を立てて来るなら、

都鳥三兄弟が丸坊主になり、引退致しますと、詫び証文の一つも書いて、余生は石松の供養をして呉れるなら、

手打ちにしても宜いか?と考えた時期も有ったんだがぁ、俺たちが河豚で酷でぇ〜めに合ったと聞いて、

その病に乗じて寝首を掻きに来るとは、本当に太てぇ〜野郎だぜぇ!都鳥。

もう勘弁出来ねぇ〜、堪忍袋の緒が切れた!二階に居る野郎も、一階の人間も、皆んな此処へ集めて呉れ。

そして、おい!お前たち土間に一列に並んで呉れ。今夜は塩梅よく、主だった子分は、全員揃ってやがる。

ヨシ、大政、そこの引き出しから巻紙と、筆と硯を取って、俺が之から言う文言を書き留めて呉れ!!」

大政「ヘイ、親分、用意が出来ました。」


逆縁ながら、我が子分遠州森ノ石松の仇!、お命頂戴せんが為に、今晩、追分宿青木屋へ推参仕り候。


次郎長「続けて、仇討ちに行く者の名前を書いて呉れ。勿論、俺は行く。


・清水次郎長

・清水ノ大政

・清水ノ小政

・追分ノ三五郎

・大瀬ノ半五郎

・奇妙院常五郎

・大野ノ鶴吉

・小松ノ七五郎

・鳥羽熊

・美保ノ松五郎

・法印大五郎


見事に、石松の仇を打ち取りし跡、ご迷惑とは存じますが、同十一名にて、其方へ草鞋を脱がせて頂きたく、

宜しく御引き廻しの程、御願い奉ります。文久三年十二月二十一日 清水湊・山本長五郎。」

大政「この書状の送り先は?」

次郎長「小金井の小治郎親分宛に、早飛脚で頼む。」

大政「ヘイ、畏まりました。」


次郎長「さてお前たち、これから、こっちも十一人で青木屋へ殴り込みだぁ。

いいかぁ、宜く聴け!残った者は、枡川ノ仙右衛門と問屋場ノ大熊に跡を任せるから、二人を中心に俺や大政の留守をしっかりと頼む。

仙右衛門!大熊!お前たち二人は、まだ、河豚の毒で痺れている。だから、俺たちの留守を頼む。

今回は、石松の葬い合戦だぁ。都鳥三兄弟をはじめ十一人も、叩き斬る事になる。

暫くは清水には帰られねぇ〜、長い草鞋になる事を覚悟して呉れ!!」

全員「へい、行ってらっしゃいまし。」


次郎長の号令で、十人の戦支度が早くも整いまして、大瀬ノ半五郎が申します。

半五郎「親分、あんな奴を斬って、長い草鞋を履くには及びませんぜぇ。

ましてや、草鞋を履いている最中に、思わぬ裏切りに合って役人に捕まりでもしたら、

死罪、遠島なんぞになって御覧なさい、本当に元も子もない。

だから、十一人で奴らを叩き斬って仕舞ったら、アッシ一人でお恐れながらと代官所へ訴え出て罪を被りますから、そうさせて下さい。」

次郎長「けれども半五郎!お前一人に貧乏くじ背負わせるみたいで、気が引けるぜぇ。」

半五郎「なーにぃ、宜う御座んす。アッシにはこの胸に秘めた考えが御座います。」

大政「そうは言うが半五郎。もし、誰かが一人で罪を背負うんなら、代貸で清水一の子分の俺だろうって。」

半五郎「大政の兄貴、お前さん!訴え出てどう言い訳をしなさる?」

大政「そりゃぁ〜。。。そうだなぁ〜、そん時に成れは、俺がちゃんと言い訳するよ!」

半五郎「大政の兄貴、アンタ、胸に何にも無いから、言い訳できねぇ〜じゃねぇ〜かぁ?!

