土竜ノ新助の一件が在りました翌朝は、新助は勘定を済ませて、没っ手繰られた上に、笹川一家の勢力富五郎から恥を掻かされて居りますから、

鶴屋からの帰り道は、勿論、暫くは、富五郎自身やその子分が留次郎と留吉の身辺警護、只今で申します、ボディーガードの役割を致します。

是が天保十二年の年初めの出来事で、そこから留吉の駿河屋と、勢力富五郎は、親戚同様の交際(つきあい)を、足掛け三年続けておりました、天保十五年八月六日の夕刻で御座います。


アさて、駿河屋留吉が倅の留次郎と、質屋仲間の寄合に出席するんで、吉野屋へ行こうと銚子観音を通り抜けしようとしておりました所、

一人の若い男が、物凄い勢いで駆けて行のが目に留まります。観るとそれは、洲崎ノ政吉ん所の若衆です。

留吉「オイ!政ん所の又吉じゃねぇ〜かぁ?俺の前を素通りか?!」

又吉「すいません、お見逸れしやした!駿河屋の旦那!」

留吉「そんなに慌てて、又吉、何処へ行くんだい?!」

又吉「内緒にしておくなさいよ。今日夕景から笹川へ、三年前のお盆の仕返しに討って出ようってんで、助五郎親分が高窓ノ半次親分を説得しましてね、

合掌連合の高瀬舟を三艘用意して、まさかの!利根の流れに逆らって、百八十人で夜討ちを掛けて、笹川の奴等皆殺しにする算段なんでさぁ〜。

三年前は、こっちが不意を突かれて負けましたが、今度はこっちが不意を突く番でさぁ〜。笹川相手の大喧嘩で御座んす。」

留吉「そうかい、気張りなよ!又吉。」

又吉「有難う御座んす。」

走り去る又吉をやり過ごして、直ぐに勢力富五郎の所へ、飯岡が舟で利根川添いに仕掛けて来る事を、留次郎に伝えて来い!と、走らせます。

七ツの鐘が鳴る頃に此れを聴いた富五郎が驚きます。直ぐに子分を集めて、笹川の身内に此の事を知らせ、

勢力富五郎の家から近い、夏目ノ新介、清瀧ノ佐吉の三人で、まずは十一屋の重蔵の元を訪ねて、飯岡ノ助五郎の殴り込み対策会議を持つ事に致します。


十一屋に集まった重蔵の子分と食客が、合わせて百五、六十名。竹槍、弓矢、そして鉄砲も猟銃ですが、二十丁揃いました。

まず、三人の子分、勢力富五郎、夏目ノ新介、清瀧ノ佐吉と、それに重蔵を加えた四人の軍議にて、飯岡ノ助五郎一家の襲来対策が練られました。

その結果、笹川一家を三つの組に分けて、飯岡と高窓の合掌連合を迎え討つ事が決まります。


先ずは、第一組『諏訪神社、埋伏の計』。此れは飯岡側が高瀬舟で来るとの確かな情報が、駿河屋から齎されましたから、

この上陸地点であろう利根川土手に近い諏訪神社の境内に、勢力富五郎を大将に精鋭の夏目ノ新介、清瀧ノ佐吉を始め、六十人を配置し埋伏させて置きます。

この第一組は、鉄砲・弓矢に竹槍を持って、諏訪神社の境内の垣根に潜み、静寂を作り飯岡が神社を通り、十一屋へと向かう途中を、十分引き付けてから、不意打ちを喰らわす作戦に出ます。

次に第二組『十一屋前路地、藪畳埋伏の計』。此れは、諏訪神社での襲撃を擦り抜けて、十一屋へと向かって来た敵への計略です。

諏訪神社から十一屋迄の途中の路地には、藪畳になっている所が、何箇所かあり、其処には、憚りノ忠吉、勇吉兄弟、四の宮ノ権太、熊ヶ谷半次など五十名を配置して、飯岡側を狭い路地へ追い込んで挟み撃ちにして撃退致します。

最後に第三組『十一屋裏道、対別働隊迎撃隊』。百八十人の飯岡一家が、不意打ち掛けて攻めて来るのですから、間違いなく、正面の諏訪神社から丸木橋を渡って、藪畳を抜けて攻めて来るはずですが、

もしも飯岡に、有能な軍師が居ると、三艘の舟を二対一に分けて、正面から百二十人で攻めて、残る六十人を別働隊として、利根川土手から大きく迂回して十一屋を裏道からも攻めて、挟み撃ちにする作戦かもしれません。

其の別働隊が来た場合に備えて、上州ノ友太郎、下半田村ノ庄吉、玉村ノ八五郎は、二十人二十人に分かれて、狭い裏道の利根川側と十一屋側に埋伏し、万一、別働隊が現れたなら、是を挟み撃ちにして迎撃致します。

