秋月大八郎は、銀兵衛に伴われ家の奥に参りますと、銀兵衛の妻となったお鶴が、気怠そうに現れます。
このお鶴を、銀兵衛から『内儀の鶴です。』と紹介された大八郎は、些か、驚きます。銀兵衛は六十二、三に対して、お鶴は二十七、八、三十凸凹の年増です。
この内儀は、二度添(のちぞえ)に違いない、と、言う事は、あの波次郎にとっては継母に当たるのか?!
それにしても、派手な丸髷に鼈甲櫛、首筋から胸元まで白粉を塗り、松金香の匂いをプーンと漂わせておりまして、実に艶めかしい。
着物も派手な友禅柄の正絹に、紅い緋縮緬の襦袢がチラチラ見える程、裾を長くぞろ引くように着付けして、しゃなりしゃなりと歩きます。
どう見ても堅気の商人の内儀と言うよりは、芸者置屋の女将か、廓の女主人の様な出立ちで御座います。
是を内儀に許して、こんな衣装(なり)させて居るのは、銀兵衛がお鶴によっぽど入れ揚げていて、鼻毛を読まれているからだろうと、大八郎は確信します。
そしてこの日は、銀兵衛が越後の旅から帰った慰労と秋月大八郎の歓迎の兼ねて、六ツ過ぎから宴が模様されました。
お鶴「ささぁ、秋月先生、お一つどうぞ。越後旅の道中では、うちの人の命をお助け頂き有難う御座います。今宵は、存分に御酒を堪能して下さい。」
秋月「之は之は、ご内儀、忝い。」
銀兵衛「どうです、秋月先生。当店の売り物の酒は?村醒よりは美味しいでしょう?」
秋月「勿論で御座る。村醒と比べたら、外の井戸の水でも勝るやも知れん。」
お鶴「先生、先生!もう、お一つ。」
秋月「ご内儀は、薦め上手でかないませんなぁ。」
江戸表は金春で芸者になったお鶴は、銀兵衛に引かれる直前は、深川芸者で御座いました。ですから、海に千年、山に千年、そして里に千年の三千年の甲羅を纏った恐ろしい手取女で御座います。
こうして秋月大八郎は、主人銀兵衛の命の恩人として大口屋に迎えられ、客分として滞在する事になり、当初は日光参詣を済ませたら、武者修行に全国へと旅立つはずが、一月、二月と過ぎまして、も早半年の滞在になっております。
その間、銀兵衛は相変わらず商用でチョクチョク旅に出て留守に致しますから、近くて遠いは田舎の道で、遠くて近いは男女の仲、と申します。
銀兵衛の留守にどちらから手を出したのか?秋月大八郎と大口屋女房のお鶴は割りなき仲となりました。
そんな或日、秋月大八郎とお鶴は、差し向かいになって、徳利の酒をやったり取ったりしながら話をしております。
お鶴「秋月の旦那、毎度毎度急いて申し訳ないけどね、アタイとお前さんは、何時になったら夫婦に成れるんだい?」
秋月「何時夫婦に成れるって、お前には大口屋銀兵衛と言う立派な亭主が在るじゃないかぁ。」
お鶴「亭主が在るッたって。。。お前さん、アタイを慰みもんにしただけだって言うのかい、アタイは、空腹(ひもじい)時に不味いもん無しって訳かい!!」
秋月「イヤイヤ、左様な訳ではない。」
お鶴「そういう訳じゃないッて言うんなら。アタイが頼むから、あの爺(亭主)を、ひと想いに殺(や)ッちまって貰えねぇ〜かい?」
いきなり、物騒な物言いをするお鶴で御座います。流石に秋月大八郎も、ドキッと致します。
秋月「本当に、殺る(やる)のかぁ?銀兵衛を。」
お鶴「そうさぁ、いっその事、殺してお呉れよ。」
秋月「いくらなんでも、斬り殺すッて訳には、行かぬだろう?!」
お鶴「行かぬだろうじゃないよ、殺(や)ッちまった方が世話無くて宜いじゃないかぁ。」
