四ツ谷伊賀町から帰った波次郎は、師である筑紫市兵衛に、義母お鶴と弁慶堀で再会、お鶴が先の大火で、盗んだ二百五十両を失い、
二年半前から乞食となり梅毒(カサ)をかいて、地獄の苦しみに在るのを見て、其れを許す気持ちになって、草津の湯で湯治せよと、十両の金をその場で恵んで来たと報告した。
市兵衛「波次郎、其れは良い行いをした。その方が申す通り、一度、母と敬う関係に有ったお鶴を、許し銀兵衛殿の墓参りを薦める態度は、正に武士道、義の精神なり。其方を弟子にした事を、今日ほど嬉しく思った事はない。」
波次郎「先生、生まれながらの悪はなく、どんな人も、生まれた時に立ち返れば、全て善に返ると私は信じまする。
しかし、其れに付けても、父銀兵衛を殺した、秋月大八郎は、何処へ姿を晦ましたのか?全く手掛かりが掴めぬまま、父が殺されて丸四年を迎えます。」
市兵衛「確かに、拙者も方々知人縁者に情報を頼み、又、伯耆守様の関係者にも尋ねてはおるのだが、その行方は、誠に杳として知れず。困ったもんだ。」
さて一方、その秋月大八郎は、宇都宮を逐電してからの行方は?実は、越後國新発田に居た頃の一刀流を通じての知り合いが、信濃國は長野に居て、その剣術先生である『岩松順左衛門』の所に転がり込んで世話になっていた。
此処に、一年も厄介になっていた秋月大八郎でしたが、流石に長野は退屈を覚えます。面白くない!何も無い所ですから、流石に飽きてしまいます。
そこで、故郷の新発田に帰る訳には行きませんが、何んとなく、生國越後の中では、比較的に栄えております三条を目指します。
岩松順左衛門に、懇ろに礼を述べまして長野を出た秋月大八郎は、長岡から三条を目指し旅立ちます。そして、この道筋は毎度申し上げます様に、見附を通りまして、野沢温泉から津波町へと抜けて長岡となるのですが、日が西にどっぷり暮れて参りましたが、長岡には着く様子がありません。
通り過ぎたのか?之は、道に迷ったなぁ?!
と、来た道を引き返すにも、日が暮れては、行くも地獄、返すも地獄ならば、前に進もうと致しまして、野宿するにも、休める場所を求めて、峠道を周囲の気配を探りながら進んでいると、
アぁーレー!!
若い女性の絹を裂く悲鳴、金切り声が谷底の方から聞こえ参ります。五、六人の荒くれ者が、一人の若い女性を取り囲み、今にも襲い掛かろうとしております。
この態を見てしまった秋月大八郎、まさか是を見過ごして先に進む訳には参りません。喩え間男してその亭主を二人も殺した大罪人でも、往来を歩いて居て、川で溺れる子供見たなら助けてやるのが人情、人の道です。
この娘を、知らぬ顔して捨て置くことは、大八郎には出来ません。人は生来善なる生き物で御座います。秋月大八郎、バラバラバラと、坂道を滑り降りて、娘と荒くれ野盗賊(やとう)の間に割って入り、仲裁に係ります。
秋月「待て!待て!、待て!、山賊ども、若い女性を寄って集って脅しに掛かるとは、言語道断!直ぐに離しなさい。」
野盗賊A「しゃらくせぇ!黙って引っ込んでいろサンピン。やるかぁ? ヨシ、この浪人から片付けるぞ!」
野盗賊B「おう、合点だ!」
と、六人の野盗賊の内、二人の跳ね返り者が、六尺棒と竹槍で、秋月大八郎に襲い掛かりましたが、大八郎、素早く体を交わして、大刀の鞘を払うと、
まず一人目は、肩から袈裟懸けにザックり斬り付けると、反対側の胸まで切り裂けて、ギャッ!ウーウーッと声を上げて血飛沫を上げ絶命します。
そして二人目も、返す刀で喉を一突き!刺さった刀を捻りますと、赤い血潮が水芸の太夫の様に吹き出して、此方は声も無く、膝を着いてからうつ伏せに倒れ果ててしまいます。
この一瞬の早技を見た残り四人の野盗賊たちは、一目散に逃げ出して、峠の斜面を下って何処かへと消え去るのでした。
秋月「怪我は無いか?娘さん。しかし、大口を叩き六人で徒党を組みながら、全く生地の無い弱ッちい輩だ。」
声を掛けられた娘は、乱れた着物の裾を合わせ直して、地びたに両手を付きながら、
娘「お陰を持ちまして、危ない所を、本当に有難う御座いました。お礼の申しようも御座いません。」
秋月「いやいや、そんなに丁寧に礼を言われると、チト照れ臭い。ささぁ、手を上げて下され、何時迄も地びたに座ると着物が汚れてしまいますぞ。しかし、間一髪、危ない所でした。」
