関東七人男の中に、美濃五人集が登場致します。郷戸ノ政吉、関ノ小吉、太田ノ嘉六、枇杷島ノ三蔵、そして、犬山ノ喜平で御座います。

そして、美濃五人集の一人、郷戸ノ政吉を頼って上州沼田で貸元を張った新次郎は、名を捨てて、藤右衛門と名乗り、政吉一家の食客としてひっそりと暮らして居りました。

時が流れは早く、藤右衛門が郷戸へ草鞋を脱いで三年の月日が経ちます。藤右衛門、或る日今日も今日とて、ブラブラ遊んでおりましたが、折角、美濃まで来たので、神信心がして見たいと思い立ちます。

藤右衛門「親分、折角、美濃に居りますので、甲州の身延山へと詣って見とう御座います。」

政吉「そいつは宜い思い付きだぜ、兄弟。そして、身延甲州へ行きなさるなら、参詣の帰りに『西保周太郎/西部周太郎』って貸元を訪ねて行きなぁ。俺が手紙を付けてやるから。」

この本では、甲州の侠客として登場しますが、例の番付『近世侠客有名鑑』では上野國の『西部ノ周太』で紹介されております。

Wikipediaによりますと、実際に、西部ノ周太は、甲斐國から武蔵國、上野國にも勢力があり、黒駒勝蔵に負けないくらい有名な侠客で、國定忠治や笹川重蔵より、やや昔の人物で御座います。


藤右衛門「そりゃぁ〜有難てぇ。」

政吉「其れに、奉加帳を廻してやるから、法華を廻って歩けば、二十両や三十両の銭には成る。俺が景気付けに、十両と最初(ハナ)付けて置くから。」

と、言って送りだして呉れます。美濃を出て関、太田と五人集のうち仲の良い二人の親分からも祝儀を頂き、法華の商人達からも餞別を頂戴して三十八両の路銀と小遣いが集まります。

また、甚五郎と押し入った世小田屋から奪った三百両の分前百五十両は、全く手付かずで残って居りますから、大船に乗った気持ちで旅に出る藤右衛門で御座います。

美濃太田から、多治見へと出て、南下して東海道を下るのは芸がない!そう思った藤右衛門、山道をひたすら東へと指して進みます。

そして、美濃を出て十日目に漸く、明智光秀のルーツと言われている土岐へと参りますが、無職渡世には、全く縁は御座いません。

更に東へ進むと、其処は瑞波、更には釜戸、武並、恵那で御座います。そしてやっと二十日目に、藤右衛門は中津川へと到着致します。

そして木曽路の尾根を下り阿智村、下條村を五日掛けて下り、更には、門島、飯田と信州路の尾根を三日で上ります。

此処まで野宿の連続だった藤右衛門、飯田で久しぶりにハメを外して遊びます。もう身延までは、2/3は歩き切っていますから、出発から三十五日目、意を決して喬木村、豊丘村、大鹿村、そして南アルプスの尾根を下り、四十五日目に早川を抜けて鰍沢へと到着します。

此処からは、圓朝の落語『鰍沢』でお馴染みの身延山へのアノ参詣ルートですね。アレを通り冬では御座いませんから、楽ぅ〜に身延山詣りを済ませてしまいます。


身延山参詣を終えた藤右衛門は、西部ノ周太郎親分を訪ねて西部へと向かいます。ルートは、先ず鰍沢口まで戻り、国母から甲府へ。更に、お約束の石和温泉で芸者を挙げて、精進落としのドンチャン騒ぎ。

