黒狐を仕留めて、その皮を剥ぎ、臓物を生で喰らった大口屋銀兵衛と、その道連れとなった秋月大八郎は、
残った肉を小分けに刻み、竹の皮で包んで、米山峠を降りて行きますと、峠道の麓に一軒の茶店を見付けます。
秋月「許せよ!」
爺「いらっしゃいまし。どうぞ、空いております。お好きな席へ、どうぞお座り下さい。」
言われた二人は、入口近くの縁台に向い合って腰掛けました。
秋月「オヤジ!酒だ。一番上等の酒だ。冷やで構わぬから、二合徳利に二本持って来てくれ。それから、肴だが、この竹の皮で包んでいるのは黒狐の肉だ。之で鍋が出来るか?出来る、ヨシ!なら、肉鍋を拵えて貰おう。」
爺「之は良い色した肉で御座いますね。直ぐに私が煮て、食べられる塩梅に火を通して、熱々で持って参ります。
ただ、その上等の酒と言う物が、この片田舎で御座いますから在りません。中の下から、下の中、下の下の下の三銘柄しか御座いませんが、如何いたします?」
秋月「折角の肉鍋由え、酒無しと言う訳には参らん。どんな銘柄の酒が有るんだ?!」
爺「ハイ、『村醒』、『直醒』、そして『天ピン』の三つで御座います。」
秋月「ホー、変わった銘柄だなぁ、まず、ムラサメはどんな酒だ。名刀の様に切れ味鋭い辛口の酒か?」
爺「そんな訳ないでしょう。そうなら、上等の酒が無いなど申しません。」
秋月「まさか、『道灌』で有名な俄かの村雨のムラサメか?卑しい賤ノ女が現れて、山吹の花を使い戯れる酒か?」
爺「馬鹿も休み休みにして下さい。そんな雨になぞらえた酒では御座いません。村醒、どんなに深酒しても、村を出る頃には酔いが醒めるから、村醒に御座います。」
秋月「そうかぁ、其れは困った酒だ。で、スグサメは、まさか、更に加速して、飲んでも飲んでも直ぐ醒める酒由えに『直醒』ではなかろうなぁ〜」
爺「いいえ、そのまさかの坂を駆け登った様な、まさかの直醒に御座います。」
秋月「分かった。ならば、天ピンは?之は黒川検事長がこよなく愛した酒だなぁ?」
爺「それは、点ピンです。麻雀ではありません。この酒は、飲むと頭にピンピン痛みが走る由え、天ピン!と名付けられました。」
秋月「ヨシ。ならば、まだマシな村醒にする。村醒を持って参れ!」
爺「ハイ、肉鍋が煮上がったら、持って来ますから、其れ迄はお二人で、この渋茶をお上がり下さい。」
渋茶で暫く繋いでいると、湯気の立った鍋と、村醒を持って爺さんが戻って来た。酒屋の大口屋銀兵衛は、話半分だろう?いくら不味い酒とは言えど、飲めない味が有るものか?
此処は片田舎の峠のハズれ!とは、言え商売で居酒屋が出す酒だ。村人の濁酒とは訳が違うと思いますから、湯呑に入れた村醒を一気に呑んで驚いた!!
吐き出したいのを、秋月大八郎に失礼だと思うから呑み込んだが、頭が痛い!ピンピン来る。『之こそが、天ピン!?』と言いたくなる不味さである。
宇都宮では、一、二の金持ち豪商の大口屋である。しかも、酒屋を営んでいるだけあって最上の酒を日頃から呑んでいる銀兵衛に、この『村醒』と言う酒は相当カルチャーショックであったに相違ない。
銀兵衛、二度と酒は口にせず、肉鍋を頻りに頂いた。一方、大酒飲みの秋月大八郎は、この村醒を一切拒否する素振りなく、ガブガブ飲んでは、肉を頬張る。
銀兵衛「爺さん!私は、そろそろご飯を頂こうかなぁ?」
爺「ハイ、それでは何か漬物をお出し致しましょうか?」
銀兵衛「何がある?」
爺「茄子の味噌漬けが御座います。」
銀兵衛「其れは美味そうだなぁ。では、その茄子の味噌漬けで、茶漬を一杯貰おう。」
其れを聞いていた、秋月大八郎も、酒は二合で切り上げて、此方も茄子茶漬けをサラサラ掻き込み始めました。
すると!
