「俺が、お美津の阿魔を連れ戻す!」、一旦、言い出したら聴かない次郎長です。法印大五郎が、「噺の分かる奴じゃない!無駄だから、辞めた方が宜い」と言っても、
是を叱り付けるように一蹴して、「お前と仙右衛門は、兎に角、先に清水に帰れ!」と、叱り付ける感じで追い返してしまいます。
そして、自らはもう夜中五ツ半になる時分なのに、吃安が逗留しています秋葉山麓の旅籠『和泉屋』へ駆込みます。
次郎長「御免下さい!夜分済みません、御免下さい!」
若衆「ハイ、お泊まりですか?今日はもう部屋の空きが有りませんよ。それとも、ご予約の方でしょうか?」
次郎長「済まねぇ〜、客じゃねぇ〜んだ。悪いが、武井の貸元に用が有って来た。武井ノ安五郎親分に取り次いでくんねぇ〜。」
そう言います声が中に聞こえまして、中では丁度、山頂の賭場から帰ったばかりの見張り番の若衆二人が茶漬けなんぞを、サラサラ掻き込んでいた最中。
子分A「オウオウ、旦那、いいよ俺たちが代わりに相手する。鍵を外して引き入れたら、又、閉まりして奥へ行きなぁ。」
若衆「左様ですかぁ?相済ません、兄さん方。宜しくお願いします。」
ガラガラっと所を開けて、次郎長を中へ入れると、旅籠の若衆は、閉まりをして奥へ下がって行った。そして代わりに吃安の子分二人が次郎長の相手をする。
子分A「アッシは、武井ノ安五郎の子分で、熊八と申します。そして、こいつが権次です。えーぇ、どちらさんでぇ!?」
次郎長「私は、駿河國阿部郡、清水湊の山本長五郎、通称・清水次郎長と申します。武井の貸元に、どうかお目に掛かりとう存じます。宜しくお引廻しの程、願います。」
熊八「左様ですかぁ済いません、身内衆かと思いましてご無礼しました、清水の親分さんでしたかぁ、お噂はこの甲州にも轟いて御座います。どうか、そちらにお控え下さい。」
子分がすっ飛んで二階へ駆け上がり、唐紙の前から声を掛けます。「親分!いらっしゃいますか?」と。
すると、中から「アイよぉ〜、開けて入ぇ〜りなぁ。」と、吃安のカスレる様な低い声がしまして、唐紙を開けますと、
親分の安五郎は、黒駒ノ勝蔵と囲碁を打っております。そして、その周りでは、吃安の子分連中、乙女ノ大八、玉手箱ノ長次、牛島ノ九五郎、青島ノ文五郎・身延ノ秀五郎兄弟、大岩、小岩、そして客分の荒川ノ新太と錦手ノ亀五郎、
そう言った面々が、キラ星の如く雁首揃えて、酒を呑みながら、寿司を摘んで、吃安と鬼勝の碁の勝負けに、外野から賭金積んでワイワイやっております。
吃安「何んだぁ?熊八。」
熊八「へい、駿府は清水湊の貸元が、武井の親分に逢いたいと下に来ています。どうします?」
吃安「清水湊の貸元と言えば、次郎長か?俺に逢いたいだぁ?! 勝蔵、お前、次郎長に会った事があるか?」
勝蔵「いいえ、在りません、賭場の盆茣蓙で噂は宜く耳にしますが、本人に出会った事は、まだ在りませんね。」
吃安「そうかい、さて、何んの用で来たんだ?次郎長の奴は?どう、思う勝蔵。」
勝蔵「大方、秋葉火祭の盆茣蓙の権利の件じゃありませんか?賭博打なら、誰だッて、この大きな賭場で胴を取ってみたいに違いない。
森ノ五郎親分に直接掛け合っても、おいそれと首を縦には振らないでしょう。だから、親分の割盆を、貸して欲しいと頭下げに来たんじゃないですか?