そして最後に、笹川一家の本陣は、十一屋からやや離れた小高い丘に在る空地に、床机を並べて幕を張り、此処に重蔵がドッカと腰を落ち着けて、

最精鋭二十人の食客達が用心棒として居残り、総大将重蔵親分の警護と、イザ!と言う際の三組の応援に当たります。

尚、重蔵は、女房お糸に命じて、笹川一家の身内の女子供、そして老人たちを、全て近隣の寺に預けて避難させるのでした。


一方の助五郎の方はと見てやれば、当初、百八十人を予定していた殴り込みの兵隊が、集まりに集まりまして、二百四、五十人に達しており、高瀬舟の定員のギリギリとなっておりました。

そして飯岡側の集合場所は、松岸に在る高窓ノ半次一家の本家で、目の前の利根川には、乗り込む手筈の高瀬舟三艘が繋留されており、中には道具が準備万端!揃えて御座います。

そして、八十人以上が乗り込む、飯岡側の各舟を見てやれば、一番舟は洲崎ノ政吉と神楽獅子ノ政五郎が居りまして、

二番舟には、成田ノ勘蔵と八木村ノ伊七が、そして、殿(しんがり)の三番舟には、飯岡ノ助五郎と高窓ノ半次の両大将が乗り込みます。


此の舟、各舟に船頭が十人、漕手が前後の左右に三名ずつの計十二人、更に竿手が、漕手の間に左右三名ずつの計六人を要します。

何と言っても、松岸から笹川へと利根川の急流を逆さ落としに昇る訳ですから、なかなか、舟は進みません。実に骨の折れる事で御座んす。

しかも、この天保十五年は雨の多い年で、この日も利根川は濁流が渦を巻いておりました。



漸く、舟が笹川川岸と薦敷河岸の間、鹿野津の上がり場に舟を着けて、飯岡の二百五十人が上陸する時には、既に九ツを過ぎておりました。

一番舟から最初に降りる神楽獅子ノ政五郎が、大きな声で、後続の仲間に声を掛けます。

政五郎「必ず『相曳』をしっかり持って、落ちない様にしろよ!落ちたら命は無いぞ!!」

更に番手から降りた、洲崎ノ政吉も、大きな声で、後続の緊張感を煽る様に申します。

政吉「笹川の奴等と戦う前に、此処で落ちて死んだら犬死にだ!政五郎の言う様に『相曳』が命の綱だからなぁ?!」

一番舟から無事に八十人が降りて、続いて二番舟、三番舟と降りて参ります。利根の土手に、飯岡一家二百五十人が横一列に並び、助五郎の合図で、何の憚り無く、鬨の声を上げております。


エイ!エイ!オー!


まさか、笹川が諏訪神社から十一屋に掛けて、子分を三組に分けて、埋伏しておるとは、夢にも思いませんから、助五郎、鬨の声を上げながら、士気を高めつつ、諏訪神社へと進軍致します。

一方、鬨の声を聞いた笹川方の第一組には、緊張が走ります。その空気を読んだ富五郎が、一組六十人に号令を掛けます。

富五郎「野郎ども!飯岡の夏の虫がやって来たようだぜ!鉄砲隊は前へ陣取り構えて居ろ。発泡したら、次は矢を射掛ける。その後で、竹槍で突き捲れ!!いいなぁ、野郎ども?!」


オゥ!!


飯岡の一番舟の八十人が、諏訪神社境内に入り、此処を抜ければ、笹川村。いよいよ十一屋は目と鼻の先だ!と、高ぶる気持ちを抑えながら、進んでおりますと、

いきなり、鉄砲の乱射音が致しまして、二十人が倒れて野田討ち廻ります。間髪入れずに、矢が雨の様に射掛けられ、飯岡の一番舟の隊は大混乱です。

富五郎は、空かさず、鉄砲隊を下げて、藪畳の援護に廻りる様に指示し、彼らを第二組と合流させます。


一方、一番舟の八十人が大混乱しているのを見た二番舟の成田ノ勘蔵と八木村ノ伊七は、二番舟の隊を後方へ引いて、泥濘の広い原中を迂回して丸木橋を目指します。

そして、泥濘に足を取られて、半刻ほど掛かりましたが、何とか丸木橋を渡り、笹川村へと侵攻して、十一屋はもうすぐの所まで来て、

イザ!藪畳を通り抜けようとした時です。またしても、鉄砲の乱射音がして、今度は竹槍で、不意に襲われ、二番舟も大混乱となってしまいます。

この戦いの序盤、圧倒的に笹川優位のまま、既に飯岡は、五十から六十人の死者、戦闘不能者を出しておりました。


そしてこの様子を、やや離れた丘の上から眺めていた重蔵は、いよいよ二箇所同時に戦いが始まったが、なるべく早く終わらせて、飯岡方からも、なるべく死者を出さずに済ませたいと、願うのでした。

其れには、助五郎の首を、早く取るしかない!!その為には、どうしたら良いか?!思いを巡らせて、丘の上で腕組みをし考える笹川ノ重蔵でした。


アさて、此処までの戦いに、あの平手造酒は、参戦しておりません。其れは、どうしてでしょう?!その辺りの経緯と、

結局、平手はこの喧嘩に参戦するのですが、ご存知の通り、壮絶な最期を遂げる事になります。そんな『平手の最期』、次回をお楽しみに。



つづく