松本屋と言う茶屋旅籠で、元は武井安五郎の子分だったと言う、法印大五郎との噺が、いよいよ確信へと向かって行った。
次郎長「さて、吃安。武井安五郎と言えば、東島武井に留まらず、甲州の親分の中でも、一、二の立派な親分だろう?子分の数だって何人だぁ?」
法印「そうですねぇ、その日の内に『集まれ!』ッて、親分が号令掛けたら集まる子分だけで、千二百、三百は居ますし、旅に出ていたり、牢屋に入って居たり。
はたまた八丈、三宅、佐渡の島流し野郎も入れたら千五百。まぁ、食客や客分で居心地が良くて居候してる野郎まで入れたら二千でしょうねぇ。」
次郎長「そいつは豪気だ。親分張ってりゃ分かるが、二十、三十人だって子分を抱えるッてぇ〜のは並大抵の苦労じゃねぇ〜。
其れを二千人からの渡世人、無職渡世の跳ね返りを束ねている吃安の親分は大したもんだ、頭が下がる。
そうだ!確かに甲州は東島武井の吃安は大看板だが、其れに負けない大看板が、もう一人!近くに居るよなぁ?
それは津向ノ文吉(つむぎのぶんきち)親分だ。(なぜか?あの番付表には出ておりません!)あの親分も、千人以上の子分が居るはずだぁ?」
法印「津向の親分さんをご存知で?」
次郎長「ちょっと前に、和田島ノ太左衛門親分と文吉親分が、甲州石和の花会で揉めた後、津向村から文吉親分が、子分十数人で出張って来て、駿河庵原川で決闘になり掛けた事がある。
之が実は、太左衛門親分を陥れる三馬政(さんま まさ)ッて悪どい野郎の計略で、内の小政が見破ってくれたお陰で、津向の貸元とは仲良くさせて貰っている。
そう言えば、津向の親分と吃安は、しょっちゅう喧嘩しているッて聴くがぁ、吃安の方が名の知れた子分が多いし、人数も多いから優勢なのかい?」
法印「甲州は、東島武井村の安五郎一家と津向村の文吉一家は、一里と離れちゃいない縄張りの近い無職渡世の一家同士ですから、
下総で、銚子の飯岡ノ助五郎と、笹川の岩瀬ノ繁蔵が揉めているのと全く同じで、廓、旅籠や小料理屋からの見か締めと博打の上がり、其れに相撲・芝居の興行利権で、境界線の盛場じゃ毎日喧嘩です。
確か次郎長親分の所には大政・小政がいらっしゃる。そして吃安一家には同じ響きの大岩・小岩ッて跳ね返りが居て、代貸の黒駒ノ勝蔵!通称・鬼勝が居る。そして此の跡に控えしは、
外乙女ノ大八、玉手箱ノ蝶次、牛島ノ久五郎、青島ノ九五郎、荒川ノ新太、身延ノ峰五郎、そして、私、法印大五郎を加えた十人が、吃安十勇士などと呼ばれちゃいましたが、
実際、万度起こる喧嘩では、勝ったり負けたりで、より結束力の強い向こう、津向一家の方が六分四分、いや!七分三分で勝っていると思います。」
次郎長「吃安側に居たお前さんが言うからには、贔屓目無しの本当なんだろうなぁ。確かに、喧嘩出入は数じゃない。
現に、笹川ノ繁蔵は、飯岡ノ助五郎より、三分の一以下の勢力だけど、五分以上の闘いをしているからなぁ〜、いちいち説得力があるよ、お前さんの噺には。
ははぁ〜、そう言うことか?喧嘩に負けてばかり居るから、吃安ん所を見限って飛び出したのか?」
法印「其れは違います。現にアッシ自身は、津向の連中に喧嘩で負けちゃいませんし、一家の子分連中との仲も良好でした。
ただ、吃安、武井ノ安五郎ッて親分が、犬ッコロ以下の畜生野郎で、あんなぁ太てぇ〜野郎は有りません。」
そう、法印大五郎が苦虫を噛み潰した様に吐き捨てると、顔の表情が突然変わり、自身の前と大五郎の前に置かれた膳部を、背後に片付けて、
いきなり法印大五郎の小手を掴んで、思いっ切り引き寄せます。此の様子は丸で空腹の鷹が、敢えて全力で子雀を追い詰めて仕留めるかのようです。是には法印大五郎もびっくりして、
法印「親分!何をなさるんですかぁ?!」
と、言ったと同時に。いきなり、次郎長の大きな鉄拳が飛び、左頬を殴られて背後に大きくぶっ飛んでしまいます。其れでも、法印大五郎は起き上がり、
法印「私が、何をしたッて言うんですか?何かぁ、悪い事をしましたか?」
と、更に尋ねると、怒りに震えながら、更に更に、今度は胸ぐらを掴み、平手で、往復ビンタが三往復致します。
パン!パン!
