米山峠から、命からがら逃げ出した波次郎は、忠僕馬五郎を死なせた後悔を引き摺りながら、『犬死だけは!』と言う馬五郎の最期の言葉を胸に鉢崎の方を目指し、なだらかな坂を、必死で駆け下りた。すると、
誰か上がって来る!
その坂の遥下の方から一人の武士らしき人物が、ゆっくりゆっくり坂道を登って来るのが見える。
黒木綿の着古した五所紋付に、ヨレヨレの旅袴を付けて、柄や鞘はボロボロに剥げ落ちた刀を落とし差しに、深編笠から覗いた髪は真っ白で薄く腰は曲がり、どう見ても還暦はとうに過ぎた武士である。
又、余程長い道中の途中と見えて、かなり使い古した杖を突いて坂道を上がり、万一に備え新しい杖も背負いながらの旅姿、年老いた武士である。
老武士「何だぁ?お主、右手を怪我しているのか?」
波次郎「ハイ、親の仇に遭遇し、斬り合いになり、助っ人の者は斬り殺され、拙者は右手甲を突かれて此の状(ザマ)です。何卒!何卒!ご助成願いまする。」
老武士「分かった。私の背後に隠れて居なさい。命は身共が保証致す。」
そう言って此の老武士が、波次郎を庇う様に立ちはだかると、峠の上の方から、秋月大八郎が追い付いて来て、老武士に向かって怒鳴り付けた。
秋月「オイ、爺さん。背後に居る其の侍を、こっちへ引き渡して貰おう!」
老武士「理由(わけ)を話せ!理由も聞かずして、この者を其方に引き渡す事は出来ぬ。」
秋月「其奴、拙者に無礼を働いたから、斬り捨てるまでだ。ごちゃごちゃ抜かしていると、貴様も纏めて、叩き斬るぞ!!」
老武士「人の命を奪うと言うのに、無礼を働いたとだけの理由では、引き渡しなど出来ぬ。どうあっても、と言うのなら、まず、拙者を斬ってからにして貰おう。」
秋月「年より由え、大人しく話をしてやれば、増長しおって、そう言うのを『年寄りの冷や水』と言うのだ、こうなったら容赦は致さぬ。抜け!」
老武士「馬鹿も休み休み言え、貴様如きを相手にするのに、武士の魂である刀など抜けるか?!素手で十分。」
秋月「腰の曲がった老いぼれの分際で、太平楽を言うなぁ、爺!!」
老武士「なぁ〜にぃ〜!猪口才な青二才が、腰の曲がった分際とは聞き捨てならぬ。歳を取れば皆、腰は曲がるもんだ、誰に迷惑掛けはせんワぁ!此の馬鹿タレがぁ。」
秋月「口の減らぬ爺め、えーい面倒だ!」
老武士「面倒なら如何に致す?」
秋月「勿論、ブッた斬る!!」
大刀をずらりと抜くと、まだ、馬五郎の血のりが付いております。是を力任せに、大上段から降り下ろして、腰の曲がった老いぼれ侍を、一刀両断。頭から真っ二つにしようと致します。
が!!
腰は曲がっておりますが、柳の様に柔らかい動きで、刃の下を掻い潜り、秋月大八郎の懐中に入ると、正に『カメハメ波!!』
柔術や合気道で言う所の『気』を操り、秋月大八郎を吹き飛ばしてしまいます。すると、飛ばされた方角が運悪く谷底の方で、ワァ〜!ワァ〜!ッと悲鳴を上げて、大刀を握ったまんま、秋月大八郎、真っ逆様に落ちて行きました。
十間?いや十五間は在る高さからの落下ですから、生きているのやら?