娘「ハイ、誠に感謝致します。」
秋月「お前は、何処の者だ?」
娘「私は三条は一の木戸と言う所に暮らす者に御座いまする。」
秋月「左様であるか、何れにしても、女子が夜に出歩くのは、感心できぬぞ。しかも、一人歩きは物騒だ。しかし、お主が三条の者とは好都合で御座る。」
娘「ッと、申されますと?!」
秋月「いやぁ、拙者は旅の武芸者で御座るのだが、長野より三条へ向かう途中、道に迷ってしまい彷徨っておる所を、先程(さっき)の山賊がお主を襲う現場に偶然出会したと、そう言う訳なんだ。」
娘「そうだったんですかぁ。」
秋月「ヨシ、こう致さぬか?拙者が其方を家まで用心棒をして送り届ける。代わりに其方は、拙者を三条まで道案内してくれ、互いに持ちつ持たれつ、旅を致そうではないかぁ?!」
娘「其れは有り難いお誘いです。では、私が案内しますから、どうぞ、付いて来て下さいまし。」
娘とは申しましたが、この女、近くでよく見ますれば歳は二十三、四の年増に御座います。そして、手足の先から頭のテッペンまで、抜ける様に色が白く、男好きのする感じのなかなか垢抜けた宜い女子です。そして、道中、女が噺掛けて参ります。
女「旦那に、助けて頂いたお礼がしとう存じます。荒屋(あばらや)ですが、ちょっと、家に寄って行って下さいなぁ。」
秋月「礼などと、そんな大層な仕事は致しておらん。気を使わんでくれ。」
女「では、せめで貴方様のお住いとお名前だけでもお知らせ下さい。」
秋月「拙者は、名乗る程の侍では御座らんし、名乗る程の恩を、其方に与えてもおらん。其方の名も聞くつもりは御座らんし、互いに名乗らずとも宜かろう?」
そう言って道中を続けて、深夜四ツ近くになり二人は三条の街中へと辿り着く。
女「左様な事を仰りますなぁ。私の家に、ちょっとお寄り下さいませ。私、この一の木戸と申す所に居ります長脇差の博徒、澤右衛門と申す男の妾(女房)で御座います。名前は亜希と申します。」
秋月「アぁ、左様かぁ。」
改めて明るい所でみると、色白が映えて美しい女だと、唾を飲む秋月大八郎で御座います。
亜希「諄い(くどい)事を申しますが、是非、お名前をお聞かせ願います。」
秋月「まぁ宜い、さぁ行け。」
亜希「そう仰らず。。。」
秋月「もう、この辺りまで来たら良かろう。別れよう。又、縁が有ったなら、会う事も御座ろうて。」
亜希「そんな事を仰らずに、あそこ、あの格子の嵌まっているのが家で御座います。是非、明日にもお越し下さい。本に、今日は危ない所を有難う御座いました、では、失礼致します。」
と、女はその格子の嵌まった家へと入って行った。
いやぁ〜、良い事をした後は、気分の良いもんだなぁ〜
ッと独り言を呟いた秋月大八郎、そのままフラッカ、フラッカ歩いて、三条二丁目、田島屋慶蔵と言う旅籠に泊まります。
是が、秋も本格化して来た八月十日の事で御座いました。三条に来て、特に何んか目的の有る訳でもない大八郎、四、五日ブラブラしていますと、
ご当地の鎮守、八幡宮の祭礼の日を迎えました。祭囃子に笛太鼓、実に賑やかな雰囲気に街が包まれて、陽気な奴がフンドシ一つに羽二重の肉襦袢を着て、捻り鉢巻で勇壮で御座います。
そして、三条の祭礼の特徴はと見てやれば、普通の祭礼では、先祖伝来の金銀宝飾をあしらった神輿を担いで練り歩き、木遣の一つも当て祝うもんですが、
此処三条の神輿は、毎年新(サラ)の白木で拵えたものが使われます。それも、三条の上地区に一騎、下地区に一騎、新の神輿が造られて、
是をまずは、地元エリアを練り歩き、最後に互いの神輿が境界地に集まって、激しく神輿同士をぶつけ合って破壊致します。
こんな勇猛な祭礼なのに、不思議と死人怪我人が出ないのは、三条の八幡様のご利益なのか?そんな祭りが始まります。
さて、秋月大八郎、旅籠で退屈していた所に、祭囃子が聞こえて来て、「何事や?」と、旅籠の女中に訊いてみると、八幡宮の祭礼があると言うので、其れならばと、境内に祭見物がてら、近所をブラブラしてみる気になります。
八幡宮の近くには、沿道に提灯がぶら下り、その下にテキ屋が沢山店を連ね、如何にも祭だ!祭だ!と、言う光景で御座います。
すると、境内に近付くと、「ワァー!キャー!」ッと何やら騒がしい一角が有り、悲鳴混じりの歓声が上がっております。
何事?!
