宇都宮奥平家の威信を掛けて、筑紫市兵衛定雄は、武州大宮にある氷川神社へと出発した。伴揃えは、奥平家から三十人、市兵衛道場からは十五人。合計四十五人が馬隊と徒歩組に分かれて、武州大宮を目指した。
この隊列の規模からも、奥平大膳大夫のこの競馬勝負に懸ける気持ち大きさが分かります。そして、其れを一番に肌で感じ取っているのは、市兵衛なのでしょう。
一行は先に徒歩組が出発して、宇都宮から奥州街道を南下して、雀宮、石橋、小金井、新田、小山、間々田、野木、古河、そして下野最後の宿場中田宿まで来て、此処に宿を取ります。
翌日に宇都宮を馬隊が出発して、同時に徒歩組も中田を出て栗橋、幸手、杉戸と講談『畔倉重四郎』でお馴染みの武蔵國を通り、粕壁宿へと参りまして、馬隊と徒歩組が合流致します。
そして、いよいよ大宮氷川神社の祭禮、三年に一度の競馬が行われる境内へと向かい、市兵衛は、帳場にて『宇都宮奥平家、筑紫市兵衛定雄』と帳面に署名を致します。
其の帳面はと市兵衛見てやれば、既に七、八十名が乗役として、ずらりと署名されていて、その中に『忍藩松平下総守家来、仁科孫大夫』と言う署名を見付けます。
そして、帳場の係りに、仁科孫大夫はどの人物かと尋ねますと、仁科孫大夫は、馬場の埒の隅に大勢の取巻を連れた御歳五十二、三に見える初老に御座います。
市兵衛、本馬場脇に設けられた馬房へと殿様からお借りした柴栗毛を留置に行くと、丁度、其処に黒光の一際馬体の大きな黒毛の馬を連れた仁科孫大夫も同じく留置に現れた。
市兵衛「初めてお目に掛かります。貴方様は仁科孫大夫殿では?!」
仁科「ハイ、左様ですが?」
市兵衛「拙者、奥平大膳大夫の家来で、筑紫市兵衛と申します。本年は不肖私がこの祭禮の競馬に乗馬させて頂きます。
さて今を遡る事三年前、同藩の南條叉右衛門が其許(そこもと)との競馬に敗れた時、奥平家には、此の程度の馬術指南しか居らぬのか?よく之で人に馬術が教えられるものだと、笑い飛ばし、
暗に奥平に対し悪口して、南條叉右衛門に対しては言葉の暴力で、恥辱を与えになった。一番勝負など所詮時の運に御座る。しからば、そのような上から勝ち誇る態度は取るべきにあらず。
そして、奥平家の総意として、奥平家に叉右衛門殿に勝る乗役が居るや?居らぬや?不肖筑紫市兵衛、今日は其許に競馬勝負いたしたく、某(それがし)とお手合わせ願いたい。」
いきなり、市兵衛に挑戦状を叩き付けられた仁科孫大夫。ジロッと市兵衛を睨み付けて、市兵衛の乗馬、柴栗毛を見て薄ら笑いを浮かべて答えた。
仁科「あぁ、其許の乗馬は、その今留置た馬で御座るか?」
市兵衛「いかにも!」
仁科「其れで拙者に勝つおつもりか?その馬では、競馬になりもうさんぞ。」
市兵衛「競馬になるか?ならぬか?は、競馬をしてみたら分かり申す。」
仁科「馬鹿な、その兎馬で、拙者に其許が勝つなどあり得ぬ事。喩えるならば、二代三平が鈴本で、小三治の代バネを務めるようなもの、そのくらいあり得ん!!」
市兵衛「ならば、拙者が林家三平かどうか?直ぐに勝負を致しましょう。この本馬場を二周勝負で如何ですか?」
仁科「時間の無駄だが、今度だけは、勝負を受けてやる。しかし、之に負けたら二度と氷川神社の祭禮に、奥平家は参加せぬと誓われよ。それが条件でなら一番勝負をお受け致す。」
市兵衛「宜かろう。望むところだ!!」