老武士「すまぬ、若者。あの悪党はお主の親の仇だったなぁ。思わず怒りに任せ本気でカメハメ波をお見舞いしてしまった。」
波次郎「其れにしても、凄い当身ですね?カメハメ波と言う技ですか?」
老武士「居合の極意に通じる『気』を用いた技だ。余りに生意気な態度だったので、容赦(ゆる)さなんだら、谷底まで飛んで行きおった。さて、其許(そこもと)は、お名前を何んと申される。」
波次郎「之は申し遅れました。拙者は井筒波次郎と申しまして、仇討ちが為に、宇都宮十八万石の武芸指南役、筑紫市兵衛先生の門弟となり修行を致しております。大口屋と申す酒屋の倅に御座います。」
老武士「井筒?。。。お主は筑紫氏の門弟なれば、馬術をなさるか?!」
波次郎「勿論です。貴方は筑紫先生をご存知なんですか?!」
老武士「当たり前田の百万石じゃ!武芸者なれば、奥平大膳大夫様の家来、筑紫市兵衛を知らねばモグリだ。氷川神社での競馬勝負、よーく存じておる。」
波次郎「左様ですが、実は拙者は江戸にて、第八回の曲垣平九郎先生主催の競馬競争で優勝し、市兵衛先生から許しを得て、この仇討ちに参ったのです。」
老武士「なんだ!だから聞き覚えがあったんだ、貴様が今年の競馬に勝った井筒殿かぁ。すまぬ事をしたなぁ、主催者のハズの儂が現場に行かれずに。何んだ、左様かぁ、お前さんが、優勝した市兵衛殿の弟子だったかぁ。」
波次郎「と、仰りますと!貴方様は、もしや。。。」
老武士「そうだ、拙者が天下の素浪人、曲垣平九郎だ。済まなんだなぁ、井筒殿。あの競馬は確かに拙者の冠の大会だが、
其の実、仕切るのは、老中の二人!松平伊豆守様と井伊掃部頭様だ。拙者が行くと二人が芸者か女郎の貰いを掛け競うが如くに、宜い歳をして、平九郎!平九郎!と、煩くてかなわぬ。
由えにここ最近、儂は何かと理由を拵えて競馬には行かぬ事にしておる。だが、筑紫市兵衛殿の門弟と聞けば、腕前は確かに違いない。」
波次郎「では、先生!曲垣先生に是非、一度、馬術指南をお願いしたいです。」
平九郎「其れは一向に構わぬが、先ずは、馬術よりも、親の仇の死骸を探しに、谷底へと参ろうぞ。」
波次郎「そうでした!秋月大八郎の死体を見届けねば、両親の墓前に報告できません。」
平九郎「その前に、其方はあの秋月とか申す浪人との戦いの途中で、大刀を落としたのではないか?何よりもまず其れを早く拾って来なさい。」
波次郎「そうでした、では、先ずは落とした大刀と、奴に殺された馬五郎の亡骸を引き上げに行って参ります。」
そう言うと、井筒波次郎は落とした大刀と、殺された馬五郎の死体を拾い上げて、曲垣平九郎も手伝って、米崎へと峠を下ります。
平九郎「ヨシ、谷から落ちた秋月大八郎を、二人で探すとなると、其れは大変な事だ。百姓を雇い探すのを手伝わせよう。」
そう言うと、曲垣平九郎は、井筒波次郎を連れて米崎の庄屋の家へと向かい、理由(わけ)を話して十五人程の百姓を借り出して、秋月大八郎が落ちた谷底の捜索を始めた。
峠の山間に入り、波次郎も平九郎も、必死で秋月大八郎の行方を追いましたが、足跡と藪を分け入った跡が残るばかりで、どうやら秋月大八郎は生き伸びて何処かへ逃げた様子で御座います。
翌日、更にその翌日も、三日間の山狩を、三条の代官所からの応援と借り出した百姓を合わせ、五十人体制で連日行いましたが、秋月大八郎は発見できず、逃亡の手掛かりすら見付かりませんでした。
平九郎「其れにしても、残念無念!悪運の強い奴だなぁ!秋月とやらは。」
