さて、お馴染みの『清水次郎長傳』が、始まります。昭和二十年代に広沢虎造先生の浪曲で、ラヂオからお茶の間へと広がった『清水次郎長傳』ですが、
釈迦に説法になりますが、実は、この物語の起源は講談で、あの三代目神田伯山が、八丁荒らしと呼ばれるキッカケとなった人気娯楽活劇なのです。
この辺りの『清水次郎長傳』誕生の秘話は、一龍斎貞心先生、並びに弟子の貞寿先生がおやりになる「伯山と次郎長」と言う講談を聞くと良く分かります。
そして今回お届けする『清水次郎長傳』は、大正十三年。武侠社と言う出版社が、三代目神田伯山の『次郎長傳』を本にして残す為に開催された、講談会の速記から起こした物語で御座います。
アさて、清水次郎長、本名を山本長五郎と申しまして、実在致します人物で御座います。是又、釈迦に説法になりますが、講談の世界で描かれる任侠に生きる長脇差は、殆どが実在する人物でして、
物語の便宜上、善と悪とに色分け致しては御座いますが、どの親分も総じて地元では、『良い親分』で御座います。
そうです!『天保水滸伝』が宜い例です。あの飯岡ノ助五郎だって、銚子や生まれ故郷の横須賀では、良い親分!として英雄扱いです。
だから、此の『次郎長傳』にも、安納徳次郎、黒駒ノ勝蔵と言った仇役が、後ほど登場しますが、彼らだって地元では英雄なんです。
此の山本長五郎こと通称・清水次郎長、彼は文政三年一月一日生まれ。実は、之は旧暦ですから西暦に直すと、1820年二月十四日、何と!正月生まれではなく、バレンタインデー生まれだったのです。
なぜ、次郎長の誕生日が、正月ではなくバレンタインデーだと言いたくなるかと言うと、亡くなるのが、明治二十六年の六月十二日何ですよなぇ〜。
つまり、亡くなった日が明治五年の十二月二日より後なんで、やっぱり太陽暦に誕生日も直して勘定したくなりますよねぇ〜。
この清水次郎長、山本長五郎と言う人は、特に晩年、私財を投げ打ち地元に貢献したようで、富士山の裾のに、彼の名前が付いた開拓地、次郎長新田、山本村が残っております。
この次郎長の美談逸話都市伝説は、本当に探すと、星の数、浜の真砂ほど沢山、次から次へと出て参りますが、其れらは物語の中で、追々語る事と致しましょう。
清水湊の有渡町(うとまち)と言う所に、長五郎、清水次郎長が生まれた生家が御座いしたが、この三代目神田伯山が活躍した時代には、既にお茶の葉を集めた倉庫になっておりました。
現在のJR東海道本線では清水から南に七、八キロ、ニ里下った辺りに、巴川と言う清水湊に注ぐ大きな川の近くに、次郎長の生家は御座いました。
父の名は、『不見雲 三右衛門』(みずノくも)と言う船持ち漁師の裕福な家庭の次男坊として育ちます。
この『不見雲』と言う不思議な通りなは、漁師仲間に父親が付けられた渾名で、普通は漁師たるもの、板子一枚海の上で仕事をする身ですから、その下は地獄だと用心して、
雲の種類、流れなどを見て、時化になるか?凪になるのか?と、気象予報士ばりに、天気を気にして雲を見るもんですが、
この次郎長の父親、不見雲三右衛門と言う人は、一切雲など見ずに、『損した湊に船繋げ』『船頭たる者、紀伊國屋の料簡たれ!』と言うのが座右の銘で、
兎に角、人が嫌がる仕事を引き受けるから、漁師は儲かるんだ?と言うのが口癖で、この無鉄砲が昂じて『不見雲』と、仲間達からは呼ばれる様になります。
そんな三右衛門が、漁から湊に帰ると、其れを待ち構えるかの様に、幼馴染みで兄弟同様の穀物屋の坂本屋次郎八から声を掛けられます。
次郎八「不見雲のぉ?今日の漁はどんな塩梅だい?」
三右衛門「まずまずだぁ。太刀魚の半間ほどのが二十本ばかり釣れたよ。」
次郎八「どうだ?長男の源次郎は、もう一人前じゃろう?」
三右衛門「馬鹿言え、まだ、船に乗って二年半の鼻垂れじゃ、不見雲の跡は務まらんよ。」
