福井に着いた翌朝、朝飯をしっかり食べ、朝風呂を使い、サッパリした平九郎は、度々平に連れられて、越前松平家の御厩、その部屋頭を勤める優勝(マサカツ)の元を訪ねた。

度々平「旦那、宜いですか?!交渉は万事アッシが仕切りヤスから、旦那は後ろで黙って見守っていて下さい。」

平九郎「其れは構わんが、本当に越前松平家に雇われるつもりか?!」

度々平「つもり?何を弱気な事を言うんですかぁ?!旦那。当り気、車力のコンコンチキですよ。出来ましたら、部屋頭に一両前借りして、

『立つ鳥後を濁さず パート2』で、丸岡屋には借金せずに立ち去りたいと考えております。女中のお豊さん、あの方にも二朱程のご祝儀が切れたらと思っております。」

平九郎「お前と言うやつは、実に怪しからん輩なれど、味方に付けると、本に頼りに成るなぁ〜。分かった、拙者はサッポロビールだ。」

度々平「亡くなった高倉健さんのCMですね、漢は黙ってサッポロビール。平成生まれには通じぬギャグだ。寛永のこの時代だからこそ、通じるなぁ〜。

さて、御厩の部屋頭に会う前に、少しだけ、仕上げの仕込みをする為に、アッシは城下で聞き込みをして参ります。」

そう言うと度々平、曲垣平九郎を九十九橋の袂に残し、城下の武家屋敷の方へと姿を消して仕舞うのでした。

そして半刻が過ぎて漸く戻って来た度々平、何やら念仏の様にブツブツ呟きながら、何かを暗記している様子で御座います。

度々平「では旦那、貝に成って頂いて、アッシの後から堂々と付いて来て下さい。旦那の設定は、アッシの実の兄貴ッて事でお願い致します。」

其れだけ告げると、スタスタと『御厩』の組屋敷が有る所へ向かう度々平。其れにただただ曲垣平九郎は付いて行くのみ。どちらが主人だか本に分からない様子で、組屋敷の門番に向かって、度々平が挨拶を致します。

度々平「おはよう御座います。アッシらは、御厩の部屋頭様に、昨日、丸岡屋の前で久しぶりに再開致し、此方へ訪て参る様にと、申し使った者で御座います。部屋頭の優勝(まさかつ)様は、御在宅で御座いますか?」

門番「おぉ、優勝殿のお身内か?」

度々平「ハイ、その様な者で御座います。旅籠の丸岡屋久左衛門のお窓下にてお会いしたと言って貰えば分かりますから、宜しく頼み申します。」

門番が中へ消えて直ぐに戻って来て、生憎、部屋頭の優勝は、朝の馬の世話からまだ戻っていないが、ご内儀が居らっしゃるのでと、組屋敷へ通されます。

度々平「ご内儀、お久しぶりで御座います。両三年前は、本当にお世話になりました。奥様がお作りになる『わっぱ煮』『わっぱ汁』の味が私、忘れられません。」

内儀「アラ?そうぉ、覚えてて呉れて嬉しいワぁ。アタシは越後の粟島の生まれだから、わっぱに海の幸を入れて、焼いた石を放り込む、下品な漁師料理ぐらいしか出来なくて。。。」

