さて、飯岡ノ助五郎が網元の利権に絡んで勢力を拡大していた頃、もう一人の英雄が、此処下総の國に誕生します。

此の國の中に『地方(ぢかた)』と呼ばれる公儀直轄領八万石の領地が、当時は御座いました。

この八万石の領地は広う御座いますから、色々と複雑な呼び名が御座いまして、その内の第一地方を、万歳、鏑木、琴田、天粕、夏目、憚り、小松、松ヶ谷、外口、そして十番目に笹川と言う土地が御座います。

因みに、此処笹川は、助五郎の本拠地・飯岡とは、僅かに四里半と申しますから、20Kmも離れていない極々ご近所で御座います。

この笹川に、老夫婦が営む旅籠『十一屋』と申す所が在りました。其の主人を藪雨の仁蔵と申します。

『流鏑馬』ではなく、『藪雨』なのがミソでして、二つ名が有りますから、堅気の旅籠では御座いません。

藪雨と言うのは、鶯の仲間の鳥で、正に藪に住んで居て10㎝くらいの差程大きくない鳥で、シッシッシッと、妙な鳴き声を発します。



私は幼い頃に『デカい雀だ!!』と目撃した鳥の話を家に帰ってすると、祖父に「此れは雀じゃない!藪雨だ!」と教えられたから、良く覚えています。

この藪雨、渡り鳥で夏は日本で繁殖し、冬になるとジャワ・タイ・フィリピン辺りへ越冬するそうです。


この仁蔵夫婦、元々水戸上町の生まれで、夫婦で流れ流れて、此処下総の笹川に辿り付いた。兎に角、この仁蔵博打も好きですが、若い時分は、力は有るし面倒見が良く、そして弁が立ちました。

其れで、湊の人足や土木工事の日雇など、仲間を束ね、その弁を生かして雇い主と交渉して銭にしてくれるから、兄ぃ!兄ぃ!と慕われます。

知らず知らずのうちに、人足を斡旋する手配師・口入屋の様な稼業が本業になりますが、公儀公認の『座』に入って商売していませんから、表の顔は『十一屋』と言う旅籠の主人をして居ります。

そうこうしているうちに、兄弟分や子分が、此処十一屋に屯する様になり、藪雨の仁蔵は親分!親分!と、祭り上げられて、五、六十人の子分を抱える様に成ります。

そんな藪雨の仁蔵も、寄る年波には勝てないもので、此処十一屋を誰かに任せて、夫婦して生まれ故郷の水戸へ帰る事を考えております。

仁蔵「婆さん!ワシももう直ぐ還暦を迎える。そうなる前に、故郷の水戸上町に戻ろうかと思うのだがどうだろう?付いて来てくれるか?

水戸には、以前からコツコツ貯めた銭で、田畑が買うて在り、其処を小作に貸して、どうにか二人楽隠居で、食べて行く位の銭が上がる見込みじゃぁ。どうだ婆さん!水戸にワシと戻ろらんかぁ?!」

婆「私は、爺さんの言う事に従うだけです。水戸だろうと、江戸表だろうと、爺さんの行く所へ付いて参ります。

ただ、長い間水戸へは帰ってませんから、是非、両親の墓参りやりたいです、お爺さん。」

仁蔵「そうかぁ!水戸へ付いて来てくれるかぁ。ヨシ、ならば善は急げだ。この十一屋の跡を引き継ぐ者を決めてたら、早速、水戸へ引越そう。」


こうして、笹川に来て、三十年近く過ごした仁蔵は、この十一屋をどうすべきか?考えた。旅籠として売れば、そりゃぁ、三十、五十両くらいの銭には成るだろうが、其れで本当に良いのか?と悩んだのだ。

悩んだ末に仁蔵は、此処笹川の若い奴で、将来この十一屋を拠点に漢を売り出すような気骨の有る者に、見返り無しで譲る事を決意します。


六十人の子分の中から、十一屋に因んで十一人の見所が有ると仁蔵が見込んだ子分を集めました。

その中に、提灯屋・与兵衛の孫で、幼名を徳松といった、子分の中では抜きん出て一番腕っ節の強い岩瀬ノ重蔵、この重蔵ダケ到着が遅れております。

仁蔵「重蔵がまだの様だが、今日は、皆んなに聞いて貰いたい事がある。実は、今年いっぱいで、藪雨の仁蔵一家の貸元を引退しようと考えている。

其処で、一家を解散するのは忍びなく、誰かを後継者に指名して、十一屋ごと譲ってしまいたいと思っている。」

子分甲「親分は引退して、どうなさるんでぇ?」

仁蔵「俺は、婆さんを連れて生まれ故郷の水戸へ帰るつもりだ。あっちに田畑を買って、のんびり隠居暮らしする予定だ。」

子分乙「其れで、親分は誰にこの十一屋を任せるおつもりですか?」

仁蔵「其れはなぁ!」


と、仁蔵が言い掛けた所で、岩瀬ノ重蔵が遅れて入って来た。

仁蔵「遅いぞ!重蔵。俺が集合を掛けた時は、刻限を守って集まる様に口を酸っぱくして、何時も言っているだろう?何してやがった。どうせ、又、喧嘩だろう?」

重蔵「違いますよ、親方。富五郎と憚り兄弟に、博打場で臨時のご祝儀を五両貰ったんで、彼奴等いつも、ピーピーシケてやがるから、偶には、美味いモンでもご馳走してやると、

