息子長五郎が、博打から足を洗い商売に精を出して呉れますから、次郎八は大いに喜びまして、兎に角、嫁取りだ!と、長五郎の女房探しに明け暮れます。
次郎八「長五郎、お前の嫁を、あれ此れ探してはおるが、帯に短し襷に長し、之れだ!ッて嫁が中々見付けられていない。
其れに俺の女房じゃなくお前さんのだ。お前が嫁を気に入らない様では、何んにも始まらない。だから、飛びッ切りの嫁を探しては見たものの。。。現れて呉れない。」
次郎長「分かりました。私は、オヤジ殿の気に入る嫁を貰いとう存じます。貴方が気に入る嫁なら、小町なんぞと高望みは致しません。
其れに、穀屋家業ですから、看板娘が商売繁盛を呼び込んだりもしませんから、其れよりも、身体が丈夫な安産型の尻をしていて、読み書き、算盤が一通り出来る。針仕事の上手な女が宜しゅう御座います。」
言われた次郎八は、目から鱗で御座いました。是までは、何んちゃら小町だったり、芸者上がりだったりと、外見にばかり目をやっておりましたが、
倅の次郎長と年廻りさえ合うのなら、まずは、丈夫で良いややを沢山授かる安産型が一番で、次は商いの手足に成れる読み書き算盤!そして最後にオマケで、針仕事まで出来るなら言う事無しだと思います。
そんな目で次郎八が嫁探しを始めて十日目、米問屋仲間の会合に来ていた、薩摩屋勝次郎と久しぶりに逢います。
次郎八「勝さん!久しぶりだねぇ〜。」
勝次郎「この半年ばかり、身体の具合悪くて、店は倅と妹のお蝶にやらせて居たんだが、漸く腰の具合も良くなって、ボチボチ近所の会合は、俺が顔を出す様になったんだ、又、宜しくね、次郎八ドン。」
次郎八「そうかい、お互いも若くないから、隠居を考えないといけない年だからねぇ。」
勝次郎「確かに、隠居しておかしくない歳なんだが、倅の嫁がなかなか決まらなくてねぇ。」
次郎八「俺もなんだ。俺にも二十三になる倅が在るんだが、いざ嫁探しとなると、適当な候補を見付けるだけで、大変だぁ。」
勝次郎「分かる、分かる。うちの倅はもう二十五だぞ。選り好みはしないんだが、米問屋なんかには、なかなか嫁が来やしない。」
次郎八「確かに、この飢饉続きの米の高騰だ。売る米を手に入れるだけでも一苦労なのに、上手く仕入れて喜んでいると、打ち壊しだなんだって米騒動に巻き込まれる。そんな商売だから、嫁の来手が無いのも肯ける。」
勝次郎「倅の嫁にも頭が痛いが、俺は妹の縁談も悩みの種で。。。」
次郎八「さっき、店の切り盛りの手伝いをして貰ったと言う妹さんかい?幾つなんだい?」
勝次郎「もう二十になる、年増だ。なまじ女だてらに読み書き、算盤が出来るから、職人や農家の嫁には敬遠されて、俺も歳の離れた妹だから、好きにさせていたら、もう二十に成っちまった。」
次郎八「そりゃぁ〜、願ったり叶ったりだ。」
勝次郎「何が?願ったり叶ったりだ?、うちの妹を馬鹿にするのか?次郎八ドン。」
次郎八「馬鹿になんかするか?!うちの長五郎の三つ下なら、願ったり叶ったりだと言っているんだ。出戻りなのか?そのお蝶さんは? 違う、初婚。ならもう、決まりだ。
ただ、互いに当人がどう思うかが第一だ。親同士、兄貴同士が良くても、当人が嫌がるもんを、無理矢理くっ付けようとしても、上手くない。」
勝次郎「ヨシ、其れなら来月八幡様の祭があるだろう?祭の日に、二人を引き合わせて、様子を見よう。」
そんな父と兄の思惑が一致しまして、お見合いと言う程堅苦しい物では御座いませんが、当人同士を『下清水八幡神社』のお祭で、顔合わせが催されます。
この下清水八幡神社は、元住吉大神を奉る天智天皇時代の創建と伝わっています。
民部図帳に住吉神領三百束と賜わりと伝わり、
文治年間、梶原景時の勧請により住吉社と合祀し、八幡神社と称されるようになったそうです。
そして、古くから海上交通の安全が祈願され、金比羅様との関わりが深く、この神社のお祭で女房・お蝶との縁を得た次郎長は、此処を通じて、後の金比羅礼賛へと噺が繋がります。
この薩摩屋勝次郎の妹、お蝶の次郎長の第一印象は、背の低い可愛らしい『モンシロチョウ』の様な女(ひと)と言う印象だったそうで、
