猿の傳次の働きで、鍋掛ヶ原の『大蔦屋』を危機一髪で逃げ出した勢力富五郎は、仙台へと入り、無事に鈴木忠吉親分の屋敷に到着致します。
その鍋掛ヶ原で散り散りに成った夏目ノ新介、上州ノ友太郎の二人が、現れるとしたら、ここ鈴木忠吉の家と思いますし、
前にも申した通り、この仙台の忠吉は信夫ノ常吉親分と肩を並べる存在で、二足の草鞋を履く十手を預かる大親分なので、八州や公儀の役人の手が及ぶ心配は御座いません。
富五郎が仙台に来て十日が過ぎた頃、下総萬歳の子分、鶴吉・亀蔵の二人から文が届きます。相変わらず、間者のフリをして二人は銚子の本陣へ行き、助五郎の様子を伺っておりました。
その二人の知らせによりますと、助五郎は、完全に臆病風に吹かれて、陣屋から一歩も外へは出なくなり、自宅にすら戻りません。
ですから未だに建前は、房州三國の大親分だが、土浦ノ皆次、佐原ノ喜三郎、倉田屋文吉には、遠く及ばない存在に廃れて仕舞ったと書かれております。
実際に、十手持ちとしても、現場で召し捕りの差配をする訳でもなく、かと言って無職渡世の盆の付き合いや、色街の警備も成田ノ勘蔵と猩猩ノ宮治に任せっ切り。
そんな状態だから、命を狙うと言っても大変なだけで、本当に、差し違えるだけの価値が有る存在か?と、思えるので、暫くは奥州で熱りを冷まして下さい!とも、書かれていた。
忠吉「お前さんの子分の手紙によると、卑怯者で、臆病者の助五郎は、銚子本陣から出て来ないそうじゃぁないか?是じゃぁ〜、重蔵ドンの仇討ちも始まらないぜ!富五郎。
俺は、お前が何ヶ月、いや、何年居てくれても構わないんだ!!何んなら客分でも、身内にでも成ってくれて、此の仙台に骨を埋めて欲しいくらいだ。」
富五郎「有難いお言葉ですが、アッシは、親分は岩瀬ノ重蔵一人と決めておりますから。。。仇も討たずに奥州仙台に骨は埋められません。
夏目と上州の二人が、此方へ来ないのならば、アッシは、下総笹川に戻り鶴吉・亀蔵の子分二人と、最後まで飯岡ノ助五郎の白髪首を狙います。
此処は石に齧り付いても、あの野郎の首だけは討たないと、アッシの漢が立ちません。ご厄介に成りながら、生意気を言いますが、ご勘弁を願います。」
忠吉「そうかい、お前さんが、其処まで言うなら、俺に異存は無い。必ず、助五郎を討って重蔵ドンの墓前に報告しなさい。」
富五郎「有難う御座います、忠吉親分!この恩は生涯忘れません。」
そんなやり取りがあり、十日の後、夏目ノ新介と上州ノ友太郎が現れぬまま、勢力富五郎は、今度は街道筋の警戒が厳しく、奥州街道、水戸街道を使って笹川へは帰参できないので、
八州の裏をかいて仙台港から船に乗りまして、館山港へとまずは渡ります。そして、夜陰に紛れて銚子から萬歳に在る、元十一屋の番頭だった弥助の家を目指します。
そして勢力富五郎を送り出した鈴木忠吉は、もう二度と生きて富五郎とは逢えないだろうと、この時覚悟を致します。
そんな凶状持ちの勢力富五郎が、鈴木忠吉の家を旅だった頃、類は類を呼ぶ様に、入れ替って一人の珍客が仙台を訪れます。
客人「御免なすって!仙台の貸元のお宅でしょうか?!忠吉親分のお宅ですか?」
取次「ハイ!左様で御座います。どちら様でしょうか?!」
客人「上州郡國定村の長岡忠次の身内で、清水ノ巌鉄(がんてつ)と申します。親分さんは、御在宅でしょうか?!」
取次「ハイ!少し、お待ち下さい。」
取次の子分から、國定忠次の身内が来て居ると知らされて、直ぐに玄関へと顔を出す鈴木忠吉。
忠吉「厳鉄さんと仰るのかい?忠次は仙台に来てるのかい?」
厳鉄「へえ!此処仙台では名代の旅籠『ねずみ屋』に、昨晩は厄介になりまして、仙台に来て、貸元に逢わないのは失礼だと申しまして、アッシがご挨拶にまかり越しました。」
忠吉「そうかい!『ねずみ屋』に来てるんなら、迎えに行かずば成るまい!!おーい、誰かぁ〜駕籠を二丁頼んでくれ!ねずみ屋まで、お客さんを迎えに出る!
