為五郎「時に親分!石松さんが、殺されたのを、ご存知ですか?」
次郎長「何ぃ〜!!石松が殺(や)られたぁ?!」
次郎長が天を仰いで叫び声を上げると、脇に居た子分六人が、為五郎の周りをぐるっと囲んで、エッ!っと感嘆の声を上げた。
悲鳴を上げたいのは、次郎長一家の七人よりも、物置小屋の都鳥一家の七人の方である。
伊賀蔵「あの野郎!言わないで宜い事を、ベラベラと、なぜ、寝た子を起こす様な真似をしやがる?!」
吉兵衛「本当だぁ、為の野郎、俺たちを次郎長に売るつもりかぁ?!」
常吉「為五郎の奴が、全部喋っちまったら、兄貴!何処へ逃げるんだ?」
吉兵衛「逃げるだぁ?物置小屋に押し込められてんだ、逃げる道なんか無ぇ〜さぁ。庭に出て戦うしかねぇ〜!!」
常吉「戦うッて。。。相手は次郎長一家の精鋭七人だぞ?自殺するのと同じじゃぁねぇ〜かぁ?!」
伊賀蔵「もう、為五郎の舌先三寸!之を信じるしかねぇ〜。」
吉兵衛「何んで又、石松の噺なんぞするんだ?あの馬鹿野郎は。」
伊賀蔵「野郎、悪知恵だけは働きますから、何か企んでいるハズです。」
吉兵衛「企んでいるのが、俺たちを次郎長に売るんだとしたら、どうするんだ?伊賀蔵。」
伊賀蔵「俺たちを売って、次郎長に恩を着せるんなら、最初(ハナ)やってますよ。其れを、態々、行水させて麦湯を飲ませて、十両貰った後で切りだしたって事は、其れなりに別の計算が在るハズです、親分!」
吉兵衛「まぁ、もうまな板の鯉だ!成り行きを見守るしか無ぇ〜!」
次郎長「何んだあ〜、為五郎さん。石の野郎が殺されたのは何時なんだい?」
為五郎「ヘイ、今日が二十日ですからぁ、十九、十八、十七日の夜中と言うかぁ、十八日の明け方と言うのか、その時分なんだそうです。
小松村にある閻魔堂の裏手、用水池があるんですが、その池に沈められていたのを、偶々、釣人の竿に掛かって引き上げられたんだそうで御座います。」
次郎長「ふーんそうかい?其れは確かなんだなぁ?」
為五郎「真正(ほんと)ですとも、人の生き死に関係(かかわる)ことですから嘘は申しません。」
次郎長「俺の代参で讃岐の金比羅さんに、『行け!』と言われた野郎の顔が、実にうらめしそうな面してやがった。
そして、清水湊を出る時に、『行って参ります』と、立ち上がった様子も影が薄くて、厭な心持ちを感じちゃぁ〜いたがぁ、俺が凡庸(ぼんくら)だから、死相に気付いてやれなんだ。
誰かぁ、一人お伴を付けて送り出すべきだった。この二、三日、夢見が悪いとは思っていたがぁ。。。金比羅参りで浮かれているッたって、帰りが遅過ぎるとは、思ったんだぁ。
あぁ、何んて馬鹿な事をしたぁ。悔いても悔やみ切れねぇ〜ぜぇ、本に、宜い若い者を一人死なせちまった。惜しい事をした。」
為五郎「親分!実にお気の毒でした。」
次郎長「お前、何か知っているのか?石松を殺(や)ッた野郎の事を。」
為五郎「いやぁ〜、知っているッて程の事は、知りませんが、風の噂、世間が言う噂噺ぐらいは耳にしております。」
次郎長「そいつは宜い、探す手間が省けらぁ〜、石松を殺(や)りやがったのはぁ〜何処のぉ〜どいつだい?!」
為五郎「まさかの!にしおかすみこ。。。アタシだよ!とは、言いませんが、殺(や)ったのは、黒龍屋の盆茣蓙でイカサマに揉めた、小松村の七五郎の仕業だって、専らの噂です。
その七五郎の野郎が、兄貴風を吹かせて、石松さんの逆鱗に触れて、手がつけらんなく黒龍屋の賭場で、恥をかかされたのを恨みに思って、