まぁ、逢ってみましょうよぉ。今売り出し中の清水次郎長が、どれでけのモンかぁ?値踏みしてみて、宜けりゃ一日か?半日か?盆を貸して恩を売りましょう。
野郎は、駿府に帰って周囲に自慢したいだけですから、花を持たせて帰したら、それなりに、今度は見返りが来ますッて、取り敢えず、逢ってみましょう。」
吃安「そうかい!ヨシ、なら逢ってみよう。 熊八、次郎長を連れて来い。」
言われた熊八が、待たせてある次郎長を、呼びに一階に降りて来て、びっくり致します。
熊八「なッ?なぁ、何をしているんですか?」
次郎長「へぇ、権次さんが、『俺の青龍刀を見るかい?』と仰るんで、見して貰っておりました。」
熊八「権次!?清水の貸元に何を見せてやがるんだ?次郎長親分、コイツは『青龍刀権次』と言って、この跡、幕末の動乱で偽小判を掴まされて伝馬町の牢屋送りになります。
しかしその後、紆余曲折在って。。。闇の犯罪組織『英国屋』の主人となり暗躍し、爆裂お玉、振袖吉次と三人で「明治のルパン三世一味」みたいな活躍をする野郎なんです。
あぁ、そんな事はどうでも宜い!安五郎が、会うと申しております。二階に次郎長親分をお連れしろと言われました、ささぁ、どうぞ此方へ。」
と、熊八が次郎長を連れて、先程の部屋へと二階へ上がります。再び、唐紙を開けて入りますと、中は相変わらず、吃安は勝蔵と碁盤を囲んで居りますし、その脇で子分七、八人が、酒を呑みながら食事をしております。
次郎長「お初にお目に掛かります。私は、駿河國阿部郡、清水湊の山本長五郎、通称・清水次郎長と申します。武井の貸元で御座んすか?」
吃安「おう!俺が武井ノ安五郎だ。済まねぇ〜なぁ〜、この鬼勝と碁の最中だ。今終盤の山場だから、噺するのはその後に頼む。少し待ってお呉れ!
その唐紙は、閉めて中に入ってくんねぇ〜、気が散っていけねぇ〜やぁ、座って座って。オイ!大八、長次、お前たち、自分でばっかりやらずに、清水の客人に一杯酒をお奨めしろ!本当に気が利かねぇ〜馬鹿野郎ばっかで済まねぇ〜。」
そう吃安は言うと、また、碁盤に目を落とし勝負に夢中な様子で、次郎長を全く相手には致しません。此の態度に次郎長は、些かムッと致しまして、脇差を傍に引き付けて
次郎長「三下奴(さんしたやっこ)は、スッ込んでいやがれ!ベラ棒めぇ〜、酒の支度には及ばねぇ〜。
俺は寿司を喰いに来たんじゃねぇ〜から、放ッといてくんねぇ〜!法印が言ってた通りだ、巫山戯た御託並べる外道野郎だ。」
そう言って次郎長!吃安と鬼勝が囲んでいる碁盤を思いっきり蹴り飛ばして石をぐちゃぐちゃにすると、吃安は目をひん剥いて吃り出す。
吃安「なぁ、なぁ、なぁ、な何しゃがる。こぉ、こぉ、こぉ、こ此の野郎!!」
是に対して次郎長は、不適な笑いを浮かべて更に強烈な啖呵を飛ばした。
次郎長「喧しい!不具(カタワ)めぇ。あんまり吃りが酷くて、貴様の言葉は意味不明だ。人が唐紙越しだが、手を突いて控えて座り、
旅先ながら刀を引いて、目上の親分だからと、仁義を切って挨拶しているのを、碁盤囲んで上の空、人の面を時々チラチラ斜(ハス)かいに七:三に睨みやがって何様のつもりだ!吃安。
所詮、俺たちは同じ賭博打(ばくちうち)じゃないかぁ?それを上から、呑みねぇ〜喰いねぇ〜と、タダで飲食させたら誰だッて尻尾を振ると思ったら大間違いだぞ!腐れ外道。
其れから、親分が犬畜生以下の不具(カタワ)だと思ったら、子分の鬼勝!!貴様は聾唖(おし)かぁ?!
さっきから見ていたら、半笑い決め込んで黙って見てやがる。鬼と呼ばれるその理由(ワケ)は、人間の料簡を持ち合わせねぇ〜地獄の餓鬼野郎だからなのか?!
親分も親分なら、子分も子分だ!殿様にでもなった料簡でこの渡世を生きてやがる大馬鹿野郎だ。
俺は堅気の米屋を辞めて無職渡世に飛び込んだ馬鹿な人間だが、堅気の衆に済まないと、俺はタダの博徒だ!と、そう常に卑下して生きて居らい!
それを、何んだ!貴様らは、身の程知らずの白痴野郎の狂人(きちがい)めぇ。馬に蹴られて死んじまぇ!!」
是には、流石に吃安も血相を変えて、脇に置いていた脇差を手にして立ち上がります。
しかし、暴走機関車の様に、一度スイッチの入った次郎長、武井ノ安五郎・吃安だろうと、黒駒ノ勝蔵・鬼勝だからと、もう恐いモンは御座いません。
次郎長「ヤイ!吃安に、鬼勝!今日、なぜ俺がこの旅籠に貴様ら二人を訪ねて来たか?その理由(ワケ)を噺してやるから、耳ん中カッ穿って宜ぉ〜く訊け!