波次郎「何処へ逐電したのやら?誠に、残念で御座います。私が助かりましたのは、曲垣平九郎先生と、盾になり私を逃した馬五郎のお陰です。」
二人は、米崎から鉢崎へと入り此処に泊まり、亡くなった馬五郎を近くの寺に葬り供養を頼むのでした。また、秋月大八郎の付近の捜索は、三条代官、渡邊典膳が引き受けてくれました。
波次郎「さて、曲垣先生、先生は之から何方へ向かわれますか?」
平九郎「拙者は、昔大変世話になった松平伊予守忠昌公の墓参りの帰り路、其方の仇討ちに遭遇したのだが、之も何かの縁だ、其方が見事、秋月大八郎を討ち果たすまで、助てやる事に致す。」
波次郎「本当ですか?!ならば、この機会に、先生からも武芸を教わりとう存じまする。」
平九郎「相分かった。どうせ、帰る所が在る訳でなし、風の向くまま、気の向くままに、武者修行を暫く続けるつもりで在った。貴公が道連れになってくれると言うのなら、願ったり叶ったりじゃぁ。」
波次郎「先生は、帰る所が無いと仰いますが、御子息は無いのですか?」
平九郎「イヤ、孫六なる倅が一人あるのだが、伊澤兵左衛門と言う郷士の養子に出して、石和村で馬術を中心に武芸を教える塾を営んでおる。だから、拙者自身は天涯孤独の様なもんだ。」
波次郎「左様で御座いましたかぁ。」
平九郎「であるからして、筑紫市兵衛殿との出会いも、数奇な縁で、たまたま訪れた氷川神社の競馬だったが、その弟子の貴殿との出会いも、
たまたま数奇と言うしか御座らん。越前國福井へ、二番目の主君伊予守様の墓参りの帰り路に、偶々其方の仇討ちに出会してしまったのだからなぁ〜
之も神様の思し召しか、亡き殿、伊予守様の巡り合わせに違いない。だから、この道中、其方には、みっちり剣術も馬術も仕込んでやる。
又、実技だけでなく、軍学についても、語り聞かせる由え、よーく承れ。町人が机上で習う武芸とは一味も二味も違う、誠の軍学を教えて進ぜよう。」
波次郎「有難う御座います。筑紫先生からも四年半に亘り、剣術も軍学も、文武共に学んで来てはおりますが、まだ、未熟者由え、宜しくお願い申します。」
平九郎「確かに、その様子では四年半の修行では、あの秋月大八郎には勝てまいなぁ〜。」
波次郎「曲垣先生も左様に思われますか?師匠筑紫市兵衛も、最初(ハナ)はそう申していましたが、御前試合と曲垣杯に優勝したので、
一応、許しては下さいましたが、やはり内心では、まだ早いと不安がられておったに違い御座いません。」
平九郎「そうかぁ、ならば、筑紫殿の分まで教えてやるぞ!波次郎。ただ、馬術は馬が無いと流石に教えてやれぬ。道中、馬を見付けたなら、その折々に、教えてやるから、其方も馬が居ないか?気を付けて道中しなさい。
仇討ちが終わるまでは、武芸三昧で修行漬けで良かろうが、其許(そこもと)は見事、秋月大八郎を討ち取りなさったら、商人に戻られるおつもりかなぁ?」
波次郎「いいえ、もう宇都宮の大口屋へ戻り、又、商人に成るつもりは毛頭御座いません。筑紫先生や曲垣先生にちょっとでも近付き、他人が認める立派な武士に成る所存です。」
平九郎「武士のまま、墓に入る覚悟ですねぇ?!ならば、拙者の持つ全ての業を、御前に、惜しみなく教えてやりますから、心して学びなさい。手加減は無しですから。」
翌日から、道中、曲垣平九郎による厳しい剣術の稽古と、軍学の授業が始まった。四年半、筑紫市兵衛からマンツーマンで武芸を仕込まれた自負もある波次郎だったが、