パン!パン!
パン!パン!
次郎長「てめぇ〜、仮にも自分が『親』と定めた親分をだぁ!『犬ッコロ以下の畜生野郎』とは、何んて言い草だ。
この無職渡世は、義理が立たずして成り立たぬ世界だ。其処で生きる者としての気構えが、なっていない。
喩えば、奉公人が或る店を辞めて、違う次の店に移る場合にだ。新しい店の女将さんに『なぜ、前の店を辞めたんだい?』と、尋ねられた人がだ。
「ハイ、其れは今考えれば私が愚かで御座いました。前のお店の旦那さん女将さんからは、大変宜くして頂きましたが、私の辛抱が足らずに、我慢不足な料簡となり辞めて仕舞いました。
ただ自らの未熟が漸く骨身に染みて分かるように成りました。心機一転。料簡を改めて、此方様で何卒、奉公させて頂きたいと願う次第で御座います。」
そんな風に、前の店への感謝を言えば、新しい店の旦那や女将は、この奉公人はまだ見込みがあるなぁ!と思って雇い入れて呉れるが。
燃し、前の店の旦那や女将をして『犬っコロの畜生野郎!』何んて悪口を吐いたとしたら、其れは普通に利口な経営者なら、此奴の料簡は間違っていると思って、ウチでは残念ながら雇う訳には参りません!と、断るに違いない。
堅気の世界でも、一度恩を受けて雇って頂いた主人に対して、『犬ッコロ以下の畜生野郎』呼ばわりしたら、
そんな事を言う奉公人の方こそ、畜生以下だと言う憂き目に合うだろう。其れが親分、子分の間なら尚の事だ!
さぁ、貴様が、そんな狭い料簡の野郎なら、俺がやった着物を脱いで返せ!呉れてやった財布と銭、其れから塵紙一枚だってやりたくない、全部纏めて返しやがれ!!」
次郎長、そう法印大五郎に啖呵を切ると、更に、今度は又拳骨で、ポカ!ポカ!ポカ!っと三発殴り付けるのでした。
流石に、之には怒り心頭の法印大五郎、立ち上がってから、「おう!上等だ。」と、叫び、今度は拳骨が届かぬ距離に、二、三歩背後に下がって座り直す。
法印「知らざぁ〜言って聞かせやしょう!今からアッシが語る噺。之を聴いてもまだ、親分、いや次郎長さんが、吃安の野郎が『犬ッコロ以下の畜生野郎』じゃないと言うのなら、
アッシは、先ずは此の場に着物を脱ぎ捨て、財布を置いて、素っ裸になりますから、後で煮るなと焼くなと好きにして下さい。」
次郎長「よーし!分かった。法印のぉ!貴様が其処まで言うんなら、聴いてやる。さぁさぁ、その貴様の言う理由(わけ)とやら、能書きこいてみやがれ!ベラ棒めぇ〜。」
さて、一触即発となりました清水次郎長と、法印大五郎。大五郎が、『犬ッコロ以下の畜生野郎』と前の親分、武井ノ安五郎、通称・吃安を蔑んだ事が原因で始まった諍い。
その諍いの素である吃安が、なぜ、『犬ッコロ以下の畜生野郎』なのか?について、下帯一枚で法印大五郎が語り始めます。
法印「まず、アッシの兄弟分に、神澤ノ小五郎ッて野郎が御座います。此奴は、元は南部藩の侍で、本名は尾代小五郎、二百石取りの藩の剣術指南番でした。
十年ばかり前に江戸勤番になったのですが、些細な事が元で他藩の侍と喧嘩して刃傷沙汰。喧嘩両成敗で家がお取り潰しになり素浪人。内儀と二人で六、七年前に甲州へと逃げて来てました。
そのうちに、吃安に腕を買われて食客に成って、小遣いを貰いながら、東島の神澤村に家を借りて、野郎も博打が好きですから、オイラとも仲良くなり、暮らして居りました。
