天保十五年八月六日、利根川を高瀬舟三隻に乗りまして、飯岡ノ助五郎と高窓ノ半次の合掌連合が、笹川ノ重蔵一家の十一屋へ夜襲を掛けた!!

しかし、一方の重蔵方も、銚子の駿河屋留吉から勢力富五郎へと、この舟による夜襲の情報が事前に持たらされ、直ぐに迎え撃つ準備が始まります。

飯岡と笹川、諏訪神社の境内と丸木橋先の藪畳で、激しい死闘を繰り広げる事に成りますが、その現場に、なぜか?あの平手造酒が居ない!?


その理由(わけ)は、天保十ニ年七月十四日の助五郎邸襲撃事件の後に遡ります。この一年後くらいから、平手は食が細くなり、咳が止まらなくなります。

遂には、吐く息に血が混じり始め、好きな酒すら飲めなくなる。体はみるみる痩せて、立って居る事が出来ないくらいに衰弱致します。

当然、大切な先生ですから、重蔵は医者にも見せますが、所謂、労咳ですから、此の時代に利く薬は在りません。精の付く物を与えて安静にするしかない。

そこで、この大喧嘩の半年くらい前から、平手造酒は、笹川の縄張、櫻井と言う所にある比丘尼寺(びくにでら)の妙圓寺に預けられます。

此の平手を快方してくれたのが、さる大名の元姫君で父の死後仏門に入った今年十八の尼僧・妙心でした。平手造酒の三十数年の生涯で、最も平穏な時が流れたと申します。

妙圓寺に来た時は、立つのもままならなかった平手が、この頃になると朝の散歩、薪割りなんぞをして体を動かせる様になり、三度三度の食事も取れる様になっております。

と、申しますのも、尼僧・妙心の献身的な看護が有ったからこそで、妙心は当初、亡き父である殿様の面影を平手に重ねていたのですが、

食事を作り食べさせ、体を拭いてやるうちに、平手への想いが、父親の面影から愛おしく想う対象へと変わって行きます。


そんな漸く少し元気を取り戻した平手。こうなると、半年絶っている酒が呑みたくなるのが、アルコール依存症ね性で御座います。

とは言え、妙圓寺には一滴も酒は有りません。考えた平手、そうだ!櫻井ノ平助爺さんに頼んでみよう!と。

この平助、元十一屋の親分だった仁蔵の子分で、今は堅気の百姓をしております。

重蔵が一家を立ち上げた時には、既に五十八で御座いまして、長脇差続けるには厳しい年齢だった事もあり、暫くは故郷の櫻井で畑仕事をしておりました。

しかし、最近ではそれもままならず、女房のお兼と重蔵からの施しと、時々、顔を出す勢力富五郎や夏目ノ新介から貰う小遣で暮らしております。

平手「平助のとっつぁん!!居るか?」

平助「ハイ、どなた?!、何だ!平手の先生。出歩いて大丈夫なのかい?おい、婆さん!平手の先生だ、お茶を差し上げて。」

平手「茶なんぞは、いいよ。酒をくれ!酒を。」

平助「生憎だが、酒は無ぇ〜よ。コチとら、施しで生きてる身分だ、酒は無ぇ〜。其れに、有っても、先生には呑ませねぇ〜よ。その身体だ!毒だよ、毒。先生!よしなぁ。」

平手「構わん!二分渡すから、取り敢えず、二升頼む!」

平助が「いけません!」平手が「二升、頼む!」の押し問答の末に、平助が押し切られ、女房のお兼が酒を買いに出ます。

平助は、平手に少しでも呑ませまいと、自らが酒をガブ呑みしますが、しかし、五合も呑むと倒れて寝てしまいます。

一人、茶碗酒の平手造酒。味わいながら、本当に此れが最後と知るかの様に、一口ずつ噛み締める様に呑んで居ります。

そして、八ツの鐘が鳴る頃、二升を吞み干した平手造酒は、月の夜道を、フラッカ!フラッカ!妙圓寺へと帰って行きました。


流石に、玄関からはまずい!と、思った平手。裏の勝手口から、そぉーっと、そぉーっと入ります。

脱いだ下駄を懐中へ入れて、素足で廊下を足音を殺して摺り足で進む平手造酒。台所の脇から漸く、自分の部屋へ辿り着いて、唐紙を開けると!!其処には、


妙心尼僧が仁王立ち!!