訝しそうに、大八郎が騒ぎの中心を覗いて見ますと、武士二人がかなり酔っ払った状態の千鳥足で、抜身を振り回して、祭見物の町人、女子供を脅しております。
中には、刀では御座いませんが、転倒したり、店に突っ込んだりして、これ以上悪ふざけが過ぎると、血を流す怪我が出るやも?と、大八郎は心配致します。
是は良くない冗談だと思い秋月大八郎、刀を振り回している侍二人に声を掛けます。
秋月「これこれ、ご両人。比翼の鳥に惑わされ酒に性根が乱れなさったか?さぁさぁ、取り敢えず、刀を鞘へ納めなされ!!」
と、大八郎が諫めに掛かると、「言うなぁ〜、浪人風情が!」と、一人の方が刀を降り上げて大八郎に斬り掛かります。
しかし、こんな酔いどれ剣士に遅れを取る大八郎では在りません。流石、一刀流免許皆伝、軽く体を交わし、相手の手の甲を手刀で叩くと大刀が転がり落ちて仕舞います。
是に怒った酔いどれ侍は、小刀の方を今度は抜いて、斬り掛かろうとする寸前、腹に当身を喰らわせてやると、ウぅーッと声を出してその場に伸びてしまいました。
汝、朋友に手向かい致したなぁ?許さん。
そう言うともう一人の酔っ払い武士も、大八郎に斬り掛かって参ります。しかし、簡単にヒラリとこの刃を交わし、今度は肋骨に膝を蹴り当てますと、是又、ウーンと声を出して伸びてしまいます。
秋月大八郎、伸びた二人を抱えると水屋の脇に寝かせて刀は鞘に納めて、その脇に置いておきます。
大八郎「皆の衆、是でもう心配ない。さぁ〜、存分に祭を楽しもうぞ!」
と、祭に集まった老若男女に、大八郎が声を掛けると、ウぉー!ッと歓声が巻き起こり、
旦那、有難う御座います!
ヨッ、日本一!
音羽屋!ご趣向!
と、褒めているやら、茶化しているやら、祭の衆は、秋月大八郎を、神輿のように担ぎ上げて、泥酔侍を御してくれた事に感謝!感謝!で雨アラレに御座います。
一方、褒められた秋月大八郎の方も悪い気は致しません。此処三条へと参る途中から、人の為になる働き、善行をして、宜い心持ちを実感する大八郎で御座います。
そうしていると、境内から旅籠へ帰ろうかとしている秋月大八郎を、宮司が呼び止めます。
宮司「お侍様!お侍様!」
秋月「拙者か?」
宮司「ハイ、貴方様に御座います。この度は、境内で、刃物を振り回し暴れていたお侍を、やっつけて頂いたとか、祭の代表者として礼を申しまする。」
秋月「いやいや、そのような大層な事ではない。折角の祭を台無しにする様な振る舞いを見て、黙って見過ごせず、少し手荒なやり方になったが、鎮めさせて頂いた。」
宮司「境内を血で穢す事態は避けられましたが、死体が二つ出来ました。」
秋月「死体が二つ?宮司、誰が亡くなった?」
宮司「あの泥酔侍、二名に御座います。」
秋月「アレは死んではおらんぞ。時期に息を吹き返すし、喝!を入れれば、直ぐにも起き上がり動きだす。」
宮司「ならば、喝!を、喝!を入れて下さい。あのまま放置して、万一、死なれたら縁起が悪い!」
秋月「承知致した。しからば、拙者が喝!を入れて進ぜよう。」
そう言うと、帰り掛けた秋月大八郎は、水屋の脇に留め置いた泥酔侍二人に喝!を入れた。すると、二人は息を吹き返し、辺りをキョロキョロしてあたが、
大八郎を見た瞬間、己の醜態を思い出し、刀を取ると、境内から一目散に逃げ出した。それを、見ていた祭の衆は大いに笑い囃し立てた。
そしてそんな光景を、宮司と一緒に眺めていた五十がらみの男が、大八郎に向かって声を掛けて来た。
其れが誰あろう、この祭礼の裏側を仕切る長脇差で、テキ屋の元締め三条は一の木戸ノ澤右衛門と言う大親分でした。
澤右衛門「旦那、すいません、御足を止めて大変恐縮ですが、ちょっとその先の茶屋まで、ご足労願います。」
秋月「急ぐ用事は御座らん。同道致そう。」
と、若衆二人を従えた長脇差の澤右衛門、秋月大八郎を茶屋の座敷の上座に座らせて、自分もドッかと胡座をかいて、莨に火を付けて喋り始めます。