筑紫市兵衛と仁科孫大夫は、返し馬に本馬場へと出て、此処氷川神社境内に設けられた本馬場、一周が約半里。其れを二周で争う競馬にて勝負する事になる。
すると、之を脇で聞いていた野次馬たちが、二人の勝負について、アレコレ予想を語り合い始めた。
野次馬A「今年も来て居たなぁ、あの初老の態度のデカい生け好かない爺。仁科孫大夫だったか?」
野次馬B「そう仁科孫大夫。相変わらず上から言いたい放題だ。」
野次馬A「しかし、馬術の腕は天下一品だぜ。素人の俺が見ても分かる。」
野次馬B「其れに、今年も良い馬を連れて来る。南部産だろう?あの黒毛。」
野次馬A「走る音の迫力からして、他の馬とは違うよなぁ〜。」
野次馬B「毎年来ている藩の乗役からは、煙たがられて、競馬の相手をして貰えないから、毎年初めて来た新入りの乗役に声を掛けて負かしているが、
今年はあの汚い栗毛の野郎が、自分から声を掛けて今から勝負するみたいだなぁ?しかし、あの馬では、南部の黒駒には勝てぬだろう?」
野次馬A「そうだなぁ、勝ち負けでは賭けに成らぬなぁ。何間離されて負けるか?賭ける事にするか?」
そんな会話を、後ろで聞いていた、浪人風の深編笠の侍が、この二人に話掛ける。
浪人「お二人さん、この氷川神社の競馬は、毎年来なさるのかい?!」
野次馬A「へえ、馬にはちと煩いが、馬術が出来る訳では御座いません。でも毎年、此処での競馬は見ております。」
浪人「黒毛の初老の侍と、柴栗毛の若い侍だが、競馬したらお二人さんは、勝つのは黒毛の侍だと思うかね?」
野次馬B「あぁ勿論。だから、どれくらいの差で勝つか?それで賭けようと、今そう言う話になっていたんだ。」
浪人「ならば、拙者は、柴栗毛の若い侍に賭けたいのだが、三人で賭ける事にせんか?」
野次馬A「本当ですか?旦那。」
野次馬B「幾ら勝負します?」
浪人「拙者が負けたら、一両ずつ払う。しかし、お前達二人が負けたら、二人で拙者に五両出す条件でどうだ?」
野次馬AB「ヨシ!乗った。」
野次馬の賭けが成立した頃に、二人は返し馬をおえて、本馬場の中央で並走しながらとまり、輪乗りになり、互いの歩調を合わせて、いよいよ、鼻面を揃えて、競馬が開始されました。
いきなり、仁科孫大夫は、出鞭をくれて黒毛をロケットスタートさせます。一間、二間、三間とみるみる最初の一周目で差を広げ、再び本馬場中央に戻って来た時には、八間ほど二頭の差は開いておりました。
野次馬A「こりゃぁ、楽勝だなぁ。仁科孫大夫。」
野次馬B「やっぱり上手いよ、生け好かない野郎だけど、馬術の腕は確かだ。お侍さん、ちゃんと、一両ずつ下さいよ。」
浪人「分かっておる。だが、柴栗毛の侍も手綱捌きは一流だ。ハミの取り方もしっかりしているから、ちゃんとペース配分が出来ている。向こう正面辺りで、勝負を仕掛けるぞ!間違いなく。」
野次馬AB「本当ですか?」
いよいよ勝負は、残り半周。此処で遂に市兵衛と柴栗毛が、先を行く仁科孫大夫の栗毛に並び掛けようと致します。
すると、此処で仁科孫大夫、鎧(あぶみ)の足を緩めて、真横に市兵衛が近付いたなら、『鎧返し』と言う反則技で、市兵衛を落馬させようと機会を狙います。
しかし、市兵衛は名人ですから、並走まで残り一馬身程に近付いた時、仁科孫大夫の片足が鎧から離れ遊びが有るのを見逃しません。
ゆっくり近付いて並走すると仁科孫大夫が、鎧返しを仕掛けて来るのを待ち構えて、その鎧返しに対して、肩透かしを喰らわして、逆に鎧返しを仕掛けます。
掟破りの逆鎧返し!!