秋月「散々世話になって、その上間男して、挙句に殺すのか?地獄に落ちるぞ、お鶴。」
お鶴「馬鹿をお言いでないよ、毒を喰らわば皿までッて言うじゃないかぁ〜、跡腐れの無い様に殺(や)ッてお仕舞いよ!秋月の旦那。」
秋月「実は、間男した挙句の殺しには、もう、飽き飽きしているんだ。」
お鶴「エッ、何んだいそりゃぁ?!」
秋月「実は、新発田藩の家中に奉公していた時分に、同家中に山田峰之丞と言う者があった。そのご内儀と拙者、不義密通をして。。。」
お鶴「あんた!まさか、本名を石坂大右衛門て言うんじゃなかろうねぇ〜。」
秋月「其れを言うなら、源兵衛の方だろう?混ぜ返さないで呉れ、或日、そのご内儀と、正にこんな感じで、同じ様に差し向かいで乳くり合って酒を呑んでいると、突然、山田峰之丞が帰宅して、
逃げるに逃げられず、隠れるに隠れられず、その峰之丞に、現場に踏み込まれて、ヤイ!間男見付けた、二つ重ねて四ツにしてやる!と、例の常套句!斬り掛かられた。
しかし、逆に開き直って、応戦し、その山田峰之丞を返り討ちで斬り殺してしまい、新発田藩を逐電する事になる。
それで持って、逃げる途中で、お前さんのご亭主銀兵衛殿と長岡と柏崎の間、曾地峠で出会ったって訳なんだ。」
お鶴「で、その山田某の内儀は?どうしたんだい?」
秋月「『連れて逃げてくりゃれ!』と言われたが、足手まといになるから、金子が無いと誤魔化して置き去りにしようとしたら、
金子なら在ると言い出して、箪笥ん中から三十両を出して来た。之で一緒に逃げてくりゃれと言うから金子だけ頂戴して、内儀は峰之丞の待つ冥土へ送ってやった。」
お鶴「悪党だね?秋月さん。秋ちゃんは悪党だ!秋ちゃんの色事師!色事師の秋ちゃん!秋ちゃんは色事師、色事師の秋ちゃん! 伊八、伊八ちぃ〜!」
秋月「『宿屋仇』か?!」
お鶴「おやおや、と、言う事は、お前さん間男は、アタイで二回目だね?」
秋月「まぁなぁ二度目だ。」
お鶴「其れなら、躊躇する事などないじゃないかぁさぁ〜。先の間男ん時には、重ねて四ツにしに来た亭主を殺し、足手まといだからと内儀までも殺したお前さんだ!
この大口屋の内儀と間男したんだ、亭主の銀兵衛を殺して、この大口屋を乗っ取るぐらいの考えが、お前さんには無いのかい?」
秋月「そりゃぁ〜悪党だから、無い訳ではない。」
お鶴「じゃぁ〜殺(や)ッておくなさいよ。」
秋月「ヨシ、殺(や)ッてやろう。お鶴、お前にも覚悟が在るんなら、安心しろ!乗ってやろうじゃねぇ〜かぁ。」
お鶴「そうして下さい!後生だから。」
秋月「宜し宜しそいつは承知したが、其れに付けても、あの波次郎ッて倅、あの小僧は油断ならぬ奴だなぁ?!」
お鶴「其れは心配いりませんよ。波次郎は、明日っから江戸表に商用に出る事になっています。馬喰町の梅屋治兵衛って旅籠に泊まる事になっています。
今回は、酒・味噌・醤油の卸しだけでなく、呉服屋を沢山廻るそうですから、来月にならないと帰っては来ません。この隙に、爺を殺(や)ッて下さいなぁ。
旦那が、爺を殺して呉れれば、波次郎の方は、アタイが毒を盛って殺しますから。そして、親子二人を片付け、アタイが店の主人となった跡。
熱りが冷めた頃を見計らって、旦那を婿に迎え入れて、この大口屋を乗っ取りましょう。そうなったら、もう、二人の思いのままで御座いますよ、旦那。面白可笑しく、二人で楽しくやりましょう。」
秋月「左様かぁ。して、銀兵衛の何時を襲えば確実に仕留める事が出来る?」
