長くて三年。寿命宣告された次郎長は、何時死ぬのか?病に倒れるのか?喧嘩が元で殺されるのか?はたまた、火事や津波に巻き込まれて還らぬ人となってしまうのか?
不安ながらも、幸助とお米夫婦のお祝いなどが有りまして、自分の命と向き合って考えている暇も御座いません。
そんな、怒涛の予言から三年半が過ぎ、『アレアレ?もしかしたら、長くて三年どころか、俺は騙されたんじゃないの?!』ッて思い始めます。
そして、丸四年以上が過ぎた或日の事。相も変わらず大熊の賭場でオケラになって、バラ銭の二分と二百を財布に大事に仕舞って、池尻の堤(ドテ)をフラッカ!フラッカ降っていると、
向こうの方から深網笠を被って墨衣、先に輪ッカの付いた三尺程の杖を突いて托鉢の雲水が一人やって参ります。
どっかで見た野郎だ?!
次郎長、こいつが気になりまして、すれ違いざま、チラッと野郎の横ッ面を睨みます。すると!間違いなくあの東龍和尚で御座います。
次郎長、いきなり東龍和尚に襲い掛かり、被っていた笠を剥ぎ取ろうと致します。しかし、いきなり襲われた東龍も、「何をなさいます!」と大声で抵抗致します。
そして、笠を取られた雲水、東龍。つるつるの頭に笠を乗せる台座だけが残った!!
やい!坊主、てめぇ〜は本当に太てぇ〜野郎だ。あの一件以来、俺は坊主とタコが大嫌いになった。
貴様、東龍!今から四年前の事を覚えてやがるだろうなぁ!俺ん家(ち)の前に立ちやがって貴様、何んて言った?
『貴方は、早ければ一年、長くても三年以内に必ず死ぬ運命です。』
そう言ったよなぁ。更に!こうも言ったよなぁ。
『拙僧が万に一つ、この三尺杖を地びたに突き損なう事は有っても、この予言がハズレる事は有りません。
燃し、四年の後に、又拙僧が此処に現れて、お前さんが生きて居なさったなら、拙僧、お主に殺されても本望で御座る。』
そう、抜かしたんだからなぁ〜!忘れたとは言わせないぞ!この語り野郎の糞坊主。
と、威勢よく啖呵を切ると、次郎長、東龍和尚の胸ぐらを掴んで、額に額を擦り付けて、あらん限り目ん玉を見開いて、睨みつけ始めます。
東龍「分かった!分かったから、乱暴な事は辞めて下さい。」
次郎長「殺されて本望な野郎が、乱暴な事は辞めて下さいだぁ?貴様の嘘八百ねお陰で、こちとら堅気を辞めて博徒(ヤクザ)にされたんだ!コン畜生。」
そう言って返すと、ポカ!ポカ!ポカ!と、毛の無い東龍和尚の頭を、デカい拳骨で殴り付ける次郎長。もう、怒りが治る気配はありません。
東龍「貴方!何を。。。何がどうしたんです?そんなに怒って、何をなさいます。」
次郎長「何をなさいますかぁじゃねぇ〜!このタコ。何も糞も在るかぁ!ヤイ、ホラ吹き坊主、乱暴なのはどっちだぁ? 人の生き死にを、在るの無いのといい加減な事を吠咲やがって、途方も無ぇ〜料簡してやがる。」
東龍「まぁ、待ちなさい!待ちなさい!落ち着いて。いったい貴方はどこのどなたですかなぁ?」
次郎長「ヤイ!糞坊主。貴様は、尤もらしく嘘八百をパァーパァー野別垂れ流しているから、いちいち覚えちゃいめぇ〜が、
耳ん穴、よーくカッ穿ッて聴きやがれ!あれは四年前ぇ〜だ!清水湊は有渡町(うどちょう)、坂本屋って米屋を覚えているか?
その坂本屋の店先に貴様は立って、『この店のご主人は貴方様ですか?お可哀想に、貴方の命は早けりゃ一年、長く持っても三年です。』そう言ったんだ。忘れたとは言わさんぞ!
ホラ!ホラ!ホラ、どうした?思い出したか、ホラ吹き坊主の糞坊主。貴様の嘘のお陰で、コッチはなぁ、人生めちゃくちゃだ!
親から貰った米屋の身代は無くなるワ、無職渡世に足(ゲソ)漬けて、今じゃ立派な渡世人(ヤクザモン)だ。
結局、病なんて風邪一つ引かず、又擦り傷一つ受けずに、三年どころか、四年過ぎてもピンピンしている!
