鹿島神宮には、『鹿島の棒祭』と呼ばれる祭が、毎年三月の初めに開催されております。今年は新型コロナウイルスの影響で、規模は縮小され一週間程開催が遅れましたが、無事に行われたそうです。
又此の祭、現在では『祭頭祭』と呼ばれる祭で、なぜ、棒祭なのか?と、言うと、此のYouTubeの動画を観て頂けると、一目瞭然です。
◇祭頭祭2017
尚この祭は、1204年に始まったとも言われておりますが、『天保水滸伝』の中では、天保十二年三月に、愛でたく六十一回目を迎えた設定です。
つまり、人間でいう還暦に当たる、干支がひと回りした記念の開催と言う事で、紹介をされております。
又、此の六十一回目より遡る事五十年。まだ、銚子が五郎蔵の縄張りだった頃は、ここ鹿島は常陸の国で、あの土浦ノ皆次(大塚ノ皆次)の島内でした。
しかし、此の皆次と銚子ノ五郎蔵が大変仲が良く、五分の兄弟分の契りを交わしまして、棒祭の仕切りも、皆次と五郎蔵の双方協力して行うように成ります。
そんな鹿島の棒祭に、この年は笹川ノ重蔵一家が、飯岡との手打が済んだ関係で、皆次側だけでなく、助五郎側にも招待される事になります。
つまり、祭初日は皆次の賭場に顔を出して、二日目楽日は助五郎の賭場へと顔を出す。そんな腹積りで重蔵は、五百両という金を準備しておりましたが、
たまたま、この年の夏、大きな相撲興行の準備金の入用と重なり、この五百両から、どうしても三百両を相撲の方へ廻す事に成ります。
こうなると、鹿島の棒祭に使える金子は二百両です。ご祝儀に最初の予定通り五十両ずつ出すと博打の見世金が僅か百両と成って仕舞います。
下手をすると、皆次の賭場でオケラになると、重蔵、助五郎の方へは張る銭も無いのか?!と、笑われかねない状況でした。
そこで、重蔵は考えます。ここは一つ貸元の重蔵が鹿島へは行かず、代参に勢力富五郎、夏目ノ新介、それに清瀧ノ佐吉と憚ノ勇吉の四人でヤれば、此の二百両ダケで何とかなると考えるのです。
重蔵、富五郎を呼んで『鹿島の棒祭』には、四人で行く様にと、二百両の金子を渡して命じますと、富五郎、重蔵の心の内を読んで是を引き受けます。
そして、富五郎、自らの地元・勢力の大地主で富五郎の後見人でも在る源右衛門の所へ行き、『鹿島の棒祭』の代参を引き受けた話を致します。
その上で、源右衛門から二百両の助成金を貰い受けて、重蔵から預かった二百両と合わせて四百両の軍資金を調達致します。
是で金の件は問題解決でしたが、一つ新たな問題が生じます。其れは、あの平手造酒が『鹿島の棒祭』とやらが観てみたい!!と、言い出したのです。
江戸に居た時からの『祭狂人(きちがい)』を自負する平手造酒。折角、笹川に居るのだから、あの有名な『鹿島の棒祭』とやらを、観ずして死ねるかぁ!?と、まで言い出します。
困った重蔵は、平手に一つだけ「誓い」を立てさせるのです。それは『禁酒』です。鹿島へ行く前乗りの日、鹿島での初日と楽日。この三日間、一滴も酒を呑まない!!と、誓って、平手の鹿島行きが決まります。
さて、棒祭の前日。前乗りで勢力富五郎、夏目ノ新介、清瀧ノ佐吉、憚ノ勇吉、そして平手造酒の五人は、鹿島の大船津と言う所に、夕方船で到着致します。
富五郎「着きましたぜ、先生。船酔は大丈夫ですか?」
平手「勿論、大事ない。元来、拙者は酒を喰らうても酔わぬたちだ。船ごときに酔うものか!さて、是より何方へ参る。」
佐吉「まずは、鹿島神宮へ参詣に参ります。其の裏手に正道寺って寺があり、その寺は相撲の関係で、アッシが懇意にしておりまして、門前町にある『鳴滝屋』と言う旅籠が、鹿島での宿になります。」
富五郎「平手先生!念押しになりますが、船降りて鹿島に入ったら、酒は御法度です。呑まないで下さい。宜いですね?」