えーぇ、厳鉄さん!あんたは、上がって待ってて下さい。忠次の野郎は、アッシが迎えに行くから。」
厳鉄「貸元!そいつはわざわざすみません。親分も喜びます。」
忠吉は、自分が一丁の駕籠に乗り、七、八人の子分を従えて、最後尾にもう一丁、忠次を乗せる駕籠を誂えて、ねずみ屋へと参じます。
この出迎えには、國定忠次もいたく感動して、駕籠に揺られて忠吉宅へ。直ぐに、応接間へと通されると、其処には厳鉄が待って居ります。
忠次「仙台の貸元!よく迎えに来て下さった。チッとばかり、八州役人と揉めて、義理が高じて二人ばかり、又、八州役人を叩き斬ったら、忙しい身体に成っちまった。
どーせ、逃げるんなら、今度は奥州と決めて、一ヶ月ばかりは福島の信夫の貸元の世話に成っていたんだが、福島まで来て、仙台に寄らないのも悪かろうと、来てみたんだが。。。」
忠吉「いやぁ〜!よく来てくれた、嬉しいぜ。無職渡世は義理が一番だ。盗っ人や人殺は匿う事はしないが、渡世の仲間が義理を通して、逃げている時は話は別だ。
なんせ、オイラは二足の草鞋だが、岡っ引である前に、博打打ちだからよぉ。お前さんなら、何ヶ月、いや!何年居てくれたって大歓迎だぜ!!」
こうして忠吉の屋敷に厄介になる事になった國定忠次と子分の清水ノ厳鉄。翌日の事、朝の早い忠吉は、顔を洗うと神棚に柏手を打って、朝飯を書き込むと御用の筋で陣屋へ出仕します。
忠次の方はと見てやれば、久しぶりに安心してグッスリ眠れたからか?忠吉より一刻遅れて目を覚まして、「仙台は上州に負けず寒い朝だ!!」と、
師走に成った仙台の朝に震えながら、長火鉢の前に座り、ゆっくり莨でも吸いましょう!と、背中の仏壇の香の火を借りようとして、其処に在る新しい位牌が目に留まります。
俗名『勢力富五郎』
戒名は無く、『勢力富五郎』と書かれたその位牌を見た國定忠次は、「富の野郎!俺より先に死にやがったのかぁ?!」と呟きます。
そして、御用から戻った忠吉に、この位牌の事を直ぐに尋ねるのでした。
忠次「貸元!富の野郎は、死んだのかい?死んだのなら、誰に殺された?」
忠吉「まだ、船の上で、死にはしちゃいないが、野郎、かくかくしかじかで、飯岡ノ助五郎への仇討ちに行っちまった。だから、命は在るまい。」
忠次「そうかい。富五郎らしいやぁ。重蔵ドンは宜い子分を持ってやがるなぁ。」
忠吉「おう!よぉ。だから、俺一人ぐらいは、供養してやんねぇ〜と。そう思って造ったのよぉ。」
忠次「貸元らしいやぁ。子分にしていたら、富の野郎に、仙台をくれてやるつもりだっただろう?」
忠吉「分からねぇ〜けど、たらればは、詮方無いから止めようぜ!兄弟。」
忠次「貸元一人に、富の世話させるのも悪いなぁ。重蔵ドンの為にも、オイラも富の野郎を励ましてやろう!!」
忠吉「そうかい、お前さんも、富五郎と重蔵が好きかい?」
忠次「あー、あの笹川の花会以来なぁ!!」
それから、三日後、國定忠次は厳鉄を連れて、忠吉の家を旅立って行きます。忠次は凶状持ちの目立つ存在だから、忠吉に迷惑を掛けまいとしたのか?そう忠吉は思っておりました。
アさて一方、館山に着いた勢力富五郎は、夜陰に紛れて元十一屋の番頭弥助の家を訪ねます。
富五郎「弥助さん!今晩は?富五郎です。弥助さん!」
弥助「勢力の貸元!直ぐ中へ。芯張り掛けて下さい。お元気で!何よりです。」
富五郎「此方、笹川の様子は鶴吉・亀蔵からの手紙を読んで、だいたいは分かっているつもりだが、銚子本陣はどうなんだい?」
弥助「助五郎は一歩も出ては来ません。成田ノ勘蔵と猩猩ノ宮治の方はまだ、出歩いていますが、酒は外では飲まない様ですし、かなりの警戒です。」
富五郎「分かった。弥助さん、悪いが明日、鶴吉と亀蔵に繋ぎを付けて、逢わせて貰えないかい?
