今週は、比較的落語会がないので、
少し落語界の育成の仕組みについて考えることにする。
落語家になるには、誰か“師匠”を選んで、弟子にしてもらう必要がある。
いきなり無所属新!!と、してデビューする事はできないのだ。
ここが、他のお笑い芸人と、落語家の大きく違う部分である。
少し落語界の育成の仕組みについて考えることにする。
落語家になるには、誰か“師匠”を選んで、弟子にしてもらう必要がある。
いきなり無所属新!!と、してデビューする事はできないのだ。
ここが、他のお笑い芸人と、落語家の大きく違う部分である。
他のお笑い芸人は、プロダクションが経営する学校で芸を習う時代なのだ。
吉本が33年前に、NSCを開校してから師匠を持たない漫才師が誕生した。
おいおい、そんなんで大丈夫か?と、思ったら…
いきなりダウンタウン・ハイヒールがデビューした。 学校で芸人できるんやぁー
そう思ってしまった。 じゃぁ、落語の世界もそうすれば?
しかし、そんな意見をあまり聞かない。 落協も芸協も、立川流ですらやらない。
まぁ、一番のやらない理由は、咄家はテレビ芸人のような消耗品ではないからだろう。
一発だけ当てては消えて、毎年・毎年有象無象が筍みたいで生えて来られると、
それはもう寄席ではなくなるからだ! 実際、NSCでも落語は教えていない。
また、落語という芸能は、芸人の成長に時間を要します。代わりに息が長い。
だから、前座時代の苦労は、自ら、愛して入門した師匠の為に、
献身的に、苦労も、不条理も、全て受け入れる姿勢でないと勤まりません。
落語が好き!師匠を愛している! そう思わないと弟子なんて続かないはずです。
それなのに、現代の入門は、そんな惚れて惚れぬいた師匠に入門するのではなく、
落研の先輩やその筋の関係者から、師匠連の情報を集めて、
自分に合うと思われる師匠に入門するという、打算的な部分があるんだそうです。
結局、そんな事しても続かない奴は、続かないし。二つ目に成って辞める事になる。
各協会は、NSC風の養成学校などは持つ気ないでしょうねぇ。
咄家個人が、養成塾みたいな感じのものはやってますけどね。
志らくのらく塾とか、圓丈師匠の円丈らくご塾なんてのはあるけど、
素人が通って、咄家になる為の学校とはちょっと違いますね。
寄席の席亭が養成所を持つとどうなのか?
東京の寄席は無理としても、横浜にぎわい座あたりが、
新館長を迎えて、落語家養成学校を運営してみれば?
と、少し思ったりします。