そのうちに、腕は確かで役に立つから、吃安の盃を貰って、尾代何んて武家時代の堅い名前は止めろ!と言われて、二つ名が付き、神澤ノ小五郎に成ります。」
次郎長「其れからどうした?」
法印「或日、その小五郎から『兄貴!宜い金儲けの噺が在る。一枚噛まないか?』と誘われたんです。」
次郎長「何んだ?金儲けッて。押し込みか?」
法印「違いますよ。実は、小五郎の内儀(にょうぼう)が、間男しているッてんです。その内儀と言うのは、南部藩時代からの連合ではなく、
まぁ、浪人している放浪中のくっ付き合いで出来た内儀らしいんです。之も後から分かるんですが、小五郎の野郎も間男して、その内儀を連れて甲州へと駆け落ちしてやがったんです。」
次郎長「宜く在る噺だ、間男した奴が間男されるなんて噺。其れからどうした?」
法印「そんな訳で、三三九度での正式な内儀でもないし、ましてや間男した片割れの内儀だから、未練の破片(カケラ)も無い。
だから、『間男見付けた!』と現場を抑えたら、脅して間男野郎に内儀を売付けてやると言うんです。三十両で売るから十両手間を払うから手伝えと言う。
まぁ、南部藩の指南番ですから、相手が間男している最中に踏み込んで、段平抜いて脅せば、間違いない三十両で売れます。ただし、
一人だと踏み込んで裏から逃げられたら、取り逃がしの虞れが在る。殺すつもりで踏み込むんなら一人で充分だが、捕まえるとなると相棒が必要だと言うんです。
そして、まぁ〜こんな役を引き受けて呉れて、役に立つ野郎ッてんで、アッシに白羽の矢が立ったと言う訳なんです。」
次郎長「美人局っぽいが、間男はしている訳だから、慰謝料取られて当然だなぁ。内儀は売るから慰謝料ッて訳でもやいのかぁ。それで?」
法印「其れで、小五郎が午後から泊まりで賭場に行くと嘘をついて七ツ半ごろ家を出ると、間男の相手が一人でフラッカ!フラッカ!現れたのが六ツ半です。
間男が中に消えて半刻。五ツの鐘を合図に、小五郎が玄関から『間男見付けた!』と、飛び込む手筈で、俺は裏の勝手口で、小五郎の野郎の声掛けを待ったんですが。。。五ツの鐘はとうの昔に鳴ったのに、お声が掛からない。」
次郎長「お茶ッ引きか?」
法印「売れない女郎じゃないですよ、親分。あんまりお呼びは掛からないし、妙に中は静かだし、『こりゃぁ変だなぁ?!』と思いまして、匕首の白鞘を払って中に踏み込んで驚いた。
小五郎の奴、板の間に正座して、抜身の刀を前に置いて項垂れてやがるんです。然も、一方で間男は布団の上に胡座を描いて、煙草を悠然とプカプカ蒸してやがる。
そして、緋縮緬の長襦袢姿の内儀までも布団に艶な横座りして、長羅宇のキセルを蒸して煙を小五郎に吹き掛けてやがる。
丸で形勢逆転と言うのかぁ、立場があべこべなんです。『なぜ?』と思いつつ奥へと進むと。。。
大五郎?!遅かったなぁ。
と、突然間男が言う。俺の名前を?誰だ?と、顔を見てびっくり! さっ誰でしょう。続きを聞きたかったら、親分、この続きは二両です。」
次郎長「馬鹿!高い、『真田小僧』か?さぁ二両、早く続きを言え!」
法印「そうです、其れは武井ノ安五郎、吃安だったんです。俺もびっくりして、匕首を懐中に閉まって、小五郎の横に正座したら、吃安がニタニタ笑いやがって、語り始めます。
宜いから法印!貴様も其処で訊け。此の神澤ノ小五郎、尾代小五郎は、江戸勤番をしくじって東海道を駿府に逃げた。
そして、清水湊の枡川屋って魚問屋の内儀(にょうぼう)だった此のお美津に間男して宜い仲になるんだ。