更に更に、正徳寺、万力、小原西、七日市場と北上し、塩山、三日市場と進み更に四、五里北へ向かうと、周太郎親分が貸元を勤める西部で御座います。

ですから、恐らく、美濃國を出てから百日から九十日くらいを掛けて、途中、木曽山中や南アルプスで遭難しかかって、やっとの想いで、西部へと辿り着くのです。

周太郎「美濃の郷戸ノ政吉ドンは元気にしているかい?」

藤右衛門「ヘイ、親分も姐さんもお元気で御座います。」

周太郎「お前さんは、美濃モンかい?」

藤右衛門「へぇ、美濃は加納の生まれで、江戸表で修行しまして、武州、上州と流れて、また、故郷の美濃へ戻りました。」

周太郎「そうかい。甲州は?そうかい初めてかい。武州上州に負けず、甲州は博徒が多いから、まぁ、ゆっくり楽しんで行きなさい。」


と、西部の親分には、上州沼田郡、溝呂木村生まれの新太郎といって、江戸所払いで名を舎弟の新次郎と名乗り、沼田で貸元まで張ったが、

代官所に追われて、世小田屋を皆殺しにし逃げている何んて言えもせず、此処は美濃加納生まれと嘘をついて周太郎一家に草鞋を脱ぎます。

また、美濃は関東に比べて、遊びが地味で、特に打つ!買う!は、三年で飽きてヘキヘキしていた事もあり、身延山の参詣を口実に逃げて来た面も御座いますから、早速、甲州の賭場と岡場所・廓を遊んでみることに致します。

そうして、西部ノ周太郎一家で客分として草鞋を脱いで十日、十五日が過ぎ、甲州の遊びが、何となく分かり出した頃の事で御座います。


歳の頃は三十凸凹、粋な年増が、這うようにして一家へと入って参ります。

女「兄さん!居るかい?」

周太郎「何んでぇ〜、お秀かぁ〜、久しぶりだなぁ〜。何処か出掛けていたのかい?」

お秀「亭主に死なれて、四十九日、百日と何かとか法事が有って、其れでも半年は旅籠屋稼業を続けては来たけんど、

新盆も、済んでさぁ〜、各所に挨拶廻りをしたら、商売をやる気が失せて、旅籠屋は畳む事にしたんだよ。」

周太郎「でぇ、旅籠は売るのかい?貸すのかい?」

お秀「駄目だねぇ〜、どっちも考えたけど。建屋は古いし、温泉が有る訳でなし。又、女郎が付いている訳でなし。

偶に、シケた田舎ヤクザか盆を開帳する旅籠じゃ、買手や借り手は有りませんよ。」

周太郎「悪かったなぁ〜、シケた田舎ヤクザで。」

お秀「兄さん!やだよ、つい口が滑っちゃった。」


舌をペロッと出して、愛嬌の有る笑いをする女である。決して美人ではなく、もう大年増だが、粋な姐さんって感じの男好きのする女ではある。

この女、旅籠屋稼業を、亭主に死なれ辞めたと言う割には、派手に遊んでいる。女だてらに、賭場へ出入りをして憂さを晴らす毎日なのだ。


お秀「兄さん!ちょいと見ない顔があるじゃないか?誰だい、あの新参者は。」

周太郎「あぁ、半月ばかり前から居る客人だ。美濃加納の藤右衛門だ。俺の知り合いの郷戸ノ政吉って野郎の兄弟分らしい。ヨシ、お秀!お前さんに紹介しよう。

おーい、藤右衛門、こっちに来てくれ。俺の元兄弟分で堅気になった、去年死んだ作右衛門って奴の女房で、お秀ってんだ。茶店旅籠をやっていたが、つい最近是を畳んで、後家の身分でプラプラしてやがるんだ。困ったもんさぁ。