野郎、閻魔堂に隠れて、石松さんを闇討ちにして、裏の池に捨てたそうなんです。しかも、翌日役人が検死に来たら、
『俺は此の野郎の兄貴分だ!』と、調子のいい事ぬかしやがって、形見のしるしとか言って、小指と髷、其れに眼帯代わりの天保銭まで持って、何処かへ隠れちまったそうです。」
次郎長「そうかい。でも、其の噺は、お前さんが見た噺じゃぁ、無ぇ〜んだろう?」
為五郎「そりゃぁ〜そうです。あくまでも噂で御座んす。」
次郎長「確かに、仲が良過ぎるのも考えもの。気心が知れ過ぎて、間違いになる!ってな噺は、幾らでもある。だがなぁ、証拠も無しに、迂闊に動くのは、愚の骨頂だ。
其れに、こう言う噺は、噺半分にしておくぐらいが丁度いい。今は騒がす、石の野郎の供養をしてやる事が先決だ。」
為五郎「そうで御座いますねぇ、ちょいと、出過ぎた事、言いました。」
次郎長「いやぁ、有難うよぉ。為五郎、じゃぁ〜、お前さん、悪いがこうして呉れ。」
為五郎「何んで御座んしょう?」
次郎長「俺たち七人は、暫く身を隠す。姿(なり)を変えて、散り散りで逃げて行く事になる。しかし、お前さんの所へ、二日、三日に一回(いっぺを)は繋ぎを付ける。
だから、お前さんは、何か、石松を殺した野郎の話を耳にしたら、俺たちやその繋ぎの野郎に、お前さんが聞いた事を話して呉れ!頼りにしてるぜぇ、為五郎。」
為五郎「ハイ、勿論よーガス。アッシも石松さんとは懇意にしてましたから、仇討ちの役に立てば、何より幸いです。」
大政「為!頼んだぜぇ、親分の言いなすった通りだぁ。小まめに繋ぎを必ず付けるから、お前は、石を殺した野郎を、見付けて於け!頼んだぜぇ。」
為五郎「言われなくても、合点です。石松さんをやったのは、小松ノ七五郎に決まってんだぁ。野郎の隠れて居そうな所を、必ず、見付けて於きますからぁ!」
大政「あぁ、頼んだぜぇ、為!」
次郎長「さて野郎ども!メソメソしチャ〜いけねぇ〜。大分日が傾いて、影法師が長くなり始めたぜぇ!さぁ!そろそろ行こう。」
全員「ヘイ!!」
次郎長「為五郎、世話になった。」
為五郎「どう致しまして、過分に祝儀を頂戴して、どうかぁ気を付けて行ってらっしゃいまし。
親分!街道へ出なさるんで?それとも、天竜を舟で上りなさるんですかぁ? そうですかぁ、其れなら左に折れて、赤松ん所を右に行かれたら近道だぁ。ハイ、御免なすって!!」
縞の合羽に三度笠。愛する子分の森ノ石松の死を知らされても、涙一つ見せない次郎長が、子分六人を従えて、長い影法師を作りなが、西の方を目指し、無言で去って行こうとしている。
其れを見送りながら、為五郎、舌をペロリと出して、「様ぁ〜見やがれ、まんまと騙してやった。」そう言って、庭の物置小屋の方へと駆けて参ります。ガラッと戸を開けて、
為五郎「さぁ!もう大丈夫だぁ、こっから出なぁ。」
そう言って為五郎が物置の戸を開けると、中からドタドタドタっと七人が這うようにして、出て参ります。
吉兵衛「お、お、お、お驚いた!驚いた。為!びっくりさせるじゃねぇ〜かぁ、肝を潰したぜぇ、ッたく。」
為五郎「何を言うんだぁ。次郎長の野郎が、石松が殺された経緯を知っているか?確かめてやったんじゃねぇ〜かぁ。
安心しなぁ、七五郎は次郎長と、まだ、出会って無ぇ〜。首の皮一枚、繋がったじゃねぇ〜かぁ。
その上で、野郎、全く知ら無ぇ〜様子だから、先手を打って口裏を引いて、いい塩梅に騙くらかしてやったんじゃねぇ〜かぁ。」
吉兵衛「そんなら、そうと。予め言って於きゃぁ〜宜いじゃねぇ〜かぁ。出し抜けに、石松が死んだのはご存知ですか?