その挙句にお美津と共謀して枡川屋が掛取に出た帰りを狙って斬り殺し、六十二両の金子を奪って、今度は此処甲州東島へと逃げて来やがった。
そして、俺にその事を打ち明けて、役人に追われているから匿って欲しいと言う。まぁ、腕が使えそうなんで子分にして、匿いながら今に至るって訳だ。
そんで持って、俺はこのお美津が気に入ったから、今までは時々内緒で借りていたんだが、こうなちまったら仕方ない。
今日からお美津は、俺の妾にして囲うから、小五郎!お美津と別れろ。そして、もっと若い新しい内儀を貰うんだ!宜いなぁ、親分命令だ。
まぁ、神様に誓った夫婦でもなく、間男した末のくっ付き合いだ。此処に二十五両在る、之れでお美津と別れろ!そして新しい内儀でも貰え宜いなぁ。
てな感じで、まぁ、実際は吃安の語りですから、吃り捲りの意味不明。この三倍は聞き取り理解するのに時間を要しましたが。
さて、手切金の二十五両は分けにくいと吃安にオイラが談判して、三十両にさせて、野郎が二十両、アッシが十両で清く別れたって噺です。親分!之でも吃安は人間ですか?
アッシはこんな野郎の子分に成って居たかと思ったら、ゾッとした。此奴は賭博打の沽券に係ると思いましたねぇ。
だってそうでしょう、親分が白だ!と言えば烏を白いと言わなきゃならねぇ〜渡世だ。命を親分の為なら何時でも捨てられる覚悟で居たのに。。。
武井ノ安五郎って野郎は、間男した強盗野郎の内儀だと知りながら、更に之に間男して、挙句に銭金でその内儀を買って妾にする様な奴だ!
こんな野郎でも、気風がよくて、銭の払いがちゃんとしてて綺麗に遊ぶと、褒めてやらにゃなりませんか?アッシは『犬ッコロ以下の畜生野郎』で丁度いいと思いますが、間違いですか?次郎長親分!」
聞き終えた、次郎長、ニッコリ笑顔になり、目を爛々と輝かせて、法印大五郎の肩に右手を掛けて、
次郎長「おい!大さん。有難う。」
法印「な、な、なんてますか?急に。」
次郎長「大さん、お前さんが吃ッてどうする。縁起でもない。本当に、宜く知らせて呉れた!有難う。」
法印「何んですか?急に大さんは気味悪いなぁ〜。知らせて呉れた?有難う?谷村新司ですか?その有難う、本当に、蒟蒻を素足で踏んだくらい気味悪い人だぁ。」
次郎長「まぁまぁ、呑みねぇ〜呑みねぇ〜、酒、呑みねぇ〜、榎戸ッ子だってねぇ〜!呑みねぇ〜。
さて、大五郎さん!そのお美津ッて内儀は、歳の頃は三十二歳で、背格好は四尺八寸ですか?」
法印「何んですか?そのピンポイントの質問は?でも、そうです歳は三十凸凹、背格好も五尺足らずで合ってます。」
次郎長「大五郎さん、そのお美津は、色は浅黒いけど、歯並びは綺麗で目鼻立ちがスッキリした、笑うと笑窪が出る女ですか?」
法印「へぇ。その通りです。」
次郎長「大五郎さん、最後の質問です。そのお美津の左の唇の下に小豆半分くらいの目立つ黒子は有りませんか?」
法印「左の唇。。。の下、あ、あ、あ有ります、有ります黒子。どうして、親分はお美津を?知っていなさるんで?」
さて、こんなやり取りが有りまして、無事、二人の誤解が解けて、次郎長が、法印大五郎に義兄佐太郎殺しの一件と甥の仙右衛門に親の仇討をさせたいと噺をすると、
法印大五郎、喜んで仇討の助っ人を買って出てくれますから、此処松本屋へ、代貸の大政はじめ、主だった子分を集めて、次郎長と大五郎の盃事と相成ります。
つづく