筑紫市兵衛は、氷川神社の競馬に於いて、忍藩は松平下総守が家来、仁科孫大夫と勝負をして、仁科の反則技、『鎧返し』を見事に見破り、
是をやり返した結果、仁科孫大夫は落馬して競走を中止となり、この勝負、筑紫市兵衛の勝利と、氷川神社の祭禮を仕切る委員会にも正式に認められます。
そして、この勝負の正式記録、その台帳には見届け人、裁定者として『丸亀浪人・曲垣平九郎と筑後梁川藩向井蔵人』と署名された。
蔵人「おい!仁科孫大夫とやら、筑紫殿に、参りました!と、武士らしく潔い敗北の弁を述べられよ!」
仁科「筑紫氏、この度は拙者の負けだ。」
市兵衛「一度きりの勝負なれば、勝ち負けは時の運。また、三年後、この続きを正々堂々とやりましょう。」
仁科「いやいや拙者は、もう馬術は引退で御座る。身に染みまして御座います。天下には、貴方がたの様な雲の上に住む名人が有る。老兵は去り行くのみ。」
お前はマッカーサーか!!
と、寛永三馬術の名人三人に突っ込まれて、仁科孫大夫は、トボトボと馬場を去りました。
一方、この勝負を見届けた、野次馬たちは大いに沸いて声援!激励が飛び交います。
「筑紫市兵衛!宜くやった。」
「市兵衛、天晴れ!」
などなど、市兵衛への賛辞が三割で、六割は、
「愛宕山!」
「平九郎、ヨッ日本一!」
と、名人曲垣平九郎に対する掛け声で、中には、
「曲垣平九郎、ヨッ音羽屋!」
などと、声を掛けるお調子者まで御座います。また、残る一割は
「仁科、死ね!」
「孫大夫、地獄へ落ちろ!」
と、長年氷川神社で仁科孫大夫に対して、恨み憎しみを抱きながら、声に出来なかった面々の怒りが爆発しました。
そして、そんな野次馬ん中に、二人だけ、しょんぼりして、曲垣平九郎から五両取られた二人組が居た事はあまり知られてはおりません。
平九郎「さて、筑紫殿!そして、度々平ではなく向井殿、折角、この三人が揃いましたからには、氷川神社に『三人の額』を奉納致しましょう。」
蔵人「先生!それは宜い提案に御座る。」
市兵衛「オー、拙者も喜んで!」
こうして、寛永三馬術の名人三人が、氷川神社へ『額』を奉納します。是は氷川神社『二つの天下一』と呼ばれて、江戸時代の名物でした。
そうです。この『額』と並んで人気のもう一つの天下一は言うまでもなく、あの氷川の角兵衛の獅子で御座います。
平九郎「折角、三人が遭った記念だ、今宵は大宮の繁華街で呑み明かしましょう。筑紫殿のお陰で、五両儲かりましたから、金子の心配はご無用、どうだ度々平、久しぶりに。」
蔵人「俺は先生の奢りなら異存はない。」
市兵衛「私も喜んでお伴致しますが、その前に、折角なので、お二人の馬術の業を、拙者に披露して下さい。」
平九郎「真面目だなぁ〜、市兵衛殿は。」
蔵人「本に、曲垣先生とはえらい違いだ!」
平九郎「度々平!お前に言われたくないワぁ!」
そう言いながら、二人は馬に跨り馬場へと出て、惜しみなく馬術の秘技の数々を、筑紫市兵衛に見せるのだった。
そして三人の酒宴は夜中まで続き、馬術談義と三人が旅で経験した数々の珍しい思い出噺にも花が咲いた。やがて、烏カァ〜で夜が明けて、楽しいひと時は過ぎ別れの朝がやって来た。
平九郎「では、筑紫殿!私と向井殿は、江戸へ帰りまする。」
蔵人「また、何処かでお会いしたいもんです。」
市兵衛「本当に、お二人にはお世話になりました。ご機嫌宜う!!」
本に、お名残り惜しげに別れる三人で御座いました。
アさて、筑紫市兵衛は、四十五人の伴を従えて氷川神社から宇都宮城下へと凱旋です。直ぐに、大殿・奥平大膳大夫様、家老の奥平帯刀、更には町奉行の奥平大學の三人が是を出迎えます。
此処で、大殿大膳大夫から、この功績を持って正式に家臣として奥平家に招きたい!五百石でと申し出られますが、
道場を開いて間もなく、薩摩浪士の仇討ちの一団が宇都宮城下に現れた事を理由に、市兵衛は是を固辞致します。