度々平「そんなぁ事は在りませんよ。奥様のわっぱ汁は、本当に美味かった!」

内儀「アラ、そんなに褒めて頂いたら、今日もご馳走しない訳には行きませんね。昼食はまだでしょう。お連れさんも一緒に、食べて行ってね、わっぱ汁。」

そう言うと、部屋頭のご内儀は、予め下茹でしておいたブツ切りの魚と、ハマグリやサザエなどの貝類を、わっぱと呼ばれる杉細工のやや深い桶に入れて、

そこに出汁を注ぎ、この日は、酒粕を入れて、醤油、みりんで味を整えてから、豪快に焼いた石を投入し、是をグツグツ!グツグツ!と、沸騰させます。

そして、貝類が口を開けて火が通り、その旨味成分が出汁全体に広がる頃を見計らって、大きな器に取り分けて行く、越後粟島の有名な郷土料理である。

この日は、酒粕仕立てでしたが、味噌味、醤油味、カレー味、サフランを使ってブイヤベース味などなど、お好みで味を変えて楽しめる優れ物の料理なのである。


部屋頭のご内儀は、わっぱ汁を平九郎と度々平に振る舞い、部屋頭の家の使用人三人も一緒になり、六人で賑やかにワイワイやっていると、

御厩から馬の世話を終えた、部屋頭の優勝が、昨日お窓下を通った際に連れていた若衆の幸吉と三郎の二人を連れて帰って参ります。

優勝「今、帰ってたぞ!。。。ッて、えらい奥が賑やかだなぁ〜。」

幸吉「来客みたいですね?」

三郎「馬喰か?土産物を持って、女将さんのご機嫌を取っているんですよ、きっと。」


そう言って三人が奥へ入って行くと、部屋ん中は度々平の独壇場になっていて、野郎の駄洒落混じりの見聞噺に、ご内儀も奉公人も腹を抱えて笑っておりました。

内儀「アラ?お帰りなさい。貴方が遅かったから、お昼を皆んなで頂いていた所です。」

優勝「昼間ッからわっぱ汁かい?!豪勢だなぁ〜」

内儀「だって度々平さんが、三年ぶりにお兄さんまで連れて、福井に見えたんだもの、わっぱ汁でもてなしてやらないと。」

優勝「度々平さん?!誰だ?」

度々平「親方其れはないですよ、昨日、丸岡屋のお窓下でお会いした私ですよ!両三年前に、お世話になった度々平ですよ。」

内儀「そうよ!貴方。度々平さんは、私のわっぱ汁の味も、私が春ッて名前だという事も、そして貴方が『優勝と書いて、マサカツなのも。』みんな覚えてくれてたんだから。」

優勝「そうかい、そいつは済まなかった。言い訳じゃないが、年に七、八十人の馬方や馬喰が入れ替わるし、半年足らずの馬方までは、正直、記憶に無いんだ。」

幸吉「アッシと三郎は、まだ、此方に厄介に成って一年半だから、度々平さん!貴方の事は全く存じ上げないし、三年以上昔から居る馬方何て居るのかな?」

優勝「そんな訳だ、度々平さんとやら、済まないねぇ。其れで、こっちでまた、馬方したいと言うのは本気かい?」

度々平「ハイ、出来ましたら、親方の下で、又、働かせて貰えますと有難いです。そして、またご無理に成るかも知れませんが、ここに居ます、私の実の兄貴も、一緒に雇って頂ければ、誠に嬉しい限りなのですが?!」

優勝「うちは、今、人手が足りないから二人纏めて来て呉れるなら、願ったり叶ったりだが、お前さんは知っていると思うが、仕事はきつい割に給金は安いぞ!賄いだけは付いているから、食うには困らぬけどなぁ。」

度々平「有難う御座います。アッシらは、江戸の食い詰めみたいな者ですから、住み込みで雇って頂けたら、御の字です。贅沢は言いません。」

優勝「そうかい。それなら、今日にも丸岡屋は引き払って、此処へ越して来な!部屋は沢山空いているから、下でも二階でも、好きな部屋を使ってくんなぁ。」

度々平「それと、最後にもう一つだけお願いが御座います。支度金を一両ばかり頂けませんか?その、丸岡屋の支払いを、済ませてから、此方に来たいと思いますんでぇ。」

優勝「分かった!一両だなぁ。是で今月分の給金は、二人共、前渡しだ。明日の朝から七ツ起きで働かせるから、そのつもりで頼むぞ!!」

度々平「有難う御座います。心底励みます。」

平九郎「親方、忝けのう御座る。」

優勝「所で、ご舎弟さんの方は、三年前に働いた事のある度々平さんと、名前を聞いたが、兄さんの方は?何んとおっしゃいますかなぁ?!」


と、言われて度々平も曲垣平九郎も絶句します。まさか、本名を名乗る訳にも参らず、しどろもどろになりながらも、何を思ったか?度々平、

度々平「ハイ、兄貴は『和田平』と申します。」

優勝「??? 和田平?!兄が和田平、弟は度々平と申すのか?!貴様たちは揃って林家なのか?しかも、海老名系?!