何んてぬかすから、肝を冷やすんじねぇ〜かぁ、洒落にならねぇ〜ぜぇ、為。寿命が三年は縮むじゃねぇ〜かぁ。」
為五郎「あの場面で、予め算段なんか無理だろう?悟れよ、察ッしなぁ親分と呼ばれる身分なら。そして、石松を殺(や)ッたんだろう?少しは、先々を読んで行動しなきゃぁ、次郎長に殺されるぞ?」
吉兵衛「兎に角、うかうかしちゃ居られねぇ〜、直ぐに少しでも遠くへ逃げる算段だぁ、伊賀蔵!」
伊賀蔵「ヘイ、親分。」
為五郎「お前さん達は、そんなに恐いかい?」
吉兵衛「何をッ?!」
為五郎「お前さん方は、そんなに次郎長が恐いのかい?ッて言ってるんだぁ。」
吉兵衛「そりゃぁ〜恐ぇ〜さぁ。」
為五郎「そんなに恐いんだったら、なぜ、石松を殺(や)っちまったりするんだい?殺(や)んなきゃぁ宜かろうに。
それに、次郎長が恐いッたって、三面六臂の鬼神じゃあるめぇ〜ぜぇ。子分にしてもそうだぁ。
大政、小政が鬼より恐いと言われてるたって、荒木又右衛門や、柳生十兵衛、宮本武蔵って訳じゃねぇ〜。そんな十人力、二十人力の手練れは一匹も居ねぇ〜じゃねぇ〜かぁ?!
相手は、七人なんだぜぇ。コン畜生!こっちは、俺が加勢すりゃぁ八人だぁ。腕が二本、目が二つ、足が二本に、肝っ玉が一つ余計なんだ、
軍師為五郎が、取って於きの策に嵌めれば、次郎長だって何だって、叩き斬る事だって出来るんだぜぇ、吉兵衛さんよぉ〜!!」
吉兵衛「大きく出たなぁ〜、どうやって叩き斬るんだぁ?!」
為五郎「訳もねぇ〜ことよ。物事には、策、計略ってもんがある。その極意は、相手を油断させる事った。そして、その隙を突いて一気に叩き斬る。之が極意よぉ。」
吉兵衛「能書きは宜いから、具体的にどうやって罠に嵌めるんだ?教えろ!為五郎。」
為五郎「知りたいかい?」
吉兵衛「あぁ、知りたい!!」
為五郎「先ずは、この七人の誰か一人が次郎長を呼び戻しに走るんです。まだ、さっき立ったばかりだから、三、四丁先だぁ、走ってって呼び止めれば間に合います。」
吉兵衛「次郎長を呼び止めて、何をしようッてんだい?!」
為五郎「石松が殺された件で、次郎長親分が心を痛めておられると、為五郎から聴いて、ウチの都鳥の親分が、是非、次郎長親分のお耳に入れたい噺があると言っております。
とかなんとか、上手く言って、次郎長と子分六人を、この家に呼んで来るんです。そう言って呼んで来たなら、締めこの兎!!」
吉兵衛「何んだぁ?どうするんだ?どうやって次郎長の奴を叩き斬るんだよぉ。勿体付けずに早く言いねぇ〜、為五郎。」
為五郎「跡は、次郎長たちを家に引き入れて、お暑う御座いますから、格上の皆さんは、どうぞ!どうぞ!と、縁側に上げて座らせる。
そうして於いて、お前さん達は、縁側を挟んだトイ面に、表にある飯台を並べて座り、『実は、石松の最期についちゃぁ〜』と、
何やら含みを持たせて、大事な話をする様子を漂わせる。そうしたら、次郎長一家の七人は、どうします? そう!『有難う御座んす。』と、お辞儀をするハズだぁ?!」
吉兵衛「確かに、十中八、九。いやいや、義理堅い次郎長だ!必ず、先に『わざわざ、ご苦労様です。』と、礼を言ってお辞儀する。」
