さて、大利根河原の喧嘩から半月後、重蔵は倉田屋文吉の所を跡にして、江戸表へ寄ってから入念な旅支度をしつつ、箱根の山を越えて東海道、京・大坂から紀州を目指しておりました。

重蔵の父親と申す者は、紀州和歌山藩の藩士で、百五十石取りの家柄の次男で、岩瀬源次郎と言います。腕に覚えの源次郎、二十歳の時に、藩へ武者修行に出る事を申し出て、五ヶ年の武者修行が許されます。

和歌山を出た源次郎は、東海道を東へ下り、流れ流れて笹川の地に着きます。和歌山を出て丁度一年後の事でした。

当時から笹川に限らず下総は、兵法家・武芸者の集まる土地柄で、源次郎は、此処笹川に小さな道場を構えて、地元の漁師や百姓相手に剣術を教えながら、武者修行の武芸者が現れると、道場へと呼び寄せて、他流試合で腕を磨いておりました。

そんな源次郎は、自身の道場の近くに住む百姓与兵衛の娘、お富と深い仲になり、お富のお腹に子が宿りますと、腹がセリ出して来ますから、父与兵衛の知る所となります。

与兵衛は、若い二人を生木を裂く様な事は出来ないと、源次郎とお富の事を許してやり、十月十日が過ぎ生まれ落ちた男子が幼名を福松と申す重蔵に御座います。

やがて、平穏な時が二年半を過ぎると、藩との約束の期限である五年が迫って参りました。更に國元からの文で、病弱だった長兄が身罷ったと知らされます。

一方で与兵衛は、小さな田畑も有るから自給自足で、十分親子三人食って行けるからと、もう侍を捨てて、お前も笹川に骨を埋めなさい!と、熱心に薦めるのですが、源次郎は侍の道が捨て切れません。

又お富とて、老いた父親を残して和歌山へは行けないと考えますので、徳松とお富、そして与兵衛の三人は笹川に留まる道を選択します。


こうして、重蔵の父源次郎は妻と子を笹川に残して、紀州和歌山へと帰ってしまいます。残された三人は、やがて与兵衛は亡くなり、女手一つでお富は、徳松を育て、十五に成ると『お前は侍の子だから。。。』と、

徳松と言う名前から、重蔵へと改めます。しかし、この当時の重蔵は、親の心子知らずで、博打と喧嘩に明け暮れる無法者です。

猫の額ほどの田畑も、博打のタカに取られる始末!!お富は、重蔵の将来を心配しつつ、短い一生を終え亡くなってしまいました。

そんな生い立ちの重蔵ですが、万一、まだ父親の源次郎が和歌山で生きているのであれば、貴方が捨てた重蔵ですと、逢ってみたいと思う様になっておりました。


アさて、紀州和歌山を目指し東海道を旅する重蔵はと、見てやれば、昼間は歩き夜は旅籠に泊まる毎日で、

それでも途中、駿河の國、清水湊を通る際には、『笹川の花会』でご祝儀を頂戴した、清水ノ次郎長一家へ草鞋を脱いで挨拶をしたり致しました。

次郎長「よく来なすった重蔵ドン。ゆっくりして行ってくんなぁせい。男所帯で大したもてなしも出来ないが、酒と魚だけは売る程在るから、遠慮なく存分にやっておくんなせぇ〜。