俺には、ちゃんと決めた言葉が此の胸ん中に有る。やっぱり、自訴する役目は、俺だぜぇ?!親分。」

次郎長「兎に角、先ずは、都鳥十一人を仕留めてからだ!半五郎。

捕らぬ狸の何んとやらッて言うからなぁ。いいなぁ〜、お前たち。無事に此の家に帰り着く事も大事だぞ!判ってるなぁ?!」

全員「へぇ!合点だぁ。」



そう言って次郎長以下十一人が、夜陰の峠道を、月灯りを頼りに急いでやって来たのは、追分峠下の青木屋の前。

時刻は、もうすぐ四ツ半になろうとする頃で御座います。

次郎長「三五郎?!」

三五郎「ハイ、親分。」

次郎長「チョいと、中の様子を見て来い。」

三五郎「合点でぇ!」

素早く勝手口から中に入った三五郎、庭を抜けて奥の離れの方の様子を見る。そして、直ぐ報告に戻ります。

三五郎「親分!都鳥の奴ら、まだ、奥の座敷で賑やかに浮かれています。」

次郎長「ヨシ、それじゃぁ、青木屋の主人を内々に此処へ呼んで来て呉れ。」

三五郎「へい、畏まりやした。」

再度、三五郎が勝手口から帳場の方へと顔を出すと、主人は何やら帳面を付けている。

三五郎「オイ、旦那?!」

主人「こりゃぁ、追分の親分、お戻りでぇ。ささぁ、昇って下さい。お比呂が待っています。」

三五郎「旦那、それどころじゃねぇ〜んだぁ。ちょいと、オイラに顔を貸してくんなぁ?!」

主人「左様ですかぁ。承知しました。」


帳場を離れた主人を連れて三五郎、外へと出ます。

主人「あぁ、流石に外は冷えますねぇ。親分、ところで、何んで御座います?」

と、言う青木屋の主人を、勝手口から引っ張り出した追分ノ半五郎。

袖を引いて、道を挟んだ反対側へと連れて参ります。

主人「追分の親分、此処は紺屋の染樽が積んである作業場の前じゃねぇ〜ですか?どうかぁなさいました?」

三五郎「親分!青木屋のオヤジさんを、しょっ引いて来ました。」

主人「何んです!しょっ引くだぁ何んて!?私は何も悪いことはしておりません。」

次郎長「コラっ!三五郎。素人の旦那を揶揄うなぁ!!」

主人「アッ、之は次郎長親分。」

次郎長「すいません、青木屋の旦那。三五郎の奴が、巫山戯た事を申しまして。コラッ三五郎。謝りやがれぇ。」

三五郎「勘弁して下さい。ちょいと、洒落ですよ。」

次郎長「洒落でしょっ引くとか言うなぁ!馬鹿。 ところで、青木屋の旦那。何時も商売繁盛のご様子、結構で御座います。」

主人「此れは此れは、お陰様で有難う御座います。」

次郎長「青木屋さん、堅気のご立派な旦那衆を、こんな往来に真夜中引っ張り出しまして、誠に済いません事ッて、御免なすッて。」

主人「いえいえ、親分。恐れ多い事ッて、頭を上げて下さい。恐縮します。さて?何用でぇ?」

次郎長「旦那に、少しばかりお願いしたい事が、実は御座いまして。」

主人「親分の前で恥ずかしい限りですがぁ、こう見えて立派な商いをして、数多くの奉公人を養ってはおりますがぁ、

銭が在るようで無いのが、此の商売です。世間様から、水商売と言われるだけに、借金も意外と御座いまして。。。

時に、親分!こんち、必要な金子は、さて?如何程でしょうか?」

「ハッハハァ〜!」と高笑いの次郎長が、

次郎長「旦那、アッシも無職渡世に生きる賭博打(ばくちうち)には、違い御座いませんがぁ、

痩せても枯れても、清水次郎長は漢で御座んす。任侠道に劣る行いは致しません。

こんな夜中に、堅気の旦那を、道の暗がりに引き摺り込んで、借金の算段をしたりは致しませんから、ご安心を。」

主人「こいつは、申し訳ない親分、許して下さい。ささぁ、お金の事じゃないなら、何でも言う事を利きます。

さぁ!何なりと、ご存分に仰って下さい。親分。」

次郎長「では、お言葉に甘えて。。。ご主人、この青木屋を、アッシに百五十両で売って下さい。」

主人「エッ?!何ですかぁ?藪から棒に。訳を?訳を、聴かせて下さい、親分。」

次郎長「実は、今、この三五郎から聴いた噺なんですがぁ。お宅に、十一人でやって来て、奥の座敷で浮かれてやがる野郎!!