為五郎「その次郎長の子分だ!親分が頭下げたら、揃って頭を下げるに決まっている。其処を、一思いに斬り付けるんです。
ただし、一人必殺。七対七が、ひとりずつ対応して予め並んで於く必要がある。だから、縁側を挟んで、奴らは上座へと誘導し、あぐら、正座で座らせて、
こっちは、いざとなったら、直ぐに立ち上がり斬り付けられる様に、飯台に腰掛けて対峙するんです。
そして、斬るッたって、刃で包丁斬りはしくじる虞れがあるから、必ず剣先で突いて下さい、奴らの首を、出来れば喉を。
万一、頭を下げないのが、一匹、二匹居たら、そいつはオイラが背後から刺して殺(や)るんで、ご安心を!」
吉兵衛「成る程!やるなぁ〜、為五郎。自分から策士と自慢するだけの事はある。」
伊賀蔵「確かに、この計略なら、次郎長一家の七人を殺(や)れますぜぇ、親分!」
為五郎「そうと決まったら、早くしないと、次郎長たち七人が、どんどん先へ行っちまいますぜぇ。」
吉兵衛「ヨシ、伴作!お前が一番足が速い。次郎長を騙して呼んで来い。」
半作「へぇ、合点だぁ!」
言われて、もう七、八丁先を行く次郎長たち七人を追い掛ける半作。小走りに進みながら、「清水の貸元!」「おーい、待って下せぇ!」と叫びます。
一方、次郎長の足取りは重く、『俗名森ノ石松』と呟いて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と小さな声で念仏を唱えながら、の道中です。
すると漸く、二丁を切る距離まで半作が迫った所で呼ぶような声を耳にしますから、七人が立ち止まる。
すると、旅姿でガニ股の野郎が、汗をダラダラ流しながら、やって参ります。
半作「ハぁ〜ハぁ〜、待って下せぇ!間違えたら失礼さんに、御座んす。清水の貸元じゃぁ〜、御座んせんかぁ?!」
次郎長「あぁ、そうだがぁ、お前さんは?」
半作「アッシは、都田の都鳥一家の若い者で、中間ノ半作と申します。今しがた、尾張の仲の町から帰る途中、
親分の吉兵衛とその舎弟常吉、梅吉の都鳥三兄弟と、アッシら古株で、先代源八ん時からの若い衆を合わせた七人で、本座村の為五郎の茶屋へ着きました所、
為五郎の野郎が『今日は七人連れが流行る日だ!』と、妙な事を申します。『何が有った?どうしたんだぁ?!』と聴きますと、
カクカクしかじか、清水次郎長親分と、子分衆六人、合わせて七人が今来て、ほんの入れ違いで、先へ行きなすったばっかりだと申します。
其れは、残念な事をしたと、吉兵衛が悔やんでおりますと、為五郎の奴、次郎長親分が石松さんが亡くなられた事を、痛く悲しんでおられると聞いて、
ウチの親分、吉兵衛は、生前、石松さんとは浅からぬ仲でして、この石松さん殺害の一件では、是非、親分のお耳に入れたい大事な噺が御座して。。。
とは言え、こんな往来で立噺って訳にも参りません、為五郎の家まで、ご足労願います。」
次郎長「ヨシ!そいつは、行かなぁ〜なるめぇ〜。」
と、言葉巧みな半作の嘘に乗せられて、次郎長以下七人は、今来たばっかりの道を、為五郎の家を目指して逆戻りを始めます。