其れで、お秀ん家には男士が居ない。だから、子分が変わる変わる力仕事をしに行って、手伝いをしている。貴様も、時々、面倒みてやってくれ。」

藤右衛門「へーい。美濃加納の藤右衛門と申します。以後、お見知り置き下さい。」

お秀「ハイよぉ。早速、今夜は提灯持ちをしてくんなさいなぁ。」

藤右衛門「へぇ、お易い御用でぇ!」


そんな調子で、お秀が子分数人を呼び、その中に藤右衛門を時々混ぜて、引っ張り出しては、薪割りや納屋掃除をさせて、飲ませて帰していたのが、

其れが、混ぜる回数が頻繁になり、何人かで呼ばれて居たのが、藤右衛門一人になり、必ず周太郎一家へと寝に戻っていたのが、先方へお泊まりして帰らなくなります。

こうなると、子分達も周太郎も、畑の隅に生えている豆だって、熟れたら爆ぜるのが世の中の常と知っておりますから、二人は公然と男女の仲。

西部の親分も、後家のお秀が自分に近い身内と、又、夫婦に縁付くのならと思いまして、是を悪くは取りません。

そして、所謂、くっ付き合いで夫婦になっちまったのを、西部ノ周太郎が仲人になり、地元の花会で世話になっている神社の神主を入れ、正式に夫婦に致します。

其れでも、夫婦で生業を持つ訳でもなく、夫婦して博打三昧。面白可笑しく、風の向くまま、気の向くまま。暫くは呑気に暮らしておりましたが、いよいよ、藤右衛門の方が将来を見詰めて、是ではいけないと感じ始めます。


藤右衛門「オイ、お秀。ちっとばかり話がしたいんだが、どうだい?時間は取れるか?」

お秀「なんだいお前さん、急に改まって。どうかしたかい?!」

藤右衛門「どうもしないが、このまんまじゃいけないと思って。」

お秀「このまんまじゃいけないって何んだい?奥歯に物が挟まったみたいに、遠回しに言われても、私しゃ、鈍いし短気だから分からないよ。ズバリ言って頂戴。」

藤右衛門「其れじゃぁ〜言わせて貰うが、俺たち夫婦、このまま明けても暮れても博打、博打、博打だ。お前、このまんま、爺と婆になったら、生きて行けると思うかぁ?!」

お秀「難しい噺だね。そんなの考えた事ないよ。アタイは、男の持ち物で三十年生きて来たからね。」

藤右衛門「博打なんてモンは、胴を取るから旨味があるんで、張る側一辺倒で生きたらジリ貧。場が朽ちるから『博打』とは宜く言ったもんで、胴を取らねぇ〜と、食って行ける遊びじゃねぇ〜んだ。

俺も美濃へ来るまでは、上州沼田って所で貸元!親分と呼ばれて七、八十人からの子分を束ねる博徒だったから分かるんだ。このままじゃいけねぇ〜」

お秀「このまんまじゃいけねぇ〜ったって、具体的にどうやって巻き返すのさぁ〜。」

藤右衛門「お前が死ぬ気で俺に付いて来てくれるんなら、俺も漢だ!!一世一代の大勝負。美濃に帰って掛け捨ての無尽をやって、百か二百の纏まった銭を持って来ぇるぜぇ!」

お秀「本当かい?」

藤右衛門「本当さぁ。そんでだ。何をやるかと言うと、茶店旅籠を復活させるんだよ。旅籠の元は有るんだから、取り敢えず、客間と風呂に手を入れて改築する。此処に百両使うんだ。

そして、旅籠はなんてったって料理だから、江戸から良い板前、料理人も引っ張って来る。勿論、酒肴も江戸から流行りの物を仕入れるんだ。

最初(ハナ)はこの両輪で回して、銭が貯まったら、女を置いて岡場所にするのさぁ。其れには銭が居る。役人を抱き込んで商売する事になるから、郡代や取締りに賄賂(かね)もバラ撒く必要がある。」

お秀「お前さんがそこまで考えて旅籠をやると言うのなら、アタイは何処までもお前さんに付いて行くよ。」

藤右衛門「ヨシ!そう決まったなら、西部の親分に話をして、美濃行き急ごう。」


茶店旅籠の話をすると、西部ノ周太郎はえらく喜びまして、二十両の支度金まで出すと言うので、藤右衛門は、早速、美濃へと出掛けるフリを致します。

勿論、此の『掛け捨ての無尽』何んて噺は、口から出任せで、隠している世小田屋から奪った百両五十両と、何か有った時の虎の子の三十両。この合計百八十両を表に出す為の口実なのです。