お鶴「この城下の外れに、雀ノ宮と言う所が御座います。其処の八幡宮の脇に小川がありまして、銀兵衛はその小川で釣りをするのが大層好きで御座います。
小川から家迄の間に、竹藪の続く人気のない所が御座いますから、そこで待ち伏せて襲えば、人に見られず銀兵衛の奴を仕留められると思います。」
秋月「ヨシ、相分かった。」
そんな悪い相談が纏った数日後、雨が止んで快晴の朝、起きて空を眺めた銀兵衛は、明け六ツから天蚕糸(てぐす)を取り出しまして、浮きをどれにしょうか?と選んでおります。
銀兵衛「お鶴!お鶴!」
お鶴「ハイ、どうしました?お前さん。」
銀兵衛「今日は、漸く、いい天気になりました。雀宮の小川に釣りに行くので、弁当をお願いします。」
お鶴「畏まりました。誰ぞ、伴を付けますか?」
銀兵衛「いや、倅も江戸へ行き居ない。店も大変だから伴は要りません。一人で参ります。そうだ!秋月先生をお誘いしてみよう。秋月先生、朝食を食べて釣りに行くのですが、先生もご一緒致しませんか?」
秋月「済まぬなぁ〜銀兵衛殿。拙者、囲碁、将棋には目がないが、釣りと言うものが、どーも苦手で性に合わぬ、針にミミズも付けられぬ。」
銀兵衛「左様ですかぁ、残念。でも、嫌いなものを、無理に強いるのも悪う御座います。沢山魚を釣って帰りますから、酒の方でお付き合い下さい。」
秋月「分かり申した。大きな魚を楽しみに、腹を空かせてお待ちしておりまする。」
こうして、朝食を食べ終えた銀兵衛は大きな魚籠を腰に下げて、昼に使う弁当を背負って、長い自慢の竿を担いで、雀ノ宮へと向かいます。
途中八幡宮の境内にお詣りして、この日の大漁を祈願致します。そして、八幡宮の裏手の小川に来てみれば、他の太公望の姿は御座いません。
さて、日がな一日、釣り糸を下げておりますが、浮きが沈む気配すら無い魔日で御座います。
空腹を覚えて八ツ前に弁当を使いながら、勿論、釣り糸は垂らしたまんま、粘ってはますが、釣れる様子が御座いません。
やがて日も西に傾き、秋月先生に大口叩いたのに、まさか坊主とは、と、大口屋なだけに、大口叩きましたでは、洒落にならん!取り敢えず、帰りに城下を通ったら、『魚勝』に寄って何か仕入れて帰ろう。
小川では、釣れないスケトウダラやニシンでも構わないので、メザシと蒲鉾も買って、権助気取りで戯けて誤魔化そうと決めまして、ぶつぶつ独り言を言いつつ、家路を急ぎます。
すると、竹藪に差し掛かった辺りで、黒い覆面の侍が、いきなり飛び出して来て、銀兵衛に声を掛け来ます。
貴様、大口屋銀兵衛だなぁ!!
「ハイ、どなた様ですか?」と答えた銀兵衛、顔は見えない相手ですが、着物、特に特徴のある袴から、秋月大八郎だ!と、分かりましたから、「秋月先生?!どうしました、こんな所で?」と、言い掛けたその時!
いきなり、秋月大八郎は大刀の鞘を払い、銀兵衛の左から袈裟掛けに斬り掛かります。真面に是を喰らった銀兵衛は、刃が右胸辺りまでザックリ食い込みまして、血飛沫を上げて倒れたす。
まだ、断末魔、ひくひく動き、辺りにすがる物を探る手の動きを見た秋月大八郎、刀の鋒で銀兵衛の喉を一突き!更に刀を捻り回して絶命させるのでした。
しかしこの時、秋月が気付かぬうちに、銀兵衛は、秋月が落とした紙入れを自らの身体で隠しておりました。
こうして、大口屋銀兵衛は、越後國長岡曾地峠で知り合った浪人、秋月大八郎の手によって殺されて仕舞うのでした。享年六十四歳。
つづく