次郎八「ところで、不見雲のぉ〜!長五郎の養子の件は、どないじゃろう?お前さんが、踏ん切りが悪いでぇ、もう十四になるズラぁ〜」
三右衛門「分かっとる。本人に言い聞かせて、夏祭前に、貴様んの家にくれてやる!!」
と、言う訳で、長五郎は漁師の不見雲三右衛門の家から、子宝に恵まれ無かった穀物屋の坂本家へと次男長五郎は養子に出される事になります。
この清水湊の習慣なんですが、養子に来た長五郎は、坂本屋長五郎とは呼ばれません。坂本屋の次郎八さん所の長さんだから、次郎長!次郎長!と、呼ばれる事になります。
咄家の命名にも、このパターンがありますよね。談志師匠の一門の、談慶、談修などが是に当たります。
ただ、新しい父の名前が次郎八で良かった。『天明白浪傳』の八百蔵だと、八百長になった何んて笑い話も御座います。
さて、この長五郎。元々は漁師の倅ですから、まぁ〜、気が荒く手が付けられない程の喧嘩ッ早い野郎です。
又、幼い頃から読み書きや算盤は大嫌いですから、坂本屋の倅になったからとて、直ぐに生まれ変わる筈もなく、次郎八も女房のお累も、やんちゃな次郎長に手を焼きながらも、優しく愛情たっぷりに育ててくれました。
そんな思いが伝わったからか?十六を過ぎると、次郎長は温厚で従順になり、親孝行の働き者。穀物の詰まった袋を、毎日率先して湊で荷揚げ荷下ろしする様になる。
しかし、迎えた十七の夏、大変可愛がってくれていた養母のお累がこの世を去り、半年もしない内に、次郎八は後添えに、お尚と言う女を家に入れる。
すると、このお尚が次郎長とは全く反りが合わず、露骨に次郎長をいびり倒す。でも、優しく親孝行な次郎長は、お尚に何をされても、文句を言わず、相変わらずの働き者であった。
そして、我慢を重ねた次郎長二十一歳の春。この日は、蝦夷の松前藩から二百五十石船が清水湊に到着した。帆には甲斐武田と同じ、割り菱の紋所。
船員達は、口々に江戸表を見物してきた噺を、自慢げに話している。是を聞いて次郎長は、思った。『俺は百里も離れておらぬ江戸表を、生まれて一度も見た事が無い』と。
其れなのに、遥か彼方。江戸よりロシアに近い松前の人間が、江戸見物をして、見聞を広げている。俺はこのままで宜いのか?!
居ても立っても居られない!
荷揚げ場から坂本屋の奉公人と、仕事を終えて家に帰った次郎長は、直ぐにこの思いを、父である次郎八に伝えた。
次郎長「父ッツぁん、蝦夷松前から来た人が、今日は八百萬石の江戸表を見物した噺を嬉しそうに噺しておりました。」
次郎八「其れがどうかしたのか?」
次郎長「先月は九州は長崎から来た人達が、清水湊に寄った後は、同じ様に江戸表へ見物に行くと自慢して御座った。オヤジ様、私も一ツ江戸表へ見物に行ってみたい。
月が変わったら早速江戸表へ行って、一ヶ月、いや二ヶ月はゆっくり見物して、江戸の商人にも直接見て、触れて、彼らのやり方を学びたい。
この湊からなら、箱根を越えたら二十里で江戸表です。足が達者なら三日、四日で着いてしまいますから、どうかオヤジ殿、来月から暫く暇を下さいませ。」
お尚「暫くッて?一ヶ月、二ヶ月の休みは暫くとは言わないよ。何を生意気言ってんだい。」
次郎八「そうだ!生意気だぞ、長五郎。江戸なら来年、私が行く時に一緒に付いて来なさい。独りで行くなんて十年早い。」
次郎長「ハイ、じゃぁ〜、来年まで待ちます。」
次郎八「おう、そうしろ!そうしろ!」
次郎長は、シュンと項垂れて、部屋へと入ってしまいました。
お尚「本当アンタが、長五郎を甘やかすから、江戸表に行きたいなんて!生意気な我儘を言い出すんです。」
次郎八「ハイハイ、もう之以上お前がとやかく言う噺ではない。俺がたっぷり小言を言って置いた、さぁ、今日は疲れた!もう寝るぞ。」
この日は、是で済んだのですが、翌朝事件が起こります。下女が血相を変えて、次郎八の寝間へとけたたましく駆け込んで参ります。
下女「大変です!旦那様。」