アッ!そうかぁ〜、違った。和田平、と言えば講釈ファンなら皆さんご存知、水戸藩の剣豪、田宮流居合抜の達人・和田平助正勝のアザ名よのぉ〜『和田平』

ワシも優勝・マサカツ、和田平も正勝・マサカツ、何やら縁(えにし)を感じるなぁ〜」

と、度々平が咄嗟に捻り出した『和田平』が、まさかのマサカツ繋がりで、親方からも気に入られる結果になります。

二人は、御厩の親方優勝から、一両の金子を受取、早速、支払いを済ませて、女中のお豊にもご祝儀を渡し、宿を立つ前に、前祝いと称して二人で一杯始めるのでした。


度々平「冷や冷やしましたが、何んとか上手く行きましたね、旦那。」

平九郎「お陰様で、拙者は『和田平』にさせられたらけどなぁ。其れにしても、短時間で宜くアレだけ調べて、初対面の部屋頭夫婦の事を頭に叩き込めるもんだなぁ。おそれ入谷の鬼子母神だ!」

度々平「旦那、故事によりますと『将を射んと欲すればまず馬を射よ』と申します。ですから、部屋頭に気に入られるには、女房のお春さんに好かれる事からだと思ったんです。」

平九郎「有難う!度々平。改めて礼を申すぞ。」

度々平「旦那、いや、只今からは、兄さん!と呼ばせて頂きます。どーか、馬術の腕を存分なく発揮して、越前松平六十七万石の馬術指南になって下さい。」

平九郎「無論、そのつもりだ。」


早速祝杯を上げた二人は、越前松平家『御厩』の組屋敷へと出向き、翌日から馬方として働き、厩の雑事から熟す様になります。

そして或る一日の事。部屋頭である優勝が、部屋子の馬方を全員庭に集めて、訓示をタレ始めます。

優勝「皆んな!集まったか? ヨシ、集まって貰ったのは他でもない。明日は、城の本馬場にて、責め馬がある。」

三郎「ハぁ〜、サイですかぁ!で、どの馬を責めるんでぇ?!」

優勝「先立て、加賀様より御殿が賜わられた、あの青砥鹿毛を責める事になった。」

幸吉「エッ!あ、あ、あの、青砥を!!」

優勝「加賀様お抱えの馬喰軍団が、苦労の末に、南部の九戸の平原から探し出して来た幻の名馬だ。

だが、余りに気紛れ、余りに気性が荒く、

エリモジョージか?青砥か?と、馬方仲間連中の間では有名だ。

加賀百万石の馬術指南、山形万次郎をしても、手懐ける事が出来ず、まだ、一度も人間を乗せた事の無い荒馬中の荒馬だ!!

それを、徳川家(とくせんけ)血筋からのお望みならばと、加賀様直々に進呈頂いた名馬なれば、是非とも家名にかけて乗りこなすべし!と、我が越前公が仰っておる、さて、誰が乗り熟せる?!家中に推薦する者は居るか?!」

三郎「家中では、馬廻り役首座の安西馬之丞様と、次席の朝倉勇蔵様のお二人が馬術では、一、二位では、あるが。。。」

幸吉「あの二人では、怪我をしなけりゃ、御の字でしょう。その前に、仮病を使い乗らずッて可能性だってあるくらいでしょう。」

優勝「俺もそんな所だと思う。そんな理由(ワケ)だから、馬の方の足回りの手入れを入念に頼む。」

全員「ガッテン!ガッテン!ガッテン!」


翌日、快晴に恵まれまして、もう時期四ツの鐘が鳴る時刻で御座います。城中本馬場には、大勢の藩士たちが集まり、本馬場正面には、桟敷の特別観覧席が設けられまして、

葵の御紋の入った幕で、桟敷席は囲われた中、城主である越前宰相松平忠直公が御着座になり、右脇には主席國家老田ヶ谷豊後守、左脇にはお気に入りのご側室月光ノ方様がお座りになり、