それにしても、飯岡との喧嘩は凄かったって聞いてるぜ!噂じゃ、助五郎の身内を三百人も、叩き斬ったと言うじゃねぇ〜かぁ、本当かい?!」

重蔵「三百はやりませんよ。飯岡から舟三杯で攻めて来た人数が、二百五十ですから。恐らく七、八十は叩き斬ったとは思いますが、噂には尾鰭が付きモンです。」

次郎長「其れにしたって、八十人は凄い。伝説になるぜ!重蔵ドン、お前さんは。所で、此れからどちらへ行きなさるねぇ?!」

重蔵「途中、伊勢詣りと丹波屋の親分さんへの挨拶をして、京・大坂を見物し、會津ノ小鉄ドンの所へも挨拶だけはと思っております。それから。。。」

次郎長「それから?!」

重蔵「生きて居るのか?!定かじゃ御座んせんが、父親が紀州和歌山に居りまして、出来る事なら、京坂へ行く此の機会に逢って置こうと思います。」

次郎長「そうかい!オヤジさんが。。。そりゃぁ〜、孝行しなすったらいい。俺はもう両親ともに亡くしているから、墓参りぐらいしか孝行は出来ねぇ〜がぁ、

生きていなさるなら、後悔の無いように存分になさるといい。是は少ないが、餞別だ!取って置いて下さい。」

清水湊に来た時に、花会ではと「お返し」に三十両を次郎長へ渡したら、「餞別」だと五十両が返って来ました。有り難い!!と、旅を続ける重蔵。


清水湊を出て五日、漸く尾張の國は鳴海の宿に着いた重蔵、馬方達が集まる驛を通り過ぎますと、沖の島々へ舟を出す渡場へと差し掛かります。

其処には、舟を待つ人々を持て成す茶店が御座いまして、その茶店の緋毛氈の長椅子に、デップりと太った五十絡みの野郎が腰を下ろして居りました。

見るからに此のオヤジ、堅気では御座いません。縞の合羽に三度笠、朱鞘の大刀を落とし差し、手甲脚絆に草鞋履きの実に旅慣れた形(なり)をしております。

この男の少し離れた隣に重蔵が腰掛けて、茶店の老婆さんに茶と団子の注文を致しますと、鋭い目でチラチラ重蔵の方を男は睨みますから、思わず重蔵、心の中で呟きます。


『何だ!実に嫌な目で、こっちを睨み付けて来やがる。目明かしか?其れとも胡麻の蝿か?いずれにしても、用心した方が宜さそうだ!!』


重蔵、団子を頬張ると一気に茶で其れを腹へと流し込みまして、「茶代は此処へ置くぜ!老婆さん!?」と、言って茶屋を即立ち去ります。

街道の足を早めて二町、三町と進みますと、デップりした五十絡みの其の野郎も、意外の早足で重蔵の跡を付いて参ります。いよいよ、怪しい奴と、更に足を早めて十町も進みますが、

五十のデブの割に足が達者で、重蔵の跡をピッタリマークで、着かず離れず付いて参ります。いよいよ、鬱陶しくなった重蔵。

不意に街道から逸れて、急な崖の山路に分け入り立小便を致しておりますと、この男も連れション!と、ばかりに付いて参ります。

さてどうしたモノかと、重蔵が思案をしておりますと、意外や意外。突然、男の方から近付いて来て、ニコニコしながら声を掛けて参りました。

男「旅の人!あんさん、えろぉー足が達者でおまんなぁ?!さて、申し訳ありまへんが、一つ、火ぃ〜を貸して貰えまへんかぁ?ワテ、莨が飲みとぉーて、飲みとぉーて。

そうや!!、芝居仕立てで行きまひょう!こう見栄を切って、『卒時ながら、一つ、御貸し下されぇ〜』でしたなぁ?!」

重蔵「ハッハッハぁ〜。ひょうきんなお方だ。貴方の方こそ、歳の割に足が早い。アッシは撒こうとしたが、撒けなんだ。ささぁ、あの松の根方で一服致しましょう。」

其れから話をして見ると、このデブ。紀州和歌山の在で藤代村の藤兵衛さんと言う業界の事情通。飯岡ノ助五郎や笹川ノ重蔵の噂は紀州へも聞こえていると話すから、

実は、私がその重蔵ですと名乗る。するってーと、「和歌山の御城下で人探しなさるのなら、私の家は御城下に近いから来て下さい!!」と、誘われて、この藤兵衛と紀州和歌山までの道連に成る重蔵でした。


さて重蔵、妙に調子のいいオヤジなだけに油断ならぬと、思いつつ藤兵衛を道先案内に、紀州和歌山を目指しておりますと、

途中、伊勢詣りを済ませまして、丹波屋善兵衛一家へお邪魔した時に、この藤兵衛の素性が分かり、重蔵は大変驚く事に相成ります。

善兵衛「よく来たなぁ、重蔵!飯岡との出入りは凄かったって噂だ。何でも飯岡の身内を、お前さん!!五百人、叩き斬ったって?飯岡は人が居なくなったって、もっぱらの噂だぜぇ?!」