『大六』に連れて行って、死ぬほど飲み食いして来い!!と、三両渡してから、此処へ来たんで、チッとばかり遅れたんです。」

仁蔵「博打場のご祝儀って何んだ?また、喧嘩振っ掛けて相手からせしめた銭じゃぁ、ねぇーだろうなぁ?」

重蔵「違いますよ。其れにお言葉ですが、藪雨の親方!!俺は確かに喧嘩売るのが商売みたいなモンだが、堅気や弱い奴には売りませんぜぇ?!必ず、強い奴にダケ売る喧嘩だ。」

仁蔵「重蔵!、不血身(不死身)の重蔵とか呼ばれてのぼせ上がってんじゃねぇ〜ぞ。若いうちは腕っ節だけで、渡世を渡っていけるかもしんねぇ〜が、何時迄も若さが続く通りは無(ね)ぇ〜。

だから、頭を使って、子分や兄弟分の為に知恵を絞るのも漢、親分!兄ぃ!と頼りにされる漢の甲斐性、貫目だ!!

飯岡ノ助五郎を観てみろよ。銚子ノ五郎蔵一家の代貸になったのが、十五年前だ。助五郎は親の仇を苦節七年、見事に討ち取って漢を上げたんだ。

此れから六年で、五郎蔵の跡目を継いで、銚子から飯岡へ拠点を移してからは、もう破竹の勢いだ!網元の利権だけで、あの隆盛だ助五郎は。

チッたぁ〜見習え、重蔵!腕一本で、この渡世は生きて行けねぇ〜ぞ!!分かるか?重蔵!!」

重蔵「親方?本気で、そんな風に思ってますか?俺はねぇ、鹿野のお山で花会をやるってんで、こりゃぁ笹川から出張って行かずばなるまい!と、思ったんです。だって!!

木更津の赤間源左衛門と、館山の鳴滝ノ乙吉が、上州大前田ノ親分のケツ持ちで始めた鹿野山の三つの神社白鳥神社、熊野神社、春日神社の御會式博打ですから。

関東八ヶ國の名だたる親分衆は勢揃いして、三日三晩の『御會式』って名目の花会だ。どんだけ凄いかと見てやれば、実に御山に百八十五の盆が立っていた。

だから、俺は片っ端からこの盆を襲って、テラを巻き上げてみる事にしたんだ。調子良く三つの盆を潰した。しかし、流石に大前田のケツ持ちだ!!

四つ目を襲った瞬間。腕っこきの野郎が七、八人で待ち伏せしてやがって、直ぐに縄で縛り上げられちまった。そんで、貴様!何者だ?と来た。

『笹川は、岩瀬ノ重蔵たぁ〜俺の事ったぁ〜!!』と言うと、笹川?貴様、飯岡ノ助五郎の身内か?と言いやがる。

『馬鹿ぬかせ!!、あんな守銭奴の子分なんかにゃ、死んでもならねぇ〜!!』と啖呵を切ると、奥に居たデッぷり太った赤い鼻した野郎が、

アンちゃん!面白い啖呵切るねぅー!気に入った、ただで帰しちゃぁ、先祖の助六に申し訳が立たないと言って五両くれたんだぜ。

鹿野山の御會式博打に、殴り込みを掛けて、捕まったのに、祝儀を切られて五両儲かったのは、仁侠(ヤクザ)渡世広しと言えども、この岩瀬ノ重蔵ぐらいのモンですぜ。

親分!本気であんな助五郎を、手本にしろと仰りますか?俺は、助五郎の様に、銭!銭!銭!で、素人さんを泣かせるぐらいなら、長脇差など遠の昔に辞めてますっさぁ。」

仁蔵「ヨシ!よく言った、重蔵。お前の料簡を確かめたかっただけだ。貴様がその料簡なら、俺も一安心だ。ここ下総は、このままじゃ、間違い無く助五郎の天下になる。

俺は、其れれを止められるのは、貴様だけだと思っている。だから、此処十一屋をお前にくれてやるから、ここを拠点に重蔵一家を旗揚げしてくれ!!頼んだぞ、重蔵。」

重蔵は、思い掛けない藪雨の親分の言葉に、震えを感じ、次の瞬間漢泣きの涙を流した。この時、岩瀬ノ重蔵、二十二才です。

因みに、飯岡ノ助五郎は四十歳になっていますが、この相続で誕生した笹川の重蔵一家など、発足当時は眼中に無い助五郎でした。

そして、笹川ノ重蔵一家ぎ旗揚げして三年の月日が流れると、勢力富五郎、夏目ノ新助、憚り勇吉、忠吉兄弟、熊ヶ谷寛次、釜田八郎次、上州ノ友太郎、御郷内ノ豊吉、足利ノ大助、玉村ノ八五郎、を始め、五十数人の一家へと成長致します。



つづく