次郎八「何んだ、こんなぁ朝ッパラに。」
下女「其れが、今朝台所へ来てみますと、窓が破られていて、二、三寸開いているんです。気味が悪くて!」
次郎八「どっ泥棒かぁ?!」
下女「其れが、分かりません。兎に角、旦那様!台所へ来て下さい。」
下女が言う台所へ行ってみると、確かに窓が壊してこじ開けられているが、外から侵入する為に壊したと言うより、中から出る為に壊されていた。
また、台所に奉公人全員を集めて次郎八が、色々調べ始めていると、内儀のお尚が起きて来て、「長五郎の姿が見えませんよ?」と言う。
是を聞いた、次郎八は「仕舞った!」と、内心後悔の念が過ります。
厭だと言う、あまり気乗りではない親友の不見雲三右衛門から譲り受けた養子の長五郎を、彼の優しさに甘えて牛馬の様にコキ使い。
生まれて初めて、『江戸見物がしたい』と言う願いすら、生意気だと一蹴した自分の器の小ささ。長五郎よりも、後妻のお尚の顔色を優先する自分に腹が立つ次郎八でした。
初めての長五郎の我儘に、なぜ自分は気前よく「十両持ってゆっくり好きなだけ遊んで来い!」と、言って送り出してやれなんだのか?其れが残念で!残念で仕方有りません。
そんな事を思っておりますと、番頭の甚兵衛が是又、血相を変えて台所へと駆け込んで参ります。
甚兵衛「旦那様!大変です。銭函の金子が全部持ち出されております。」
次郎八「な、な、なぁ何んだとぉ〜、相模屋さんへの払いに使う、紙封の三百五十両もか?!」
甚兵衛「ハイ、すっかり持って行かれています。」
甚兵衛「と、言う事はバラ銭と合わせると、四百両! 兎に角、其れは幾ら何んでも、許す訳には行かん! 親分を友次郎親分を呼んで来なさい。」
次郎八は困惑していた。江戸表に行きたいと長五郎が言い出した時に、十両、十五両でも持たせて送り出していれば、四百両などと言う金子を、倅は持ち出す事は無かったのだろうか?
又、二十一にもなるのに、縁談の一つも進めず、倅の優しさに甘えて、彼を牛馬の如く扱っていた報いなのか?!
はたまた、後妻のお尚と反りが合わぬまま、六年もの歳月、継子虐めに合わせていたのを、見て見ぬふりの罰(バチ)が当たってしまったのか?
そんな自問自答をしながら、兎に角、一日も早く、長五郎の手から金子を取り戻さねば。。。先ず全ては其れからだと思う次郎八でした。
友次郎「御免なさい。」
次郎八「親分、待っておりました。ささぁ、昇ッて下さい。」
友次郎「どうなさいました?旦那。押し込みにでも入られたんですか?!」
次郎八「違います、盗賊ではなく、倅にやられました。紙封の三百五十両とバラ銭を五十両。併せて、四百両を持って江戸表へ、旅立たれました。」
友次郎「倅ってあの真面目な長五郎さんがかい?」
次郎八「そうなんだ、昨日、江戸見物に行きたいと、急に言い出して、其れに意見して、来年まで待つ様に言ったら、家ん中の金子を四百両持ち逃げしやがって。。。困った奴だ。」
友次郎「そいつは、寝耳に水だなぁ。旦那、直ぐに跡を追い掛けよう。」
次郎八「親分!倅を見付け出せるかい?」
友次郎「任せなさい。お前さん一人で探したら十日は掛かるだろうが、蛇の道は蛇だ。このマムシの友次郎なら三日で捕まえてやるよ。」
そう言うと一旦家に帰った友次郎は、三、四日の旅支度をして、腰には紅い房の付いた十手を打ち込んで、
まずは、三河屋友次郎と坂本屋次郎八の二人して、湊の周辺を聴き込んで廻りましたが、長五郎を見たと言う奴に出会いません。
友次郎「旦那、長五郎の野郎、どうやら脇目も振らず江戸表を目指して真っ直ぐ進んでいるようだ。そうなると、今夜は沼津か?三島に泊まる算段だなぁ?ヨシ、沼津へ急ぎましょう。」
一刻ほど清水湊を聴いて廻った二人は、漁師に船を頼むと、駿河湾を真っ直ぐ突っ切って船で沼津湊を目指した。
着いたのは、昼を過ぎた八ツ。直ぐに沼津の湊から宿場を東海道沿に探したが長五郎の行方は知れず、目指した先は三島女郎で有名な小中島。