更に、桟敷より一段下の升席には、床几を並べて、次席家老水谷長門守、山田主膳・山田大膳兄弟、更には殿お気に入りの若将、青木新兵衛なども続き、責め馬の始まるのを首を長くしてお待ちに御座います。


漸く四ツの鐘を合図に、青砥鹿毛が本馬場入場で御座います。サラブレッドマーチは鳴りませんが、馬方仲間(うまかたちゅうげん)が、四人係りで、取り押さえながら、ゆっくりと厩から引き出して参りますと、

其れに合わせて、履物の腿立ちを高く上げて、鞭を片手に、襷十字に真紅の鉢巻を締めた朝倉勇蔵が、現れて桟敷の忠直公に黙礼をします。

すると、忠直公より「之れ、勇蔵、充分に仕れ!!」と、下知が飛びますと、之れに応えて朝倉勇蔵、

勇蔵「上様、此れより勇蔵、青砥鹿毛を見事乗り熟し、馬術の玄妙を殿にお見せ仕ります。」

忠直公「左様であるかぁ、見事に駆けて見せれば、その方に褒美を取らせる。充分に仕れ!」

勇蔵「御意に御座います。」


そう言うと朝倉勇蔵、ゆっくりした歩みで青砥鹿毛に近付きます。そして、ハイッと、短い号令を掛けて馬方の一人に鞍を付けさせると、見事な身の熟しでヒラリと鞍上へと舞い上がる朝倉勇蔵。

すると、是を見た四人の馬方は、馬が暴れ出す前にと、逃げる様に、馬場の外へと駆け出します。勇蔵、ゆっくりと輪乗りを掛けて、馬を馬場の北側、桟敷席から一番遠い位置まで下げて、


出鞭一発、ヒヒぃ〜ン!!


と、青砥鹿毛が嘶くと、疾風の様な低い姿勢になって走り始めます。馬場の直線は六、七十間で御座いますが、一完歩毎に青砥鹿毛は加速してどんどんスピードアップしております。

一方鞍上の朝倉勇蔵は、手綱を握り股を締めて、しがみ付くのがやっとで、馬を操る様な余裕は全く御座いません。

いよいよ左回りの角(コーナー)に差し掛かりましたが、馬は一向に曲がる気配なく、張り巡らされた葵の幕に激突する勢い!!

正に、もう激突寸前の所で、青砥鹿毛の方が、再度、ヒヒぃ〜ンと鳴いて、膜の手前で前足を高く上げて立ち上がりました。

すると、背中に屁張り付いていた朝倉勇蔵は地面に叩き付けられる様に転げ落ちて、幸いにもかすり傷で済んだのでした。


さて、是を見た忠直公は、顔を真っ赤にして怒り、朝倉勇蔵に向かって、怒鳴り付けます。

忠直公「何が『玄妙だ!』。馬を真っ直ぐにしか走らせられぬとは、越前松平家馬廻り役の名が泣くわぁ!二度と顔も見とう無い!追って沙汰致すまで、勇蔵!貴様は蟄居致せ。」

お言葉を浴びた朝倉勇蔵は、幕の外へと逃げる様に出て行くが、他の家臣は元より、馬方仲間も勇蔵には近寄って慰める者は無かった。

忠直公「安西!安西馬之丞は、之れへ参れ!!」

馬之丞「ハハッ、安西馬之丞推参仕りました。」

忠直公「馬之丞、勇蔵の醜態、見ておったか?」

馬之丞「御意、見ておりました。が、しかし、同じ馬廻り役の禄を喰む(はむ)者として情けないやら、悔しいやらで、殿!この上は、

此の安西馬之丞が、あの青砥めを、見事に操り、馬場を飛び跳ね駆け巡らせて、ご覧に入れまする。」

忠直公「あい分かった、馬之丞、充分に仕れ!!」

馬之丞「御意に!」


こちらも、サッと鞍に跨り輪乗りまでは問題なく青砥鹿毛を操りますが、イザ走り出すと鞍上に居るだけで背一杯。

そして問題の第一角(第一コーナー)へと差し掛かります。すると、朝倉勇蔵よりは多少腕が有ると見えまして、体重移動で、かなり膨らみながらも第一角は、曲がり切りましたが、