今から去る事四年半前の事だ。俺の兄貴で興津の魚問屋、枡川屋佐太郎が南部浪人者の尾代小五郎ッて野郎に殺された。
ただ、殺されたダケじゃねぇ〜ぞ!内儀(にょうぼう)のお美津ッて女郎上がりの阿魔に間男された挙句、掛取した六十二両を盗まれた上で殺されたんだ。
そして、その尾代小五郎を匿って、子分にまでしたのが、吃安!貴様だ。しかも、貴様は子分になった小五郎から、間男して連れて来たお美津を二十五両で買い取って、自分の妾に囲っているらしいなぁ!?
おぅ、吃安。貴様の子分になった『尾代小五郎こと神澤ノ小五郎』、野郎は俺の兄貴の仇だから、甥の仙右衛門に、今、この先の荒れ寺で正々堂々勝負して斬り殺してやった。
ヤイ、吃安!貴様仮にも、武井の貸元とか、安五郎親分とか呼ばれている立場なら、大罪人の妾のお美津を、俺に引き渡すか?縄を打って代官所へ突き出すか?二つに一つの返事をしやがれ、ベラ棒め!!」
吃安「ヤイ!次郎長、てめぇ〜俺の子分の神澤ノ小五郎を勝手に殺(や)りやがったのか?!」
次郎長「奴は俺の兄貴の仇だぞ?其れを俺と甥が殺(ヤ)るのに、なぜ、貴様の許しが必要なんだ?馬鹿も休み休み言え!」
勝蔵「親分!この野郎、アッシらが、秋葉山の火祭の最中は、勘定場を血で汚せないと知ってて強気なんです。」
吃安「分かった。取り敢えず、次郎長!貴様は清水湊に帰って、その襟の垢を綺麗に洗って待っていろ。秋葉の火祭が済んだら、神澤ノ小五郎の葬い合戦だ!捻り潰してやるから、覚悟してろ!」
次郎長「馬鹿野郎!首を取られると判っていながら、襟垢の汚れを気にして、近所の糊屋の婆ぁ〜に、『洗い張りお願いします!』ッて悠長に頼むベラ棒が有るものか?!
そんなに俺様の首が欲しいなら、熨斗を付けて呉れてやる!この次郎長が火祭を血で汚せねぇ〜お前の弱味に付け込んで、卑怯な喧嘩売っていない証を見せてやる!
この秋葉山の戌亥の先にデカい原ッパが在るなぁ!あの原ッパで正々堂々相手してやる。貴様が此の秋葉に連れて来た子分、百でも二百でも全部連れて来い。
ズラリと全部並べて相手してやる、その代わり!覚悟して来いよぉ〜、次郎長の剣の舞を魅せてやる。その首の全部、スッポンスポポン飛ばせるだけ飛ばすからなぁ〜、往生しまッせぇ。」
周りで聴いていた、武井ノ安五郎の子分の面々が驚きます。何んだ此の馬鹿は?吃安と鬼勝相手に、飛んでもない啖呵を切る野郎だと思います。
次郎長「さぁ〜、世迷い言を利くにゃぁ〜及ばねぇ〜!戌亥の原を選ぶか?お美津の阿魔を差し出すか?二つに一つ、選びやがれ!!」
そう、清水次郎長が啖呵を切って、吃安の連中のど真ん中に胡座を掻いて座り込むと、奥の唐紙がパッと開いて、二人の漢が笑いながら次の間からやって来た。
吃安「オッ!何んだぁ、何んだぁ、見附の貸元と、てめぇ〜は、津向ノ文吉!何んでお前さん達二人が、次の間にぃ?」
文吉「何んの為に、友蔵親分所の新太と、俺の子分の亀五郎が、此の場に居んだぁ?こいう揉め事が有れば知らせは、いの一番に飛んで来るさぁ。
そして、俺も見附の貸元も次の間で、今のは全部聴いた。之は清水の貸元、次郎長ドンに理があるぞ、安五郎。」
友蔵「俺も兄弟分だから、お前さんの肩は持ちたいが、文吉ドンの言う通りだ。身内の仇で、しかも、内儀を間男して六十二両盗んで殺した野郎だぞ?其奴は討たれても仕方ないぜ、兄弟。」
吃安「なぁ、なぁ、なぁ、なぁ、な何んだぁ?お、お、お、おお前たち、お、お、お、お俺の味方じゃねぇ〜のぁ?の、の、の、の飲み分けの五分の兄弟分だろう?」