平手「くどい!分かっておる。武士に二言は無い、安心せぇ〜。」
そう言って、五人は鹿島に着くと、祭の準備で賑わう鹿島神宮へと足を運び、大きな鳥居を潜り、本殿、奥の院とお詣りして、正道寺へと参ります。
平手「其れにしても、此の辺りの家は全部平屋ばかりだなぁ〜。二階の在る家を見ぬ。其れどころか、瓦屋根すら珍しいとは、ちと、田舎過ぎんかぁ?」
佐吉「確かに、十一屋は二階が有りますが。。。我慢して下さい。明日は盛大なお祭が見られますから?」
平手「俺は、神田祭、山王祭、そして浅草の三社祭を観ておるのだぞ?此の様な田舎に、盛大な祭など、在るものかぁ?!」
富五郎「先生!祭を観る前から、その様な後ろ向きでどうします。酒を絶ってまで、観に来られたんですから、十分祭を堪能して下さい!お願いします。」
アさて、鹿島神宮には、要石と呼ばれる日本の柱、大地をこの世に繋ぎ留めて置く為の柱の様な石として祀られています。
そして、この要石の根元を観てみたい!と、言って、鹿島神宮を訪れた水戸の黄門様が、助さん格さんなど家来に、石の根元迄掘れ!と命じます。
しかし、家来たちが額に汗して、二日間掘り続けたそうですが、その根元は出て来なかったと言う逸話が御座います。
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
更に、この要石の脇には、この句が書かれた木の立札があり、そしてこの句の作者は、そう!かの有名な松尾芭蕉で御座います。
さて、正道寺の小坊主の案内で、五人は『鳴滝屋』へと到着した。下総は今売り出し中の笹川ノ重蔵の身内が五人も来るってんで、鳴滝屋は気合の入ったもてなしで、
先ずは、風呂へと案内されて、サッパリした後に、宴席が用意されていて、十二分に吟味された酒と肴が運ばれて来ました。
しかし、一人浮かぬ顔の平手造酒だけが、酒を口に出来ない身で味わう、拷問の様な山海の珍味を味わうのであった。
烏カァ〜で、翌日。朝飯、朝風呂を済ませた五人は、昼過ぎまではやる事も無いので、再び、鹿島神宮へと足を運び、祭見物となる。
途中の雑踏、テキ屋の出店、そして棒祭の行列。どれもが此の辺りでは、一番の活気と賑わいで、年に一度のお祭が、六十一回目の記念すべき回を迎えて気合いが入っているのだが、
既に丸二日。禁酒が続く平手造酒は、どーもご機嫌が悪く、『祭狂人』を自負している割には、全く嬉しそうには見えないのである。
富五郎「先生!是が見たくて、禁酒を誓ったんでしょう?もう少し、良い顔、して下さいよぉ〜」
平手「此の辺りでは一番の有名な祭と聞いて、拙者、大いに期待をして参ったのであるが、神田祭や山王祭には、遠く及ばず、浅草三社祭と比べたら、メダカと鯨だ!!話にならん。」
佐吉「平手の旦那!俺も三社祭を観た事あるが、この鹿島と江戸が、そもそも開きが有るんだから、其処を支点に、観て貰わないと。。。
確かに鹿島がメダカなら、江戸は鯨かもしれねぇ〜が、メダカにはメダカなりの良さが有りますから、其れを楽しまねぇ〜と、駄目ですぜぇ!先生。」
平手「拙者、メダカは好かん!!」
酒が呑めない不満のフィルターを通して、『鹿島の棒祭』を観ますから、其れは楽しいはずが在りません。
やがて、富五郎たち四人は皆次の賭場、この年は皆次の体調が優れず、賭場の仕切りは、佐原ノ喜三郎がやっております。
喜三郎「よく来て下さいました、笹川のご身内の皆さん。彼方の休憩所には酒肴も用意して有りますんで、ごゆるりと遊すんでって下さいマシ。」
富五郎「有難う御座んす。是はオヤジ重蔵からで御座います。」
と、富五郎が五十両の義理を渡して、四人で四ツ半頃まで、皆次の賭場で遊んで、予定通り、百五十両の銭を使い切って、鳴滝屋へと引き上げます。
つづく