そして、半作が道先案内を務めるまして、次郎長以下七人を、まんまと為五郎の茶屋へと引き摺り込みます。
次郎長「為五郎!又、世話になるぞ!」
為五郎「之は之は、清水の貸元、いやぁねぇ、お前様方が出た直後に、今度は都鳥一家の皆さんが又々七人で見えてビックリしていたら、噺が石松さんの事になりましたんで、半作親分に呼びに行って貰ったんです。」
次郎長「そうかい!そいつは、ご丁寧にぃ。」
為五郎「今、お茶を入れますんでぇ、親分!それから、皆さん、庭から縁側へ回って、ささぁ、汚い所ですが、座布団当ててお座り下さい。」
次郎長「いやぁ、先客は、都鳥の皆さんだ。其方が上へ昇がって下さい。アッシら庭で、その飯台を使わせて、頂きますからぁ。」
吉兵衛「何を言うんだぁ、清水の貸元!お前さんの上座になんて、俺が座れるもんかぁ、ささぁ、先に上がって下さい。後生だぁ、いじめねぇ〜で欲しい。」
次郎長「判りました。年功序列で、アッシらが縁側の上座へ行かせて貰います。」
そう言って、大政、枡川ノ仙右衛門、奇妙院常五郎、そして、次郎長が真ん中に入り、小政、法印大五郎、最後に大瀬ノ半五郎と言う順に座った。
対する都鳥は、ギリギリまで縁側に飯台を寄せて、伊賀蔵、半作、重太郎、そして次郎長に対峙する位置には吉兵衛が入り、常吉、梅吉、音松の順に座るのでした。
吉兵衛「この度は、森ノ石松ドンが飛んだ事になり、慰めの言葉も御座いません。」
そう言うと、一斉に、次郎長一家が頭を下げるかぁ?!と、期待して構えて居たが、この出鼻を挫くように、次郎長が。
次郎長「それより、お前さんのオヤジさん、先代親分の源八さんのお悔やみから、入らせて呉れ。少しばかりの香典を包んだだけで、
佛さんには、まだ手も合わせず、本に済まないねぇ、吉兵衛ドン。それにしても、宜く我慢なすった。源八親分が人違いで殺されて、
兄弟三人力を合わせて、一家を一つに纏める苦労は並み大抵じゃなかったはずだ。其れを、弱音も見せずに、しかも、間違いとは言え殺した相手、
親の仇の江戸屋虎五郎とは、手打ちの後、縁を結ばれたのには、本当に驚いたし、感服した。なかなか出来る事じゃぁ〜ねぇ。」
吉兵衛「そんな事は有りません。大前田の親分さんが、導いて下さり、清水の貸元!お前さんが、過分に香典を包んで呉れたから、何とかやってこれたんです。さっ、お前たちも、お礼を申し上げろ!!」
と、先に都鳥一家の方が、飯台を降りて、庭の地びたで、土下座しての『有難う』をして、見せます。勿論、是は後から石松の噺を振った際に、お返しの『有難う』のお辞儀を引き出す為の演出なのですが、次郎長一家が知る由も御座いません。
次郎長「まぁ、頭を上げねぇ〜都鳥のぉ。」
言われて、都鳥一家の一同は立ち上がり、また、飯台に腰を下ろします。そして、
吉兵衛「ところで、次郎長親分!半作からも申しましたが、石松さんの事についちゃぁ〜、是非是非、お耳に入れたい噺が、噺が御座います。」
さっ!頭を下げろ。稲穂に成れ!
と、吉兵衛も伊賀蔵も、為五郎だって念じておりますが、次郎長一家の七人。誰一人としてお辞儀をするどころかぁ!!
