岩瀬ノ重蔵が、家を飛び出して飯岡ノ助五郎に独り談判に行こうと玄関を開けたら、其処には立派な駕籠が止まって居りまして、中から出て来たのが、松岸の大親分、高窓ノ半次その人でした。

高窓ノ半次は、飯岡ノ助五郎の親分、銚子ノ五郎蔵の古株の子分で、助五郎が仇討で身内になる前の、銚子一家の四天王の一人で御座います。

助五郎が、五郎蔵一家に貸元の『実の甥』として足を踏み入れてから、銚子の代貸!若親分と呼ばれるまでは、同じ釜の飯を食った兄弟分でもある。

そして、正式に五郎蔵の跡目が、助五郎に決まると、松岸に一家を構えて銚子の分家となるのです。同じ様に四天王は、それぞれ東庄町、椎柴、倉橋と一家を構えて独立致します。

そんな中でも、一番銚子に近い松岸に島内を持った高窓ノ半次は、五郎蔵と助五郎の一番の相談役でした。

そんな分家の四天王も、初代が生きているのは、この半次だけに成っておりました。そんな半次が、駕籠を出て、口を開きます。


半次「笹川のぉ!お前さん、飯岡へ行くのかい?!」

重蔵「是は是は!高窓ノ親分さん。こんな玄関で立ち話も何んですから、中へお入り下さい。おーい!誰か?!高窓ノ親分さんだ。履物と腰の物をお預かりして、足をお濯ぎしろ!!

出掛けるつもりで着た羽織を脱ぐ重蔵は、親分さんより先に奥の居間へ戻り、唐紙の前で、半次が来るのを待って、床間を背に上座を譲るのだが、半次は遠慮ぎみに下座に座ろうとする。

そんな遣り取りがあり、結局、半次が床間を背に腰を下ろし、その対面(トイメン)に重蔵が座った。


半次「笹川のぉ!間に合って良かった。子分同士が揉めた件で、お前さん、飯岡へ行くつもりだったんだろう?」

重蔵「高窓ノオヤジさん!なぜ、其れをご存知で?」

半次「偶々、俺は昨夜(ゆうべ)飯岡に泊まっていて、ウチの若い衆二人と大黒酒場に近い、結城屋って茶屋に居てよぉ〜、お前さん所の三人を、助の子分が四人(よったり)で、袋叩きにするのを見ちまって、俺が間に入ったんだ。

去年のお盆の花会で、助の野郎んトコの政吉が、盃の席では、長岡ノ親分からは小言を喰らうは、八両の義理で恥を掻く。

おまけに、相撲では飯岡の用意した力士が、笹川の清瀧ノ佐吉ドンだかに、コテンパンにやられて、土俵の上に反吐飛ばして、顰蹙を買っていた。

そんな事を知っている俺だ!飯岡と笹川が、喧嘩になりはしないか?常々、心配していたんだ。そしたらこの騒ぎだ。だから、出張って来たんだ、重蔵さんよ!分かるか?」

重蔵「面目次第もありません。松岸の御大に、其処まで気苦労をお掛けして。。。申し訳有りません!!」

敷いていた座布団の脇で、重蔵は土下座をして謝った。

半次「いやいや!頭を上げてくれ!重蔵ドン。お前さんと真面に話をしたのは、あの花会の席が初めてだったが、俺はお前さんが好きだし、買ってんだ。

だから、お前さんの袋にされていた二人の子分を助けたし、直ぐに、飯岡へ行って助の野郎に、『笹川と喧嘩なんてスンなぁ!この一件は俺が預かる。』と、言って全部承知させたから、重蔵ドン!お前さん所へ来たんだ。」

重蔵「それじゃぁ!アッシん所の花笠と水谷は?!」

半次「あぁ、怪我はしているが、命に別状はない。俺の松岸の家に寝かして在る。元気になったら、笹川に帰してやるから、安心しなぁ!?」

重蔵「有難う御座んす。松岸のオジキ!!」

半次「どうだい?この爺を時の氏神に、してくれねぇかい!?飯岡との間には俺が入るから、五分五分で手打にしちゃぁ〜、くれないか?

飯岡ノ助五郎には五分なら、手打ちにすると飲み込ませて来たんだ。お前さんの子分が、一方的に怪我させられて、心中穏やかじゃ無ぇ〜のは俺も分かるが、此処はこの爺の顔を立てて、水に流しちゃぁ、呉れめぇ〜かぁ?」

今度は、高窓ノ半次が座布団を外し土下座して頼み込んだ。

重蔵「オジキ!頭上げて下さい。可愛い子分が生きているのなら、五分の仲裁!有り難く頂戴致します。岩瀬ノ重蔵、異存御座いません!!」


こうして、飯岡で起こった『相撲ブラブラ』の事件は、大きな出入りに発展する事無く、松岸の御大、高窓ノ半次が手打の仲人を買って出て、笹川と飯岡は五分五分の手打を了承したのである。