顔は特に美人ではないが、小さいながらお尻の大きな女だったとか。又、性格は穏やかで我慢強く、常に一歩下がって次郎長を立てて呉れるのですが、
その実、一家の手綱はお蝶が握っておりまして、次郎長は、自分の好き勝手をしている様で、結局、お蝶の掌の上で踊らされていた様で御座います。
そして、相当の媒酌人を頼み、吉日を選んで二人が結ばれる縁を作った『下清水八幡神社』で御神酒を挙げて、次郎長とお蝶は夫婦となります。
晩年、次郎長は「なぜ、お蝶さんと結婚したのか?」と、問われて『お蝶』と言う名前に惚れたからと答えております。
その実、次郎長は三度結婚していますが、三人共に『お蝶』と言う名前の女性を女房にしていますし、又、女郎を買う時ですら、その一夜妻に対し、お前を今夜は『お蝶』と呼ぶ、と、宣言した上で抱いたと申します。
是は、世の不倫藝人に教えてやりたい。あの多目的藝人も、「のぞみ!と呼んでやりました。」と言えば、少しはバッシングが緩和されたのに。
誠に残念ながら、彼は八王子出身で、清水湊の生まれではなく、この逸話を知らなかった様です。
こうして嫁入りしたお蝶は、舅の次郎八にも大変気に入られまして、坂本屋の商売も、若夫婦に任せられまして、次郎八は念願の楽隠居と相成ります。
其れから僅か一年。風邪をこじらせ枕が上がらなくなった次郎八は、お蝶の献身的な看病と、倅長五郎の神信心の甲斐も無く、六十七歳で生涯を閉じる事に相成ります。
この父次郎八の死は、次郎長を大いに落胆させます。博打に溺れかけていた自分を助けて貰った父に、孫の顔も見せられず。やっと、楽隠居になり、これから親孝行をと思った矢先、帰らぬ人となった失意は計り知れません。
そんな悲しみに塞ぐ次郎長ですが、次郎八の葬儀を上げ、坂本屋を二代として支えて行かねばなりません。
葬儀には、親戚筋のみならず、故人の人柄を宜く表すかの様に、沢山の商売上だけでなく友人知人が駆け付けまして、かくも盛大に執り行われました。
又、坂本屋を継いだ次郎長はと見てやれば、益々、商売に打ち込む様になり、奉公人も増やして、一層堅くなって参ります。
そして、お蝶も連日自ら店に出て、帳場格子に入って算盤を弾き、帳面を付けて、外回りの次郎長を縁の下から支えます。
そして、そんな或日。いつもの様にお蝶が帳場で仕入れ台帳と睨めっこ致しまして、その脇で次郎長が番頭の甚兵衛と今日廻る問屋の順番を決めております。
すると、店の角付に一人の雲水が立ったかと思うと托鉢を始めます。是に気付いたお蝶、『そうだ!今日は義父さんの命日だ。』と、思い立ちまして、
何某かの鳥目を紙に包んで、雲水が足元に置く鐡鉢の中へ之を入れて、『御奇特の事で。。。』と、声を掛けます。すると、
雲水は暫く経を読み続けますと、ゆっくりと笠を傾げて店の中を覗くようにし、次郎長を見付けると、側に歩みよりまして、声を掛けて参ります。
雲水「貴方が、此の店のご主人に御座いますか?」
と、雲水が次郎長の顔を覗き込むようにジロジロ、舐めるように見始める。
次郎長「確かに、私が主人に御座います。どうか?しましたかぁ? 私の顔に何か?付いていますか?」
雲水「いいえ、左様な訳では御座いません。ハぁ、兎に角、お気を付けなさい。神仏を信じ、祈る事です。そうすれば。。。
いやいや、気休めは止めましょう。危ない!危ない、お気の毒な事だ!然らば左様なら。」
次郎長「おい!待て坊主。聞捨てならねぇ〜事を。ちょっと待て!」
雲水「どうかなさいましたか?」
次郎長「そうだろう。人の顔をジロジロ見て、『危ない!お気の毒』と、聴かされたら、黙って帰す訳にはいかないだろう?お前は何モンだ?」
雲水「申し訳御座いません。お気になさいましたか?いいえ、決して怪しい者では御座いません。」
次郎長「御出家さん!気に成るじゃねぇ〜か?『お気の毒だ!』『危ないだ!』言われなければ、鳥目恵んで帰すけんど、耳にした以上、訳を話すまでは、此処を動かさないぞ!」
雲水「イヤイヤ、旦那さん、お前様はなかなか勝気なお人の様だ。其処まで言われたら、最後まで話しましょう。
