舟月山の山頂に、五本の狼煙を見た長篠城は、歓喜の渦に沸き返り、篭城する二千五百人を再び勇気づける結果になりました。

そして、鳥居強右衛門は、山頂から勇んで麓目指して下山致します。なぜならば、一つには、家康公と交わした約束を守りまして、濱松城へと戻り人質となる為、

そしてもう一つは、信長公より賜りし『江雪左文字』。あの名刀を鞘を払い、一度二度と素振りにしてみいと言う大きな衝動からに御座います。


舟月山の麓まで出た強右衛門は、街道筋から遠州へと抜けて濱松城へと戻るつもりで、物見をしていると、そこへ!

真後ろから、武田方土屋右衛門尉が五百騎を連れて、舟月山周辺を警戒している所へ出会して仕舞います。

右衛門尉が「之?!怪しい奴!捕らえろ。」と下知を飛ばしまして、強右衛門も心注いて逃げるか?と一瞬思いましたが、相手は馬で御座いますから、逃げるのを諦め、咄嗟に味方のフリを致します。


土屋「怪しい奴、貴様!何者だ?」

強右衛門「ハイ、拙者、穴山雲斎公の身内に御座います。」

土屋「ほう、穴山殿のお身内かぁ、で、何を致しておる?」

強右衛門「ハッ!此の先の山中にて、城へ兵糧を持ち込もうと致す怪しき輩を捕らえまして、仲間が居らぬか?只今、探索に出た次第に御座いまする。」

土屋「怪しい!武田は、探索、捜索は必ず二名か四名、一組に成って行動するのが軍規であるぞ!なぜ貴様、一人で行動しておる?!

ヨシ、合言葉だ。武田の武者ならば、答えられるはず。『谷』と問われて、何んと答える?!」

強右衛門「谷?。。。啓、ガチョ〜ン!!」

土屋「此奴、クレージーである、ひっ捕らえよ!!」


『谷』に対して『山』の武田基本中の基本の合言葉を強右衛門、深読みして『谷啓』『ガチョ〜ン』と答えて、直ぐに長篠城の密偵とバレてしまいます。

強右衛門は、高手小手に縄を打たれて、武田勝頼の本陣へと連行されて、そして勝頼公から直接の吟味を受ける事となります。勝頼公、その強右衛門をご覧遊ばされて。


勝頼「その方、奥平の家臣か?!其れとも徳川の家臣なのか?何用有ってこの界隈を徘徊しておった?!有体に申してみよ!」

強右衛門は、全く臆する事なく、頭を上げて勝頼公を凝視しながら答えます。

強右衛門「拙者は、長篠城城主奥平定昌の舎弟定保が家臣にて、鳥居強右衛門忠勝に御座いまする。岩代川を只今潜りなが渡り切り、

之より街道筋を抜けて遠州濱松城へと使者として出向き、徳川殿に援軍の要請を行う途上也。

しかし拙者はこの峠で貴様らに捕われて仕舞えども、必ず二の矢、三の矢の使者が放たれるは必定。

即ち、拙者、既に命用済みなれば、僅か小勢二千五百の奥平の篭城に手をこまねく貴様たち武田なれば、織田徳川連合軍の助成で挟み撃ちに合い、この戦、大敗を喫する事疑い無し、勝頼殿!首を洗って待っていて下さい。」

と、強右衛門の大胆不敵な太平楽とも思える余の暴言かつ豪胆な大音に、流石に武勇の武田の重臣たちも、アッ!と驚き顔と顔を見合わせてました。

元より捕まった時から、死を覚悟の強右衛門なれば、群がる武田の猛将たちが、藁人形の案山子のようにしか見えておりません。

一方、此れを聞いた勝頼公、怒り出すかと思いきや、ニッコリ笑顔を見せて、強右衛門とは対照的に、穏やかな口調でお答えになります。

勝頼「あぁ、其方は本に豪胆!実に宜き家臣を奥平公はお持ちだ、羨ましい限り。

之れ!強右衛門とやら、ソチに限り此の勝頼が一命助けて遣わす。今より勝頼に仕えては呉れまいか?厚く用いて遣わすぞ、武田の人間に成らぬか?強右衛門。」

是を聞いた強右衛門。勝頼には甘い言葉で何か企んでいるなぁ?!と、感じますし、何よりまだ、濱松城へ密使が既に届いているとは、夢にも思わぬ武田です。

此処は、織田徳川連合軍五万の存在に気付かれる前に、勝頼の計略に掛かったフリをし安心させて、長篠城に篭城する二千五百を助けてやろうと、強右衛門、動きます。

強右衛門「有り難きお言葉!痛み入ります。無礼の限りな言葉を浴びせた拙者に対して、咎めるのではなく、懐柔し引き入れ下さる勝頼公の度量の大きさには感心させられました。