あれは、昨年、騙し討ちに合って殺された、遠州森ノ石松の仇!都鳥三兄弟とその子分達なんです。」

主人「エッ!石松さんの。。。仇。」

次郎長「そうよぉ、石松の仇よぉ!!」

主人「石松さんは、本当に義理人情に厚く、アッシらにも優しくして下さいました。

子供シが好きなお方で、酒呑んでは喧嘩ばかりする乱暴な方でしたが、幼い子供を見せると、暴れるのを止めて、

其れは其れは、満面の笑みに成って、子供の相手をして、遊んで下さるんです。本当に宜い人を失いましたねぇ、親分。

分りました!青木屋は、親分に譲ります。存分に、石松さんの仇を取って下さい。」

次郎長「有難う!ご主人。石松も草葉の陰で喜んでいる。では、そうと決まったら、早くご主人、お店に居る家族と奉公人を逃がして下さい。」

主人「分かりました!そうさせて頂きます。」


そう言うと青木屋の主人は、店に戻りまず帳場・勘定場から、必要な金子と台帳を風呂敷に詰めて荷造りを始める。

そして、まずは、起きてまだ働いている若衆、女中を集めて、カクカクしかじか、次郎長親分が、石松の仇を討つ!と、伝えて、

兎に角、着の身着のまま、逃げるようにと一人頭二両の金子を渡して、直ぐにこの場を立ち去るように致します。


一方、九ツまであと半刻、吝で因業な都鳥吉兵衛がこんな大判振る舞いをして呉れる事なで、二度と無いと思いますから、

酒の追加、刺身の追加を、ジャンジャン致しまして、料理の到着を待っておりました。

すると、何んとなく伝わるもので、流石に離れの座敷とはいえ、厠に出た野郎が、母屋の方が静か過ぎる事に気が付きます。

更に、頼んだはずの酒や料理が来なくなりましたし、お膳や空の銚子、徳利を下げに来ていた女中は来ない、

酌婦は「オシッコ!」と、言って厠へ出たっきり戻りませんから、仕切りに手を叩き、「オーイ!」「頼もう〜!」と怒鳴りましても反応が御座いません。

吉兵衛「どう成っているんだぁ?!この家は?」

伊賀蔵「緊急事態宣言ですかねぇ?!」

吉兵衛「そんな訳があるかぁ?! 兎に角、何んかぁ変んだなぁ?」


と、流石に都鳥の連中も、異変に気付き始めております。そこへ、青木屋の主人と奉公人が全て逃げた事を見計らって、

次郎長たちは、兼ねての打合せ通り、次郎長、小政、三五郎、七五郎、そして大瀬ノ半五郎の五人が正面から殴り込み、

離れを四方から大政、鶴吉、常五郎、鳥羽熊、松五郎、そして法印大五郎の六人が、逃げ出す奴等を待ち受けます。

じっと座敷ん中の様子を見ている次郎長、都鳥の十一人が、シーンと水を打ったように静かに成った、次ぎの瞬間!!

いきなり、障子戸や唐紙を蹴破り、三方向から五人の次郎長一家の面々が、段平抜き身で飛び込んで来る!!

吉兵衛「な、な、な、な何んだぁ?!手前めぇ〜達は?」

次郎長「ヤイ、見忘れたかぁ?都鳥、俺だよ、清水湊の山本長五郎、又の名を清水次郎長だぁ!!」

吉兵衛「エッ!次郎長???なぜぇ、此処に。。。」

次郎長「残念だったなぁ、都鳥吉兵衛。清水次郎長は、らくだとは違って、河豚の毒ごときでは当てられないんだ!ベラ棒めぇ〜。」

吉兵衛「

次郎長「吉兵衛、此処で遭ったが百年目、優曇華の花に、盲亀の浮木!

可愛い子分、石松のぉ〜、仇をきっちり捕らせて貰うから、覚悟しやがれ!此の腐れ外道。」

吉兵衛「なぁ!なぁ!次郎長ドン。。。噺を噺を聴いて呉れ。。。誤解なんだぁ。。。石松がぁ〜」

次郎長「黙れ!ベラ棒めぇ〜こちとら、とっくにお見通しだ。奥州甚子が貴様の名代だと仲を取りに先日来やがったよ!

貴様に騙されて、赤ッ恥かいて俺に五、六発、ソッポに拳骨喰らって、貴様が出した和解金の半分、百両を慰謝料だと言って貰って消えたぜぇ、コン畜生!