幕の内側を擦りながら、第二角(第二コーナー)手前で同じく前足を上げて立ち上がる青砥鹿毛。馬之丞は、馬の首ッ玉にしがみ付いて落ちるのを堪えます。

しかし、青砥鹿毛も去る者。今度は前足は地面に着き、後ろ足を跳ね上げて、馬之丞を振り下そうと致します。

二回、三回と、逆立ちする青砥鹿毛の攻撃を、耐えた馬之丞でしたが、四回に耐えきれずに落馬。更には、青砥の後ろ足で蹴られて、その場に気絶してしまいます。


是を見た忠直公、更に激怒!桟敷席と、その周りで床几に掛けた重役面々は、ナメクジに塩、お通夜の様に鎮まり返っております。

そんな中、幕の外に隠れて一人ぼっちの朝倉勇蔵だけが、よし!よし!と、ガッツポーズを取って居て、『是で切腹になろうと、暇を出されるにせよ、己一人にあらず!道連れが出来た。』と、心ん中で喜び、

馬之丞が青砥鹿毛に跨った時から、『失敗しろ!』『落馬だ!』『青砥、立て!立て!立て!立つんだぁ〜青砥!』と念じ続けた甲斐があったと、思うのでした。


しかし、その様な馬廻り役二人の失態の側で、鞍上を失った青砥鹿毛は、狂った様に、制御不能になって馬場を駆け回ります。

本来なら、優勝親方率いる馬方仲間が、是を止めに入るべきなんでしょうが、誰しも命は惜しいし、怪我もしたくないので、

家中一位と二位の馬廻り役を子供扱いにして、暴れている馬に、手を出すものは、勿論、一人も在りません。


さてこの時、和田平、度々平の二人は何をしていたかと見てやれば、二人して、厩の屋根に登り、一杯やって昼寝の最中で御座います。

それでも、突然、余りに騒がしくなったので、本馬場の方を見てやれば、昨日皆んなで綺麗に磨いた青砥鹿毛の馬が、狂った様に暴れていて、更には、その馬がお殿様、忠直公が座っていらっしゃる桟敷に目掛けて突進しております。

