曲垣平九郎は、三代将軍家光の前に傳しづき、徳川縁の名刀、物吉貞宗の小刀を賜る。この貞宗は、正宗の弟子として、鎌倉時代から南北朝時代に相模國鎌倉で活躍した刀工である。
徳川家康が、出陣の際に貞宗の刀を帯刀すると、不思議と毎回勝戦となった事から、「物が宜しい由えに吉を呼び込む」と、縁起を担いで『物吉』と言う冠を付け、貞宗を愛した事に由来する。
貞宗を手にした平九郎は、葦毛の愛馬に語りかけた。「この刀は、ワシ一人の功にあらず。其方の頑張りが有ってこその誉だ。殿より預かる十三頭の馬の中で、拙者はお前が一番だ。
馬は、速く走る事、そして持久力が有る事を、多くの馬術に精通する者は求めるが、拙者は、それよりも尚、賢き馬を愛する。そんなワシの好みに、お前は一番応えてくれる。是からも頼むぞ。」
そう呟きながら、曲垣平九郎は、葦毛の馬の立髪を撫でる様にして、言葉を続けた。
「葦毛!貴様は、かの劉備玄徳を危機から救い、檀渓の急流を渡った名馬・的盧の如く、はたまた明智左馬之助光俊が、二里十三丁二間三尺の距離、琵琶湖を乗切りした青鹿毛よりも優れたり、この働き!平九郎、生涯忘れぬぞ。」
と、さながら人に語り掛けるが如く接すると、正に言葉を理解するかの様に、「ヒヒーン!」と、一つ嘶く葦毛で御座いました。
一行は愛宕山より千代田のお城へと帰りますと、将軍家光公より曲垣平九郎へ、白銀十枚と盃が下されました。
そして、生駒讃岐守の喜び様も尋常ではなく、平九郎の百石取りの俸禄を、いきなり倍の二百石へと加増となりまして、一応平九郎、重臣と呼ばれる家臣の仲間入りで御座います。
この曲垣平九郎、この時独身で御座いまして、女房子は御座いません。と、申しますのも、家中の石松長左衛門の娘、春を嫁に貰いましたが、如何せん曲垣平九郎、酒好きに御座います。
百石取りとは言っても、十三頭の馬の飼葉料込みの俸禄であり、馬の面倒を手伝う別当も一人雇っておりましたから、平九郎の大酒呑みは、女房春の悩みの種でした。
更に、この曲垣平九郎、酒癖が必ずしも宜しく無く、酔っている時に妻の春が、平九郎に意見したり愚痴を零すと、暴力を振るうモラハラDV野郎な面が在り、
妻の春が、堪えて切れずに、父親の石松長左衛門に打ち明けると、この長左衛門、落語『癇癪』の妻静子さんの父とは異なり、
酒に酔って暴力を振るうような奴に、大切な娘を預けて置く訳には行かないと、怒りに任せて長左衛門は春を実家に戻らせてしまいます。
すると、曲垣平九郎、酒と妻を天秤に掛けまして、子供も有りませんから、是幸いとばかりに、春を離縁致します。
そして、一人居た馬係りの別当までも、暇を言い渡しまして、一人、好きな馬の世話と好きな酒三昧の暮らしをしております。
やがて、四月を迎えて生駒讃岐守は、参勤交代で江戸から讃岐丸亀へ、領地國へと帰る事になり、独身の曲垣平九郎もお伴の一人として丸亀に帰國致します。
さて、曲垣平九郎先生、二百石取りの丸亀藩馬術指南役でありながら、妻無く子無く家来無しの一人ぼっち。話し相手は十三頭の馬と言う暮らしぶり。
まぁ、奥さんが居た時も、奥さんとは会話は無くモラハラな命令だけですし、別当が居ても、此方も馬の育成に関する会話と命令で御座います。
丸亀へ来ても平九郎先生、下男下女を住まわせて、家向きの事を差せたりは致しません。かと言って当人も一切家事は致しません。
又、内弟子も取りません由え、家ん中は荒れ放題で御座いまして、通の弟子が二名居り、是が偶に飯炊きをしてくれると、家にてタクワンなど齧り食事する事も有りますが、
平九郎先生、殆ど毎日が街場の一膳飯屋にて、酒を呑みながらの外食で御座いますから、例え、二百万取りと申しても、楽な暮らしでは御座いません。
そんな十二月十一日。登城し役向きを終えて帰って来た曲垣平九郎先生、筋骨に石針を刺す様な隙間風が吹き込む家ん中、
堪らず押入れから炬燵を出して、「滅多に炬燵などの世話になる事は無いのだが。。。今日は格別、肌がゾクゾク致す、風邪を引いたか?」
と、独り言を言いながら当たっておりますと、如何やら?玄関の方から、呼び声が聞こえて参ります。
願います!お頼みしやす!真っ平御免ねぇ〜!真っ平御免ねぇ〜!
