東龍和尚の予言から、一年が過ぎた或日のこと。
次郎長「お蝶、何とか一年は無事に過ぎたって事は、俺の寿命は跡三年の方だった様だ。之も神様のご利益なのか?人間、神信心は大切だぁ。
まぁ、跡二年。予言から三年経って生きていたら儲けモン。今となったらもうどーうでも宜いやぁ、考えて答えが出るモンで無し。人生成り行き、成るようにしか成らねぇ〜モンさぁ。」
と、次郎長、立川談志みたいな事を申しております。あの位の御出家の予言だから、出鱈目のはずが無いと、予言を信じて受け入れて仕舞うのが、次郎長らしい所で御座います。
そしてこの日も、夕方から池尻の問屋場へと参りまして、大熊親分の賭場で、ガラっポンやっておりますと、珍しく馬鹿に着いておりまして、
「勝ち逃げは、許さないよ!」っと、馴染みの客連中が、次郎長を囲んで離しません。結局、三日目からは胴を受けての勝負になり、「分かった!長さん負けたよ!」と、開放されたのは実に五日後の事でした。
儲かった銭は、百と十二両。家から持って来た十両の種銭も珍しくまんま残っておりまして、之はお蝶の小遣いにと思います。
そんな訳で、バラ銭の十二両の内、七両は親分の大熊にお世話様でしたと手渡し、五両は賭場の仕切りを任された代貸の半次に「何んか好きな物を皆んなで食ってくれ!」と渡します。
百両の金子を胴巻に入れ問屋場から出る際に五ツの鐘を聞いて、「月夜だから、提灯は要らねぇ〜よ。」と、断って、フラッカ!フラッカ!夜道を歩く長五郎。
川端を帰って参りましたこの日は、弘化二年六月十三日の三夏の終わり、月は天高く在り足元を照らしてくれております。そして、時より蛍がヒューッと飛んで行く。
やがて、堤(ドテ)八丁に差し掛かると、チラチラ人影が御座います。『誰だ?』と思いまして、足音を消して忍び寄る。すると其れは?!
男女の二人連れ
男は黒い木綿の店のお仕着に素足に下駄履き、一方、女はと見てやれば、ポックリみたいな高い草履を履いて、帯を締めず前開きの寝具(かいまき)みたいなモンを羽織って、紅い緋縮緬の長襦袢がチラチラ見えておりまして、明らかに女郎で御座います。
次郎長、『此れは、お店者と遊女の駆落だ?』と、ピン!と来ますから、松の木の影に隠れて、二人の様子を見ています。
すると、ボソボソ会話が有った跡、地面の石コロを拾い始めて、二人は其れを懐中や袂に其れを詰め始めます。『こいつは、心中だ!川へ飛び込むつもりか?』と、思った次郎長。
心中は止めるタイミングが難しい。なぜなら、掛け声がきっかけとなり、いきなりボカンドボンと飛び込むからだ。そこで次郎長は、二人が飛び込む仕草を見せた瞬間、飛び掛かって止める心積もりで居た。
すると、石を拾い終えた二人は、女郎が解いていた細帯(しごき)を使って、互いの身体を縛り合うように、グルグル巻きにして行った。
南無阿弥陀仏
と、手を合わせた所へ、木の影からいきなり飛び出した次郎長、有無を言わさず細帯を掴んで、力任せに堤の上に薙ぎ倒して、「よさねぇ〜かぁ!二人共。」と怒鳴り付けた。
驚いた二人は、オロオロしてから、「どうぞ貴方様、お見逃しを!」「死なせて下さい!」と、言い出して、次郎長が掴んでいる細帯を力任せに振り解こうと致します。
次郎長「まぁ、待ちねぇ〜お二人さん。死んで花実が咲くものかぁ〜! 宜く々々考え覚悟の上だからこそ、心中なんて馬鹿をやるのは、俺ッちも重々承知の助なれど、
心中てぇ〜なぁ〜、元禄の昔に流行った近松モンだぜぇ〜お二人さん。今は片方ダケ、万一生き残っちまったりすると、そりゃぁ〜本に地獄絵図だぜ、お二人さん。
兎に角だ、俺に理由(ワケ)を話してみなせぇ、其れを聞いて、赤の他人のアッシが、そりゃぁ〜心中も止む無しと思ったら、二人纏めて殺してやる。だから、先ずは理由を聞かせておくんなぁせぇ〜。」
と、次郎長、音羽屋気取りで、芝居がかって見栄を切ります。
そして、少し落ち着いて、月明かりに二人の顔をよーく見てやれば?アラっ?アラっ?女の方に、見覚えが御座います。
こいつは、お米?!
そうです。心中の片方、女の方は、四ツ目楼と言う廓で御職を張る、一番の売れっ子、所謂、板頭の女郎で御座います。
次郎長「之は、誰かと思ったら、お米さんじゃ御座んせんか?」
お米「こりゃぁ〜、飛んだ所で。坂本屋の若旦那!次郎長さん。」
次郎長「若旦那は止めてくれ。オヤジは二年も前に亡くなり早の三回忌だ。それに、坂本屋は畳んで、今は堅気ですらない身の上。
然しそれにしても、お前さん程の太夫が、何が原因(もと)で、心中なんぞやりなさる。お前さんの居なさる四ツ目楼は、和田島ノ太左衛門親分の持ち物だろう?
あの親分さんは、出来たお人だ。義理人情にも厚く、女郎を泣かす様な商売はなさらない。其れに、あの廓を任されてるのは、確かぁ?妾のお勝さんじゃないのかい?