前に対峙する都鳥一家の面々の目を、睨んで顔は動かしません。
是には、当てが外れた吉兵衛が戸惑います。
吉兵衛「えー!是非、お耳に、是非、是非、お耳に入れたい噺が御座います。のですがぁ!」
勿論、空振り!全く次郎長の首は、ピクリとも動かない。それが、次郎長だけじゃない。大政、小政、法印、仙右衛門、半五郎、常五郎、誰一人、目を見開いて瞬きすら致しません。
吉兵衛「えー!まっそのぉ〜、まっそのぉ〜、石松さんとは、旧知の仲で、え〜、え〜!まっそのぉ〜。」
お前は田中角栄かぁ!!
と、突っ込みたくなるぐらいしどろもどろの都鳥吉兵衛。これなら、お辞儀しない場合の言い訳を、予め考えて於くんだったと、後悔致しますが、もう、頭は真っ白です。
流石に、是はやばい!と、思った為五郎。次郎長の背後から、次郎長一家の面々には、気付かれない様に、一か八か、次郎長をいきなり刺せ!と、身振り手振りで合図を送りますが、吉兵衛は、
飛んでもない!出来ません!と、イヤイヤの仕草をバレバレで送り返して参ります。もう、ダメだと、半ば諦めたか?為五郎。
為五郎「お茶のお代わりは、如何ですか? そうだ!タバコなんぞを点けますか?!」
と、吉兵衛に一息入れさせる意味も込めて、茶のお代わりやタバコを、薦めたり致しますが。。。
次郎長「為!!茶はもう沢山だぁ、タバコも今はいい!お前さん、ちっとばかり目障りだ、下がってなぁ。時に、吉兵衛さん!石松の噺、早く聴かせて呉れ!オラぁ〜、そんなに気が長い方じゃねぇ〜」
そう凄むと、グイッと更に前に出て、出て来られた吉兵衛が引っ込むくらいの恐い形相をして降ります。そして、唾を一つ大きく飲みこんで。。。
もう、何か喋らなねぇ〜と、この場で、次郎長に喰い殺される!そんな気がした都鳥吉兵衛。結局、さっき、為五郎から聞いた噺を、まんま、鸚鵡返しに喋って仕舞います。
是をじっと目を見開いて、吉兵衛の顔を睨むようにして聴いて居た次郎長が、静かに、喋り出します。
次郎長「その噂は、さっき為五郎さんから聴いた噺のなぞりだねぇ〜。そいつは、誰か見たんですかい?この七人の誰かが?!」
そう言って、吉兵衛に対して更に次郎長が間合いを詰めると、呼応するかの様に、六人の子分たちも、前の相手ににじり寄ります。
吉兵衛「いいやぁ、この七人が見た訳じゃぁねぇ〜。ただ、うちの子分には、役人や岡っ引に近い奴も居て、公儀(おかみ)の方から仕入れた噺として、俺の耳に入れて呉れたんだ。
多分、黒龍屋が後ろで糸を引いて、イカサマで石松さんを嵌めたに違いない。それを、七五郎の奴が金で雇われて、手助けしたに決まっている!!
だから、次郎長ドン。今から為五郎とアッシら七人が助るから、十五人で黒龍屋に斬り込んで、石松さんの仇を討とうじゃねぇ〜かぁ。」
次郎長「おいおい、見た奴が居ないと言いながら、黒龍屋亀吉さんを、いきなり十五人で殴り込みを掛けるとは、正気の沙汰じゃねぇ〜ぜぇ、都鳥のぉ!?
俺が代官所を襲ったからって、闇雲に、横車を押すようなぁ、馬鹿じゃねぇ〜。武井ノ安五郎や、黒駒ノ勝蔵と一緒にしねぇ〜で貰いたい。
其れに、証拠も無しに無闇に、憶測で噂を立てるのも感心しねぇ〜なぁ。特に石松が殺(や)られた件じゃぁ、黒龍屋を悪く言うのは、無しにして呉れ。
お前さんは、オヤジさん、源八ッさんの代から黒龍屋とは反目だぁ。亀吉とお前さんの代になっても、反りが合わないのは宜く知っている。
だからって、石松の仇まで、その流れの憶測で物を言われちゃぁ〜、ちと困るぜぇ!都鳥のぉ。そうやって言われた方の、相手の気持ちも考えて呉れ。
濡れ衣で、『人殺し』と罵られたんじゃぁ、溜まったモンじゃねぇ〜。俺は自分がやられて厭な事は絶対に、他人様にはしない主義だぁ!