こうして、藤右衛門は四ヶ月江戸に隠れて、酒肴の仕入れルートと、良い料理人探しに、邁進致します。

そして、江戸での酒問屋の株と、良い腕の料理人二人をスカウトして、沼田時代のコネクションも使い魚問屋は、『魚屋』とは名ばかりの博徒から座の株を手に入れて、直接網元から仕入れた魚を安く西部に持ち込む下地を作ります。

こうして、後は百両で、旅籠の内装と風呂を新しく造れば、藤右衛門とお秀の茶店旅籠、『すばる庵』の誕生です。

藤右衛門「お秀、今帰ったぞ。」

お秀「アンタ!お帰り。それで、首尾は?」

藤右衛門「勿論、上々。此奴が花板の徳次郎。そして、もう一人が立板の伊之助だ。明後日には、酒と米が届く。そしたら、五日毎には、旬で流行りの魚と野菜が届く手筈だ。酒と米が来たら、商売始めるぞ!!」

元の作右衛門がやっていた茶店旅籠は、一膳飯と酌婦で稼ぐような店だったのが、一年ほど休んでリニューアルオープンしてみると、屋号も単に『茶店処』って看板を上げていたのが、『すばる庵』と改めて、

江戸から届く素材と酒に、江戸から連れて来た二人の板前が腕を振るう。そして、江戸の湯屋に負けない広い檜風呂も完備しているってんで、是が大層流行ります。


そして、藤右衛門が溝呂木村を出て丸七年、十二月二十六日が又やって来ました。

お秀「昨日までは、忙しかったけど、もう今日は暇だねぇ。明日は新規の予約は無いし、連泊のお客様が立つと、今年は店仕舞い。来年、三日に十二組、二十三人のお客様から、新年になるよ!!本当に夢みたいに忙しい一年だった。

お前さんが、無尽で稼いだ銭で始めると言い出した時は、半信半疑だったけど、『案ずるより産むが易し』『下手な考え休むに似たり』だ。

あれよあれよで、三年だもの。贔屓のお客様も居て、お前さんが美濃で法華の衆に、宣伝して来たのも効果が有ったねぇ〜。」

藤右衛門「何とも、我武者羅に駆け抜けて来たって感じがするが、思い通りに行き過ぎて、恐いよ。俺みたいなモンが、堅気に染まり切って仕舞うとはなぁ。確かに夢みたいだぁ。」

お秀「もっと頑張って、もっと大きい旅籠にしようねぇ。」

藤右衛門「あぁ、其れと今日は本格的に雪が降り出しそうだし、飯の客や風呂目当ての客も、もう無かろう。早仕舞いにして、暮れ六ツ半になったら、奉公人には、風呂に入れと言ってやれ。明日で仕事納めで、正月二日の午後から仕事だ。」

お秀「『すばる庵』は、奉公人思いだねぇ〜、暮れと正月に五日も休ませるんだからさぁ。」

藤右衛門「客商売だから、奉公人の心が晴れ晴れしてねぇ〜と、お客様を大事にできねぇ〜って。」

お秀「お前さん!本当に宜い旅籠の主人になったよぉ!」


そう言ってお秀が、暖簾を下げに行くと、汚い単衣に、荒縄を帯び代わりに頬冠り、着物の裾を尻ッ端折りで半ケツ見せた、ずんぐりむっくりした野郎が転がる様に入って来た。

お秀「お客さん、悪いねぇ〜。今日はあと半刻で店仕舞いなんだ。有るだけの惣菜と、お酒は出すから、半刻だけど我慢してくれるかい?」

客「分かったよ、女将さん。取り敢えず、酒だ、二合のデカい徳利で。最初(ハナ)は冷やでいいから、二本目からは熱いのにしてくれ。肴は塩辛か、干物でいいよ、飲む時きゃ肴荒さねぇ〜から。」