四ツ目楼に行くと、女将さん!女将さん!ッて、女郎も女中も、牛太郎の若衆も、みんや慕っていて、俺は悪口なんざ聞いた試しが無ぇ〜ぜぇ。お前さん!いってぇ〜何が有ったんだい?」
お米「其れがねぇ〜、長さん!聞いておくれでねぇ〜かい。」
と、お米が喋ろうと致しますと、心中の片割れ、黒木綿の商人風の男が、少し荒い剣幕で、お米の言葉を遮ります。
男「ちょいと!若旦那。いやいや旦那さん、心中を止めて貰って理由(ワケ)を話すなぁ吝かではないが、アンタ?お米の何んなのさぁ?!」
次郎長「おいおい、『アンタ?お米の何んなのさぁ?!』ッて。お前は宇崎竜童か?!(喩えが古い!)
昔から、焼き餅は遠火で焼けよ 焼く人の胸も焦がさず 味わいもよしなどと申します。
焼くというほどではなく、キツネ色にこんがりと、いぶす程度にしていただけると、誠に可愛げがございますが、
悋気にも 当たりでのある金盥
簪も逆手に持てば 恐ろしい
朝帰り 命に別状ないばかり
なんてぇことになってまいりますと、焼き餅もだんだんと恐ろしいことになっちまう。
安心しな、俺はお米の間夫でも無けりゃぁ、客ですらない。太左衛門親分には、色々と昔から世話になっているから、四ツ目楼にも何度か行った事があるが、一緒の座敷で遊んだ事も無いから安心しろ!手も触っちゃいないから。」
男「済いません。お前さん、いい男だから、つい悋気が出て。。。私は府中七間町の奈良屋の奉公人だった者に御座います。」
次郎長「奈良屋勘兵衛さんなら知っているよ。駿府でも一、二の大店じゃないか?其れが言えない位に気まずいのかい?野郎が、貝になるんじゃ仕方ない。お米さん、此奴は何者だい?」
お米「この人は、奈良屋の奉公人で、荷背負で幸助さんに御座います。」
次郎長「成る程、売れ筋の反物を背負って、得意先に売り歩く、なかやか花形の奉公人じゃねぇ〜かぁ。店売りで番頭格に出世する前の登竜門だ!そんな幸助さんが、なぜ?お前さんと心中を?」
お米「幸助さんが得意先の旦那に、四ツ目楼へ連れて来られて、それが縁で馴染みになり、月に一度、二度と通ううちに、間夫となりんした。
私はが、立てを引くと言いなんしても、幸助さんは、自分は漢だからと意地を張りなんして。。。」
次郎長「其れで?」
幸助「アッシが馬鹿で甲斐性が無いもんで、安易に店の金に手を付けて!使い込んだ穴を、帳面づらだけ合わせていたんですが、この藪入り前の棚卸しで、帳簿の穴が主人にバレて。。。」
次郎長「其れで、店を飛び出して、お米を道連れに死のうって料簡かい?お前さん、勝手過ぎないかい?」
お米「違うんです。次郎長さん。この人は、お店に不義理をして、銭を使い込んだから、ケジメに一人で死ぬからと、暇乞いに四ツ目楼に顔を出しなんした。
親、兄弟もなく、十ニの時から世話になった奈良屋の主人に顔向けできないと言なんしてなぁ。死ぬ前に、一目私に逢いたいと、そう言いなんして。。。其れは、私も同じ事。
十で売られて四ツ目楼に来て、水揚げされたんは十七でした。其れから運良くカサかく事もなく、五年の月日が経ちましたが、
私は、この幸助さんに巡り逢うまでは、お客は銭を持って来るタダの鳥で、好きでも無けりゃ、厭でもない。和田島の親分さんや女将さんに、私は心底大事にされて、感謝はしておりますが、
初めて惚れたこの人が、死ぬと言わはりますからには、私も道を共にして、一緒に死にとう御座いますと、そう言って手に手を取って、四ツ目楼の裏の堤から、川へ飛び込み心中する気で有りなんした。」
そう言ってさめざめと泣く女郎お米の姿に、次郎長は胸が熱くなり、貰い泣きをしてしまう。
次郎長「なんだが、『紺屋高尾』みてぇ〜だなぁ!ヨシ、何も言うなぁ。この次郎長が全部飲み込んだ。安心しなぁ、俺が間に入って、和田島の貸元と、奈良屋の旦那には、キッチリ噺を着けてやる。」
お米「本当ですか?次郎長さん。幸助さん!長さんが、私達の面倒を見てくださるッて。。。」
幸助「次郎長さんとやら、本当ですか?」
次郎長「本当だ。この次郎長、命を掛けてお前たち二人を堅気の夫婦にしてやる。」
幸助「有難う御座います。この恩は一生忘れません。ところで、次郎長さん、貴方は今お幾つですか?」
次郎長「俺か?二十六だ。」
幸助「へぇ〜、それじゃオイラとタメだ。そうは見えない貫禄がお有りだ、次郎長さん!改めて、宜しくお願いします。お米、お前からも礼を言いなさい。」
お米「次郎長さん!有難う御座います。」
次郎長「ヨシ、じゃぁ、兎に角俺に付いて来い。」
と言って、先ずは自分の家に二人を連れて参ります。そしてカクカクしかじかと、女房のお蝶に理由(ワケ)を話して、二人の面倒を頼みます。
そしてもう深夜の四ツ時分では御座いますが、直ぐに池尻の四ツ目楼を訪ねて、和田島ノ太左衛門に談判しに参ります。
つづく
P.S. 本当は、五話と六話は通しでお届けの積もりが、amebloの文字制限で二話に分かれた事をお詫び致します。
丸一日頑張って編集を試みた結果、泣く泣く二話に致しました。