友次郎「坂本屋の旦那?!」
次郎八「何んだい?親分。」
友次郎「相変わらずの賑わいで、小中島は。女郎屋の二階格子から、美人所(きれいどころ)がコッチを見てやがる。思わず唄いたくなりますねぇ、ノーエ節。
富士の白雪ゃノーエ 富士の白雪ゃノーエ
富士のサイサイ 白雪ゃ朝日でとける (そりゃ)
とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ
とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ
三島女郎衆はノーエ 三島女郎衆はノーエ
三島サイサイ 女郎衆はお化粧が長い (そりゃ)
お化粧長けりゃノーエ お化粧長けりゃノーエ
お化粧サイサイ 長けりゃお客がこまる
お客こまればノーエ お客こまればノーエ
お客サイサイ こまれば石の地蔵さん (そりゃ)
石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ
石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い
頭丸けりゃノーエ 頭丸けりゃノーエ
頭サイサイ 丸けりゃカラスがとまる (そりゃ)
カラスとまればノーエ カラスとまればノーエ
カラスサイサイ とまれば娘島田
娘島田はノーエ 娘島田はノーエ
娘サイサイ 島田は情でとける (そりゃ)
とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ
とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ
◇ノーエ節 エノケン https://youtu.be/tA5V_rhgVuA
次郎八「いい声で唄うね、親分は。」
友次郎「いやいや坂本屋の旦那、あそこに居る若い客は、俺なんかより遥かに芸達者だ。見てご覧なさいよ?」
次郎八「本当だ!手拭いで頬冠りして、粋だねぇ〜、唄も踊りも素人じゃないよ。遊び慣れている。おいおい、脱ぎ出したよ、あの若いの。」
友次郎「若い幇間かなぁ?褌一丁で大したもんだ。頬冠りを取りましたね、エノケン顔負けだ。藝人ですかねぇ〜。」
次郎八「。。。藝人?!藝人なんかじゃありませんよ、アレは倅です。親分!よく見て下さい、長五郎の奴です。あの野郎、どこでこんな遊びを覚えたのやら?」
友次郎「おぉ!確かにあのお顔は長五郎さんだ、確かに、エノケン顔負けだ!藝人になれますねぇ。」
次郎八「親分!変な褒め方は止めて下さい。あの餓鬼め、硬い硬いと思っていたら、いつから若旦那に化けてやがった?!」
二人は、直ぐ長五郎が二階で女郎を上げてノーエ節なんぞに興じております女郎屋へとバタバタと駆け込みます。
友次郎「御免よ!こう言うもんだ。」と、紅房の十手を見せて、「すまない、客じゃねぇ〜んだ。」と言う。すると、廓の若衆、牛太郎が出て来て、
牛太郎「親分さんで?ご苦労さんです。」
友次郎「二階で騒いでいる、若い客が居るなぁ?」
牛太郎「ヘイ、居ります。」
友次郎「あの野郎を押さえに来た。」
牛太郎「野郎、泥棒ですか?」
友次郎「馬鹿!違うよ、この坂本屋さん処の若旦那だ。連れ戻しに来ただけだ!」
牛太郎「若旦那? どちらから?清水湊、そいつはご苦労様です。」
友次郎「そんな訳だ、二階に上がるぞ。」
牛太郎「ヘイ、畏まりました。 ささぁどうぞどうぞ。 櫻子さん!親分と旦那さんを、二階の富士の間へご案内して。」
女中「ハイ。ではお二人さん、此方へ!」
そして、二階へ上がり部屋の前に立つと、中から長五郎の声が致します。
長五郎「次は、景気よく八木節を弾いてくれ!俺が踊る。さぁさぁ、ご祝儀は弾むから陽気に頼むよ!一つご陽気に。」
何が、ご陽気にだ!!