もうこう成ったら、人生踏み外したのは全部貴様のせいだ。覚悟しやがれぇ?気が済むまで殴って蹴って、貴様!此の場で半殺しにしてやる。」
東龍「先ずは、どうぞ少し冷静になりなさい。少し落ち着いて、暫く静かに願います。それにしても、不思議な事が在るもんだ?」
次郎長「なんだとぉ〜!コラぁ。寝言は寝て言えよ。何が不思議だ?」
東龍「だから、もう一度。貴方の相を見せて下さい。その跡で、煮るなと焼くなと好きにして下さい。そんなに納得が行かぬなら、拙僧は殺されても構いません。」
次郎長「よーし!その代わり、もう一度人相見せたら、続きをやるからなぁ!覚悟しーやぁ。」
そう言われた東龍和尚、深網笠の顎紐を取り、じっくり次郎長の人相を見るのだった。そして、
東龍「不思議だ!」
次郎長「だから、何が不思議だ?」
東龍「恐れ入った。」
次郎長「何んだぁ〜、禅問答みたいに、ハハぁ〜、今になって誤魔化そうたって、誤魔化されねぇ〜ぞ!糞坊主。」
東龍「いや、綺麗に拭ったように死相が拭き取られている。之は?お前さん!誰か、人の命を助けた事はないか?
おやおやぁ〜、もしかすると之は、二人だ!しかも男と女、その命を助けましたね? 心中者を助けたと、顔に書いてある!」
次郎長「あぁ、確かに心中しようとした男と女を助けた。三年前の六月の末、三十日の事だ。でも、何んで分かるんだ?お前さんに。」
東龍「それだ!人の命を助けたから、お前さんの死相は消えたんだ。二人も助けたとなると、死相が長寿に反転するなぁ。」
次郎長「本当かぁ?坊主。『ちきり伊勢屋』の白井左近みたいな事を言いやがる。次郎長は坂本屋だ、伊勢屋は商売仇だぞ?
それはそうと、どん底だった死相が反転したんなら、俺はあと何ん年生きる事になった?もう一回見てくれ、東龍大僧正。」
東龍「現金な奴だなぁ〜お主は。さっきまて、糞坊主!の語り野郎だったのが、大僧正とは恐れ入った。分かった、分かった、見て進ぜよう。どれどれ、間違いない!あと八十年生きる。」
次郎長「エッ!本当かよ。たった三年だった命が八十年とは有り難い。ホラ、持って行け!泥棒、遠慮するな、釣りは要らねぇ〜、財布こどくれてやる。二分二百しか入ってねぇ〜、心配するな、東龍さん。」
東龍「拙僧は、人相見では御座いませんので、此の金子を懐中へは入れる訳には参りません。ですが、貴方の感謝は、こうして鉢に入れて仏様への奉仕と致しましょう。」
次郎長「分かったよ、東龍和尚、お前さんの好きにしてくれ!有難うよ。」
そう言うと次郎長、自分が飛ばした東龍の笠を拾い、其れを頭に乗せてやり、姿が見えなくなるまで、見送り手を振り続けた。
家にニコニコしながら帰る次郎長に、お蝶が声を掛けます。
お蝶「なんだい?馬鹿に嬉しいそうだね。何か良い事が有ったね?博打で着いたのかい?」
次郎長「違う!博打は散々だった。オケラだ。」
お蝶「なのに、その喜びようは。。。まさか?女かい?!」
次郎長「馬鹿!そんな訳ねぇ〜だろう。あの予言坊主の東龍和尚に逢ったんだ、池尻で。」
お蝶「それで?」
次郎長「最初(ハナ)は、怒鳴り付けてやったさぁ、三年の筈の命が四年経っても寿命が来ない。巫山戯るなぁ!ッて、五、六発殴ってやった。」
お蝶「あらまぁ〜」
次郎長「ところがだ、俺の顔に出ていた死相!其の死相が消えたと、東龍和尚が言いやがる。で、『なぜだ?!』って訊いたら、
幸助とお米の心中を、俺が助けたからだと言いやがる。大したモンだぜ東龍和尚は、俺の顔に書いてあると言うんだ、心中を助けた事が。」
お蝶「それで?」
次郎長「死相が消えて、あと八十年生きるとよ。有難てぇ〜やぁ。それで、泣け無しの二分と二百を財布から出して、お布施に呉れてやった!スーッとしたぜ、モヤモヤが晴れて、俺の心は日本晴れだ!」
お蝶「良かったねぇ、お前さん。情けは人の為ならずだ。」
次郎長「全くだ!ヨシ、腹が減った茶漬けでも呉れ!」
お蝶「ハイよぉ、海苔のいいのが有るから、食べてお呉れ。」
この憂いが取れた次郎長は、是から追々人の中でも頭を擡げて(もたげて)来て、遂に濱の漁師町ん中に一家を構えて、ご存知のように漢を売り出して参ります。
次郎長が、清水湊のカスリを取る様になりますと、舎弟、子分も集まりまして、一家は、百五十八人にも膨れ上がり、子分衆の中でも、鬼より恐いと謳われた大政、小政、良い若衆が頭角を現し、益々、次郎長を盛り立て参ります。
人間と言うものは、運・不運と言うものは確かに御座いますが、運を掴むも実力、そして不運を運に変えるのは、もっと大事な実力です。
そんな、不運を運に変えた次郎長は、三年と言われた死相を跳ね退けて、新たに生まれ変わったつもりで、是からの人生を突っ走ります。
つづく