さて、花会の当日。七月の十五日と言えば、残暑厳しい夏の終わりで御座います。この日も、相撲日和の晴天、ギラギラ太陽が天高く登る八ツ過ぎ。
親分助五郎の家に寄り、助五郎の名代ですから、助五郎所有の馬に跨って政吉は、花会の在る諏訪神社へと参ります。
此の当時の長脇差、関東の親分衆は、必ず、會合や寄合など、一同に集まる席へ出張る際には、馬に跨がり外出致します。
また、その馬には、親分の貫禄、一家の大小に相応しい飾りが施されていて、この日の政吉が跨がる馬にも、立派な金銀の飾りが御座いました。
そして、馬上の人となった政吉に、助五郎が、こいつら二人も伴に加えろ!!と、言われてやって来たのが、宮治と伸治と言う『餓鬼兄弟』です。
兎に角、意地汚く欲しがる。酒は浴びる、肴は荒らす。一番會合にはお伴させたくない二人を、助五郎の命令で連れて行くハメに成った政吉。
そんな、政吉の心を汲んでか、成田ノ勘蔵が、宮治と伸治に物申します。
勘蔵「いいか!二人とも、笹川に着いたら、振る舞い酒には、決して、口を付けるなぁ!!いいなぁ。お前らが意地汚く酒を喰らうと、飯岡の親分の恥になるからなぁ!!いいか?!」
宮治・伸治「へい!」
勘蔵「其れから、寿司とか煮しめ、食い物も、花会の会場には休憩所には置いてあるが、其れも一切手を付けるなぁ!!いいなぁ?」
宮治・伸治「へい!」
政吉「兎に角、着いたら、この弁当を持って相撲を観ていろ。江戸と大坂の一流の相撲が来ている。滅多に観られるモンじゃねぇ。
その持参の弁当だけで我慢してくれたら、帰りに、俺の奢りで、死ぬ程、呑み食いさせてやる。帰りまで、我慢だ!!いいなぁ?」
宮治・伸治「へい!」
汗を拭き拭き、大きく深い八丈の笠を被った洲崎ノ政吉が、寒川の橋を越えて清瀧へ。此処から土手沿に芝山へと抜けて、やや南へ下ると、漸く、其処が笹川の花会会場、諏訪神社に到着します。
相撲は、まだ、地元素人の取組が続いていて、いよいよ、玄人に代わろうとしておりました。宮治と伸治は、持参の弁当を持って砂被りの特等席へ参ります。
一方、政吉と勘蔵はと見てやれば、紅白の幕で囲われた、花会の会場である社務所へ、馬から降りて入ります。
重蔵「お早いお着きで。洲崎の親分さん。私が笹川ノ重蔵に御座います。馬は、裏の厩に繋ぎ置きますので、馬子さんも、こちらで、茶なんぞ飲んで、ごゆるりと。」
政吉「丁寧なご挨拶、痛み入ります。本日は助五郎が風邪で床に伏せっております関係で、若輩者では御座いますが、名代として、手前がまかり越しました。
さて、笹川の貸元。本日はお日柄も宜く、御盛會、真におめでとうさんに御座んす。」
重蔵「ご丁重なご挨拶、誠に有難う御座います。本日はごゆるりと楽しんでおくなさいまし。さて、此れより、履き物をお脱ぎ頂き、中へとご案内致しますのは、
其方におります、勢力富五郎に御座います。さてその次に控えしは、夏目ノ新介、更に憚ノ勇吉、しんがりは四之宮ノ権太の四人(よったり)に御座んす。
また、お上がり頂きハシゴの前まで、お進み頂くと机を構えて、本日のご記帳係りを務めまするは、神田於玉ヶ池は千葉周作道場、高弟平手造酒で御座います。」
政吉が履き物を脱ぎまして、四人に会釈しますと、四人は声を揃えて『いらっしゃいませ!』と返して来ます。
更に、ハシゴの前まで来ると、案山子の様な平手から筆を渡されて『ご記帳を』と促されますが、平手はその間、湯呑で一升の貧乏徳利から酒を注ぎ、グビグビと呑んでおります。
そして、この受付の脇で、政吉は懐から服紗を出して、八両の入ったご祝儀袋を平手の前の盆に入れますと、平手が『受取です』と、紙切れを渡し、別の子分が現れて、ハシゴから二階へと、政吉を案内します。
二階へと上がると、唐紙が取り払われた、だだっ広く見通しの良い座敷が、無職渡世の會合杯に相応しく用意されていて、ハシゴの登り口では、脇差を預かる子分が名札を持って待って居ました。
洲崎ノ政吉は、自慢の脇差をその子分に渡しながら思いました、會合に呼ばれる時は、銭を掛けた脇差に限ると。
そして、案内された座敷に座って居る親分衆の顔を見て、驚き竦んでしまいます。関八州は言うまでもなく、日本國中から名代の親分が顔を揃えて居ります。
先ずは関東八ヶ國からは、上州は大前田英五郎。直参の子分が八百と言われる英五郎。枝葉の組まで加えると五千人以上とも言われております。
