重蔵と十人の子分たちは、笹川を出ると小山の方を越えて、小南峠を抜ける近道を使って飯岡へと参ります。

一人、十一屋に留守番で居残りの平手造酒は、女房のお糸に、重蔵とのやり取りに付いて、話し始めるのだった。

平手「ご内儀、取り敢えず、独り飯岡へ斬り込む事は考え直してくれたよ、親分。しかし、精鋭の子分ばかりとは言え、たったの十人だぁ。

飯岡の子分を一人当たり五、六人相手にして戦わないと、重蔵親分は、助五郎との一対一の勝負には持ち込めねぇ〜。まだまだ、余談は許さぬ状況だ。」

お糸「では何故、先生は飯岡へ、親分を助て、付いて行かないのですか?」

平手「先程、親分と話をしてみて、俺自身の一緒に付いて行きたいと言う気持ちは、重蔵親分の、侍の用心棒の手助けなど借りたくないと言う、漢の意地の方に押し切られた。

親分は、優しい人だから、その様な露骨な物言いではなく、拙者が千葉先生に許される日が必ずや訪れて、士官が叶うから、無職渡世の義理には付き合うな!と、仰った。

だが、拙者も無駄に五年半も、此処十一屋に世話になっていた訳ではなく、剣術指南をしながら親分始め子分一同と、漢同士の付き合いをしてきたつもりだ。

だから、此の殴り込みには、拙者・平手造酒も同道して、笹川一家の窮地の際には、この北辰一刀流免許皆伝の腕で、笹川の切札と成らん!と、思います。」


そう言うと、平手造酒は、重蔵たちから遅れる事半刻を過ぎて、笹川を出発しました。距離にしまして、一里半、約6kmの遅れを、重蔵達が二里半=10km進む途中で追いつこうと言うのです。

平手は、大きな歩幅で重蔵達に追いつこうと致します。ニ升の酒が汗へと変わり、走る!走る!走る!何としても、助五郎の家に、彼等が到着する前に追いつかねば!!そう、心に誓う平手造酒でした。

其の頃、重蔵達十一人は、清瀧を超えて寒川へと入ろうとしておりました。もう、飯岡は目前です。すると、地鳴りの様な、物凄い音を立てて、背後から黒い大男の影が迫り来るのです。


新介「親分!誰か来ます?!」

重蔵「誰かって、誰だ?!」

新介「暗くて分かりませんが、かなりの大男です。」

重蔵「ヨシ、二手に分かれるぞ。道の両脇に下がって、油断するな?!何時でも長脇差を抜ける様に構えて待て!!」

全員「ヘイ!」

後ろから迫り来る大男の影に、全員の緊張が高まります。

重蔵「貴様!何者だ?」

平手「おぉ〜、良かった。間に合った。親分、拙者だ、平手造酒だ。」

重蔵「先生!何故、此処へ?!十一屋の留守番のはずじゃぁ?!」

平手「最初(はな)から、伴をと思ったが、親分が許すまいと思ったから、拙者、あの場は留守番を引き受けた。

脚力には些か自身があるので、半刻の遅れであれば親分達が飯岡へ着く前に、追いつけると踏んで笹川を出たのだが、良かった!本当に追い付て。」

重蔵「先生!それでも、此れは笹川と飯岡の問題、いや!アッシと助五郎の奴の、漢と漢の闘いです。先生は、客分。身内じゃぁ〜ねぇ。だから、此処は引いておくんなぁせぇ〜。」

平手「親分!俺は十一屋に草鞋を脱いで五年半が経つが、その間、美味しい酒を毎日喰らうばかりで、親分に何にも恩返しが出来ておらん。」

重蔵「何を言いますかぁ、『あの平手造酒が、笹川には用心棒として居る』それだけでも、飯岡の奴等には強烈な抑止力に成ってますし、

其れに、アッシや子分達に、先生は北辰一刀流を指南して下さっているじゃありませんかぁ?

それとね、先生!アッシが一番嬉しいのは、飯岡へ行くか?笹川へ行くか?悩んだ時に、私、岩瀬ノ重蔵を選んで下さった事なんですよ。

だから、先生に毎日御酒を呑んで頂くのは、至極当然の事です。恩返しだなんて、とんでもないです。」

平手「そうは申されるが、深夜とは言え助五郎の屋敷には、寝泊りしている子分、食客が五、六十人は居るだろう?