そこへ入って来たのが、三人連れの荒くれた男達。袖なしの獣の皮で拵えたチャンチャンコに、一人は六尺棒を持ち、もう一人は三尺棒を、そして三人目は鉄砲を小脇に抱えております。
居酒屋に三人が入ると、火縄の臭いが、プーンと鼻に付いて、茶漬を食べ終えた大八郎が、三人と目が合った瞬間、火縄銃の男が、秋山に話し掛けて参ります。
勘八「旦那、アッシらは、この先の穢多村の権右衛門親方の手下で、この六尺棒のが三次、三尺棒の方は五郎吉、そしてアッシが勘八と申します。」
大八郎「三次に、五郎吉、其れにお主が勘八かぁ?」
勘八「ハイ、左様で。」
大八郎「その三人が儂らに、何んか用かぁ?」
勘八「その毛皮でさぁ〜、其れは黒狐ですね?そして、その鍋の肉は狐だ。この黒狐、お武家様、何処で捕まえなさいました?!」
大八郎「その先の米山峠の藪ん中から飛び出して来たのを、蹴り上げて鉄扇で殴り殺して頂いたまでだ。その上で皮を剥いで持って来た。
確かに、肉や臓物は二人で食べたが、其れがどうしたと言うのだ?まさか、貴様達が飼っていた狐でもあるまい?」
勘八「旦那、其れがどうした?じゃ在りませんぜ。アッシ達は、山ん中を駆けずり廻って、黒狐を追い回して疲れさせ、最後は火縄で打ち取る算段していたら。
黒狐がちょいと脇道に逸れた瞬間、鳶が油揚げを盗む様に、素人の旦那に獲物を取られて、お武家様に皮は剥がれて、商人の旦那と二人して黒狐の肉や臓物まで食われた日にゃぁ〜お手上げでっせぇ。
アッシ等は、穢れ多い者と書いて『穢多』だ。人間の最下層、身分違いを承知で言いますが、素人に獣狩りされて。。。
縄張りを好き勝手に荒らされて、其れを見て見ぬふりしていたら、其れこそおまんまの食い上げだ!!
こうなったら、力ずくでもアンタ等を村へ連れて帰って、アッシ等の仲間入りをして貰わないと、立つ瀬が在りません。
どうぞ、アッシ達に同道して、村まで!穢多村まで付いて来て、親方の権右衛門に会ってやって、おくんなせぇ〜。」
弾(タマ)が込められた火縄を、秋月大八郎たちに向けて、勘八は脅しに掛かった。商人の銀兵衛は血の気が引き、おどおどしている。
秋月「アぁ、いやいや、大口屋!心配するには及ばなぬ。拙者に任せなさい。」と言うと、秋月大八郎は、出来る限りの柔和な笑顔になって、勘八に話し掛けた。
秋月「之は拙者達が悪かった。どの道にも商売事には、法度、つまりは規則だなぁ、約束と言う物が有ってしかりである。
其れを生業とする者に、附け届けもせず、勝手に縄張りを荒らす様な真似をしたのでは、貴公達が怒るのも無理はない。
この黒狐の皮は、貴公らにお返しもうして、其れなりに色を附けて、お詫びしたいと思うが、勘弁してくれぬか?」
この勘八が三人の中じゃ、一番の親分格かと思いきや、三次と呼ばれていた、六尺棒の男がニコニコ不気味に笑いながら口を開いた。
三次「ヤイ!勘八、退がりやがれ!この突貫野郎が。。。すいません、旦那、この野郎は跳ねっ返りで仕様がない奴で、誠に申し訳御座いません。
仲間内でも、この野郎の事は『ドブ板の勘八』『灰吹きの勘八』『ボッとん便所の勘八』だなんて言いまして、まぁ〜跳ねっ返る!跳ねっ返る!
出すぎ者の代表、跳ねっ返りには注意しろ!って言われておりまして、困った野郎で御座んす。
ヤイ!見ろ勘八、旦那が毛皮は返して下さるし、其れ相応の銭まで出すと仰っている。ささっ、礼を申し上げろ!野郎ども。旦那、どうも有難う御座います。」
勘八「調子に乗って言い過ぎました、有難う御座います。」
五郎吉「旦那、有難う御座います。」
秋月「ヨシ、ヨシ、分かった。銀兵衛殿、此処は拙者に任せなさい。」
そう言うと懐中に手を突っ込み胴巻を出した銀兵衛、三十両ほど入った中から、三両取り出し其れを三人に向かって『ホラよ!』っと放り投げた。
チャリン!チャリン!チャリン!