次に、百々村ノ紋次(どうどうむら)。この親分、上州では大前田に次ぐ勢力で、大前田とは実に友好的な関係でした。
更に、この紋次親分。若い長岡忠次こと國定忠次が初めて人を殺した時に、英五郎の世話で、その忠次を預かり修行させた先が、此の紋次の所なのです。
その紋次の隣に國定忠次が座り、更にそれを挟む様に、此れまた若き日の忠次に剣術指南した上州の侠客・天王藤三郎が座って居ります。
次に武州は、小川ノ幸八と小金井小次郎。この幸八と小次郎は、この花会の後に抗争となります。そして奇しくも、笹川と飯岡が激突するのと同じ天保十五年に出入りと成り、二人とも公儀にお縄と成ります。
そして喧嘩両成敗、小金井小次郎は佃島の寄場送りに、小川ノ幸八は八丈への島流しとなる。後に、幸八は流人三十人で島抜けを企てるが失敗して自害して果てるのです。
次に高萩ノ万次郎。この親分は飯能を縄張りに活躍した博徒で、あの清水ノ次郎長と交流が深い事で知られています。
そして、高萩ノ万次郎の舎弟分で有名なのが、上鈴木ノ平五郎。この平五郎は、次郎長と賭場で張り合いこっ酷く痛め付けられたエピソードで知られています。
更に武州の親分には、この四人の他に、連雀ノ喜助と巡田ノ榮五郎の二人も顔を見せておりました。
野州宇都宮からは馬方ノ源五郎、常陸は土浦・大塚ノ皆次、下総山崎ノ友五郎、同じく下総松岸は風窓ノ半次、佐原ノ喜三郎と、八日市場の倉田屋文吉といった地元の大親分も顔を見せております。
そして、関東八ヶ國圏外も、甲州からは宅井ノ安五郎、紬ノ文吉、泰村ノ四郎兵衛、身延ノ半五郎、そして清水ノ次郎長と言った顔が揃い。
圏外からも、大前田の親分に匹敵する大物として、伊勢の丹羽屋善兵衛の代理で白子屋鬼十、そして奥州信夫ノ常吉の代参としては一本柳ノ源左衛門が姿を見せておりました。
あまりのキラ星の如く、顔を揃えた親分衆に、政吉は、自分が何処へ座ったら宜いものか迷います。ただただ、ボーッとつっ立って居ると、声を掛けてくれた親分が有りました。
其れは、土浦の大塚ノ皆次で御座います。皆次は、政吉の親分助五郎の親分、銚子ノ五郎蔵の兄弟分で、この中に在っても顔で御座います。
皆次「おい!政、今日はお前さんが代理かい、なら、俺の隣に座りなぁ。親分さん方を、俺が紹介してやろう。」
政吉「是は是は、大塚の親分さん!有難う御座んす。アッシは、此処まで大きな花会は初めてで。オジキ!助かります。」
周囲の親分衆に、皆次が取り持ち政吉を紹介し盃を貰います。そんな中、上州の親分衆の中に居ります、色の黒い鼻筋の通って一際眼光鋭い親分が、突然、口を開きます。
親分「大塚の親分さん!その小僧が、飯岡の代参ですかい?!助五郎の奴は、何でこの花会に来ないんです?」
政吉「申し訳ありません。此処三、四日、夏風邪をこじらせ熱があり、床に伏せっております。其れで、私が代わりを勤めております。」
親分「貴様に聞いてんじゃねぇ〜!!黙れ、ガキが!!」
その親分が、いきなり政吉の方を睨み、いきなり猪口を政吉目掛けて投げ付けました。幸い逸れて柱に当たり砕けましたが、場に、ピーンと張り詰めた空気が流れます。
其れを見た、大前田英五郎が、低い声で「やめねぇ〜かぁ!忠次。笹川の親分さんに謝れ!!」と、言う。
また、両脇に居た、百々村ノ紋次と天王藤三郎も「長岡の!よしねぇ〜」と、止めに入ります。そうです。上州國定忠次が、仮病で来ない飯岡ノ助五郎に対して文句を付け始めたのです。
忠次「すいませんね、笹川の親分さん。初めての花会の盃事の席で跳ね返りまして、一同さんも御免なすって。
いやねぇ、飯岡ノ助五郎が、五里と離れてねぇ道のりを、夏風邪だとほざいて、鼻糞みたいな名代立てて来ないから、どいう料簡かと思いまして、大塚の親分さんに尋ねたら、
此処に居るガキが、突然、口を開くもんですから、辛抱ならなくなって、猪口を投げてしまいました。
おい!ガキ。貴様、俺が若けぇ〜時なら、猪口なんて投げず、脇差抜いて叩き斬ってる所だが、俺様も、寄る年並みには勝てねぇ〜様だ。
だがなぁ、是だけは助五郎に伝えてくれ!貴様が名代で来た責任だ。無職渡世は義理が一番なんだ。俺たちの世界から『義』を取ったら何も残らねぇーぞ。