妙心「こんな刻限まで、何処へ行っていたのですか?!、ウッ!臭い!!お酒を呑んでいますね?平手殿!!」

平手「臭いますか?井戸で水を飲めば良かった。。。御免なさい、平助爺さんの家へ行ったら、俺が嫌がるのを無理槍に、全快祝いだ!とか何んとか言って呑ませるんです。悪い奴です、あの野郎。」(どっちが悪い奴だ!?)

妙心「たとえ、薦められても、呑んではなりませぬ!!貴方は今がどれだけ大切な刻(とき)だか、分かっているのですか?漸く、治り掛けた今、酒を呑むなんて!毒を喰らうようなもの。」

平手「分かりました!泣かないで下さい。妙心殿、拙者は貴方に泣かれるのが、一番苦手で御座る。」

と、平手が妙心の頭を、頭巾ごしに、撫で撫でしてやり、腰の手拭いで涙を拭います。するとこみ上げる想いを爆発させた、妙心が細い平手の胸に飛び込んで、嗚咽を漏らしながら抱きしめます。

平手も、ゆっくり手を回して、妙心を抱き寄せた!その時、部屋の奥に、お邪魔虫が居りました。そう、夏目ノ新介の子分、勝蔵です。

勝蔵「お取り込み中の所、申し訳有りませんが、重蔵親分からの手紙がありまして。。。ご両人!ちょっといいですか?続きは明日にして頂いて。」


妙心は、勝蔵が来て居るのを、すっかり忘れていました。それだけ、平手の事が心配だったのです。そして、慌てて離れる二人。

平手「勝蔵!来ておったのか。。。早速その親分からの文とやらを読もう。」

渡された手紙を読み、一瞬にして険しい顔になる平手造酒。読み終えた手紙を、妙心に渡します。

平手「妙心殿。重蔵親分の一大事です。漢、平手は行かねばなりませぬ。此れが、最期になるやも知れぬ。

此れまで、妙心殿より受けた恩は、此の平手造酒、生涯忘れません。そして、此れはもう拙者には不要の品、形見分けでは無いが、受け取って下され!!」

そう言って平手は、妙心に、革の財布と備前国光の小刀を差し出した。

妙心「行かないで!平手様」

平手「止めて下さるなぁ!妙心殿。漢、平手は行かねばならぬ、それが義に生きた漢の定めなのです。泣かずに笑って送り出して下されぇ〜、妙心殿!!」


此れより先は、暫し、三波春夫の『大利根無情』をお聴き下さい。平手造酒は、多分、大友柳太郎。


https://youtu.be/Hnw-xXlNgJ8


利根の 利根の川風 よしきりの

声が冷たく 身をせめる

これが浮き世か 見てはいけない 西空見れば

江戸へ 江戸へ ひと刷毛(はけ) あかね雲


◇科白

 佐原囃子が聞こえてくらー

 思い出すなァ‥‥御玉ケ池の千葉道場か

 うふふ‥‥平手造酒も今じゃやくざの用心棒

 人生裏街道の枯落葉


義理の 義理の夜風に さらされて

月よお前も泣きたかろ

心みだれて 抜いたすすきを 奥歯で噛んだ

漢 漢 泪の 落とし差


◇科白

 止めてくださるな妙心殿

 落ちぶれ果てても平手は武士じゃ

 男の散り際だけは知っております

 行かねばならぬ そこをどいて下され

 行かねばならぬのだ


瞼 瞼ぬらして 大利根の

水に流した 夢いくつ

息をころして 地獄参りの 冷や酒飲めば

鐘が 鐘が鳴る鳴る 妙圓寺



平手造酒は、黒紋付の着流しに、博多の白献上の帯を締めて、海老鞘の大刀を落とし差しにして、勝蔵の用意した馬に跨がり、月に照らされ颯爽と!笹川の本陣へと駆け付けたのでした。



つづく