曲垣平九郎の教え、稽古は容赦なかった。兎に角、道中に手頃な木の枝を見付けると、木剣を拵えて、其れが折れるまで、稽古が続いた。
また、時には馬を借りての『曲垣流』の稽古も行われた。狭い峠道で、自在に馬を操れる様に、是又厳しい平九郎の指導が、波次郎へと注がれた。
こうして、二人は鉢崎から太田切、小田切を通り、越後から信州路へと入ります。更に、長野へ来て、此処では善光寺詣りを致しまして、勿論、此処でも弥彦同様に、仇討ちの成就を願って仏に祈りを捧げます。
この善光寺には、青龍、白虎、朱雀、玄武の立派な四門が御座いまして、誠に有難い大きなお寺でして、此処から二人は川中島を通り、武田、上杉が戦った千曲川の河原に近い、泉福寺峠へと掛かって来ます。
泉福寺
治承・寿永の乱で挙兵した木曽義仲が薬師如来を安置したことに由来し、高野山の雲海僧正による開山なんだそうです。
実際には平安時代に安曇郡大穴荘の祈願寺として創建されたとされる。往時は七堂伽藍を完備した大寺院であったが、この『寛永』のやや後に、度重なる山崩れや大火によって棄損した。
そしてその後、幕府は朱印十五石を安堵され、文化五年、再建の薬師堂には立川和四郎による彫刻が施されている。方七間の本堂は同文化七年に再建され、寄棟造で正面に禅宗様の向拝を葺きだしている。
そんな泉福寺が在る村、泉福寺村からの峠道を、泉福寺峠と申します。この峠を越えると、上田、丸子と続き、その先が信州路名代の難所『和田峠』が御座います。
さて、二人は千曲川を背に、泉福寺峠を分け入り分け入り進みましたが、一向に開けた土地に行き当たらず、山又山が続きます。
平九郎「困ったなぁ、もう、いい加減真田幸村で有名な上田に着いても宜いハズだが。。。どうやら道に迷ったなぁ、難儀よのぉ〜、波次郎。」
波次郎「御意に御座います。行けども行けども山又山に御座いますね。私は若こう御座いますから、何の之しきで、苦に成りませんが、曲垣先生のご老体では。。。さぞ、お疲れに御座いましょう。」
平九郎「田分け!之しきで天下無双、日の本一と言われた曲垣平九郎!へこたれたりせん。だが、流石に夜になり、闇の中、熊に虎、はたまた狼に群れで襲われてしまうと、曲垣平九郎と言えどお主を庇い切れぬ。
よって、そろそろ、人家か?辻堂、炭小屋、木こり小屋などを探して、屋根の在る所に、一夜の宿をお願いしようではないかぁ。」
波次郎「分かりました、気を付けて周囲に気配りしながら進みましょう。」
そう言ってゆっくりと気を付けながら進んでいると、やや南の斜面に明らかに人家からと思われる灯りが漏れて参ります。
波次郎「先生!アレをご覧下さい。灯りに御座います。」
平九郎「まさか、月乃兎花魁の成れの果てが、毒入り卵酒でお出迎えではあるまいなぁ〜。」
波次郎「其れは、甲州身延の噺に御座います。此処は信州上田、大丈夫かと思いますが?」
平九郎「座興だ。千曲川には筏など舫っておらぬし、幸いに雪の季節でもない。山姥みたいに成った月乃兎花魁が、鉄砲担いで追い掛けては来ぬから、サッ早く一夜の宿をお願い致そう。」
そんな冗談を言いながら、二人は、灯りの方へと近付きます。すると、見えて来たのは、一軒の荒家(あばらや)。
三匹の子豚の二番目の豚が拵えた様な、ただの木で素人が造りました!と、言わんばかりの荒家でして、戸を叩くのも憚かる様な家で御座います。
平九郎「御免下され!許せよ。」
と、声を掛けると、奥の方から返事が御座います。
老人「ハイ、ハイ、何方でしょうか?!何方で御座います?」