唐紙を開けて次郎八が怒鳴りながら乱入し、跡から友次郎が、ニタニタしながら、十手を肩に担いで入って来ます。
長五郎「之は之は、オヤジ殿、あらあら親分も。駆け付け三杯と申します、ささぁ、ご陽気に、ご陽気に。オヤジ殿、一緒に踊りますか?八木節。」
次郎八「何んて真似をしてくれたんだ、貴様は?こんな処で、何をしてやがる。」
長五郎「何をしてやがるッて、女郎屋に来てるんだ、野暮は言いっこなしだ、そうだ!オヤっさん、お前好みの年増も居るからさぁ、、、」
次郎八「巫山戯るなぁ!いい年の俺様が、次郎を買ってどうする?落語の『木乃伊取り』になっちまう。飛んでもない野郎だ!さぁ、もう何も言わないから銭を出せ、早く、銭を出せ!」
長兵衛「冗談言っちゃいけねぇ〜のは、そっちの方だ。山賊が旅人を脅してんじゃねぇ〜んだ。『早く銭を出せ!』は無いだろう。 あぁ、分かった!出す、出す。胴巻ん中だ、勝手に持って行って下さい。」
次郎八「あぁそうさせて貰う。二度とうちの敷居は跨ぐなぁ!本当に飛んでもない野郎だ、こんな大金持ち逃げしやがって。。。おい!二百五十両しかないぞ! 何んて奴だ、もう、百両使ったのか?!」
長五郎「馬鹿も休み休み言いやがれ、糞オヤジ。最初(ハナ)から二百五十両しか取ってねぇ〜!」
次郎八「誰が糞オヤジだ?七年も世話掛けておいて。」
長五郎「ヤイ、オヤジ!貴様も糞ぐらい垂れるだろう?糞をしないオヤジが何処に在るッてんだベラ棒め!百両は、銭函の底に残っているに違いねぇ〜、自分の目でよーく確かめやがれ!糞オヤジ。」
次郎八「口の減らない放蕩者が!親分、こんな野郎はもう相手にせず、とっとと清水へ帰りましょう。
ヤイ!ドラ息子、貴様は勘当だ!こうたった今から親でも無ければ子でもねぇ〜。此処に十両ある。之はせめてもの手切れ金だ!!江戸だろうと、蝦夷だろうと!好きな所へ行きやがれ、糞を喰らって飛びやがれ。」
次郎八が叩き付けた十両の銭を拾いながら、長五郎も黙ってはおりません。
長五郎「シミっ垂れが。。。紙封切って十両出すなら、残りの十五両もよこせ!糞オヤジ。」
次郎八「余計なお世話だ!馬鹿息子。豚に蹴られて豆腐の角に頭ぶつけて死んで仕舞え!」
と、次郎八。呆れた顔して階段を降りて、友次郎と一緒に女郎屋から出て参ります。
友次郎「いいんですか?坂本屋の旦那、長五郎に勘当だなんて、不見雲の親方に、何んて言うつもりです?」
次郎八「仕方ないさぁ、長五郎の奴が料簡違いをするからだ!まぁ、ああは言ったが、勿論、詫びを入れて心を入れ替えると言うなら、家には入れてやるさぁ。
だから、あの野郎がお前さんに相談に来たら、宜しく頼みます。それから、この十五両は、お前さんに手間だ。無事に二百五十両が戻ったから受け取ってくれ。」
友次郎「こいつはどうも、有難う御座んす。また、何時でも困った時は、お声掛け下さい。アッシでお役に立てる事は、何でも致しますから。」
さて、父親次郎八に勘当と言われた長五郎ですが、手切れ金の十両で、女郎屋の勘定を済ませて、三島小中島を後にして、夜明け前の薄暗い東海道を西へと上って参ります。
此処は清水湊は、岡野八幡宮の御神木、大きな銀杏の木で御座います。その根本、目印に置いた、四、五貫は有ろう石を見付けます。
其れを退けて、掘り起こしますと、当たりが御座いまして、出て参ります、予め隠して置いた山吹色の百両小判。
辺りに見ている者が無い事を確かめて、長五郎は、朝靄の闇ん中を、三州は仲ノ町、此処は京の三条大橋と、大江戸日本橋、このちょうど中間地点と呼ばれる町で、此処へ来た長五郎は考えます。