すると、是を見た度々平が、屋根の上からひらりと飛び降りて、桟敷席の前に立ちはだかり両手を大きく広げて大の字を造ります。

さっきまで狂った様に突進して来ていた青砥は、やや怯んだ様子で、それでも前足を上げ、度々平を威嚇します。

しかし、度々平、一切ひるむ様子はなく、青砥に近付き、素早く轡を取り、手綱を引き寄せると、度々平の誘導で、青砥は、右へ左へと意のままに操ります。

そして之れを繰り返している内に癇も治って来た様子で、青砥は常歩(なみあし)を使いだして、手綱からの命令に従い始めます。

こうなると、誰にでも操縦できるので、他の馬方仲間に手綱を預けて、度々平は、その場を離れようといたします。


すると、是を見ていた忠直公、「実にアッパレな下郎である!実に見事な馬のあしらいである。目通り許す!あの仲間を連れて参れ!」と、殿様からの下知が飛びます。

優勝「度々平、殿様がお前の青砥の御し方を見られて、アッパレであると仰ッて、殿様に御目通りが叶うそうだ。直ぐに桟敷席へ、俺に付いて来てくれ!度々平。」

度々平「親方には、前借りの一両の恩が有るから、参りましょう。」

そう言うと度々平、優勝に連れられて、桟敷席の前に、二人して平伏します。

忠直公「仲間奴の下郎な身分なれど、その方の馬に対する御し方、誠に見事である。願いのまま、褒美を取らせる。」

度々平「有難き幸せ!と、申しておきますが、取り敢えず、頂きたいのは、その殿座が頂いておられる御酒を、そちらの大きな三合は入りそうな丼に、二杯頂戴致したい!」

是を聞いた、若衆の青木新兵衛が、「殿に直に物申すとは、無礼千万!、下郎、如何なる料簡であるか?!下郎、恐れ多いぞ!」

忠直公「青木!宜い。私が許しておる。ささぁ、呑め!呑め!笹で良ければ、幾らでも呑め。」

度々平「ご馳走になりまする。」


そう言って度々平、殿様のお碗に酒を並々と注いで、其れを一気に呑み干して、「お代わり!」と、言って二杯、六合をペロりと頂いた。

度々平「流石、殿様が口になさる酒だ!甘露、甘露。」

忠直公「その方、名は何と申す?!」

度々平「度々平。」

忠直公「?、名を訊いておる。馬に対する掛け声を尋ねたのではないぞ、貴候の名前だ?!」

度々平「だから、アッシの名前は『度々平』です。」

忠直公「ドドヘイ?!其れは、変わった名であるなぁ〜。では、度々平。ソチはあれ程、上手にあの青砥を手懐けて見せた。

由えに、さぞ、上手に乗りこなすであろう?予は、其方が青砥を乗りこなす様子が見てみたい。度々平!青砥に乗って見せてくれ。許す、是非、一鞍責めてみよ。」

度々平「かったるいから、部屋で昼寝の予定でしたが、殿様からは二杯褒美を頂いていますから、では、少しばかりあの馬の走りを、お見せ致しましょう。ただし、もう一つだけお願いを聞いて貰えますか?」

忠直公「宜かろう!何ん也と申せ。」

度々平「しからば、殿愛用の鞍を頂きたい。其れを使い、見事、あれなる青砥鹿毛を乗り熟して見せまする。」

忠直公「そうかぁ、予の鞍が欲しいかぁ?なぜ、鞍を欲しがる?」

度々平「ハイ、理由(わけ)は簡単です。殿様がお使いになる程の鞍だ、売れば三両には成るでしょつ。だから、鞭や拍車ではなく、鞍なんです。」

忠直公「面白い!実に面白い。ヨシ、鞍を進ぜよう。三太夫!三太夫!、田中三太夫は居らぬか?」

田中「ハハッ、お呼びでしょうか?」

忠直公「何奴?!」

田中「田中三太夫に御座います。

忠直公「三太夫、何用じゃぁ?!」

田中「殿が、お呼びになられました由えに参りまして御座います。」

忠直公「そうかぁ、予が呼んだかぁ。」

田中「ハイ、お呼びになりました。恐らく用件は、築山の杉ではない、桜でもない、百日紅(さるすべり)などとは全く違う、赤松をお曳きになりたい!と、そんな御用かと存じまする。」

忠直公「違う、早く予の鞍を持って参れ!」

田中「蔵?!三太夫は怪力ヘラクレスでは御座いません。流石に蔵を持って参る腕に力量か御座いません。

しかしご安心下さい。あの地武太治部右衛門の尻を抓った『留ッこ』成れば、もしや、蔵をお持ち出来るやも知れません。

留ッこ!留ッこ!、留ッこ!殿が蔵を持てとの仰せじゃ、早々に、蔵を運び参れ!留ッこ。」

忠直公「もうよい下がれ!三太夫。狂ったなぁ?骨董や宝を仕舞う蔵ではない、馬に付ける方の鞍に決まっておる。噺の流れで分からぬか?誰か?鞍を持て!!」


殿様と田中三太夫の小ボケに周囲が和む中、殿様愛用の鞍が青砥鹿毛に付けられて、其処へ度々平、ひらり!っと跨りまして、長手綱で常歩(なみあし)を試す様に繰り返します。

やがて、輪乗りは速足、駆け足と徐々に加速して、やがて馬場を一周、二周と周回を始めます。そして、度々平が、ハイよー!!