其れになぁ〜、こちとら、此の漢から全て聴いてるんだぜぇ、七五郎!、此の間抜けな都鳥の奴らに毒を吐いてやれ!!」

七五郎「ヤイ!都鳥三兄弟、此処が貴様達の地獄の一丁目の入口になる、兄弟石松の仇だ!覚悟しやがれ、このスカポンタン。」


都鳥の十一人、蛇に睨まれた蛙、誰も動く事すら出来ないでいるのか?と、思いきや、一人、天竜ノ為五郎だけが、脇差を抜いて次郎長に斬り掛かります。

為五郎「こうなったら道連れだ!次郎長、覚悟。」

しかし、剣術の腕前が違います。スッと体を交わした次郎長、為五郎の肩を後ろからポンと一つ押す。

為五郎は、ツンのめって破れた唐紙に突っ込む所を、次郎長に後ろから肩を袈裟懸けに斬られて、胸下迄ザックリやられて絶命したす。

次郎長「褒めてやるぜぇ、為五郎。之が天竜で約束したお土産だぁ。」

次郎長、そう呟くと、鬼のように吉兵衛を睨み付ける。吉兵衛は、もう、開き直ったか?

狂った様に、御膳をびっくり返し、刀を抜いて次郎長に斬り掛かる!!

しかし、しかし、次郎長、チャリンと上に刃を払うと、都鳥吉兵衛の胸目掛けて、ツキを喰らわせる。


ギャッ!!


と、短く叫んだ吉兵衛。更に次郎長は、刺さった刀をぐるぐるとドリルの様に回転させます。

心の臓が破裂した吉兵衛、口から鼻から、そして目と耳からも夥しい鮮血を瀧の様に流しながら生き絶えます。

この時の都鳥吉兵衛の死顔の凄まじい事!この世のモノとは思われぬ悪鬼の如くで御座います。


さぁ此れを見た都鳥吉兵衛の実弟、常吉、梅吉が先ず、逃げ出しますが、次男常吉は七五郎に脇腹を突かれ、

三男梅吉は、すばしっこい小政が直ぐに追い付き、頭を割られて、顔半分が抉られながら死んで行きます。

更に此れを見て、保下田の残党、布橋ノ鐘吉、小嶋ノ松五郎、鹿嶋久松の三人と、

都鳥四天王の伊賀蔵、半作、重太郎、音松の四人も散り散りに座敷を抜け出そうとします。


しかし、


布橋ノ鐘吉は、大瀬ノ半五郎から座敷を出た廊下で背中から斬られ、首に留めを刺されます。

何とか逃げ出した小嶋ノ松五郎は、座敷から庭へ飛び出した所を、大政の槍でひと突き。

最後の鹿嶋久松は、大野ノ鶴吉から足を掛けられ倒れた所を、馬乗りになられ匕首で滅多刺しで御座います。

一方、四天王はと見てやれば、奇妙院常五郎、法印大五郎、鳥羽熊、美保ノ松五郎の四人から追い掛け回されて、

庭ん中で、いたぶるようにして斬り殺されてしまいます。そして、時を告げる鐘、もう、八ツで御座います。


さて、任侠(ヤクザ)無職渡世の喧嘩、出入りと言うやつは、武士の戦とは違い、

絶対に瀕死で倒れて居る者に、後から留めを刺す行為を致しません。

此れは、彼らなりの任侠道でありまして、おそらく、賊や強盗がする、最後に瀕死の人間の首に刃を刺すやり方を嫌っての事ではないでしょうか?

勿論、清水次郎長一家の十一人も、鐘を聴いた次郎長の『野郎ども!行くぞ』の合図で、此の場を立ち去り、生死を確認しトドメを刺す事は御座いません。


とは言え、翌日、役人が参りますと、十一人は絶命!偉い大騒ぎになりますが、昼過ぎに大瀬ノ半五郎が一人自訴して参ります。

そして、まぁ〜細かく手口を語りまして、取り敢えず、牢屋に留め置かれる事になります。

一方、清水次郎長と九人は、東海道を藤沢まで出て、ここから江戸へは向かわず、八王子を経由して、兼ねての手筈で、小金井ノ小治郎の所に身を寄せます。

この小金井ノ小治郎が、駿府の代官に対して鼻薬を嗅がせまして、大瀬ノ半五郎の牢での待遇もすこぶる宜くなります。

そして、元々評判の良くない都鳥三兄弟とその子分、更に、巻き込まれた天竜ノ為五郎も、一匹狼の鼻摘まみですから、

次郎長一家が、石松の仇討ちで殺したと分かっていながら、大瀬ノ半五郎は、都鳥の十一人に襲われて、

万やむなく正当防衛で殺した事になり、一年の受牢で釈放されてしまいます。

こうして、遠州森ノ石松の仇を討った清水次郎長一家は、半五郎が釈放されたと聞いて、小金井から清水湊へと戻るのでした。



つづく