男は背中を丸くして座り、ゴツい手で小さな猪口を摘む様に飲んでいる。お秀が気が利かないから、藤右衛門が湯呑みを持って、熱い徳利を届けてやると、

そのずんぐりむっくりの男が、厭な目で藤右衛門を、ジッと睨むのだった。『誰だ?こんな奴知らないぞ?』と、藤右衛門は思いつつ、

今日は七回忌かぁ〜。七年前に、十四人叩き斬って、三百両を盗んだ日だから、何んか厭な予感がするから、店を早仕舞いにしようとしたのに。。。気味の悪い客を最後に引いたもんだ。

そう愚痴りながら、藤右衛門は、奥で手酌で酒を呑みながら、おでんをつついていた。そして、例の男が、二合の徳利で三本呑み終えた時、「女将!女将!」と、お秀を呼んで何やら耳打ちをした。

すると、不思議そうな顔で、藤右衛門の方へお秀はやって来て、「アンタ、あのデブが、お前さんと、如何しても話したいそうだよ。」と言う。

この暮れの寒空に、羽織や広袖、半纏すら着ないで、単衣を着てやがる。しかも、帯は藁で作った荒縄だ。

そんな野郎が、空きっ腹で腹の底から暖かくなりたくて、無一文で一膳飯屋で酒を喰らう。宜く有る噺じゃぁ〜無いかぁ!と、日吉ミミみたいな科白が頭を過ぎる。

そんな事を考えながら、ずんぐりむっくりの野郎に、作り笑いをして、「此の家の主人、藤右衛門で御座います。女房から伺いました、何やら手前に御用があるとか?サテ、何んで御座いましょう。」と言うと!

男「今は藤右衛門と言うのかい、溝呂木の貸元。新次郎?。。。いやいや本名は新太郎親分だ。」

そう言われた藤右衛門の血の気が引いた!『誰だ?此奴???。溝呂木村に居た事を知ってやがる?だから、今日は早仕舞いだと言ったのに。。。其れにしても、誰だ?此奴。』

そんな事を心で呟いてみましたが、藤右衛門、誰だか思い出せません。

藤右衛門「どちら様ですか?『溝呂木』ッて私は、美濃國は加納の生まれで、藤右衛門で御座います。人違いじゃ、御座いませんか?!」

男「親分!白らこいのぉ〜、惚けて貰っちゃ困りますよ。俺ですよ、田沼の代官所の牢屋で一緒だった、新蔵院の所化、妙善!妙善ですよ。」と、言って頬冠りを取った。

藤右衛門「何んだ!二間の塀が飛び越えられなかったあのデブ坊主かぁ。そのデブ坊主が、俺に何の用だい?!」

妙善「七年前に、お前さんに牢屋に置き去りにされた時は、確かに『新蔵院の所化』でしたが、色々苦難の道を歩いて来て、呼び名も変わり『火の玉小僧、鬼ノ慶助』だ!!」

藤右衛門「相変わらず、声だけはデカいなぁ。」

慶助「デカい声は地声だ!」

藤右衛門「まぁ、まぁ、奉公人や女房には、新太郎、新次郎時代の事は全て内緒なんだ。取り敢えず、二階へ上がるぞ。酒肴は、俺が運ぶから、貴様は俺に付いて来い!

お秀!ちょっと、この旦那と、混み入った噺になりそうだから、二階の部屋を借りますよ。先に食事をして、風呂に入って下さい。」

お秀「いいけど、明日は、まだ仕事だから、奉公人に示しが付く様に、ちゃんと頼みますよ。」


そう言うお秀の声を聞きながら、慶助と名乗るようになった妙善を連れて、二階の奥の客間へと二人は入るのだった。

慶助「破牢する時に、俺一人残されて、あの垣根の穴にもぐずり込んで牢屋へ戻る切なさ!!貴様に分かるかぁ?!」

藤右衛門「確かに、分からねぇ〜。俺は二間の塀を飛び越えられたから。」

慶助「そんな事を言ってんじゃねぇ〜。俺はあのまんま穴へ戻って、牢に繋がれて、丸二年だ。特にチンコロした特赦も恩赦も感謝も無く。。。丸二年、あの暗い牢屋で、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、何故か?あまり痩せる事なく釈放された。」

藤右衛門「そんな事は、今、貴様が生きて現れたから、分かるさ!!俺が知りたいのは、なぜ?俺がここ、甲斐國は西部に居るって分かったんだ?

