そして、翌日祭の楽日。この日も同じ様に、四人は助五郎の賭場へと向かい、平手造酒一人が留守番で、鳴滝屋に居りましたが、
平手が酒を呑む事を禁止されていると、鳴滝屋一同が存じていますから、此処に居ては隠れて酒を呑む事すら出来ません。其処で。。。
平手造酒、もう最終日だから、町場の料理屋で隠れて呑んでも構わないだろうと、勝手に思い始めます。そして、決心致しまして町中へと繰り出します。
平手「若衆!履物を是へ。」
下足番「へい!お出掛けで?畏まりました。」
鳴滝屋の下足番が、外出用に貸してくれたのが、山栗の生のヤツで『鳴滝』と、重い焼印が押してあるポックリみたいな下駄です。
此の下駄を履いて、平手造酒が、ポックリ!ポックリ!言わせながら、フラッカ!フラッカ!歩いて祭の雑踏の中へと消えて行きます。
此の祭で一番繁華な通りに出た平手、その目に留まった運の悪い料理屋が『駿河屋』と言う店で御座いました。
平手「許せよ!一人だ。」
女中「いらっしゃいませ。。。お侍様!生憎の満席です。お気の毒に存じますが、またのご贔屓、お待ちしております。」
平手「祭見物に来た旅の者だ!又の機会など無い!二度と来るかぁ?!こんな田舎祭、田分けめが。。。一杯呑むだけだ、板の間で構わん、席を用意シロ!!」
女中「番頭さん!お侍様が、板の間で構わないから、呑ませろ!と、仰せです。」
奥の調理場から、敷布を若衆が持って来てくれて、座敷と土間の境の板の間に敷いてくれたので、片足脱いでドッカと胡座をかいた平手造酒。
平手「酒を五合、燗で頼む。速い肴は何だ?」
女中「かつをの刺身なら、直ぐに。」
平手「ヨシ!鰹だ。其れと酒は、猪口などではなく、湯呑で頼む。」
直ぐに五合の酒と、かつをの刺身が出て来て、直ぐに五合の酒を呑み干す平手、間髪入れず五合の酒のお代わりを頼む。
鰹を一皿食べてお伴に酒五合。このセットを、お代わり!お代わり!と、アッと言う間に、三つ平らげた平手造酒。一つやる毎に、目つきが険しくなり顔色が蒼くなります。
此れを見ていた、周囲の客が気味悪がりまして、一人、又一人と、勘定を済ませて出て行きます。そして、半刻も過ぎると、駿河屋は平手一人の貸切状態に。
平手「若衆!席を此の板の間から、玄関入口に近い席へ移動するぞ。」
若衆「へい!酒と刺身はアッシが運びますんで、彼方へどうぞ!!」
フラッカ!フラッカ!席を移る平手造酒。そして、表の祭の様子を見ながら、酒が呑みたい!と、我が儘を言い出しまして、入口の戸を開け放ち、暖簾は取り除く様に命じます。
料理屋の玄関口に、怖くて蒼白い顔をした武士が、酒をグビグビやりながら、ブツブツ独り言をいって通せん坊している駿河屋へ、新たな客など入って参りません。
此れには、駿河屋の主人源兵衛は困り果てます。
源兵衛「喜助!喜助!番頭さん」
喜助「へい」
源兵衛「喜助、へいじゃないよ。何んなんだあの客は?何故、あんな疫病神を、お前は引き込むんだ!」
喜助「旦那様!アッシが是非にと引き込んだんじゃありません。向こうから勝手に来て、満席だと断るのに、板の間に上がり込んだんです。」
源兵衛「そんな事はどうでも宜い!!早く、番頭のお前が、あの客を説得して店から追い返しなさい。そうでないと、一年に一度の一番の掻き入れ時が不意になるからね!!お前の責任だよ。」
喜助「旦那、そんな事言っても無理ですよ、あの侍は。さっきから私が『呪文(おまじない)』を唱え続けていますが、一向に利く気配が在りませんから。。。」
源兵衛「馬鹿かぁ?貴様は。呪文なんかで退散するもんかぁ!!言葉で説得して帰って貰いなさい。」
喜助「言葉でって。。。何て言うんです?嫌ですよ、機嫌を損ねたら、人斬り包丁、持って居るんですから、斬られたくありません。」
源兵衛「我が儘を言うなぁ!喜助。お前が、早くあの侍を、何とかしなさい。でないと、明日から暇を出すぞ!!いいなぁ?!」
喜助「そんなぁ〜、旦那?!奉公人ですが、命までは差し上げられません。取り敢えず、私が機嫌を取りながら、機を見て帰る様に、仕向けてみます。」