重蔵「清水湊の貸元にも言われましたが、清水から伊勢に来る迄に、また、二百の尾鰭が付いてますね。アッシ達が叩き斬った助五郎の身内は、たったの八十人ですから。」

善兵衛「八十人はたったじゃねぇ〜よ。所で、其方はお連れさんかい?」

重蔵「ヘイ、鳴海の驛で知り合いになった、紀州和歌山、藤代村の藤兵衛さんと仰る方です。」

善兵衛「藤代村の藤兵衛さんって、鍾馗ノ藤兵衛さんかい?!和歌山の貸元!!どっかで見たと思ったら、何時以来だ?藤兵衛さん?!」

藤兵衛「ゴッツお久しぶりです丹波屋の親分はん。アレは確か、田丸の貸元はんが、親分の仲人で祝言を挙げはった時やさかい、もう、彼此十二、三年前になりますか?」

善兵衛「もうそんな前になるかい?其れにしても、藤兵衛親分が、笹川ノ重蔵と知り合いだったとは、知らなんだぜぇ。」

藤兵衛「いえいえ、古い付き合いじゃ御座んせん。本間に、鳴海で知り合うたんです。偶々、重蔵親分が、人探しに和歌山へ行く!言うさかい、ほなら、ウチに来ヨシ!言うて、道連ですワぁ。」

此処で、初めて重蔵は、藤兵衛に心を許して、父親探しの旅である事を告白致します。


そんな道中が在りまして、重蔵と藤兵衛の二人は紀州和歌山、藤代村の鍾馗ノ藤兵衛の家へと到着します。

藤兵衛は、丹波屋善兵衛が言う通りの立派な貸元で御座いまして、子分を百二十人から抱える一家を構え、食客も常に二、三十は居ります活気溢れる家で御座いました。


関東からあの大利根河原の決闘で、飯岡ノ助五郎一家、千人を叩き斬った、笹川ノ重蔵がやって来た!!と、思いますから、下へも置かぬ歓迎ぶりです。

清水湊で三百人、伊勢では五百人ならば、和歌山に着く頃には千人でも不思議はないかぁ?!と、思う重蔵でした。

そんな鍾馗ノ藤兵衛一家でも博打が盛んに行われていましたが、関東の其れとは異なりまして、賽子を使った丁半、花札のバッタ巻ではなく、本引札による『手本引き』

関東でも馴染みのある『チョボイチ』に、似てる様にも見えますが、駆引きと銭の張り方が複雑過ぎて、重蔵には全く馴染めません。

そんな訳で、重蔵は一人裏の川へ行っては釣り糸を垂れて、鮒やハヤを取るのが日課になっておりました。

そんなある日、藤兵衛の家では、蔵の中の物を全て出し、若衆たちが天日干しにしておりました所、重蔵、その中に、半弓とその矢を見付けます。

重蔵「藤兵衛さん!この半弓をお借りしても、宜しいですかなぁ?」

藤兵衛「そないなモンで、何をなさいますんやぁ?!」

重蔵「この裏山で、山鳥か兎などを狩してみようと思います。」

藤兵衛「其れは宜しいが、裏山と申されるのは、あの兜山ですか?狩は大いに結構ですが、あの山は、ゴッつ低い小さな山ですが、深入りはあきまへん!よぉ。


鹿を追う猟師、山を見ず


と、申します。呉々も山は深入りせぬように!!エエですか?肝に命じておくなはれぇ!!」


ハイ分かりましたと、握り飯の弁当を腰にぶら下げで、半弓を持った重蔵が、兜山へと分け入ります。

藤兵衛に言われた『深入り厳禁』で、獲物を探して散策致しますが、山鳥を二回目撃し、矢は一度発射したっきり、それもハズレ。

流石に、兎の一匹くらいは仕留めたいと、欲が出て知らず知らずのうちに、山の奥へ獣道を進む重蔵でした。

分け入っても分け入っても獲物とは遭遇できない重蔵は、流石に帰ろうと踵を返しますが、アッ!また、此のチョロチョロ流れの乾いた滝だ!!

完全に、堂々巡りの悪循環にハマり、途方に暮れておりますと、チョロチョロ流れの小川の端で、仙人か?!と、見紛おう釣りをしている白髪の老人が目に止まります。

重蔵「ご老人!すいませんが、アッシは山狩に此の山へ分け入った者ですが、道に迷ってしまいました。藤代村へ降りる道をお教え願えませんか?」

老人「藤代村?!此処から戻るには、来た道を引き返すしかありません。そんな事を今からすると、村へ着くのは真夜中だ。

とても山を降りられないから、途中山で野宿になる。其れならば、私の小屋で一泊して、明日朝早くに下山しなさい。あの茅葺き屋根の小屋だ!どうですか?」

重蔵「其れは、忝い。是非、泊めて下さい。」


地獄に仏


そう思った重蔵は、老人に連れられてその住へ案内される。半弓だけを持った重蔵は、老人に申し出て、三町ほどある小屋まで、老人の獲物が入った大きな魚籠を抱える事にした。