貴様は、沼田で釈放されたんだろうが?牢破りをされた、代官所の役人も来ないのにだ、何んで貴様が来るんだ?おかしいだろう!!」

慶助「其れは簡単だ。俺は上州沼田で釈放された後、直ぐに江戸へ出た。そして、沼田に居た時と同じく、呑む・打つ・買うしていたらだなぁ、


蛇の道は蛇


溝呂木の新太郎が!溝呂木の新太郎がと、お前さんの噂を耳にしたんだよ。お前さんが、魚卸しの座の株まで買って、茶店旅籠をやっているって噂は、結構、江戸じゃぁ〜有名だぜ。」

藤右衛門「其れで、牢屋に置き去りにされた愚痴を、わざわざ、江戸から甲州西部くんだりまで噺に来た訳じゃ、あんめぇ〜!!」

慶助「其れは察して下さいなぁ。この極月二十六日に、単衣モン着て荒縄の帯。裸足同然の草履履いて雪ん中を歩いて来たんだ。

今日は、七回忌で御座んすし、世小田屋の事件は有名だ。三人で襲って三百両取ったんなら、穴で留守番だった、俺にも、七年越しの百両!恵んで貰えると踏んで参りました。」

藤右衛門「全部知っての脅迫ッて事かい?」

慶助「脅迫何んて人聞きの悪い。七年越しに分け前を取りに来ただけです。」

藤右衛門「ただねぇ、妙善じゃなくて、慶助さん。銭なんて物は、有りそうで無いのが真実でねぇ。この旅籠だって、俺の代になってまだ三年だ。百両や二百両の銭を右から左へ何んて無理なんだぁ。無い袖は振れないよぉ〜。」

慶助「俺は、無理に百両、親分から取るつもりなんて無ぇ〜。出せないのなら、出せないって言って呉れて結構、ざんす。

でもねぇ〜、そうなると、アッシは鬼にならざるを得ねぇ〜。この先の大門村に代官所が御座いますよね。あそこへ、『実はすばる庵の藤右衛門ッて野郎は、田沼の代官所破りで、溝呂木村の世小田屋を襲って、十四人を殺し三百両盗んだ、新太郎で御座います。』と、