そして、大膳大夫公よりの労いのお言葉と数々の褒美の品を頂戴した筑紫市兵衛定雄は、首尾は上々と鉄砲町の道場へと帰って来ました。
其れから半年が過ぎた或日。噺を皆さんも気になっている、あの大口屋で狼藉を働いた薩摩浪士につて、この度は噺を致す事にしましょう。
宍戸右源太が、寺澤家江戸上屋敷へ、薩摩藩の結納の使者として訪れて、酒宴の席で寺澤家に対して悪口雑言を浴びせ、筑紫市兵衛に討ち取られた事で、
当然ながら、薩摩藩の示現流の第一人者で武芸指南役の一人ですから、一族と門弟は『筑紫市兵衛憎し!』と、思いますし、
又、藩内では宍戸右源太を軽蔑、侮辱する噂が蔓延り肩身の狭い思いを、一族門弟一同は味わいます。ですから、何んとか名誉挽回の機会をと望むのは必定です。
然るに、宍戸右源太の実兄宍戸惣太夫、実弟宍戸半五郎、そして門弟の荒川大蔵、植松七兵衛、上田万五郎、鎌田三郎、原勘十郎の七人が、藩目付役に仇討ちの願書を提出致します。
ところが、是を見るなり國主島津家久公は、禁酒の約束を破った上、酒乱の無作法で自ら撒いた種で討ち死にし、薩摩藩の名誉を著しく傷付けた分際で、仇討ちなど言語道断!と、激怒されます。
まぁ、宍戸を斬った筑紫市兵衛が浪人になったと聞いて、「その筑紫市兵衛を召抱えたい!」と仰られた家久公ですから、怒り心頭も理解できます。
そして宍戸一族には、恥の上塗りだから、仇討ちまかりならぬと、きつい戒めのお言葉が下ります。
しかし、この七人は五十から百石と小禄ながら、この時代禄が有るだけ有難い!とは感じぬ様で、生地示現流の剣術の心得が有り腕があるので、薩摩にばかり日が当たる訳じない!と、料簡違いを致して、自ら脱藩し野に下り浪人の道を選びます。
こうして、薩摩浪士七人は、『仇討ち』を名目に筑紫市兵衛を仇と狙い、全国を行脚し始めたのですが、一年、二年と月日が経過し、路銀も底を尽くと、
腕に任せて道場破りをして、迷惑料を強請ったり、大口屋がやられた様に、豪商に因縁を付け強請りたかりと、本来の目的である『仇討ち』は何処やらで、単なる強盗集団になっております。
半五郎「兄ジャ、もう路銀が底を尽きそうだぞ?かと言って此の益子、茂木辺りには大きな商家は無く、銭を持っていそうな商人は無いぞ?
宇都宮城下に戻って、大口屋を襲うか?一度は二十両を出しているから、又、脅してみるか?どうする、兄ジャ。」
惣太夫「宇都宮城下には、あの筑紫市兵衛が居る。道場を営みながら、弟子を組織して自警団を率いているそうだ。
其処へ七人で乗り込んで、大口屋を襲ったりすると、こちらが返り討ちに合うは必定。だから、奴を始末するまでは、安易に宇都宮城下で商家は襲えんぞ。」
荒川「ならば、惣太夫殿。その筑紫市兵衛を討ち取り憂いを取り除いてから、又、大口屋を襲いましょう。」
惣太夫「簡単に、筑紫市兵衛を討つなどと言うが、かなりの手練ぞ?!」
荒川「勿論、隙を突いて闇討ちにするのです。」
植松「取り敢えず、私と鎌田、原の三人で宇都宮城下に探りを入れて参りましょう。皆さんは、此処で待って作戦を練って居て下さい。」
そんな悪い相談が御座いまして、植松七兵衛、鎌田三郎、原勘十郎の三人は、宇都宮城下に偵察に出掛けます。
先ずは、立札を見て鉄砲町へと来て見れば、『筑紫市兵衛道場』の看板はありますが、中の様子が変です、何やら荷物を何処かへ運ぶ最中です。
其処で三人は、道場の斜め前にある『万金丹』の貼紙の在る薬屋へ入り、薬を買い求めながら、道場と市兵衛の様子を聞き出します。
植松「許せよ?!」
主人「ハイ、いらっしゃいませ!」
植松「旅をしている者だが、腹痛に効く薬は御座いますかなぁ?」
主人「其れならば、その貼紙の伊勢の秘薬!万金丹が一番ですよ。腹の痛み、下痢は勿論、二日酔いや消化不良にも効果が御座います。」