澤右衛門「旦那、見事な腕前で、お見それいたしやす。相手は刀(長ドス)を振り回して来るのを、素手で、アッと言う間に畳んで仕舞うんですから、流石!としか言い様がありやせん。」
秋月「酔っ払い相手ですから、其れより親分さんは?」
澤右衛門「アッシは、この辺りを縄張りにしております無職渡世の博徒、一の木戸ノ澤右衛門と申しやす。若衆や食客を合わせて、一応、二百の所帯を束ねておりますが、
今日の様な場面になりますと、アッシも子分たちも、刀を抜いて、あの程度の侍にも、何処か腰が引けて、立ち向かう勇気が御座んせん。
アッシら、真面に剣術ッてもんを習った試しがありやせんから、如何しても人斬り包丁振り回す相手に、びびってしまいます。
其処へ行くと、旦那は肝が座っていなさる。惚れ惚れしましたよ。漢ん中の漢だ。アッシもそうなりたいが。。。成れましょうか?」
秋月「簡単ではありませんが、努力次第で、あの程度の輩には、きついお灸を据えてやれるぐらいには、必ず成れると思います。」
澤右衛門「なら、先生!アッシをはじめ、うちの一家の連中に、剣術と言うもんをご指導願えませんか?!」
言われた秋月大八郎、少し考えた。頼られると言うのは、実に気分が良い。何処まで務まるかは知らないが、こんなに必要とされた事が、人生に一度もなかった。
だから、この機会を逃していけない。この一の木戸ノ澤右衛門って親分に、ヨシ!、乗ってみよう!丁と出るか?半と出るか?それは、やってみないと分からぬが、
特に、目的が有る訳でなし。立川談志の名言にもある、人生なりゆき!追い風には、とことん吹かれてみよう!と、秋月大八郎、決心いたしまして、
秋月「親分、分かりました。では、貴方の所に厄介にぬり、貴方と貴方の子分衆に、剣術のイロハを、みっちり仕込ませて頂きましょう。」
澤右衛門「有難う御座います、先生。では、善は急げだ、アッシの家へ同道下さい。」
秋月「ヨシ、ただ、その前に拙者、田島屋慶蔵と言う旅籠に、五日ほど宿泊しておる。ここの勘定を済ませてから、親分の家へ参ると致す。」
澤右衛門「田島屋なら、二丁目ですね。二丁目と一の木戸は目と鼻の先です。旅籠の払いはアッシが面倒みますから、兎に角、うちに来て下さい。」
秋月「忝い、親分。有り難い。」
こうして、秋月大八郎は、八幡宮のご礼祭を機に一の木戸ノ澤右衛門一家の最上の客分として迎えられた。
そして、澤右衛門に連れられて、家に行ってみると、五日前の夜、山賊から助けた女が、澤右衛門の妾でして、この家で再会し又驚いた。
秋月「其方は、あの時の!」
亜希「アラ、あの時のお侍様、やっと来て下さったんですか?」
秋月「お前に言われたが為、此処へ来た訳ではなく、お前の亭主に八幡宮で偶然逢って、かくかくしかじか、剣術指南として、雇われたのだ。」
亜希「そうでしたかぁ?お前さん、このお侍様が、例の五日前に、峠で山賊に拐われて、谷底へ引き摺り込まれて、あわや手籠にされそうになったのを助けて下さったんだよ。」
澤右衛門「そうかい、通りで強いハズだ。俺も、八幡様の境内で、刀を振り回して暴れる侍二人組に手を拱いていた所を、この秋月大八郎先生に助けられて、祭の元締の面目が保てたとこなんだ。
それで、今日からこの秋月先生には、うちの一家に草鞋を脱いで貰って、剣術指南をして頂くから、お前も先生のお世話を頼んだぞ!」
亜希「勿論です、先生は命の恩人ですから。」
秋月「女将さん、お世話になり申す。」
澤右衛門「先生、自分の家のつもりで、楽にして、寛いで下さい。」
こうして、ひょんな縁で、秋月大八郎は、剣術指南として、一の木戸ノ澤右衛門一家に草鞋を脱いだが、此れが本当に上手く嵌って、子分達からは、若親分と呼ばれて慕われます。
そして、二年の後には、澤右衛門の養子となりまして、正式に一家の若親分、若貸元、ナンバー2の座に収まります。
そして、通り名も、『一の木戸の大八』と呼ばれる様にぬり、侍あがりの長脇差として、越後國中では、その名が売れ始めて参ります。
つづく