チンコロしに言って、賞金首の三十両で我慢する事になるだけなんです。もう俺は、お人好しの新蔵院の妙善じゃない!!上州無宿、火の玉小僧、鬼の慶助ですから!!」

藤右衛門「大きな声を出しなさんなぁ。」

慶助「大きな声は、地声だ!厭なら構わん。代官所へ行くまでだ。」

藤右衛門「さっきも言ったが、百両なんて銭を右から左には、無理だ。少し考えさせてくれ。女房とも相談をして、其れから算段する。決して悪い様にはしないから。」


そう言って、藤右衛門は、女中のお竹に慶助さ相手をさせて、自身はハシゴを下りて、お秀の居る帳場へと逃げ込みため息を吐きながら、冷や酒を湯呑みで煽った。

お秀「お前さん!顔色がよくないねぇ〜、ため息を吐いたりして。」

藤右衛門「厭な奴が現れたぜぇ。」

お秀「お前さんの過去を知り尽くした男だねぇ〜。牢破りや、十四人殺して三百両盗んだ噺を知られているのは、本当にまずいわよねぇ〜。」

藤右衛門「何故?お前が。。。其れを知っている?!」

お秀「何故って、あの火の玉小僧、声がデカ過ぎ!!全部、隣の部屋に居た、私に筒抜けよ。」

藤右衛門「ぬ、ぬ、ぬ盗み聞きとは、趣味、悪いなぁ!!」

お秀「気にする事はないワぁ。其れより、火の玉小僧、ヤルしか無いワぁねぇ。」

藤右衛門「全部、噺を聞いてたなら、噺が早い。『ヤル』ッて、あの糞坊主に百両やるつもりか?」

お秀「馬鹿言わないで。殺(や)る!つまり、殺すに決まっているでしょう。」

藤右衛門「殺すって、お前は簡単に言うけど、野郎は怪力で有名だったし用心深い。簡単には油断何んて見せないぞ!」

お秀「大丈夫、私が殺るから。貴方は見てて。」

藤右衛門「お前が殺るって、どうやって?!」

お秀「是よ、是。」


お秀は、細疋の所謂『シゴキ』を持って藤右衛門に見せた。


藤右衛門「そいつで、どうやって殺るんだぁ?」

お秀「まぁ、見ていて頂戴。アタイも是で、既に五、六人は、あの世に送っているんだから。」

藤右衛門「お前、何モンだぁ?!」

お秀「アタイはね、十七ん時、地元の大尽の倅を騙して三百両盗んだ事があんの。其れを父親と母親にナジられて、そん時初めて『殺意』を覚えたの。

其れに、死んでくれたら、一石二鳥。親孝行の憂いが無くなるじゃない。毒を喰らわば皿ッて言うし、両親には首吊りして貰ったワぁ。」

藤右衛門「。。。」

お秀「其れから、私の人生の邪魔をする奴は、殺る事にしたの。簡単だし、バレた事も無いしね。そして、私は、アンタを西部の兄貴ん家で初めて見た時思ったの、


アタイと同じ臭いがする


ッて、そんでアンタの女房になったの。だから、夫婦は一心同体。貴方の憂いは、私が取り除いて上げるワぁ。」

薄ら笑いを浮かべて話す、お秀を見て、凄まじい女に見込まれたもんだと、藤右衛門は思ったが、決して厭な感覚では無かった。

そして、お秀は三升の酒を、片口に注ぎ盆に乗せると、是を慶助の居る部屋へと運んだ。


お秀「若旦那!お酒のお相手を、代わりましょう。お竹、もう下がって風呂に入って食べたら寝ていいから、跡は私が全部やりますから、宜しくね!」

お竹「女将!有難う御座います。では、お先に、お休みなさい。」

お秀「お休みなさい、ちゃんと跡は閉めて行くのよ。」

慶助「是は是は、ご内儀!相済まぬ。拙者の相手などさせて。」

お秀「此方こそ、うちの人の古いご友人とか。藤右衛門は、金策に出掛けて仕舞ったので、戻るまでは、こんなお婆ちゃんで済みませんが、ささ、お一つ。」

慶助は、一人で六合呑み、藤右衛門を相手に、二合ほど更に呑んでいる。其処に、今度は茶碗で、片口から一気二合注がれて是を一気呑み。

返盃とお秀にも、茶碗酒が返されるが、お秀は慣れたもんで、是を呑まずに片口へとバレない様に返してしまう。


ささぁ、お一つ!お一つ!返盃!返盃!