重蔵「大漁ですね!魚は何ですか?」

老人「イワナとヤマメじゃぁ。今、釣っておいて干して保存食にするんじゃぁ。何に、今日は特別だ!貴方にもご馳走しますよ。」

重蔵「其れは、重ねて忝い。」


住宅(すまい)に入ると、意外に広い土間に食料と燃料が備蓄されていた。重蔵は、筧の水で足を洗い大きな囲炉裏の有る部屋へと上がる。

老人は手慣れた感じに、囲炉裏に鍬子を入れて火種を探り、其処へ比較的細い粗朶を放り込んで火を起こした。

更に、今度は鉈を使って、粗朶から木串を拵えて、今日釣って来たイワナとヤマメを、二匹ずつ串打ちし火に掛けた。実に手際が良い。

重蔵「慣れたモンですね、御老体。」

老人「もう、此処へ来て六年になりますから、慣れますよ。所で、貴方は、その言葉使い?!関東の方ですね?関東はどちらの國ですか?江戸?」

重蔵「関東ですが、江戸ではありません。隣國の下総です。」

老人「下総?!懐かしい響きだ。下総はどちらですか?銚子ですか?」

重蔵「銚子では御座いません。もっと、常陸の國の近くになります。」

老人「其れでは、佐原ですか?!」

重蔵「その間です。」

老人「松岸?」

重蔵「もう少し佐原寄り」

老人「小見川?」

重蔵「おしい!」

老人「東庄?」

重蔵「少し行き過ぎ!」

老人「神栖?万歳?鏑木?琴田?天粕?夏目?憚り?小松?松ヶ谷?外口?」

重蔵「八万石の地方を全て上げて、わざと笹川だけ外したね?ご老人。」

老人「すいません、からかうつもりじゃ在りませんが。。。笹川ですか?そうですかぁ。」

重蔵「それにしても、あんた!下総に明るいねぇ?!なぜ、そんなに詳しいんだい?!」

老人「昔、笹川に四年あまり住んでいましたから、旦那さんは笹川のお生まれですか?それなら、提灯屋の与兵衛さんはご存知ありませんか?

もう、生きちゃいないと思いますが、お富さんって娘さんが居て。。。ご存知ないですか?お富さん。粋な黒塀見越しの松じゃありませんよ、此のお富さんは。」

重蔵「お富さんは、死んだよ。勿論、与兵衛の爺さんも、遠の昔に。間違っていたら御免なさいだよ、お前さん!和歌山藩の藩士で、岩瀬源次郎さんじゃ、御座いませんかぁ?!」

老人「何故だい?なぜ、拙者の事を、知っていなさる?確かに、私は岩瀬源次郎だ。まさか!お前さん。。。倅の徳松!!」


重蔵は、思った程、熱い思いにはならなかった。この仙人みたいな爺さんが、己の父親かと思ったが、良く顔を見せてくれ!と、言う源次郎程、重蔵に募る思いは無かった。

源次郎は、和歌山に戻ると家督を継いで、新しい女房を貰い、源之丞と言う男子を設ける。この源之丞が今は家督を継ぎ、藩に奉公しているのである。

この親と子は、何となくよそよそしく接し、翌朝を迎えた。源次郎は、何やら書物と大きな天眼鏡を持ち出して来て、重蔵の人相見を始めた。


そして、


源次郎「やっぱりだ!重蔵、お前には、剣難の相が出ておる。特に東へ下ると、命に関わる一大事が起きる。このまま、紀州和歌山に残りなさい。

人相はやがて変わる。その剣難の相が消えてから笹川へは戻ると良い。私が見てやるから、此のまま、和歌山に残れ!!」

重蔵は、心の中で思いました。与兵衛の爺さんからオヤジ!お前さんが笹川に残らなかった様に、俺も和歌山へは残らない!イヤ、残れないんだ!!

そう思った重蔵は、口では、藤代村の藤兵衛さんに礼を言ったら、この山奥へ戻るからと、父親源次郎には嘘を付いて下山致します。


此処で父親の申し出に素直に従っていたなら、重蔵の人生は、まだまだ、長く続いたのかも知れませんが、漢、笹川ノ重蔵は、兜山で実の父源次郎と別れて、

鍾馗ノ藤兵衛には全ての事情を話すと、熊野神社にお詣りして、大坂から京都へ入り、會津ノ小鉄と会って、笹川の花会での礼を言うと、東海道を東へ下り、先ずは江戸へと向かうのでした。



つづく