此処に居ると迷惑が掛かるから、奴等に隠れ家を見付けさせる。」
弥助「そんな!俺は一人だから、昼間は外に出ないで、此処に居て下さい。其れから、助五郎を襲うにしろ、勘蔵、宮治にしろ、襲撃後に逃げる隠れ家が必要になるだろう?貸元。
其れは、俺に任せてくれ!お前さんや重蔵親分には、並々ならぬ恩義がある。是はせめてもの御礼だ。襲撃した後に隠れる場所は、俺が用意するから、安心してくれ!!」
富五郎「何から何まで。。。すまない!弥助さん。」
弥助の家に昼間は隠れて居て、夜四ツの鐘を合図に、鶴吉・亀蔵が待っている諏訪神社の境内にある社務所へと向かいます。
亀蔵「親分!ご無事で。」
鶴吉「親分!お元気で何よりです。」
富五郎「おう!お前たち二人には本当に感謝している。早速だが、助五郎の様子は?!」
亀蔵「相変わらず、本陣を一歩も出ませんし、常に護衛が今でも三十人は必ず詰めて居ます。」
鶴吉「どうです?ひとます、助五郎じゃなく、勘蔵と宮治の二人を殺(や)っては?」
富五郎「鶴!何やら勝算が有りそうな、口ぶりだなぁ。」
鶴吉「へぇ、明後日の寄合には、二人揃って出る予定になっています。用心棒が、四、五人お伴には付きますが、不意を付けば殺れると思います。」
富五郎「ヨシ!なら、明後日。寄合帰りの成田ノ勘蔵と猩猩ノ宮治を襲おう。鶴吉、亀蔵!!道具を用意しろ。半弓とできれば猟銃が欲しいなぁ。」
亀蔵「分かりました、何とか用意してみます。」
一撃必殺
二度と失敗は許されない三人は、入念に打ち合せしてその日は解散した。富五郎は、弥助の家に外出せず二日過ごし、襲撃当日夜五ツ前に、寄合会場に近い銚子観音の境内裏の藪へと向かった。
既に、鶴吉と亀蔵は来ていて、猟銃は準備出来なかったが、半弓が二組用意されていたので、兎に角、勘蔵と宮治を狙って矢を放ち、手負いにした所を斬り掛かり仕留める算段で待ち受けた。
ところが!!
またしても、悪運なのか?!成田ノ勘蔵は、当日寄合に出ておらず、宮治一人だった。
鶴吉「親分!一旦引いて、次の機会にしますか?!」
富五郎「仕方ない。宮治だけでも殺るぞ!!」
当初の手筈通り、富五郎は鶴吉・亀蔵に命じ宮治へ矢を放ちます。そして、右肩と左腿に矢を受けた宮治が膝を着くと、富五郎が討って出てその首を撥ねてしまいます。
そして、驚いた様子の宮治の用心棒や子分へは危害は加えずに、三人は弥助が用意してくれた隠れ家である、通称・金毘羅山と呼ばれる山の炭焼小屋に隠れるのです。
この時の富五郎の思惑は、冬が終わるまで、この炭焼小屋に隠れて、再度、残る飯岡ノ助五郎と成田ノ勘蔵の首を狙う好機を待つ積もりでした。
そんな富五郎たち三人が、金毘羅山に隠れて四日目の昼過ぎに、彼等は思わぬ珍客に出会います。其れは、山に白い物がチラチラ舞い始めた頃でした。
勢力やぁ〜い!!やい!富ぃ〜
山々の嶺に木霊する様な野太い声が、三人が居る小屋に響き渡ります。
鶴吉「親分!お前さんの名前を呼びながら、誰か参りますぜ?!」
富五郎「役人なら、俺の名前を呼んだりしねぇ〜ハズだが?誰だ?!」
亀蔵「親分!あの岩場の向こう!!二人連れですぜぇ?!」
富五郎「アレは?!國定の貸元!!長岡ノ忠次親分だ!!」
鶴吉・亀蔵「エッ!國定忠次?!」
驚く子分二人と富五郎の方へやって来たのは、國定忠次と清水ノ厳鉄の二人でした。
忠次「久しぶりだなぁ〜、富!!元気にしていたかい?!」
富五郎「國定の貸元!!なぜ、此処に?!」
忠次「弥助さんって言ったか?あの人に笹川で聞いたら、勢力はこの金毘羅山だって言うから、ほら!!二人で三升下げて来たんだ。
なぁにぃ、俺も忙しい身体になったから、上州を逃げて奥州仙台の鈴木忠吉親分の所に、世話になりに行ってみたら、お前が下総に帰った直後でよぉ〜。
忠吉親分の家の仏壇に、富!!貴様の真新しい位牌を見付けて、忠吉親分に噺を聞いたぜ!貴様、親分が止めるのを、振り切って仙台を飛び出して此処に来たそうじゃぁねぇ〜かぁ?!