「どーれ!、どーれ!」と返事を返しながら、城下の住人の訛りが無い?誰であろう?と、思いつつ、平九郎先生広袖(どてら)を羽織って、エーぃ!面倒なぁ、と、玄関へと手に白い息を吐き掛けながら出てみれば、
この凍て付く寒さの中、薄物単を着て、使い古した三尺帯を締めて、履物の草履は地びたから鼻緒が生えている様なチビた代物。
歳頃は三十五、六。大層日に焼け赤銅色の肌に、町人髷で月代は綺麗に手入された頭に、眉毛が太く目玉がギョロッと鋭おう御座いまして、鼻筋が通り、口元は涼しく、なかやかの男前で御座います。
平九郎は、初めて見る顔に、何処のどいつだ?と、思いながら睨み付ける様に、見ておりますと、男が愛想笑いを浮かべながら口を開きます。
男「今日は、大層お寒う御座います。」
平九郎「さぞ寒いだろう、その姿(なり)では。」
男「へぇ、まぁ〜」
平九郎「それにしても、いきなり他人様の家に現れて、竹ッペラを呉れ!と、申しておったが、竹ッペラなど当家では売りおらん!早々に立ち去れ!無礼者。」
男「竹ッペラ?何ですか?そりゃぁ。」
平九郎「貴様が大きな声で申しておったではないか?!『お願いします。竹ッペラを呉れい!』と。」
男「違いますよ、真っ平御免ねぇ〜だ!御免下さいとご挨拶しただけです。」
平九郎「ならば、最初からそう言え!紛らわしい。真っ平御免!、竹ッペラ呉れい!似過ぎておる!正しい日本語を使え!」
男「申し訳御座いません。言葉がゾンザイで。」
平九郎「して、どの様な用向きで、参った?!」
男「へぃ、先生は、ご在宅でゲぇしょうか?」
平九郎「先生?誰の事だ?先生とは。」
つづく
p.s. この続きを、本来一話でお届けするつもりが、切らないとAmebaに掲載不可能と言う、そんな事態ににりましたが。
出来る限り、三代目伯山のオリジナルを忠実に伝えるべく、長い話になりました。
この『曲垣と度々平』は、現在、宝井の先生が演じる噺はもとより、六代目伯龍の其れとも全く異なります。
六代目伯龍の『曲垣と度々平』は、CDでまだ絶版じゃないから是非聴いて欲しい。
六代伯山も、是をやりますが、同じ六代目伯龍と、聞き比べて欲しい。
そして、如何に松之丞の伯山が、芸のレベル的には途上であるか?!知って欲しい。
最近、何故か?六代伯山、この噺を掛けなくなりましたよね。ファンの人!リクエストして下さい。
琴調先生とでいい、聞き比べて欲しい。グイグイ系の講釈の限界を見ますから。
そしてこんな、曲垣と度々平、他に類を見た事がありません?流石、八丁荒らしの三代目を、ご堪能下さい。
つづく