まさか、透かして更に鎧返しを仕掛けて来るとは思わない仁科孫大夫、最後のコーナーの入口辺りで落馬転倒いたします。
是を見た市兵衛、直ぐに馬を止めて、落馬した仁科孫大夫に怪我は無いか?心配して駆け寄ります。
市兵衛「大丈夫ですか?仁科氏、怪我はありませんか?!」
仁科「卑怯ですぞ、筑紫氏、鎧返しをわざと仕掛けるとは、武士道精神に反する!其許の反則負けだ!謝りなさい。」
市兵衛「何を田分けた事を。鎧返しを先に仕掛けて来たのは、其許の方ではありませんか?!それを透かされて、返し業を喰らっただけの事。其許こそ正々堂々、負けを認めなされ!!」
仁科「何を言う!其許の反則負けだ!」
市兵衛「いいえ、貴方の負けです。」
仁科「之では埒が開かぬ!仕方ない、真剣勝負だ。」
市兵衛「仕方御座らん!筑紫市兵衛、受けて立ち申す。」
と、二人が水掛け論で、言い争いをして、遂に刀の柄に手が掛かろうとした、其の時、野次馬の群衆の中から、あの深編笠の浪人がゆっくり出て来て、笠を取り二人の仲裁に入ります。
浪人「暫く!暫く!待たれよ。此処は氷川神社の境内ですぞ、血で汚すような事があれば、双方、勝ち負けに関係なく藩の名前に傷が付きます、引かれよ。」
この浪人の言葉に、二人ともハッとして刀の柄から手を離します。是を見た浪人、更に続けて、先程の競馬での落馬に付いて語り始めます。
浪人「只今の協議に付いてご説明します。
西方、仁科孫大夫殿より、競走中の落馬は、筑紫市兵衛殿の鎧返しが原因ではないかと、物言いが付きましたが、
先に並走になるのを待って鎧返しを仕掛けたのは、明らかに仁科孫大夫殿であり、之を予見し、備えて挑み、筑紫市兵衛殿は返し業を繰り出して、天晴れ、仁科孫大夫殿を返り討ちにしただけで御座います。
よって、仁科孫大夫殿の落馬は自業自得と判断し、この勝負、筑紫市兵衛殿の勝利と裁定いたします。」
一部始終を、この浪人に言い当てられましたが、こんなもので、負けを認める仁科孫大夫では御座いません。
仁科「何を偉そうに、分かった様な事を、浪人風情が!誰だ、貴様は?!」
浪人「拙者、確かに浪人であるが、事、馬術に関しては煩い漢で御座る。元生駒讃岐守が家来、曲垣平九郎で御座る。」
曲垣平九郎!!
驚いた仁科孫大夫、兎に角、この場から逃げて仕舞おうと、黒毛に跨り馬場を駆け出しますが、直ぐに馬場に居た男から馬で追跡されて取り押さえられます。
「先生、捕まえましたぜ!」と、男が、逃げた仁科孫大夫を捕まえて、腕を絞め上げて連れ戻して参りますと、曲垣平九郎、ニッコリ笑って返します。
平九郎「ご苦労、度々平!!」
蔵人「先生、いつになったら、拙者を向井とか蔵人とか呼んで下さるんですか?拙者も、先生を和田平と呼びますぞ。」
市兵衛「之は、貴方が曲垣平九郎殿でしたか、危ないところを、仲裁頂き、誠に有難う御座います。
拙者、宇都宮奥平大膳大夫の食禄を頂戴する身分の筑紫市兵衛定雄と申します。道場主に御座います。」
こうして、偶然にも、武州大宮、氷川神社にて『寛永三馬術』の三名人が出逢うので御座いました。
さて、出逢った三人は、是からどうなりますやら?まだまだ、続く『寛永三馬術』で御座います。
つづく