と、一声掛けますと、青砥鹿毛、柵を飛び越えて馬場を飛び出し、遠くの方へと消え去ります。『度々平、操り損ねて青砥が暴走したのか?』

一同がそう不安になり、周囲がザワザワし出したその時、空馬になった青砥が、馬場へと走り帰って来て、又、柵を飛び越えて周回を始めます。

そして、誰もが度々平は振り落とされ落馬したと思っていた、その時、馬の横ッ腹に隠れて居た度々平が、突然、鞍上に現れたから、一同がびっくりして、ワぁーッ!と、歓声が上がります。

之れには、忠直公も大喜びで拍手されまして、扇を振って度々平に、アッパレ!を贈りなさいます。是を見た家臣や仲間が歓声を贈り、周囲が歓喜の渦に包まれます。

この声援と歓声に、屋根で寝ていた和田平こと曲垣平九郎も、目を覚まされまして、度々平の曲乗を見て驚きます。


あれは、正しく曲垣流の極意!!


丸亀に居た時に、曲垣流の秘伝の書を、度々平が盗み読んでいたのは知っては居たが、ここまで体得していたとは、流石の平九郎もびっくりして目を見張ります。

其処へ、一通りの曲乗を終えた度々平が、戻って来て、是を曲垣平九郎に見られたと知り、此方も覚悟を決めて、馬からゆっくりと降りて参ります。

度々平は、チラッと平九郎を見て鞍を持ったまんま、忠直公の桟敷席へと歩みよりますと、其処に居た一同が再度拍手で応えます。

忠直公「度々平とやら、実に、アッパレである。その方、誠、日本一の馬術の名人也。その方の様な達人が、我が藩の仲間部屋に有った事は、この上ない誉である。

よって、是より、その方を我が藩の筆頭の馬廻り役と、致したいと思うが、どうだその方、この栄誉を受けてくれるなぁ!!」

度々平「お殿様、実に有難いお話ですが、残念ながら、アッシは『日本一の馬術の名人』では御座いません。」

忠直公「では、他にその方より優れた馬術の名人が居ると申すのか?」

度々平「ハイ、御座います。」

忠直公「それは、誰だ?!苦しゅうない、申してみよ!!」

度々平「其れは、あそこに控えおります、我が兄、和田平に御座いまする。」

忠直公「何ぃ〜、そちの兄?!しかも、和田平となぁ?!分かった。苦しゅう無い、兄、和田平!目通り許す。」


こうして、和田平こと曲垣平九郎が、忠直公の御前に呼ばれまして、早速、青砥鹿毛に跨っての馬術の披露と相成ります。

勿論、秘伝の巻物を盗み読んだ度々平に操れる馬なれば、平九郎に取っては、朝飯前!ひらりと青砥に跨ると、常歩(なみあし)から速足、駆け足と、度々平の比ではなく乗り熟して、アッと言う間に、全速力での周回が始まります。

度々平の青砥を走らせる姿勢も、低く姿勢でしたが、平九郎は更に低い姿勢で、正に人馬一体、地を這うように疾走致します。

もうこの時点で、万来の拍手が起こり、忠直公も桟敷から身を乗り出して様子をご覧になられております。

更に、曲垣流秘伝の曲乗、馬上でまずは度々平が見せた、馬の側面に姿を隠す弾除けの姿勢、更には馬の下腹に抱きつく弾除けpart II

そして、曲垣流の奥義とも言える馬上に立って、弓を弾く姿勢を見せる曲垣流流鏑馬の型まで披露すると、もう、やんや!やんや!の喝采が起こりました。

そして、ゆっくり青砥鹿毛の息を整えて、馬上より降りると先ずは、馬体に異常がない事を第一に確認して、馬方仲間の幸吉に青砥を渡し、自らは、桟敷席に黙礼して下がろうと致します。