三尺のこの杖で、大地を突きながら歩いておると、極々稀に突き損じと言う場面が御座いまするが、拙僧の言葉には、万に一つも間違いが無い事を覚悟して聴いて貰いたい。」
次郎長「ハイ。」
雲水「拙僧、今、お主の人相を見ると、天庭に破れが御座いまする。更に印堂には黒色を帯びて大変不吉で御座います。
即ち、貴方には間違いなく死相が現れていて、早ければ一年、そして、長くても三年の内に、きっと死ぬ。そう人相に出ております。」
次郎長「エッ!死ぬ。」
雲水「あぁ、正に死ぬ。拙僧は禅家の僧にて、名を『東龍』と申します。」
次郎長「大工の?其れとも左官?」
東龍「其れは『棟梁』だ、私は東の龍と書いて『東龍』だ。世の中には、不安を煽り「死相を治す方法を教えてやる?」などと持ち掛けて、金品を騙し取る悪い輩もおるが、拙僧はその類の語りでは、決して無い。
先ずは、信神して心を浄化する事、之が専決。ただ、拙僧の見立てでは救われる道は万に一つも無く、受け入れて悟る事が肝要になり申す。
嘘では御座らんぞ、燃し、四年の後に、又拙僧が此処に現れて、お前さんが生きて居なさるなら、拙僧、お主に殺されても本望で御座る。」
次郎長「誠ですか?」
東龍「残念だが、きっと当たる。」
次郎長「イヤ、大いに失礼を致しました。」
東龍「では、さらばで御座る。」
此の様に、東龍と名乗る禅僧が、次郎長の寿命を予言し立ち去るのですが、実際に、此の時二十五歳の次郎長が、三年で死ぬ事は無く、この死相が禍を齎す事は、結果的に無いのですが、
実は、この東龍和尚、この後、あの井伊掃部頭直弼に招かれて、家督を継いで彦根藩主となるか?御舎弟に跡を任せて、ご自分は仏門に生きるか?相談なさいまして、東龍和尚曰く
貴方には剣難の相がある。之は拙僧が清水湊で見た商人と同じ類の死相なれば、貴方は跡目を相続なさると、必ず、この剣難で刃に倒れ亡くなります。
燃し、貴方様が長生きしたいのであれば、このまま、一生神仏に縋り、仏門に帰依しお暮らしなさい。
ご存知の通り、この東龍和尚の見立ては的中し、万延元年、1860年に桜田門外にて水戸浪士らによって暗殺されてしまいます。
つまり、次郎長が二十五歳の時に、東龍からの見立ても、『剣難の相』だったのですが、まだ修行途中の東龍には、そこまでの、井伊直弼に対する様な具体的な助言までは出来なかったが、
実は、この後、次郎長にも東龍の見立て通りに死相による災難、即ち、剣難が襲い掛かり、命の危機に見舞われるのですが、
其れを次郎長が、どの様に回避して、結局、六十七歳まで生きて、明治二十六年に亡くなったのか?是については、この後をお楽しみにお待ち下さいませ。
さて、東龍から『一年以上、三年未満で必ず死ぬ!』と予言された次郎長は、もう、自暴自棄になります。
稼業の坂本屋を、廃業すべく、今決まっている取引限りで商売を辞めてしまいます。更に、奉公人には所謂退職金を支払って暇を出し、全ての借金、貸付金を整理して、坂本屋の長五郎としての幕引きを図るのでした。
こうして、次郎長は、女房のお蝶に、坂本屋を畳んだ金子を全て渡して、俺はあと三年で死ぬんだから、俺が死んだら好きにしなさいと言って、
もっぱら、寺社を巡りお詣りして写経など致しまして、和尚、住職などの説法を聞きながら、東龍に教えてられた様に平穏な心に勤めます。
そして、一方では、止めたはずの博打を、又、始めておりまして、此方は勝ったり負けたりで、まぁ、気分転換の様なもの。
儲かった日には、お蝶に『ホラ、小遣いだ。』と金子を渡しますが、決してお蝶から、博打の元を引いたりは致しません。
其処が次郎長なりのケジメだったようで、此の稼業の穀屋を辞めた辺りから、道場にも通い始めて有り余る体力も、心に合わせて鍛え始めるのです。
そうこうしていると一年が過ぎて、もう半ば悟りを感じ始めていた次郎長は、自分に残されたあと二年を如何に充実せ、有意義に生きるか?
是を真剣に考え始めます。そして、そんな次郎長に、とある事件が絡んで参りまして、東龍和尚の予言が、この後どうなりますか?次回以降のお楽しみです。
つづく