今、この時点に於いて、武田の一員に加えて頂いたからには、この強右衛門!犬馬の如く労を惜しまず尽くす事、誓いまする。」

勝頼「そうか、宜う言うてくれた!さて、強右衛門、早速だが、貴様の持つ長篠城方の、美作守宛の密書なる物を見せてはくれぬか?」

強右衛門「ハハァ、之れに御座います。」


と、言われた強右衛門、既に用済みの奥平九八郎定昌から、父美作守への密書を勝頼に見せます。

そこには、徳川家康に対しての援軍要請と、長篠城の兵糧があと三日ほどしか保たない窮状が書かれております。


勝頼「強右衛門、その方は美作守の手を真似る事ができるか?」

強右衛門「ハイ、書く事は水練の次に得意で御座います。」

勝頼「ヨシ、然からば、『偽筆の鬼』、長坂釣閑斎を呼べ!更に、舎弟の『筆跡鑑定士』、長坂兵部も之へ参れ!」

戦国の世では、密書のやり取りを、如何に正確に敵に気取られず行うかで、戦の勝負けが決まったと言っても過言ではありません。

だから、『花押』の様な他人に真似できない独特の署名と、複雑な捺印の組合せで、秘密を担保しておりました。

勿論、奥平家の『ちぼり』も、そんな密書でのやり取りの知恵の一つで御座います。

そんな戦国の世で、武田は戦に勝ち生き残る術として、筆跡鑑定士とそれを真似て自在に書簡を偽装する贋作師が、ペアで重宝されており、

その両方に長けた家柄が長坂家であり、武田信虎、晴信(信玄)、勝頼と、武田三代に使える名門中の名門で御座います。


勝頼「釣閑斎!貴様と兵部は、二人してこの奥平定昌の書状の字そっくりに、城内にはまだ十分に兵糧が有り、援軍の儀は暫く必要無しとの文面を作れ!その偽密書で、徳川の援軍派兵を遅らせる。

一方、強右衛門、其方は、美作守の手を真似て、家康に援軍を申し入れたが、機内の治安維持に兵を取られていて、長篠城まで手が回らぬと、援軍は断られたと書状に致せ。

そして、書状が完成したならば、長坂兄弟作の奥平定昌の偽密書は、透波(忍者)に持たせて濱松城に届けよ。強右衛門、合言葉は何んである?何々、『山』に対して『川、豊、今晩は、鳥羽一郎です。』となぁ?