植松「では、その万金丹を一つ下さい。お幾らですか?百二十文。(意外と高い!)ハイ、ではお代は此処に置きます。
さて、向かいにある道場は、何やら慌ただしく荷物を運んでいますが、何かあったんですか?」
主人「あぁ、孝行市の先生の道場ですか?先生が武州の大宮氷川神社の競馬で、勝たれてからは、馬術志願のお弟子が増えた事も有って、
お城の裏手に在る馬場に近い、小手毬町に新しい道場を建てられて、この鉄砲町は剣術の弟子を残して家移りの最中なんです。」
植松「すると、筑紫市兵衛先生は、その小手毬町の道場に移られるのですか?」
主人「いずれ其方へ移られるのでしょうが、今は、母上様が大病して此方の道場で寝込んでらっしゃるから、道場に居られます。
大変親孝行の先生ですから、この所は毎日、雀宮の八幡神社へ、母上様の快復祈願でお参りに行かれております。」
植松「左様ですか?先生は、毎日何刻に、雀宮の八幡宮にお出掛けですか?」
主人「ハイ、連日馬で八ツ前九半頃に出掛けられています。」
植松「そうですかぁ、有難う御座います。」
と、欲しくもない万金丹を買いながら、市兵衛が必ず毎日、雀宮の八幡神社へ、母親の病気全快を祈願して馬で出掛ける事を知ります。
直ぐに、宍戸惣太夫、半五郎兄弟の元に戻った植松は、この事を仲間たちに知らせますと、直ぐに七人は翌日、雀宮の八幡神社で市兵衛を待ち伏せする算段を始めます。
そして当日、雀宮の八幡神社の境内に、七人は二手に分かれて茂みの中に隠れて、筑紫市兵衛がやって来るのを待ちます。すると!
其処へ、馬に跨り母親の病気全快の願掛けに通う市兵衛が現れます。すると、正に馬を止めて市兵衛が馬上から降りようとしたその時、
宍戸惣太夫以下、七人の薩摩浪士が茂みの中から現れて、馬上の市兵衛が動けない様に、取り囲んで仕舞います。
筑紫市兵衛!待てぇ〜
市兵衛「何奴だ?!」
惣太夫「我ら七人は、今を去る事七年以前、江戸表の寺澤藩上屋敷に於いて、貴様に殺された宍戸右源太の一族である。
拙者は、右源太の兄!惣太夫なり、そしてこちらに控えしは、舎弟半五郎、更に門弟の荒川大蔵、植松七兵衛、上田万五郎、鎌田三郎、原勘十郎の七人也!!
長年の間、逃げる貴様の所在を探し求めて諸国を遍歴致したが、漸く、今此処で遭ったが百年目、盲亀の浮木、優曇華の花咲き得たる上からは、イザ尋常に勝負、勝負、勝負!!」
市兵衛「イヤ、身に覚えがないとは申さん!如何にも、宍戸右源太殿を斬り殺したのは間違く拙者で御座る。
然れども、武士の意気地上、正々堂々の勝負をした結果、ならば右源太殿の一族から仇よばわりされる覚えは御座らん。
其れでも、其方らが真剣勝負をお望みならば、受けるに吝かではないが、拙者、母が病に伏せり、その病気全快を祈り、この八幡様へ三七、二十一日の願掛けを続けている。
そして、その満願が今日この参拝で叶う事に成り申す。よって、どうか満願の参拝を済ませて、祈願の御守を持って母を見舞いましたら、直ぐに戻り真剣勝負をお受け致す。
満願の参拝と、その御守を母に届けて、此処に戻って参ります由え、どうか一刻の猶予を与え下さい。」
惣太夫「駄目だ!今、此処で七人を相手に勝負致せ。」
半五郎「七年間隠れ通して、江戸表から宇都宮まで逃げた貴様の言う事など、信用出来ぬワ!」
荒川「そうだ!道場へ戻れば、弟子が数多居る貴様の事だ!助っ人を百人から連れて来て、我らを騙し討ちにするに違いない。」
惣太夫「そいう事だ!イザ、勝負!勝負!勝負!」
最後の満願のお詣りを済ませて、八幡様の御守を母に渡したら、必ず戻ると約束を申し出た筑紫市兵衛が申し出たが、
薩摩浪士七人は、全く聞く耳を持たず、市兵衛の包囲の輪をジリッジリッと小さくして行きます。
鞍上の筑紫市兵衛、もう仕方ない、馬を降りて七人を相手にする覚悟を決めて、腰に差している大刀・志津三郎兼氏に手を掛けて、馬上から降り様とした、その時!