出て来たのは、還暦を遥かに過ぎた白髪の老人。腰は曲がり杖を突いて、着ている着物は黒い木綿の単に作務衣の用な厚手の股引を履いております。
平九郎「拙者と伴者である。泉福寺峠を抜けて上田へ参る途中で、道に迷ってしまった。済まぬが一日の宿をお願いしたい。」
老人「アぁ〜左様でしたかぁ。そう言えば一年前、嵐で道標(みちしるべ)が吹き飛ばされて谷底に消えてから、初めての旅人が峠で迷って難儀をしておると、聞いた事が御座います。
村人や私も、代官、地頭、名主達に、嵐などで容易に飛ばされぬ石の道標をと、何年も前から何度も訴えておりますが、さてさて不精な人ばかりで困る。
お気の毒様でした。今夜は細やかでは御座いますが、一夜の宿を『一龍斎』ではなく、『とんねるずの母校』でもなく、提供(貞鏡・帝京)しましょう。奥へどうぞ。」
平九郎「忝い。では、お邪魔致しまする。」
老人「米の手当が無くとも、雑炊くらいは振る舞わせて頂きます。」
平九郎「誠に、有難う存じます。」
二人は上へ昇がり、床の間を見てやれば、達磨大使が笹の葉に乗って、天竺の龍抄川を渡っている絵の軸が掛かり、更にその傍らの柱掛をみてやると、
水さびて 月も宿らん 濁り江に
我住まんとて 蛙飛び込む
是は、圓覚大師の『悟道』である。更に、木彫の仏様が一体と、彫りかけの阿弥陀様が一体在り、その周囲に木の削りカスが散らかっていた。
平九郎「いやぁ〜、ご主人、随分とお悟りで御座いますなぁ。」
老人「イヤイヤ、他人様に見られると、誠にお恥ずかしく、礼裁が悪い。某し(それがし)は慶山と申す者。由え有って日々懺悔し、御仏に問い掛けながら、境地を求めては、仏や阿弥陀を彫り心を濯いでおる次第で御座る。」
平九郎「之は誠に済まぬ、申し遅れましたが、拙者は武家方浪人、曲垣平九郎と申す者で御座る。」
慶山「曲垣平九郎様、と言う事は、あの曲垣平九郎様?!愛宕神社の石段を、馬にて登り見事、紅白の梅花を、三代家光公に献上なさった!あの曲垣様ですか?
之は之は、こんな荒家にお招きして、恐悦至極に存じ奉りまする。しかし、なぜ、そんな曲垣様が、此の様な山中を旅なさっているのですか?」
平九郎「其れは、話せば長く成るのだが、拙者は亡き主君、松平伊予守様の墓参りに、福井を訪ねた帰りの道中、米山峠の麓を歩いておったら、この井筒波次郎と出会ってのぉ〜。
その辺りの詳しい事情については、本人の口から説明させる。慶山殿、波次郎の仇討ちの噺を宜ぉーく聞いて下されぇ。」
波次郎「拙者は、今でこそ井筒波次郎と名乗っておりますが、元は商人の倅、宇都宮で酒屋などを営む大口屋と言うのが、私の実家で御座います。
その大口屋を営む父銀兵衛がある時、越後へ商用の旅で訪れた際に、偶々知り合った浪人者で『秋月大八郎』なる者があります。
元は越後國は新発田藩で、剣術の指南番をしていたそうで、一刀流の達人に御座います。この秋月大八郎と父は、米山峠で知り合い、
秋月大八郎が、父を山賊から救ったとかで、父は大変秋月を信頼致しまして、宇都宮の大口屋へ連れて参りました。
そして、当初は日光参詣前に十日程の滞在予定が、三ヶ月、半年と伸びて。。。その間に秋月は私の継母、父銀兵衛の後妻に間男するので御座います。
更に、間男するだけに留まらず、継母と結託して、父銀兵衛を殺し、大口屋を乗っ取ろうと致しますが、名入りの書付の入った紙入れを落として、殺害犯行が町奉行所に露見してしまいます。