平手「番頭!酒、追加で五合だ。あと、鰹は腹がクチて来たからもう宜い!肴は、何んぞ軽い物は無いか?」
喜助「軽い肴ですか?酒盗など如何ですか?」
平手「鰹の次が、酒盗かぁ?!宜いなぁ、洒落ておる。気に入った!番頭!贔屓にするぞ。」
喜助「有難う御座います。あのぉ〜、酒は、まだまだお召し上がりますか?」
平手「何だ?売り切れそうか?拙者、まだ、二升しか呑んどらんぞ?売り切れそうなら、仕入れに行け?」
喜助「売り切れる心配は有りませんが、お侍様が、あと何升ぐらい呑むつもりなのかなぁ〜、何て思いましてねぇ。」
平手「まぁ、あと二、三升だ!それより、外のあの黒山の人だかりは、何んだ?」
喜助「アレは、団子屋の婆さんの予藝でして、団子屋の婆さん、白い犬を飼ってましてねぇ、その白犬に団子を食わせると、犬が藝をするんです。其れを見たさに、あの様に人集りがしておるのです。」
平手「何だ?犬が藝を見せるのか?」
喜助「ハイ、そうです。なかなか、賢い犬でして、白犬は人間に生まれ変わると申しますでしょう?団子屋の婆さんの喋る言葉を理解して、藝を見せてくれるんですよ。」
平手「何ぃ〜!誠か?ワシも、その白犬の藝が見たい!番頭、直ぐに団子を買って参れ!!」
喜助「承知しました、直ぐに買いに行きます。団子は何本買って参りますか?」
平手「それでは、貴様に小判で一両渡す。よって、是で買えるだけ団子を仕入れて参れ!!」
喜助「畏まりました。」
平手は紙入れから小判を出して喜助に渡し、喜助はそれで、団子屋から犬藝付きの三色団子を買って参ります。
喜助「旦那!団子です。このお鉢に山盛り買占めました。今日は売り切れだそうです。二分のお釣りと、此れが三色団子です。」
平手「ご苦労!釣りは要らん、貴様にやる!手間賃だ!取っておけ。」
喜助「お有難う御座います。」
二分の銭を懐中へ入れて、天まで登る調子で喜ぶ番頭の喜助。
喜助「お侍様、今、団子屋の前で白犬が藝を披露していますが、婆ぁが申すには、往来の客の団子が無くなり次第、駿河屋の店内に来て、藝を披露するそうです。」
そして、半刻程の時が流れて、平手造酒が四升五合の酒を呑み干した頃、団子屋の婆さんが白犬を連れて、駿河屋へとやって参ります。
婆「御免下さい、団子屋兼犬の曲芸をお見せする者に御座います。」
平手「待っておったぞ?!早速、藝を披露してくれぇ!!」
婆「其れでは、お武家様、その団子を犬にお恵み下さい。先ずは、お辞儀をさせてご覧に入れまする。」
平手は、鉢の団子から串を抜いて、ヨモギ色の緑の団子を、白犬に投げ付けると、犬は美味そうにその団子を食べます。
次に婆さんが、口に出して白犬に、『お辞儀!』『お辞儀!』と声を掛けます。すると、白犬は二足歩行で立ち上がり、上半身をくの字に曲げてお辞儀を致します。
平手「凄いなぁ!声を掛けただけで、なぜ、白犬は藝をするんだ?婆ぁ〜!!」
婆「この白犬は、人間の言葉を理解します。ですから、言葉による指図で、藝を披露するのです。次は、お武家様が好きな藝を、この白犬にやらせます。チンチンか?それとも逆立ちか?選んで下さい。」
平手「ヨシ!ならば、逆立ちをやらせてくれ!!逆立ちで頼む。」
婆「では、団子をお投げ下さい!お武家様。」
そう言われた平手が、白犬に団子を投げたが、流石に、団子を貰い過ぎて腹が一杯に成ってしまったのか?白犬は、後すざりして外の方へと下がります。
其れを見た平手が、また、新しい団子を鉢から取って白犬に投げる!白犬、更に後すざりをする。団子を投げる!後すざりする!が、三回、四回と繰り返されて、五回目でした。
平手の手から離れた団子が、やや、白犬の方から逸れて、外の往来を歩く侍の面体、頬っぺたに思っ切り当たってしまう。
「無礼なぁ!!」
と、その侍が叫ぶと、団子の当たった侍の頬っぺたを、白犬が飛び掛かって、ペロペロと舐め回して、その後、白犬は侍を馬鹿にするかの様に、その周りを、逆立ちしてグルグル回って見せるのでした。