先生!お母上が危篤で御座います。
と、言って下男の粂八が、境内へと走って現れます。
粂八「先生!早く鉄砲町の道場へお戻り下さい。母上様が危篤です。今、今行かねば死に目に逢えません。」
市兵衛「誠か?!宍戸一族の皆さん、お聴きの通りだ。母の死に目を見たら、必ず戻る。どうか拙者を道場へ帰してくれ!」
荒川「白こいのぉ〜、芝居じみた嘘を重ねて、助っ人を連れて参る所存であろう?!」
惣太夫「早く馬を降りて、正々堂々と勝負なされよ!」
母の死に目に逢いたいと、筑紫市兵衛が懇願致しますが、薩摩浪士七人は、是を断固拒否。此の場での決戦をと、市兵衛に馬から降りよと催促致します。すると、意を決した粂八が提案を致します。
粂八「駆け付けた時に、仔細は耳にしたので、仇討ちの尋常勝負と理解しております。では、この私が人質になります。
私が人質になりますから、どうか?先生を道場に帰して、母の死に目に逢わせてやって下さい。お願いします。」
市兵衛「粂八!本当か?済まぬ。」
荒川「何が、済まぬだ。誰が、この下郎を人質なんぞにするか?騙されはせんぞ!筑紫市兵衛!」
そう言い放つと、荒川大蔵は顎をしゃくり、植松七兵衛に合図を送ると、粂八の前後から二人でいきなり斬り掛かり、荒川が肩から袈裟掛けに斬り、植松はその首を跳ねて仕舞います。
血煙を上げて、ギャッと言うだけで殺された粂八。是を見た筑紫市兵衛は、怒りに震えて、鞍上の馬の手綱を強く握り締め、一線、泪が頬を流れて行きます。
市兵衛「もう、許さん!貴様たちは、武士どころか、人にあらず。畜生以下だ。己の心が悪由えに、他人も同じと言う考えに凝り固まっておる。
七年前に斬り殺した宍戸右源太殿は、まだ、酒に酔った時にだけ、狂うお方だったが、貴様たちは、平時にも狂っている。
もはや、貴様たちの様な外道、畜生を、刀で斬るのは刀の汚れだ。母の死に目に逢えぬ怒りも込め、纏めて冥土に送ってくれる。」
荒川「何をほざいている、早く!早く!馬から降りよ。」
荒川大蔵が言い終わる前に、手綱を絞った筑紫市兵衛、馬を棒立ちにわざとさせて、いきなり、荒川大蔵を馬の前足で蹴り、蹄を真面に顔へぶつけた。
ダラン!!
荒川の首が折れて、蹄で蹴られた顔は、目が飛び出し歯が折れて悲惨な状態。一瞬の事で、悲鳴すら上げられずに絶命致します。
余りの刹那の出来事に、まだ、状況が理解できぬまま、呆然としている残りの六名。荒川と同じく、植松七兵衛、上田万五郎、鎌田三郎、は、顔を蹄で蹴られ、顔に馬蹄の跡を残して、首がぶらぶら、目が飛び出すか、頭を破られてあの世行きです。
三人の流した血が溜まり、血の池地獄が境内に出来上がります。
流石に、門弟の悲惨な最後を見た、三人は散り散りに逃げようと致しますが、容赦なく馬で追い駆け廻し、疲れた所を今度は先回りして、後ろ足の蹄で蹴り上げてます。
先ずは惣太夫に後ろ馬蹄の一撃を喰らわすと、胸を蹴られた惣太夫は、五、六間先に飛ばされて、頭からおた落ち、石榴の様に砕けた頭から味噌が吹き出します。
次に、半五郎も逃げ惑い必死に刀を振り抵抗致しますが、軽く飛び越えた後で、前足の馬蹄に踏み付けられて、内臓を破裂させて、七つの穴から出血し果ててしまいます。
最後に残った原勘十郎、逃げられぬと観念して命乞いの土下座に出ますが、市兵衛が許すはずもなく、
後頭部を前足の馬蹄で踏み付けにされて、熟した柿が地面に落ちた様な最後となり、是で七人全員が馬に蹴られて死んでしまいます。
雀宮の八幡神社の境内で、まぁ〜悲惨な七人と一人、計八人の惨殺死体が、散乱し、その様子は正に地獄絵図に御座います。
市兵衛、怒りが収まりますと、是は流石に大変な事になったと、多少反省は致しましたが、全く後悔は御座いません。
直ぐに、八幡宮の社務所へと駆け込み、死骸を宇都宮城下の町奉行所に運び込み、下男粂八が殺された事に激情し、薩摩浪士七人を馬の馬蹄にて蹴り殺した旨を報告。
この薩摩浪士七人との遺恨に付いても、正直に白状して、薩摩藩の怒りが奥平家に及ばないように、一身に責を受けて、切腹でも斬首でも、受ける覚悟である事を申し述べます。
其処へ、町奉行奥平大學が城内から駆け付け、この一件を吟味に掛かると言う噺に、この後展開するのですが、この続きは次回のお楽しみに!
つづく