この秋月大八郎、悪運の強い奴で、この時も二十五人の取り方に追われながら、宇都宮を逐電致し、未だに追っ手を避けて逃げ伸びておりまする。」
平九郎「その用な訳で、今は凶状持ちとなった秋月大八郎が、米山峠を通ると、信州南蒲原郡三条の代官所より知らせがあり、この井筒波次郎が、家来の馬五郎を連れて、仇討ちに出向いたのだが、
この秋月大八郎、なかなかの手練れにて、その馬五郎は斬り殺されて、波次郎も右手に傷を於い、あわや返り討ちか?と、言う場面で、偶々、拙者が通り掛かり助立ち致したと言う訳だが、
谷底に投げ飛ばされた秋月大八郎は、またまた、悪運強く、その米山峠から姿を消して、又、何処かへと消え去り申した。」
二人の噺を聴いていた老人の様子が、みるみる変わってしまいました。何かおどおどし出して、取り乱し、最後は涙まで見せ始めます。
平九郎「慶山殿、どうかなさいましたか?」
慶山「すいません、取り乱してしまいました。お気になさらず。さて、今、お噺になりました『秋月大八郎』とやらの紋所は?どの様な紋で御座いますか?」
波次郎「ハイ、確か『九枚笹』に御座いまする。」
慶山「九枚笹!では、間違いない。その秋月大八郎は、歳の頃は三十五、六で、背は五尺五寸、色は浅黒く目鼻立ちが通った男では御座いませんか?」
平九郎「正に、その通りです。」
慶山「やはり。その秋月大八郎は、私の知人やもしれません。もしかすると、仇の行き先が分かるかも知れません。」
波次郎「其れは、有難たい。是非、手掛かりをお持ちならお知らせ願いたい。」
慶山「分かりました。明日にも手掛かりを認めて貴方に授けましょう。さて、今日は夜も更けて参りました。腹がお空きになられましょう?
粗末な物で恐縮ですが、直ぐに雑炊を、目の前の囲炉裏で拵えましょう。是非、おあがり下さい。」
平九郎「其れは忝ない。馳走になりまする。」
三人は、慶山が拵えた雑炊を頂きながら、武芸の噺や、神仏の噺、そして旅の溢れ噺をしながら互いに打ち解け合った。
そして、布団は無いが寒さ凌ぎにと、慶山が用意してくれた筵を巻いて、奥の物置になっていた部屋を片付けて、平九郎と波次郎はこの部屋で寝ていた。
遠寺の鐘が聞こえて来て、波次郎は『もう、九ツだなぁ?!』と、思って、ジュリーの様に壁際で寝返りを打って、背中で聞いていると、
ウーン!ウーン!
と、言う呻くような声が聞こえて来ます。『何んだろう?慶山殿の寝ている部屋からだ!?』と、波次郎は起きあがり、平九郎に声を掛けます。
波次郎「先生!起きて下さい。隣の部屋の様子が変に御座います。」
平九郎「起きておる。確かに呻き声がするなぁ?行ってみよう。」
二人が、起きあがり、隣の部屋に入りますと、布団を赤く染めて、慶山が切腹をしております。
平九郎「止めなさい!どうしました、慶山殿。 波次郎、お前も手伝え!お止めするんだ。」
慶山「お止め下さいますなぁ。秋月大八郎は、私の倅に御座いまする。波次郎さんとやら、このまま、私の首を。。。介錯なさい。」
平九郎「馬鹿な事を言いなさんな!兎に角、手を止めて、訳を話してみなさい。 波次郎、刀を抜くでないぞ、返って血が吹き出し絶命致す。」
いきなり、切腹する慶山を見て、波次郎は些か狼狽致しましたが、平九郎が落ち着いて指図を致します。そして、腹に九寸五分を突き刺したまま、慶山がゆっくり語り始めます。
慶山「是非、お二人には之から拙者が語る事をお聴き届け願います。拙者は、越後新発田藩物頭役、五百石を頂戴しておりました秋月藤左衛門、その成れの果てに御座る。