殴り込んで、万一、十一人では手に余る事態も想定されよう。そんな時に、拙者はご助成しようと申しておるのだ。

そうだなぁ、差し詰め拙者は『最後の切札』だ。万に一つの事態にならない時は、親分達の活躍を離れて見ていよう。それならば、構わぬだろう?」

重蔵「今更、帰れ!と申しても、先生はお帰りに成る気は無さそうですから、分かりました!一番後ろから付いて来て下さい。その代わり、手出しは無用に願います。」

平手「承知した。では、参ろう!!」


十二人と成った笹川ノ重蔵一家は、寒川を越えて飯岡へと入ります。飯岡と言う所は非常に道が凸凹していて、足の取られる厄介な土地で御座います。

十二人は、二度三度と転倒を繰り返しながら、泥を払って玉崎明神までやって来ます。この明神様を左に折れると、其処が飯岡の目貫通りで、

其の目貫の仕舞いにある一本松を、路地に入りますと、立派な石垣の広い家が御座いまして、其れが飯岡ノ助五郎のお屋敷です。

そして、十二人が一本松を過ぎて、助五郎の屋敷の目と鼻の先に参りました頃、遠くで聞こえる八ツの鐘が響いておりました。

十二人を代表して、まずは、夏目ノ新介が、助五郎の屋敷へ行き、取次の子分を騙して玄関を開けさせ、全員で中へと雪崩れ込む作戦を申し合わせております。

其の先鋒役の新介は、小見川の料理屋『村田』で、蝮ノ六蔵から、佐原の岸嶋屋権兵衛の娘・お峰が、助五郎の妾に成っていて、

今では女房同然で一緒に住んでいると聞いていましたので、岸嶋屋から来た使いの者に化けて、急用で岸嶋屋から来た!と言って戸を開けさせようと致します。


アさて、飯岡の屋敷の方を見てやれば、助五郎と妾のお峰は、二階の寝室に下がっておりまして、蚊帳を吊り布団へ入り寝付いたばかりで御座います。

また、大きな長脇差の一家ですから、寝ずの番をする若衆が必ずニ、三人居りまして、この日も一番下っ端の源吉と多兵衛の二人が当番でした。

源吉「もう、八ツだ。朝まではまだまだ、あるから酒でもやりながら、時を繋ごうぜ!兄弟?」

多兵衛「酒って在るのか?」

源吉「俺は持ってねぇ〜よ。」

多兵衛「俺も、無ぇ〜ぞぉ?!どうするんだ?」

源吉「台所の甕から盗むのよ、五、六合なら、バレる気遣いは無ぇ〜。」


そう言って源吉が、玄関脇の台所へ参りまして、買い置きの酒の入った甕から、酒を五合徳利に移しておりますと、玄関の方から声が致します。

新介「御免下さい!夜分すみません。佐原の岸嶋屋から参りました!主人、権兵衛からの急なお事付が御座います。此処の締まりを開けて下さい!」

源吉「ヘイ!少しお待ち下さい。」

まさか、五合徳利片手に玄関へ出る訳にも参りませんから、一旦、源吉は多兵衛の居る寝ずの番をする部屋へ戻り、

台所に居たら岸嶋屋から急な使いが来たので、一寸っと玄関へ行って来ると、五合徳利を其処へ置いて引き返します。

一方、夏目ノ新介は、玄関の脇へ隠れていて、取次が戸を開けたら、間髪入れず、其れを叩き斬る腹積りで、脇差を抜いて立って居ります。


飛んで火に入る夏の虫


源吉は、締まりを外して戸を開けますが、其処には誰も居ない?!岸嶋屋の人は何処へ?と、戸口から首を出して、月灯りで外を見た瞬間!

夏目ノ新介が、大上段に構えた刀を、思いっきり振り下ろします。


ポロり、コロコロ。。。ドバっ!。。。ズドン!!