文吉「俺も見附ノ友蔵ドンも、秋葉の火祭前に、森ノ五郎親分の仲立ちで、兄弟!お前さんとは、盃ごとをした間柄だ。隣國だし、末永く、仲良くしたいから、その噺を受けたからには、兄弟仲良くしたいさぁ。
だがな〜、無職渡世のこの商売は、やっぱり堅気の衆有っての俺たちだ。次郎長ドンの言うのが、いちいち尤もだ。此処は兄弟が折れて、次郎長ドンに、妾を渡しなよ。」
友蔵「兄弟が、あくまで意地を張るなら、噺を立盆の森ノ五郎親分に通すまでだ。そしてそうなったら、お前さんとの盃は、考え直す事になるぜ?」
吃安「あ、あ、あ、あアぁ、構わねぇ〜!こ、こ、こ、こコッチから兄弟の縁なんか、た、た、た、た叩き切ってやる!!」
文吉「おう!武井のぉ?!俺は、貴様や黒駒とは昔から喧嘩ばっかりだったんだ。兄弟の盃返されたッて屁でもない。熨斗付けて返してやる。
そしておう!見附のぉ〜、こうなったら、こんな外道とは盃を返して、今、この場で、清水次郎長ドンと兄弟になろう?」
友蔵「そいつはいい。森ノ五郎親分もその方が喜ぶ。吃安!俺も貴様の盃は、今この場で返すぜ。そして次郎長ドン、俺と津向の盃、五分で受けてくんねぇ〜かい?」
次郎長「いやぁ〜、突然の申し出、しかも、年齢も場数も貫目も上のお二人から、五分の飲み分け兄弟と言う申し出、嬉し涙がチョチョギ出る次郎長で御座んす。
アッシは、堅気から此の無職渡世に身を投じまして、親への孝行をする前に死なれております。ですから、お二人には親分孝行のつもりで、お付き合い致します。
本当に有り難い申し出に御座んす。この五分の飲み分けの兄弟盃、清水次郎長こと、山本長五郎!謹んで受けさせて頂きます。」
こうして、見附ノ友蔵、津向ノ文吉の二人の親分と五分の飲み分け兄弟となった次郎長は、森ノ五郎親分の所へ、二人に連れられて行きまして、
武井ノ安五郎との一件を報告しながら、他の吃安以外の十五人の親分衆とも噺を致します。すると、十五人が十五人とも、其れは次郎長に理が在るだろうとなりまして、
秋葉山の火祭に、次郎長にも盆茣蓙で胴を取らせて、労ってやろうと言う噺になり、十五の親分衆から盆割が譲られて、子分が貸し出されて、次郎長、四百両ほどの身入りとなります。
しかし、是を懐中に入れて清水へと帰るような次郎長では御座いませんで、世話になった親分衆の地元を巡りまして、少し多目に各所の盆茣蓙で金を置いて廻ります。
是が又評判になりまして、改めて次郎長と兄弟分になりたいと、盃を交わす親分衆が現れます。そして、勿論是を耳にした武井ノ安五郎や黒駒ノ勝蔵からは大いに反感を買い、この先も遺恨となるのでした。
アさて、そんな事とは露知らず、先に返された枡川屋仙右衛門と法印大五郎は、一月経っても次郎長が清水湊に帰らないので、次郎長一家の面々からは、なぜ、首に縄を付けても一緒に帰らなかったと責められ続けます。
そして二人が先に帰った跡、一月と十日余りが過ぎてから、漸く次郎長がひょっこり清水湊に帰りまして一同大喜び致します。
殊に、お蝶の喜びようはありません。勿論、恋内儀との再会ですから、次郎長も嬉しいに決まっております。
更に更に、十日程が過ぎた或日、更に更に更に嬉しい知らせを、荒川ノ新太と錦手ノ亀五郎の二人が持って参ります。
それは、あのお美津の阿魔を、津向ノ文吉と見附ノ友蔵の二人の貸元が捕まえて、代官所に突き出し、お裁きの結果斬首となりましたと、その印・首を下げて、次郎長一家を訪れたのです。
是には次郎長も大喜びで、二人をもてなし、翌日、枡川屋仙右衛門を連れて、兄佐太郎の墓の在る大長寺へと、その首を見せに行くのでした。
つづく