三次「旦那、お有難う存じます。同じ人間に生まれながら、素人の旦那方の前に出りゃぁ〜、地ビタに手を突いて、ご挨拶しなけりゃなんねぇ〜身分のアッシらです。
何んと悲しい身分で御座んしょう。何んと哀れな生まれで御座んしょう。そんな我らに情けを頂戴し、誠に有難う存じます。」
と、言って三次、秋月大八郎と大口屋銀兵衛をジロっと厭な目を向けて、二人の仲間にも目配せし顎をしゃくる仕草で合図を送ります。
三次「エー、旦那?!」
秋月「何んだ?」
三次「旦那、此の三両は何んで御座いますか?」
秋月「分け易い様に、一人一両ずつで、三両だ。」
三次「冗談言っちゃぁ〜いけねぇ。人を誰だと思ってやがるんだ!ベラ棒め。」
秋月「おいおい、突然どうした?」
勘八「しゃらくせぇ!やっちまえ。」
そう言うと、勘八が秋月大八郎の胸板に火縄の筒口を押し当て、「身ぐるみ全部出しやがれ!」っと叫んだ。
秋月「大口屋、仕方ない。此方の胴巻の中身を見て、穢多が盗賊に変身したようだ。すまんが、其許(そこもと)も所持金を全部出してくれ。」
銀兵衛「事情は承知致しました。皆さん、手荒な真似は、よして下さい。私も商売帰りで所持金は少のう御座いますが、五、六十両は御座いますから。」
秋月「大口屋、先に拙者が出すから、其れに続けて其許も頼む。」
そう言うと、秋月大八郎は、ゆっくり懐中に手を入れて胴巻を取り出します。そして、其れを茶店の入口目掛けて放り投げると、胴巻は街道に落ちて小判がバラ撒かれてしまいます。
是に三人が気を取られた瞬間、秋月大八郎は、火縄の筒先を跳ね退けて、外へと飛び出して行きます。すると、火縄を持った勘八が、逃すものかと、直ぐに追って彼も街道に飛び出します。
秋月大八郎は、茶店の入口の影に隠れていて、直ぐに追って出た勘八を、出て来るなり刀を抜いて、居合の極意で下からやや斜め上に胴周りを斬り掛けました。
ウワッ! ズドン
斬られた勘八は、火縄を放ちますが、弾は藪に逸れて腹横一文字に裂けて倒れます。直ぐ後に続いた三次と五郎吉も、六尺棒と三尺棒を振り回して、秋月大八郎に襲い掛かりますが、
是はもう、一刀流免許皆伝の秋月大八郎の敵では御座いません。体を交わすと、三次は袈裟掛けに斬り殺され、五郎吉は首を飛ばされて果ててしまいます。
刀の血を半紙で拭いさり、秋月大八郎は、自身が投げた胴巻の小判を拾い上げて、茶店へと戻ります。
秋月「イヤぁ、大口屋さん、口程にもない他愛なき奴らで御座った。」
銀兵衛「他愛ないだやんて!秋月様、私は肝を潰しましたよ。」
秋月「爺さん、大変迷惑を掛けたなぁ。」
爺「いえ、旦那こそ、大変な災難で御座いました。」
秋月「さて、爺さん。こんな人とは交際も許されぬ穢れ多き輩が、三民の上に立つ武士に対して、懐中の金子を狙い殺しに掛かるとは、言語道断!