是には、外に居た見物客も、そして、駿河屋の奉公人一同も、勿論、平手造酒も、腹を抱えて大笑いです。
しかし、ただ一人笑って居られないのが、面体に団子を当てられた侍です。
侍「無礼者!誰だ、拙者の面体に団子をぶつけた奴は?それに、もう一人。この白犬の飼主も許す訳にはいかぬ。出て参れ!!」
平手「団子を投げたのは、拙者だ。ただ、白犬の飼主の婆さんは関係ない。拙者が、藝を見せろ!と、命じたまでだ。
おい!番頭、手拭いを湿して持って来てくれ、拙者の投げた団子が、頬っぺたに当たった御人が汚れを落としなさる。それ!是で顔を綺麗になされると良い。申し訳ない!すいませんでした。」
謝罪して頭を下げた平手が、濡れた手拭いを侍に渡し、渡された侍が、汚れた頬っぺたを拭いていた、
すると其処へ、飯岡助五郎の子分二人が現れますと、この場の空気が一変します。なぜなら、
「先生!その男が、お兄さんの仇、平手造酒ですよ。」
と、叫んだからです。その平手造酒が団子を誤って当ててしまった人物とは、そうです。この棒祭の三、四年前。『鹿島の御船祭』で、平手造酒から片手落(かたわ)にされた三人の内の一人、
神道無念流、秋山要助道場の門弟だった下寺十郎次の実弟、下寺大次郎だったのです。
下寺「平手造酒!私は、貴様に左手首を斬り落とされて、失意のまま、廃人同様に成ってしまった、下寺十郎次の舎弟!大次郎だ。
此処、鹿島で、しかも棒祭の最中に出逢えし事は、神様のお導きに相違ない!今から、兄の仇を討たせて貰う、覚悟いたせ!!」
平手「そちらの言い分は重々分かった。相手になろう。ただし、此処の勘定を済ませてからだ。番頭!二両、此処へ置く。ただし、あと一升飲むから、先ず五合、燗して持って参れ。」
喜助「畏まりました!で、残りの五合は?」
平手「残りの五合は、此奴を斬り捨てた後に頂く、燗の用意をして待っておれ。勿論、釣りは番頭!貴様にくれてやる。」
二両を机の上に置いて、出てきた五合の熱燗を、丼茶碗に空けて、一気に煽る平手造酒。刀を手に取ると、ゆっくり外へと出る。
一方、下寺大次郎は、黒紋付にタスキ十字を綾なして、袴の股立を高くして待っております。更に、飯岡の子分二人も助太刀!と、ばかりに長脇差しを抜いて、ややへっぴり腰に構えております。
さて平手造酒はと見てやれば、駿河屋のポックリ下駄では、流石に具合が悪い!此れを脱ぎ捨てて素足になり、
自慢の大刀の鞘を払うと正眼に構えます。都合五升の酒を喰らって、益々、剣が冴え渡る感じがするから、不思議な奴だぞ!平手造酒。
そして、「兄の仇!死ねぇ〜」と叫びながら斬り掛かる大次郎の鋒を、ギリギリの刹那に体を交わす平手。大次郎の刀の、物凄い風切り音を聞いた後、
平手造酒は、大次郎の肩から胸に掛けて、所謂、袈裟懸けに斬り付けます。大次郎、動く事すら出来ず、此れを真面に喰らいますから、一瞬にして、仰向けに倒れて絶命致します。
是を見た、助五郎の子分二人は、震える手で刀を二人同時に突いて掛かりますが、平手の敵では有りません。刀を横一線!!独楽の様に平手が舞うと、二人の首が、地面に落ちておりました。
平手造酒が、飯岡ノ助五郎の新しい用心棒、下寺大次郎を斬り捨てて、子分二人の首を跳ねた噂は、直ぐに鹿島中を駆け巡ります。
しかし、この事件をいち早く知った佐原ノ喜三郎の、事態を収拾する為の動きが素晴らしく、喜三郎が各方面に奔走する事で、最悪の事態、
飯岡と笹川の手打ちが、ご和算になるような事態は避けられて、事態は何とか丸く収まります。
飯岡ノ助五郎、佐原ノ喜三郎の顔を立てて、この一件は、笹川からの見舞金だけで、平手造酒への落仕舞いなど要求せず、不気味なまでに丸く収めるのですが、
勿論、其れは腹に一物有っての事で、飯岡側から笹川に仕掛ける、この次の間違い、其れは同じく天保十二年の秋、七月に起こるのですが、其れは次回へ。
つづく
p.s
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