又、強右衛門、その方が書いた、美作守の偽密書の方は、自身で矢文にして、長篠城の見張小屋目掛けて、射掛けて知らせてやれ。

読めば、城内の篭城勢は落胆して戦意を喪失するに違いない。そこから三日、兵糧の尽きるのを待ち、真綿で首を絞めるように、じわじわ攻めて城を奪い取る!よいなぁ。」

全員「おーう!!」


◆奥平定昌より美作守への手紙

一、我が長篠城には、武田勝頼の軍勢三万が押し寄せ、舟月山に本陣を置き、長篠城を包囲致せり。

されど、城内には十分な兵糧之有り。しからば城兵の士気未だ高く、家康公からの援軍・物資提供など、今はまだその時に有らず。由えに、御父上様より、お断り儀御座候。


◇美作守より奥平定昌への返書

一、鳥居強右衛門同道にて、遠州濱松城へ罷り出て家康公にお目通り致し、ご加勢の儀を申し出候事。

ところが、京と大坂、堺への治安維持に兵を取られているので、加勢の軍勢は避けぬと断られ候。


勝頼の命で、二通の偽密書が濱松城と、長篠城へと届けられます。先ずは、濱松城、此方は既に鳥居強右衛門が来た後で、長篠城からの使者が再度現れて、

美作守の前に現れ、使者の間にて合言葉を合わせて見ますれば、是は正しい符号の言葉が返ります。

『はて!?追加の急用有りや?』と、美作守が密書を開けてご覧になると、確かに息子、九八郎公の手に違いない筆跡と花押が御座いますが。。。

また、長篠城に対しても、物見番から見える位置に立った鳥居強右衛門自身が、矢文を飛ばして、物見台の柱を射抜いて、密書を届けて参ります。


物見番「お知らせ致します。今し方、鳥居強右衛門様、矢文を飛ばしになりまして、何やら緊急の用件の様に御座いまする。」

治右衛門「何んだろう?矢文を直ぐに遣しなさい。」と、物見番から受け取った矢文を、読んで見て驚きます。


『鳥居強右衛門同道にて、遠州濱松城へ罷り出て家康公にお目通り致し、ご加勢の儀を申し出候事。

ところが、京と大坂、堺への治安維持に兵を取られているので、加勢の軍勢は避けぬと断られ候。』


狼煙では、織田・徳川連合軍が五万の兵で援軍に駆け付けると有ったのに、矢文では、真逆の事を言って来るとは、

しかも、矢文の方は、明らかに強右衛門本人が放ち、この密書の手は、明らかに父美作守定能が記したに違いない筆跡である。

是を物見から聞いた松平彌五郎景忠や、他の重臣たちも、狼狽の色が隠せない様子で、是はどうした事だと、色めき立ちます。

そこへ、奥平九八郎定昌が現れて、何の騒ぎだと問いただすと、御舎弟治右衛門がカクカクしかじか、と、事の次第を説明し矢文を見せます。

すると、九八郎公、腹の底から笑い出しまして、この様に一堂に説明なさいます。

九八郎「此の密書は偽物、大方父美作守の手によるものでは無く、武田の筆師が書いた偽物で在る!なぜならば、この密書には、ちぼりの香りが致さぬ。」

そう言って、武田の計略を見破り、城内の兵には、あくまでも、援軍は必ず一両日中に来るから、しっかり篭城すべし!と、下知を飛ばします。

そして、美作守の方へ行った透波(忍者)も、同様にちぼりの細工が無いので、企みがバレて簡単に濱松城で討ち取られて仕舞います。


やがて是を知った勝頼は烈火の如く怒ります。武田をコケにしやがってと、怒り狂う勝頼。鳥居強右衛門を磔にして、長篠城の物見台から見える位置で、

錆びた槍で突いて殺せと命じまして、この時、此の鳥居強右衛門が詠んだ辞世の歌かニ首、残されております。


我が君の 命に代わる玉の緒の

何を厭とはん 武士の道


上総より 抜けば玉散る 刃より

君の命に 勝る物なし


こうして、鳥居強右衛門は、武田の手により殺されてしまいますが、此の強右衛門の密使としての働きで、織田・徳川連合軍は、長篠で武田を滅ぼし、天下統一の確かな一歩を記しました。

そんな、当代の『鳥居強右衛門忠勝』が、筑紫市兵衛の宇都宮神宮での一件を、実は、野次馬の中から見ておられました。

廣澤三郎右衛門と藤作兄弟が、最上藩浪人・柾木惣右衛門親子を、不条理に煽りながら、新刀の試し斬りに息子を差し出せ!と、言っている姿に、大変憤りを感じておりました。

其処へ、先に話した通り筑紫市兵衛が現れて仲裁に入りますが、廣澤一派は「真剣勝負だ!」と、斬り掛かろうと致します。


しかし!


筑紫市兵衛の腕前は、『氷川神社の競馬』『薩摩浪士七人との死闘』『盗賊・梶原五左衛門一味退治』などなど、是までの数々の功績から、当然、家老の鳥居強右衛門は存じておりますが、

この最上家浪人、柾木惣右衛門も、噂に違わぬ『北条流、奥州随一の軍師』と言われるだけの実力だと、強右衛門大いに感心致します。

宇都宮十八万石に代々仕えて、それはそれは、殿様思いの忠臣で御座います。そして、奥平帯刀、大学に負けぬ殿様思いの強右衛門ですから、

常々、食客扱いとは言え、外囲いの家臣、出家中とは言え五百石の禄を持って抱えた事で、松平下総守の家来、仁科孫太夫から受けた、奥平家馬術指南・南條叉右衛門の恥辱を晴らす事が出来たのは、大きな事実だし、

筑紫市兵衛が来てから、奥平家の家臣たちは、武芸に励む様になり、同時に武士の誇り、清い心を尊く思う者が増えて、藩全体が良い方に変わっているのを、強右衛門は強く感じていました。

そして、更にこの日、宇都宮神宮の裏山で、最上家の兵法指南役、柾木惣右衛門を見て、この者も、筑紫市兵衛同様、是非、当家に迎えたい!実に天晴れであると思うのでした。



つづく