もはや、奴等は盗賊追剥の類なれば、拙者に斬り殺されて当然。之までにも同じ様な不届きを働いていたに違いないし、之からも犠牲者が出たに違いない。
左然れば、拙者が斬り捨てたは、世の為人の為になる善行である。そこで、表の三つの死骸は、爺さん、お前が番屋に届けて役人に申し開きしてくれ!頼む。
勿論、ただでとは言わぬ。そこに奴等が触った三両がある。あの様な輩が一度触った金子、武士が懐中に戻す訳には参らぬ。
よって、あの三両は爺さん、お前さんに下げ渡す由え、この後、面倒が起こらぬ様に、呉々も良しなに頼む。」
爺「承知致しました。任せて下さい。」
秋月「大口屋さん、ではそろそろ参りましょう。」
銀兵衛「ご主人、之は私からだ。重ねて宜しく頼みます。」
そう言って銀兵衛が、更に二両渡すと、茶店の爺さんは、満面の戎顔でこの後始末を引き受けるのでした。
漸く二人は米山峠を下り切りまして、急ぐ旅でなし、道中、面白可笑しく遊山しながらのんびりと旅を致します。そして、漸く一月ほどで宇都宮へと到着します。
秋月「初めて参ったが、どれ!中々繁華な城下で御座るなぁ?」
銀兵衛「ハイ、奥平十八万石のご城下ですから。それに江戸が近こう御座いますから、往来も盛んで御座いまする。おっ、あれです、あれが我が家です。」
秋月「おう、左様であるかぁ、此方が酒屋、そして彼方が呉服屋だなぁ?」
銀兵衛「ハイ、そしてその向こう、あちらに質両替屋も御座います。」
秋月「なかなか、手広い商いであるなぁ。」
銀兵衛「お陰様で、入口はそれぞれ別の間口で御座いますが、中は三軒全て繋がっております。」
秋月「あの呉服屋の帳場格子の中に居る、十九、二十歳の若い男、お主にそっくりだなぁ?アレは倅であるなぁ?」
銀兵衛「左様です。アレは倅の波次郎に御座います。」
秋月「やはりなぁ〜、それにしても似ておる。なかなか宜い男だ。」
銀兵衛「それが旦那、我儘に育ったので、困っております。さっさっ、中へお入り下さい。」
銀兵衛が、店ん中へと入り、秋月大八郎も是に続きます。そして、銀兵衛、笠と合羽を脱いで、「あぁ〜、草臥れた。今、帰りましたよ。」と、中に声を掛けると、番頭以下奉公人が出て参ります。
旦那様、お帰りなさいませ!
お帰りやす!お帰りやす!
と、番頭、手代、小僧たちが、銀兵衛の帰りを出迎えます。そんな中に倅の波次郎も居りまして、
波次郎「お父様、お帰り遊ばせませ。遠方よりのご帰還、ご苦労様に存じます。」
銀兵衛「おぉ、波次郎。店の方は大事有りませんか? おうそうかそうか。 で、私が送った栃尾の紬と、村松縞の正絹物は届いていますか?」
波次郎「それなら、荷受け元の遠州屋さんからの手紙で、荷の到着が二、三日遅れるそうです。それより、後ろにお立ちのお侍様は、どなたですか?」
銀兵衛「あぁ、倅、此方は秋月大八郎様と仰るお武家様で、跡からゆっくり話して聞かせるが、米山四里の峠で、とんでもない賊に襲われそうな所を助けて頂いた命の恩人だ。」
波次郎「そんな事が、父が本にお世話になりました。」
銀兵衛「秋月様は、この跡、日光へご参詣なさり江戸表へと旅を続けられる。その道中、どうしてもと、私がお願いをして、当家に立ち寄って頂いたのだ。
十日か十五日、この宇都宮に滞在して頂く、皆も宜しく頼みます。そして、波次郎、秋月様は文武に優れたお方だ。滞在中は、秋月様の為になる話を色々と伺って、お前も見識を広げなさい。」
波次郎「左様で御座いますかぁ、私は当家の倅、総領の波次郎と申します。不束者では御座いますが、宜しく頼み申します。
さて、この度の越後の旅で、父の命をお救い頂き、大変感謝致します。短い間ですが、当家で寛いで頂きながら、為になる噺をお聞かせ下さい。重ねて、宜しくお願いします。」
秋月「いやいや、ご丁寧な挨拶痛み入申す。拙者は新発田藩浪人の秋月大八郎で御座る。あの様に銀兵衛殿は申されたが、道中世話になったのは拙者の方だ。
あまり大層に礼を言われたら、返って拙者が恐縮致す。さて、初めてでは御座るが、以後、お見知り置き願いたい。」
波次郎「此方こそ、ご丁寧な挨拶を賜り恐縮で御座います。」
さて、此の様にして大口屋にて、秋月大八郎と銀兵衛の倅、波次郎が出会います。そしてこの時、互いに慇懃な挨拶を交わした二人ですが、
秋月大八郎は、波次郎を『なんとなく、厭な奴!』と直感し、波次郎の方も『オヤジは、なぜ、こんなウサン臭い野郎を連れて来たんだ!』と思います。
そして是が新たな間違いを生みまして、大口屋の悲劇へと繋がる事になるのですが、今回は、是まで!次回は、その悲劇をお届け致します。
つづく