俺たちは、銭金じゃなく、公儀(おかみ)みたいな長いモンに巻かれずに、生きているから成り立つ商売なんだ。
助五郎の野郎みたいに、目先の銭金に目が眩み、十手風吹かして生きている様な野郎は、糞を喰らって西へ飛べ!!」
そして、この日に集まった祝儀が張り出されて、夏目ノ新介によって読み上げられました。
◇上州
大前田英五郎 親分百両、子分一同五十両
百々村ノ紋次 親分八十両、子分一同四十両
天王藤三郎 親分八十両、子分一同四十両
國定忠次 親分七十両、子分一同三十両
◇武州
高萩ノ万次郎 親分八十両 子分一同四十両
小川ノ幸八 親分六十両 子分一同三十両
小金井小次郎 親分六十両 子分一同三十両
上鈴木ノ平五郎 親分六十両 子分一同三十両
連雀ノ喜助 親分五十両 子分一同二十五両
巡田ノ榮五郎 親分五十両 子分一同二十五両
◇野州宇都宮
馬方ノ源五郎 親分六十両、子分一同三十両
◇常陸土浦
大塚ノ皆次 親分八十両、子分一同四十両
◇下総
山崎ノ友五郎 親分八十両、子分一同四十両
松岸風窓ノ半次 親分八十両、子分一同四十両
佐原ノ喜三郎 親分六十両 子分一同三十両
倉田屋文吉 親分六十両 子分一同三十両
飯岡ノ助五郎
名代・洲崎ノ政吉 親分五両 子分一同三両
◇関東八ヶ國圏外
伊勢の丹羽屋善兵衛
名代・白子屋鬼十 親分百両、子分一同五十両
奥州信夫ノ常吉
名代・一本柳ノ源左衛門 親分百両、子分一同五十両
清水ノ次郎長 親分七十両、子分一同三十両
宅井ノ安五郎 親分五十両 子分一同二十五両
紬ノ文吉 親分五十両 子分一同二十五両
泰村ノ四郎兵衛 親分五十両 子分一同二十五両
身延ノ半五郎 親分五十両 子分一同二十五両
八両の祝儀が、そのまま張り出されますと、益々、飯岡の身内の肩身は狭くなります。
そして、しょんぽりした洲崎ノ政吉と、成田ノ勘蔵が、土俵の方へと宮治と伸治を迎えに行くと、素人相撲で、反物や帯を勝抜き賞品として貰った清瀧ノ佐吉を見付けます。
政吉は、思い出します。あの野郎!!櫻井の輿兵衛ん所の娘!!お常と駆け落ちした野郎だ。
鹿島の花売婆の家まで、連れ戻しに行ったのは、此の俺で、あの野郎、ぬくぬくと、笹川の身内になって相撲なんぞ、取ってやがる!!
ってんで、洲崎ノ政吉、飯岡に帰ると、取り敢えずは、國定忠次に言われた事と、八両は流石に、まずかったと助五郎にご注進致しますが、助五郎の心には、響きません。
其れより、明日の素人相撲で、清瀧ノ佐吉に仕返しを!と、思いますから、飯岡で一番の怪力の持主、目玉の朝太を連れて素人相撲に参加しようと致します。
しかし、念には念を!と、身内一番の朝太だけでは心許ない。ニノ矢を用意して置きましょうと言う成田ノ勘蔵の助言を入れて、
銚子の網元の息子で、六尺三寸、貫目は六十貫を超える真っ黒に日に焼けた濱ノ怪力大男、大五郎も連れて行きます。
着きました一同は、早速、素人相撲にエントリー。目玉の朝太も、網元の息子大五郎も、順当に勝ち上がり、まず、朝太が清瀧ノ佐吉と当たります。
八卦宜い! 残った!残った!
突き押しで、目玉の朝太、佐吉を土俵際まで追い込みましたが、詰めが甘く、打っちゃられて負けてしまい、江戸の仇はまだ討てず。
さて、ニノ矢!大五郎はと見てやれば、昼食の振る舞いのバラ寿司を山の様に食べて、見て分かるくらいに腹が膨れております。
勝抜き戦、最後の決勝戦に、この大五郎と佐吉が当たりますと、会場からはやんや!やんや!の声援です。
立ち合いに佐吉が頭から、大五郎の土手っ腹に当たりますから、余りの苦しさに、大五郎、食べたバラ寿司を土俵の上に吐いて仕舞い、まさかの反則負けと相成ります。
あまりの無様な姿、あまりの不甲斐ない負けに、此の事は、親分助五郎には内緒にと、洲崎ノ政吉は緘口令を敷きましたが、人の口に戸は建てられません。
廻り廻って助五郎の耳に是が入ります。其れどころか、八両の祝儀と土俵のゲロはワンセットで、飯岡の評判を下げに下げ、
神聖な土俵をゲロ吐いて汚して置いて、親分が謝りすらしない飯岡とまで言われますから、大五郎を連れて、飯岡ノ助五郎、自ら十一屋へと菓子折と見舞金を持って、重蔵へ謝罪いたします。
そして此れが、飯岡と笹川の三番目の遺恨で御座います。
つづく
p.s.
◇三代神田松鯉 『笹川の花会』
◇玉川勝太郎 『笹川の花会』
◇神田伯山 『笹川の花会』