いいなぁ、吉兵衛さん。石松の件は、確たる証拠が無いうちは、憶測で噂は立てねぇ〜で呉れ。為!貴様もだぞ。いいなぁ?!」
吉兵衛「いやぁ、黒龍屋への私怨は関係無ぇ〜よぉ。俺は、石松が不憫でぇ、不憫でぇ。。。」
次郎長「くどい様だが、憶測で、石松を殺した野郎の噂だけは止めにして呉れ。本当に石松を殺した仇野郎は、必ず、俺が取るから。」
吉兵衛「判ったよ、貸元。だが、石松の仇を取る時は、俺にも声を掛けて呉れ。何が有っても、助っ人に行くぜぇ!!」
次郎長「あぁ、都鳥のぉ。当てにしてるぜぇ。 じゃぁ、野郎ども!日が暮れる前に峠を越えるぞ。」
大政「為五郎、邪魔したなぁ。二度も押しかけて。」
為五郎「何んの、気になさらないで下さい。」
次郎長「為!本当に世話になった。又、此処に俺たちが現れる時には、必ず、お前に、飛びっ切りの土産を持って来るからなぁ〜、楽しみに待っていて呉れ。」
為五郎「ヘイ、親分!楽しみにしております。」
次郎長「ヨシ、野郎ども!行くぜぇ。」
全員「おう!」
もう、西の地平線に太陽が吸い込まれそうな七ツ時。長い影を引いて、天竜川の堤(ドテ)を歩いて行く次郎長一家の七人衆。
是を背筋が冷たくなりながら、都鳥の七人と為五郎は見送ります。
吉兵衛「飛んだ茶番だった。為!何が計略だぁ〜。危うく次郎長に首を跳ねられる所だ。みろ!半作と重太郎は、又、お漏らしだぁ!」
為五郎「いやはや、全く首なんてタレませんね、次郎長は。イヤ、次郎長一家は。参りました。俺も本座村どころかぁ、駿府にゃ居られねぇ〜、親分!俺も一緒に逃して下さいよぉ〜。」
吉兵衛「兎に角、伊賀蔵!このまんま上州に逃げるぞ。」
伊賀蔵「上州ッて?!」
吉兵衛「決まってるだろう、江戸屋虎五郎ん所だぁ。匿って呉れて、安心なのは、あそこダケだぁ。為五郎、銭持っているなら、一緒に逃がしてやる。道中の路銀は、全部お前持ちだぁ。」
為五郎「エッ!八人分全部俺が一人で払うんですか?」
吉兵衛「厭なら付いて来るなぁ!ここ本座村で、次郎長に斬られて、死ね!!」
為五郎「判りました!命あっての物種。。。背に腹は変えられぬです。行きます!出します!連れてって下さい。」
吉兵衛「野郎ども!直ぐに支度しろ、このまま上州へ逃げるぞぉ。」
こうして、都鳥三兄弟と子分四天王の七人と、本座の『天竜の為』を加えた八人は、大前田英五郎のお気に入りで、
目下関東では一番の売り出し中!江戸屋虎五郎の家に草鞋を脱いで、次郎長からの追及を逃れる算段で御座います。
こうして、都鳥が東に逃げ、一方の清水次郎長と子分六人は、天竜川を渡り西へと、こちらも役人の目を逃れての隠密旅。
やがて八月も終わり九月に入り、いよいよ残暑は去り、秋本番となっります。都鳥は、次郎長の影に怯えて秋の夜長、熟睡できず、怯えてばかりだったのですが、
次郎長たちの噂は、一向に聴こえて来ない。由えに不気味さが増し、益々、眠れぬ夜を過ごす都鳥で御座いました。
つづく