もう、時期に父親次郎八は、百両擬(ギ)られた事に気付くだろう?あのまま、江戸表に行ったと見せ掛けて西へと逐電する長五郎でした。
仲ノ町から、長五郎は濱松へと向かった。此処には十五の時に父親と一緒に来た事が有ったからだ。しかしそれにしても夏本番の六月。
猛暑の中、東海道は避けて裏道を行く長五郎、掛川から海に違い浜川新田辺りで、茶店に『心太 一突き四文』の看板を見て此処へ入ります。
長五郎「すまん! 御免下さい。」
「はーい。」と言って、出て来たのは年は七十近い婆さん。
長五郎「お婆さん、済まぬが井戸端で行水させてくれぬか?汗がベトベトで気持ちが悪い。そして、心太を三本突いてくれ、酢と辛子、其れに下地を垂らしてくれ!」
婆さん「へいへい、その盥と手拭いを使うといい。」
長五郎「有難う婆さん、生き返る!」
盥に汲んだ井水を浴びで汗を洗い流す長五郎、頭から何度も水浴びして、富士の恵みに感謝致します。
婆さん「旅の人、心太は此処に置くよ。」
丼に突かれた心太が、ニャルニュルしておりまして、これを釜揚げのうどんを頂くように、勢いよくカッ込みますと、是がえらく辛子が効いており、飛び上がる長五郎。
長五郎「婆さん!辛子が効きすぎだ、あと二本突いてくれ。」
婆さん「そうかい!そうかい、そら突くよ。」
長五郎「あぁ〜、いい塩梅だ。さっきは、死ぬかと思った。」
婆さん「お前さんだから、話すけど、辛子はわざと効かせて、追加の心太を誘うのさぁ。」
長五郎「酷いやり方するな、因業なぁ。」
婆さん「一突き四文だから、ご愛敬さぁねぇ。」
掛川を八ツ過ぎに出て、暮れ六ツには、濱松に入り、父次郎八と泊まった事のある清水屋國五郎の旅籠にやって来た。
この國五郎は、父次郎八の幼なじみで、清水湊から出て来て、此処濱松で清水屋と言う旅籠を始めたのだ。
長五郎「國五郎伯父さん、私です。坂本屋の長五郎です。」
國五郎「おー、暫く見ないと大きくなったなぁ、長五郎。オヤジさんは元気にしているかい?」
長五郎「へい、お陰様で。六年ぶりの濱松で御座います。ちょいと、オヤジと喧嘩しまして、家を飛び出して参りました。」
國五郎「若い時にはありがちな事ッたぁ。お前さん一人ぐらいなら、好きなだけ泊まって行きなぁ。オヤジには内緒にしといてやる。」
長五郎「ハイ、有難う存じます。」
と、言う訳で、長五郎は、清水屋に厄介になり、地元の長脇差、無職渡世の半次郎と言う男と知り合います。
そして、この半次郎から博打のイロハを教えられます。博打場は、その盆の大きさで、掛金の妥当性が各々在る。
つまり、二分の銭を二両、三両にする賭場から、十両、二十両を百両、二百両にする賭場まで、規模によって張り加減があると言うのだ。
そして、是が博打の肝なのだが、いきなり、十両、二十両を持って百両、二百両を目指すのは、其れ相応のリスクがある。
つまり、頭ん中では、三回に一回くらい勝って、二十両を百両にすれば、六十両使い百両にするんだから、四十両の儲けとなるんだから、寺銭を一割五分取られても三十四両は儲かるハズである。
所が、是を試みると、五回続けて負ける事もしばしばで、二回、三回、続けて勝つ事もある。又、百両には手が届かない事もある。
是を考察した半次郎は、半次郎流の博打必勝法を編み出していて、兎に角、先ずは二分を二両にする。
その二両を、二十両にしてから、百両を目指す。元は二分だと言うのが味噌で、この転がし作戦で、長五郎は一年半、濱松の賭場で実に四千八百両の大金を手に致します。
そして、この金を元手に、次なる野望を求めて清水湊へと凱旋致すわけですが、その噺は、次回のお楽しみ。
つづく