『ポロり、コロコロ』は、斬り落とされた源吉の首が、外へ飛び出して転がる音。

『ドバっ!』は、鮮血が飛び散る音。

そして、『ズドン!』は、源吉の首なし胴体が、玄関先にうつ伏せに倒れた音。

新介が、直ぐには中へ入らず、暫く様子を伺っておりますと、今度は多兵衛が、源吉の戻りがあまりに遅いので、ヒョコヒョコ玄関へ様子を観に参ります。

多兵衛「おーい!源の字、何してんだ?アレ、寝てんのか?コッチは、まだ、呑まずに待ってたんだぞ?兄弟。

台所で、味見した酒が利いたのか?こんなの所に、突っ伏してやがって。。。何だ?器用な野郎だなぁ〜、亀の真似か?首を引っ込めやがって!!」

と、言って源吉の胴体に、多兵衛が触ろうとする所を、暗闇から新介が飛び出して、今度は、鋒で首を突いて多兵衛を仕留めます。

多兵衛は、短く『ギャっ!』と叫んで、同じくうつ伏せに倒れて絶命します。二人の取次を殺した新介は、門の脇で待つ十一人に、其れを知らせに引き返す。


一方、二階で寝て居た助五郎は、この物音で目が覚める。『何だ?』と胸騒ぎを覚えますから、直ぐに隣で寝て居るお峰を起して、別部屋の押入れに朝まで隠れていろと、指図致します。

次の瞬間、ハシゴを荒々しく上がって来る足音がするので、浴衣の上から帷子を着て、脇差を持って素足のまんま、蚊帳を飛び出して物干を伝って庭へと飛び降ります。

二階へ上がった重蔵が、襖を蹴破り助五郎の寝間へと入った、正にその時、助五郎が蚊帳を出ようとしていた。

重蔵「待ちやがれ!助五郎、俺と一対一で、勝負しやがれぇ!!」


叫びながら、蚊帳に斬り付ける重蔵。助五郎は、此れを全く相手せずに、必死で逃げます。追いつ追われつで、庭へと出た二人。

重蔵が、池の手前で助五郎に追い付き、その背中へ斬り付けますが、擦り傷程度の手答えで、助五郎が、池に掛けられた、細長い戸板を渡り切り、向こう側に在る鶏小屋の方へと逃げようと致します。

そして、同じく重蔵も戸板を渡ろうと、其れに乗った時です。助五郎が、鶏小屋の地面から拾った鶏糞を戸板目掛けて投げ付けた。


ツルん!!


鶏糞で滑った重蔵は、真っ逆さまに池へと落ちます。助五郎は、攻守逆転!!とばかりに、脇差を抜いて池の前に仁王立ち、重蔵が池の表面へ、上がって来るのを待ち構えて、突き殺そうと狙っています。

一方、池に落ちて、水底に潜っております重蔵ですが、息が続かなくなると水面へと出ざるをえません。


っと、其処へやって来たのは、平手造酒!


あの大きな歩幅を活かして、「平手造酒!見参」と叫びながらやって来る。

此れを見た、助五郎の逃げ足も早かった!直ぐに、鶏小屋の脇に在る裏木戸を開けて、外へと逃げて生き延びます。


平手の手を借りて重蔵が、池から這い上がりますと、十人の子分たちも、其の池の周りに集まります。

富五郎「親分、あいつら全員腰抜けです。アッシ達に、五、六人が斬り殺されると、直ぐに逃げ出しやがって。。。もう、この屋敷は蛻の殻です。」

佐吉「親分!屋敷に火付けてやりますか?」

重蔵「馬鹿野郎!火はダメだ。炎上して飯岡の町まで焼いたら大変だ!素人さんが、泣く様な事は、決してするんじゃねぇ〜、いいなぁ?!」

全員「ヘイ!」

重蔵「先生、本当に助かりました。先生が、池に来て下さらなかったら、アッシは助五郎の奴に刺殺されていた。恩に着ます。」

平手「なんの!最後の切札の面目躍如。」

重蔵「野郎ども!勝鬨上げて、笹川へ帰るぞ。」


エイエイオー!エイエイオー!エイエイオー!


池の周りに、輪に成った十二人の漢達の勝鬨が、飯岡の月夜に響き渡るのでした。この時の飯岡側の死者は九人、負傷者は十三人だったそうです。



つづく