忠吉親分は、貴様みたいな宜い漢が、助五郎みたいな腐れ外道の為に、命を散らすのは、割が合わねぇ〜って仰ってるんだ。
其れに、どうせ根性無しの助の野郎は、銚子の陣屋からなかなか出て来ないぞ!!そうは言っても、死ぬまで陣屋暮らしでもなかろう?!
三年先になるか?五年先か?何時かは、家に帰る時が来る。そん時まで、お前さん、重蔵ドンに出来ない分の孝行を、鈴木の親分にしてみる気にならないかい?」
富五郎「態々、其れを言いに此の金毘羅山まで、國定の貸元に来て頂いたとは、本当に申し訳ない事ですが、勢力富五郎の親は、岩瀬ノ重蔵ただ一人で御座んす。
本当に、忙しい身体の親分に、危険を犯して来て頂いたのに。。。申し訳ねぇ〜。仙台へは、戻らず、此処で、こいつ等と重蔵親分の仇を討つ機会を待つ事に致します。」
忠次「そうかい!お前さんの覚悟が、其処まで固いのなら、俺はもう何も言わないが、鈴木の親分さんの為にも、簡単には死ぬなぁよ!勢力のぉ!!」
その日、富五郎は、忠次と厳鉄、其れに鶴吉・亀蔵の五人で、久しぶりに酒を呑んだ。病で倒れて控えていた酒が、此の日は久しぶりに、五臓六腑に染み込んだ。
翌朝、山また山の九十九折の中を、態々来てくれた國定忠次と清水ノ厳鉄の、その姿が見えなくなるまで、富五郎と鶴吉・亀蔵の三人は千切れんばかりに手を振り続けた。
其れから数日後、前夜に寝酒を一杯引っ掛け迎えた東雲告ぐる暁に、目を覚まし顔を洗い、漱手水に身を清め、飯を炊いて頂こうとしたその時、
『ワぁーワぁー!!』と言う閧の声が、木霊しながら迫って来ておりました。宮治の殺害から十日。八州の役人が二十数人と、
飯岡ノ助五郎に親の仇討ちの為、剣術を指南した、武蔵國は埼玉郡行田、十万石の譜代、松平下総守様の剣術指南役の斎藤新八郎殿、その嫡男、新十郎義勝殿を先頭に、山狩りに入って来た一団でした。
直ぐに三人は、猟銃と半弓で上の炭焼小屋から攻撃を仕掛けましたが、この一団の先頭には、古い蚊帳を釣り、これで弾や矢を防ぎながら、登って来ていて、飛び道具が空振りに終わります。
それでも、三人は炭焼小屋に立て篭り、籠城覚悟で出て来る気配は有りません。直ぐに、斎藤新十郎は、飛び道具は使えないから討って出る事を主張しますが、役人は尻込みし兵糧攻めを主張します。
やがて、硬直状態に痺れを切らした新十郎は、連れて来ていた門弟二人を従えて斬り掛かります。炭焼小屋からの半弓の攻撃を刀で払いながら、突進すると、其処には三人の死骸が横たわります。
鶴吉と亀蔵は、富五郎に介錯の上切腹し、最後に富五郎は、自ら腹を斬り自決していました。あまりの見事な最期を見た新十郎は、お伴の家来に、三人の死骸を丁重に麓の陣屋へ運ぶ様に命じます。
そして、陣屋に着いた新十郎、八州の役人たちに毒付きます。
新十郎「貴方等は、其れでも武士ですか?勢力の最期を見て、何にも感じませんか?あの最期を見て、賞金首の百両に浮かれて。。。炭焼小屋に突入すら出来なんだ、臆病者に、勢力を侮辱する資格は無い!!」
そう、言って新十郎は、勢力富五郎と鶴吉・亀蔵の三人を晒し首にはさせず、その亡骸も、弥助に頼んで、寺に葬る事を八州に認めさせます。
この様にして、笹川と飯岡の間で続いた争いは終焉を迎えて、飯岡ノ助五郎は明治維新を過ぎる迄生きて、畳の上でその生涯を全うします。此れも親孝行と観音様のご利益なのか?!
また、夏目ノ新介、上州ノ友太郎、そして、猿ノ傳次の三人は、あの鍋掛ヶ原の大捕物以降の消息は用として知れません。
完