忠直公「之れ!和田平とやら、あまりに見事な馬術である!舎弟、度々平にも予は驚いたが、兄のその方には、言葉が見つからない。

其れから、どう見てもソチの馬術は、人並みの技では無く、和田平などと巫山戯た名を名乗っておるが、その方、一角の武芸者に相違ない!苦しゅう無い、本名を名乗るがよい。」

度々平「越前守様!私から、此処に控え居られる方に付いて、その素性、口上申し上げまする。

今を去る事二年前、寛永十一年二月の愛宕山において、その石段百八十五段を馬にて駆け上がり紅白の梅の枝を取って、再び駆け下りた、

三代家光公をして、『天下無双の馬術の名人』と言わしめた、元丸亀藩馬廻り役、曲垣平九郎!その人に御座います。

曲垣殿は、今、由え有って丸亀藩を浪人の身となられて居ります。何卒、お殿様、この曲垣平九郎殿を当家にて、お召抱え下さいませ!」

忠直公「ソチが、かの馬術の名人、日本一を記し愛宕神社に額が奉納されたと言う、曲垣平九郎かぁ!

当家があの青砥鹿毛を加賀様から譲られて、その扱いに苦慮していた所へ、其方が救世主として現れて、アレをあそこ迄に乗り熟してくれた。之れは神仏の御加護以外の何物にあらんや!!

加賀様にも、早速書状を贈り、あの青砥鹿毛の為に、当家越前松平家は、あの曲垣平九郎を二千石で召し抱えたと、お伝えしよう。そして、来月中秋の名月を前に、責め馬を披露し、是非、加賀様を持て成した。

三太夫!三太夫!田中三太夫は居らんか?、予は、この曲垣平九郎を二千石にて召し抱える。当家、筆頭馬廻り役、兼、次席家老だ。」

田中「田中三太夫に御座います。馬廻り役を交代の儀は、納得致しますが、次席家老は、私と重なりまする。それに、拙者、田中三太夫は千五百石に御座いますれば、近習(きんじゅう)より不満が出ます。和田平ごときを、近習になどお辞め下さい。」

忠直公「習近平(しゅうきんぺい)ではない、近習に和田平だ!、和田平は曲垣平九郎だ!三太夫、貴様なんぞより禄が高くなるのは、当たり大前田ノ英五郎だ!

貴様に暇(いとま)を出さぬ、予の情けと思え!貴様は只今より、次席家老では無く、只の家老だ。減俸致さぬだけ、有り難く思え!三太夫。」


こうして、曲垣平九郎は、二千石の禄高を持って、越前松平家に仕官が叶い、丸亀藩時代に比べると、十倍の出世を果たすのである。

度々平「遣りましたね旦那。もう、アッシは今死んでも本望だ。」

平九郎「全ては、貴様の術中に嵌った様だな、度々平。さて、『虎』などと、巫山戯た名前で、拙者の家来になった貴様は、何者だ。

ワシに、あの青砥鹿毛を乗りこなす技量を見せて仕舞った後だ、奇譚なく白状しろ!度々平。」

度々平「ハイ、実は。。。」


と、語った度々平。その正体は、筑前柳川藩、田中吉政公の家来で、向井蔵人と申します。吉政公は、かの石田三成を捕縛して、柳川の地に三十三万石を賜ったお家柄。

あの愛宕山の時、吉政公は、曲垣殿の勇姿をご覧になり、関ヶ原の血が沸る思いと、仰になりました。

残念ながら、拙者、向井蔵人は、國詰めで平九郎先生の美技、直接拝見できなんだが、先の看板馬の乗り熟し、更には只今の青砥を見れば、

我が殿、吉政公が、『是非にも、曲垣流馬術の奥義、盗んで参れ!』と、おっしゃられた理由(ワケ)が、身に染みて判り申す。

そう言う度々平、こと、向井蔵人に、曲垣平九郎、同じ武士として漢として、その忠義に打たれて、曲垣流の残る秘伝の巻物、二巻を進呈し、その労をねぎらうのでした。



つづく