そして、十五日程すると松岸に助けられた、花笠ノ六蔵と水谷ノ六蔵の二人が、怪我も癒えて元気に、笹川へと帰って来た。是で盤石ノ六蔵を加えた『三六十八の三人組』が、笹川一家に無事揃ったのである。


翌月吉日、笹川と飯岡は高窓ノ半次の招待で、松岸にある遊廓『一島楼(いっとうろう)』にて、手打式が執り行われる事と相成ります。


一島楼


此処は銚子でも、一番の廓。利根川から水を引いて掘割りを造り、丸でお城の様に、広い敷地の四方が堀に囲まれて、あたかも島の様で御座います。

此処を全て貸切にして、一晩、笹川と飯岡の手打式を執り行なおう!と言う。実に、高窓ノ半次親分らしい豪気な趣向で御座います。


アさて、此の時代の手打の儀式。色々と作法が御座いまして、先ずは、屏風が立てまされた部屋へ、双方が互いに見えない状態で入場し、着座致します。

そして、此処で例えば七分三分の手打なら、屏風には裏と表が御座いますから、七分が表の席へ、三分は裏の席へと通されます。

今回は、五分五分の手打なので、屏風が二組立てまされて、共に、表が向けられて仕切られました。

しかし、高窓ノ半次の重蔵への配慮なのか?五分五分と申しても、仲人の気持ちは、六分四分なのか?笹川の方を左手の席が用意されて、しかも、飯岡を先に右手の席へと入場させました。


一島楼へと着いた笹川一家と飯岡一家。大きな遊郭ですから門が東西南北!四つあり、笹川は東の青龍門から入り、飯岡は西の白虎門から入ります。

是は、当然、仲人の高窓ノ半次の演出で、双方が屏風で仕切られた部屋へ入る前に、絶対に顔を合わせぬ配慮に御座います。

そして門を潜り、其々広い玄関に着きますと、まず、腰の脇差と履物を預けて、貸元を先頭に代貸以下の子分衆が続きます。勿論、全員の出立は黒紋付に袴姿に御座います。

さて、部屋へと入場致します面々は。


◇飯岡一家

飯岡ノ助五郎、洲崎ノ政吉、成田ノ勘助、八木村ノ伊七、神楽獅子ノ政五郎、浅馬場ノ勘太郎、同じく甚九郎、芝山ノ瀧蔵、蛇柳ノ松五郎、生首ノ長次、そして山田ノ常吉。


◇笹川一家

岩瀬ノ重蔵、勢力富五郎、夏目ノ新介、憚りノ忠吉、同じく勇吉、四の宮ノ権太、熊ヶ谷半次、鎌田八郎次、上州ノ友太郎、玉村ノ八五郎、足利ノ大助、下半田村ノ庄吉、同じく寅松、そして雪崩ノ岩松。


パッと、屏風が外されますと、互いの前に相手が現れて、相互に刀が届かない距離の隔たりが設けられ着座しております。

次に仲人の口上と相成ります。高窓ノ半次が、徐に折られた上紙を手に、双方の間に立ち口上!申し上げます。


さて、本日はお日柄もよく、御双方様共に蟠り無く、此処一島楼へ御出向き下され、私半次、我が身に取りまして、有り難く!

只今のところは何事も半次めに、お任せ下さいました上は、只今迄の事はお忘れに成って、下りまして、

是から先は、水魚の交わりの如く、行く久しく続きます事をお願いして、ご異存無くば、目の前の盃を飲み干して頂き、遺恨水に流して頂く事!御願い奉ります。


と、半次の口上の後、一気に全員が、目の前の盃を飲み干します。そして、手締めとなり、三本〆で、この件は手打と相成りました。

そして、微妙な距離を保ちつつ、膳部が運ばれて懐石料理の昼食となりますが、高窓ノ半次親分は、古い親分さんなので、酒は出さず、お茶にて昼食を双方に取らせるのでした。


やがて散会となり笹川は、ある者は銚子へ、ある者は東庄へ、そしてある者は笹川へ帰って飲み直して、芸者を上げて派手にやりますが、

飯岡の方は、まず親分が、是でお前たち遊んで来い!なんて銭をくれませんから、地元我が家に帰り手銭で飲む事になります。

まぁ、盛場に双方が出ると、手打が済んだからって、直ぐに仲良しになるハズもなく、また、喧嘩になるのも困るので、飯岡の建前は、自粛と相成りました。


さて最後の帰り際に、仲人の高窓ノ半次へは、双方の代貸、洲崎ノ政吉と勢力富五郎から、本日は有難う御座いましたの心付で、ご祝儀が当然渡されます。

高窓ノ親分は、そんなつもりの仲人じゃない!と、双方の申し出を断りますが、一度出した物を、無職渡世は引っ込められないと、二人共に当然置いて帰ります。

そして、高窓ノ半次が、其々の包みを開けて、思います。『あぁ〜、助の野郎は逆立ちしても、重蔵には敵わないなぁ!?』と。


飯岡ノ助五郎 金五十両

笹川ノ重蔵  金二百両


一家の規模は、笹川の四倍はある飯岡が、ご祝儀は四分の一ですから、半次がそう感じるのも無理も御座いません。



つづく