と、三升持って来た酒を、二升呑ませた所で、流石の火の玉小僧も、意識が飛び首をガッくり落として動かなくなった。

すると、シゴキを取り出したお秀、是を慶助の首に二重巻きにして、飯台の上に立って、シゴキを鴨居に放り投げて引っ掛けると、勢いよく飯台から飛び降りた。

突然、座ったまんま、首を引っ張り上げられて、モガキ苦しむ慶助でしたが、お秀が全体重を掛けてグイグイ引くもんですから堪らない。

足をバタバタさせ、唐紙を蹴破った所で、痙攣を起こし泡を吹いて動かなく成りました。

お秀は慣れたもんで、ゆっくりと慶助に近くと、鼻に濡れた半紙を乗せますが、慶助は息絶えた様子で御座います。

お秀「アンタ!もう入って来ても大丈夫だよ。」

藤右衛門「何んで!お前、俺が次の間に居るのを知ってやがる?」

お秀「当たり前じゃないかぁ、アタイが万一、殺り損じたら、お前さんが困るだろうに。きっと次の間で、刀抜いて見ていると思ったよ。」

藤右衛門「しかし、恐ッそろしい殺し方するなぁ〜、隙間から見ていて、火の玉小僧に同情したぜ。」

お秀「さっ、アタイが殺したから、次はアンタの見せ場だ。この死骸を捨てて来ておくれ。」

藤右衛門「エッ!俺一人でか?」

お秀「当たり前だろう、アタイが一人で殺ったんだから、捨てるのは、アンタ一人さぁ。」

藤右衛門「分かった、行くよ。」


片口に有った酒の残りを煽りまして、火の玉小僧、鬼ノ慶助をおんぶして、九ツ過ぎに、近所の橋から川へ投げ入れるつもりで、

担いで『すばる庵』から、出てみたものの、雪は積もっているワ、慶助の死骸は重いは、硬直して動かないワ、気持ち悪いワで、

藤右衛門、結局、『すばる庵』の広い敷地からすら出られず、庭と垣根の間に、雪を被せて、慶助の死骸を仮置きして、母屋へ帰る羽目になります。


そして、運が悪い時とはこう言うモンなんですよ。暮れの極月二十六日深夜、忘年会帰りか?まさか、遅いクリスマスか?

酔って千鳥足で、西部ノ周太郎の子分で吉五郎と言う若者が、この『すばる庵』の垣根で立ちションベンをしたく成ります。

ジョンジョロリン!ジョンジョロリン!と、していると、雪が溶けて川になって流れて行きます。土筆の子ならぬ、願人坊主が、黒い単衣の衣を着て顔を出します。


もうすぐ、春〜ですねぇ?!


何処が!!吉五郎びっくりして、その黒い塊をツンツン触っていると、願人坊主が蘇生して動き出します。

慶助「生暖か〜い、此処は地獄ですか?」

びっくりした吉五郎ですが、此の上州無宿、火の玉小僧、鬼ノ慶助と言う奴を、見知っております。

其れで、誰にやられた?!と、聴くと、お前さんにションベン掛けられたと、まだ、ベロンベロンに酔った状態ですから、

是を親分、西部ノ周太郎の屋敷に連れて行って、井戸で綺麗にして、酔いも覚まして、お風呂に入れて、暖かい丹前を着せてやると、

『すばる庵』の藤右衛門とお秀夫婦に殺され掛けたと、実は、藤右衛門は、溝呂木ノ新太郎と言って、牢破りで、押し込み強盗の凶状持ちだと、全て白状致します。

すると、是を聞いた、西部ノ周太郎が怒ったの何のッて、藤右衛門には『美濃加納の生まれ』と騙され、無尽の金だと言って出した銭も、盗んだ銭に違いないと思いますし、

お秀はお秀で、兄弟分の作右衛門を殺したのでは?と言う疑惑げ湧き起こるぐらい、『女・三浦和義』的な疑念が湧き起こります。

そんな西部ノ周太郎、火の玉小僧、鬼ノ慶助には見舞金だと二十五両を渡し、翌朝是を持たせて送り出すと、

『すばる庵』は、一家の仇だ!!と、子分二十五人を引き連れて殴り込みを掛ける事になります。極月二十七日、明け六ツの鐘を聴きながら、針を落としても聞こえる様な雪ん中を、

二十六人の侠客が踏み鳴らす足音が何処までも何処までも響き渡ります。さて、藤右衛門とお秀の運命や如何に?!次回をお楽しみに。



つづく