我が倅、大八郎は心得違いの大うつけに御座いまして、他所へ行って本人が何んと吹いて廻るやは知らねども、同役波島三左衛門と申す者と、
殿伯耆守様の御前にて、烏滸がましくも、軍学兵法の問答勝負を致し、この波島にコテンパンに論破され、言い負かされて御座います。
波島は天晴れと、殿より褒美を頂戴し、酒宴にも招かれ笹を頂戴する。そして大八郎は之に大いに悋気致すので御座います。
結局、恥の上塗りで御座います。或晩、城下の石川小路にて、波島三左衛門を待ち伏せ致し、之を闇討ちして殺害、新発田を逐電致したので御座います。
息子が、此の様な不祥事となれば、伯耆守様がお気に入りの波島三左衛門を斬って許されるはずもなく、拙者と妻は新発田の地を追われて諸国を放浪する事となります。
そんな中、彷徨う内に此処泉福寺村へと流れ着いた我ら夫婦は、この荒家に住み、拙者は山に入り鳥や獣、山菜を取り、妻は針仕事をしてその日の糧を得る仕事を始めました。
そして、三年前に妻は病で帰らぬ人となり、拙者は一心に神仏を彫るばかり、誠に夢の如く余生を送る様になりました。
さて、憎っくきは我が倅、秋月大八郎に御座いまする。お二人には合わせる顔も御座いません。波次郎さん!早く、私の此の首をお斬り下さい。介錯を!介錯をお願い致します。」
言われた曲垣平九郎と井筒波次郎は、ただただ、呆気に取られて言葉も御座いません。」
慶山「さぁ〜躊躇なさいますなぁ!波次郎殿、この首をお斬りになり、其れを晒し物になさって下さい。
その上で、張り札を各所に設けて、己の犯した罪で、父親が打ち首にされ、その首が晒し物となった事を知れば、あの大八郎と言えど、
『逃げるかぁ?卑怯なり。』と張り札に悪口すれば、気位だけは高い奴ですから、のこのこ現れるに違いない。ですから、早く介錯を!介錯を!」
波次郎「しかし。。。」
慶山「ご安じめさるなぁ、此処に当地の名主に宛てた遺書を認めました。之には拙者が、自害した旨を書いて御座る。安心して、介錯をお願いいたします。」
と、苦しい息の下、長物語を致す慶山こと秋月藤左衛門は、もはや虫の息で意識が飛び掛かっておりました。
曲垣平九郎、藤左衛門が書いた『遺言書』に目を通してから、藤左衛門と波次郎に向かって口を開きます。
平九郎「確かに、仰る通りが認められております。曲垣平九郎、しかと確認申し上げた。之れ、波次郎、慶山殿をこれ以上苦しめてはならぬ、介錯を!介錯をしてやりなさい。」
そう言うと、布団を前に引き出して、首を跳易いよう身体を前かがみにさせます。そして直ぐに波次郎は、刀を抜き、南無阿弥陀仏とその氷の刃で藤左衛門の首を斬り落とす!
ズバッ!!
白髪だらけの首がコロりと落ちて、哀れ秋月藤左衛門は、此処に非業の最期を遂げるのでした。
やがて夜が明けて、二人は名主の所へ訴え出て、遺書をみせますと、二人に別段お構いなしとの沙汰が直ぐに下ります。
そして、この秋月藤左衛門の事を、平九郎も波次郎も不憫に思い泉福寺へ、懇ろに葬ってやる事と致します。
平九郎「さて、波次郎!一刻も早く秋月大八郎を討たねばならんぞ。誠、あの様な悪党を野放しにして置くのは、世の為人の為にならぬ。
正に毒を撒き散らし、放置するようなもんで、更なる被害者、犠牲者を生む諸悪の根源だ!もうお前一人の親の仇ではない。拙者が成敗してくれる。」
波次郎「では先生、先を急ぎましょう。」と、言って二人は泉福寺村を旅立って、信州名代の難所、和田峠へとやって来ました。
つづく